ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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213話

 

 

「私が知りたいのは玄界(ミデン)で暮らす普通の人々の日常です」

 

ツグミがリヌスにどこへ行きたいのかを尋ねると、彼は即座に答えた。

 

近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)、住む世界は違っても誰もが精一杯生きて幸せになりたいと願っている。その気持ちに違いなどありません。ですから私は皆が笑顔で暮らしている玄界(ミデン)の人々のことをもっと知りたい。そのためにこれからあなたがどのように生活をしているのかを見せてください」

 

「わたしの…ですか?」

 

「もちろんです。私は近界民(ネイバー)なんですよ。私の存在はボーダーの関係者でも知る人はごく一部。その人たちも私に敵意…まではいかずとも好意は抱いてはいません。そんな人たちに『あなたのことを教えてください。あなたの日常を見せてください』なんて頼めますか? こんなことをお願いできるにはあなたしかいません」

 

「まあ、たしかにそうですね。でもわたしの日常なんて見ていても面白いものではありませんよ」

 

「私は面白いものを見たいのではありません。玄界(ミデン)の人々の普通の暮らしがどのようなものかを知りたいのですから、あなたのいつもの姿を見せてください」

 

「わかりました。では今日はボーダーの仕事がない非番ということで、そんな日のわたしの過ごし方を見てください」

 

ゼノンやテオとは違った視点で玄界(ミデン)のことを知りたいという点に感心してしまった。

それにツグミにとって見られては困ることはなく、そこでまず普段利用しているスーパーマーケットへ行くことにした。

 

 

 

 

ヒュースを連れて行った時の反応と同じく店内に入ったとたんに饒舌だったリヌスは口をあんぐりと開けたままで固まってしまった。

彼もまたヒュースと同じで生まれて初めてスーパーマーケットという店舗に入ったのだから、目の前に山と積まれた新鮮な野菜や果物に驚くのも無理はない。

彼らはひと月以上も滞在しているが、できるだけ人目に付かないようにしており、さらに自炊などしないから食生活はコンビニで済ませていた。

だからスーパーマーケットの品揃いには驚くわけだ。

キオンに限らず近界(ネイバーフッド)の国々は市民生活の面で遅れている部分が多いので、ツグミたちにとってはごく当たり前の光景でもリヌスたち近界民(ネイバー)にとっては見るものがすべて珍しいものである。

ただ、ツグミがショッピングカートにレジカゴを載せると、何も言わずにそれをさっとリヌスが押した。

こういう時でもさり気なくレディーファーストできるのがキオンの男性なのである。

 

「ありがとうございます、リヌスさん。わたしは3日に1回くらいの割合で食品や日用品を買いにここへ来るんですよ。今日の夕食はテイクアウトの料理ではなく、わたしが家で作ったものをゼノン隊長たちに持って帰ってもらおうかと思うんですけど、リヌスさんは何が食べたいですか?」

 

「私は…あなたの料理ならどんなものでもかまいません。ですが…強いて言うなら玄界(ミデン)、いえこの国の代表的な家庭料理が食べたいです」

 

「日本の代表的な家庭料理…か。国民食という意味では寿司とかラーメンとかあるけど、家庭料理のイメージじゃないからNG。うどんや蕎麦は麺打ちからやると今からじゃ間に合わないし、お茶漬けや卵かけご飯じゃ料理とはいえない。だとするとやっぱカレーライスか肉じゃが、かな。リヌスさんたちはまだ肉じゃがは食べたことがなかったですよね?」

 

「あ…はい、まだ食べたことはありません」

 

「じゃあ、肉じゃがに決定! お弁当にして持って行くにも都合が良いし、たぶんこの料理なら調味料さえあれば近界(ネイバーフッド)の材料でも作ることができるから作り方を覚えておいてもいいと思いますよ。嫌でなかったら一緒に作りましょう」

 

ツグミが一緒に作ろうなどと言うものだから、リヌスは慌ててしまう。

 

「わ、私になんかできませんよ。料理などしたことはありませんし、それも食べたことのないものを作るのは無理です」

 

「わたしが作るのを隣で見ていて、野菜を切るとか火加減を見るといったお手伝いしてくれるだけでいいんです。それに玄界(ミデン)では料理のできる男性はモテるんですよ」

 

「そういうものなんですか? ではあなたも料理のできる男性のことが好きなんですか?」

 

「できない人よりはずっと良いですよ。まあ、できないからといって嫌いになることはありませんけど。…じゃあ、まずは野菜コーナーから行きましょう」

 

 

リヌスはショッピングカートを押しながら不思議そうな顔で野菜をひとつひとつ手に取って見ている。

その間にツグミはジャガイモと玉ねぎとにんじん、絹さやといった肉じゃがの材料をレジカゴに入れながらリヌスの様子を見ていた。

 

「何か興味深いことでもありますか?」

 

ツグミに訊かれ、リヌスは答える。

 

「はい。玄界(ミデン)の野菜はエウクラートンで採れるものとほぼ同じなのですが、まだ寒い時期なのに夏に収穫する野菜が並んでいるのに驚いたんです。秋に収穫するジャガイモや玉ねぎなどは保存しておくことは可能ですが、こんな夏野菜を保存するのは難しいと思うんですが」

 

「保存ではありませんよ。冬でも収穫できる栽培方法があるんです」

 

「ええっ!? そんな馬鹿な…」

 

「信じられないのも無理はありませんが、玄界(ミデン)では普通に行われているんですよ。丈夫な鋼材や木材の骨組みに透明な合成樹脂のフィルムで覆った簡単な施設の中で野菜や花を育てる『ハウス栽培』というシステムがあるんです。もちろん露地栽培もやっていますが、1年中いつでも欲しい野菜を手に入れられるという点で非常に便利ですからね」

 

リヌスは手に取ったトマトをじっと見つめている。

 

「ハウス栽培にもメリットとデメリットはあります。本来トマトが育つ時期とは気温が違うのですから、それに合わせて室内の温度を上げなければなりませんし、日光は通しても雨は通しませんから適度に水を与えなければなりません。維持やメンテナンスにお金がかかりますから普通に育てるよりも大変なのですが、それでも栽培の季節をずらすことによって高値で出荷できるといったメリットの方があるので盛んに行われているんですよ」

 

「なるほど…」

 

「もっとも野菜は本来収穫する時期のものを食べた方が美味しいし栄養価も高いんですが、わたしを含めて玄界(ミデン)の人間は便利さに慣れ切ってしまっています。露地栽培のものだけになってしまったら食卓の彩りが減ってしまいそう。生まれた時から露地物しかなかったのならそんなことを考えることもないんでしょうけどね」

 

「……」

 

リヌスは黙ってしまった。

彼の故郷であるエウクラートンは四季のある農業国で、故にキオンの属国となってしまった。

独立は認められているものの、収穫した農作物の大部分を持って行かれてしまうためにエウクラートンの国民は貧しい生活を強いられている。

だから野菜に味や栄養価など求めるよりも、腹が満たされればそれで十分だという考えが一般的だ。

 

(しかしキオンからの侵略を受ける20年以上前に味や栄養といったものについて考えたことがあっただろうか? …いや、エウクラートンだけじゃない、近界(ネイバーフッド)では()()()()()習慣は貴族や一等市民の連中だけのもので、私たち庶民は腹を満たすだけの行為。料理だってそのままでは食べられないものを加熱したり味付けをして食べるだけの簡素なもので、玄界(ミデン)のものと比べたら雲泥の差がある。玄界(ミデン)では生命維持をするための『食べる』という行為を文化にまで昇華した。『食卓に彩り』などとは食事が文化でなければ浮かんでこない言葉だ。一方、私たち近界民(ネイバー)の行為は食事ではなく食欲という本能によるもの。それだけでは家畜や野生動物と何ら差はないのだ)

 

食事という行為ひとつとっても格が違うところを思い知らされることとなったリヌス。

さらに考えさせられた。

 

玄界(ミデン)ではあらゆるものが近界(ネイバーフッド)のものよりもはるかに優れており、トリガー技術においても軍事大国アフトクラトルの侵攻を独自に開発した武器(トリガー)で食い止めたのだから侮ることはできない。玄界(ミデン)ではトリオン兵を使わずにトリガー使いだけで戦っているが、何十億という人間がいるのだからトリオンも無尽蔵であると言ってもいいだろう。その豊富なトリオンでトリオン兵を使うようになって近界(ネイバーフッド)に攻め込んできたらアフトクラトル以上の脅威となる。今のところボーダーが近界(ネイバーフッド)に対して侵略する意思はないものの安心できる保証はない。だからこそアフトクラトルのように敵に回すのではなく味方にする方が利があるとして考えるべきだ。そのきっかけをツグミが作ってくれたのだからこのチャンスを活かすために働くことがキオン、いやエウクラートンのために役立つことになるのだ)

 

リヌスは自分の意思でツグミに全面的に協力することにした。

それが祖国のためになることであり、戦争に明け暮れる近界(ネイバーフッド)を大きく変える転換点になると信じられるだけの確証を得たからだ。

ツグミによって差し出された手を振り払ってこれまでの路線を続けることも可能だが、「異世界の文化」に魅せられてしまった彼らにはもう旧態依然とした近界(ネイバーフッド)での生活に戻ることはできない。

むしろ一部でも自分たちの暮らしに持ち込むことができたら…と考えてしまうのは無理もないことで、それがツグミの願いでもあるのだからリヌスが全力で彼女の気持ちに応えたいと思ってしまうのは当然である。

 

「ねえ、リヌスさん」

 

ツグミの声でリヌスは現実に引き戻された。

 

「はい、何ですか?」

 

「肉じゃがだけではつまらないので他のメニューを考えたんですが、季節的なものから菜の花とホタテの炒めものにしようかと思うんですが、貝は食べられますか?」

 

ゼノンたちが暮らすキオンやエウクラートンには海がなく、貝を食べたことがないと聞いていたツグミはリヌスに確認してみたのだ。

 

「食べたことはありませんが、この機会に食べてみたいと思います。魚も生ではちょっと遠慮したいですが、火を通してあれば大丈夫ですから」

 

「じゃあ、決まりですね。菜の花は今が旬の野菜ですから。ホタテも春に産卵するために貝柱だけでなく卵も楽しめる時期なんですよ」

 

ツグミはそう言いながら菜の花の束をレジカゴに入れた。

その後は肉コーナーで豚ロース肉 ── 忍田家の肉じゃがは豚肉を使う ── と鮮魚コーナーでホタテを選んでから精算を済ませる。

サッカー台で購入したものをレジバッグに詰めると、それをまたリヌスが自然な動きで持ってくれた。

 

「ありがとうございます、リヌスさん。キオンの男性は本当に女性に対して礼儀正しいですね。その点では玄界(ミデン)の男性よりもはるかに優れていて尊敬してしまいます。特にリヌスさんの気配りはいつでも心が温かくなります。さらわれた日の夜も寒くないようにと毛布を持って来てくれたり、眠れないわたしに付き合って話をしてくれたりと、あなたがいてくれたおかげで怖い思いをしなくて済んだのだと感謝しています」

 

「そんな…。ですがそのせいで任務は失敗してしまいましたけどね。ゼノン隊長に聞かれたら叱られるかもしれませんが、私はこれで良かったのだと信じています。もし任務に成功していたら私たちはあなたと(ブラック)トリガーを上官に引き渡して、そこで縁が切れてしまったことでしょう。ですが失敗したことでこうして今もあなたと一緒に話ができ、あなたが私たちのために料理を作ってくれる。まるで夢のようです」

 

リヌスの頬はほんのり赤みがさしていた。

それは初恋の少女から好意を寄せられているからで、ツグミも彼が恥ずかしがっていることはわかる。

しかし彼が自分に対して恋愛感情を抱いているというところまでは気付かず、単に女性慣れしていないウブな反応なのだと思っていた。

だから知らぬうちにリヌスを傷付けてしまうようなことを言ってしまうのだ。

 

「リヌスさんは素敵な男性ですから、きっとあなたにぴったりな女性がいつか現れますよ。リヌスさんは優しいから、恋人になれる女性が羨ましいです」

 

「……」

 

リヌスはどう反応して良いのかわからず、苦笑するだけであった。

 

 

 

 

「ようこそ、我が家へ。ここが玄界(ミデン)…この国におけるごく普通の民家です。さあ、お入りください。…あ、玄関(ここ)で靴を脱いでください。玉狛ではスリッパに履き替えていましたけど、ウチはいつも廊下もピカピカにしているので裸足であるいても大丈夫なんですよ」

 

「はあ…」

 

リヌスは靴を脱ぐとツグミと同じように靴下のままで廊下を歩いて行く。

そしてツグミは買い物したものを台所に置き、リヌスに家の中を案内する。

 

「日本の民家には畳という草を編んで作ったマットのようなものを敷いた『和室』という部屋があります。この和室に入る時には必ずスリッパは脱ぐのが習慣となっています。夏場は畳の上に寝転がると気持ちがいいんですよ」

 

説明をしながら居間や風呂・トイレといった場所を見せ、最後に自分の部屋へと連れて行った。

 

「ここがわたしの部屋です。といってもずっと玉狛支部で暮らしていたので、ここに戻って来たのは6日前ですけど」

 

「……」

 

リヌスは生まれて初めて女性の部屋というものを見た。

 

(机やベッドなどの家具は特に変わったものではないが、部屋の壁一面が本棚になっていてそこに本がびっしり並んでいる様子は以前に見た学者の研究室のようだ。しかし棚の上やベッドの枕元に置いてあるぬいぐるみがアンバランスで、ツグミらしい部分もあってそれが微笑ましいな)

 

「リヌスさん、こっちへ来てみてください」

 

ツグミは部屋の窓を開けながら言う。

何事かと思ってその言葉に従うリヌスだが、窓の外を見たとたんに彼女の見せたいものが何かすぐわかった。

それは庭の梅と桜の木で、梅の花が芳しい香りを漂わせている。

 

「これがあなたの言っていた花の木ですね?」

 

「ええ、そうです。梅はまもなく終わってしまいますが、これからこっちの桜の花が咲くんですよ。それをリヌスさんたちにぜひ見てもらいたいんです。だからトリオンが溜まっても少しだけ帰国は待ってください。きっと良い想い出になるはずです」

 

「それは楽しみです。私はテオと違ってキオンに待っている人はいませんから、帰国が遅れたところで何も問題はありません」

 

「それならお花見をする時にはわたしが腕を振るってお花見用のお弁当を作りますね」

 

「あ…はい」

 

振り返ったツグミの笑顔があまりにも愛らしく、リヌスはついその顔に触れたくなり手を伸ばしてしまった。

 

「リヌスさん…?」

 

リヌスの右手はあと数センチでツグミの頬に触れるところであったが、彼女の声で我に返ったリヌスは伸ばした手を慌てて引っ込めた。

 

「いや…窓を閉めようかと思って。驚かせてしまいましたか?」

 

「ええ。なんだかドキドキしてます。…さて、夕食の準備にはまだ早いので今のうちに洗濯物を取り込んだりお風呂の掃除をしちゃいます。リヌスさんはお客さんなので居間で寛いで…って、違いますよね? 普段のわたしの行動が見たいって言うんですから」

 

「はい」

 

「それなら一緒に来てください」

 

「わかりました」

 

 

 

 

あらかた家事を済ませたツグミはリヌスと一緒におやつの時間を楽しみ、本日のメインイベントとも言うべき『料理』を開始した。

 

「リヌスさんはジャガイモの皮むきはできますか?」

 

「はい、それなら得意です」

 

「ではそこにあるジャガイモの皮を全部剥いてください。わたしは玉ねぎとニンジンを切ります」

 

ツグミとリヌスは調理台にふたり向かい合って調理を始めた。

 

(リヌスさんと一緒に料理をするなんて信じられない。そもそも男性と一緒に料理をするなんてことないって思ってた。真史叔父さんは料理なんてまったくできないし、ジンさんも食べるのは得意だけど作る方は全然ダメっぽいし)

 

ツグミはそんなことを考えながら隣にいるリヌスをちらりと見た。

 

(さっきから胸がドキドキしてる。リヌスさんが()()()()()()()()()手を伸ばした時、もしかしたら触れられるんじゃないかってビックリしちゃった。紳士なリヌスさんが不埒なマネをするはずがないけど、ちょっとだけヘンなことを想像しちゃった)

 

ツグミもリヌスに対して好意を抱いており、恋愛的な感情がゼロというのではないものだから一瞬でもそんな妄想を抱いてしまったわけだ。

いくら迅と深く理解して愛し合っているといっても「人間の意思によって未来は変わる」という信念で行動しているツグミであるから自分と迅が結ばれない未来の可能性もあると考えている。

だからリヌスと結ばれる未来があってもおかしくはない。

ツグミも()()()であるから、魅力的な男性に好意を寄せられたら嬉しいに決まっている。

今は迅への想いが強くてリヌスへの気持ちは友愛とか親愛といったものだと思い込んでいるだけで、そうでなければ無防備に男性を自分の部屋に招いてふたりきりになるはずがない。

ただ、迅やリヌスの行動によって彼女の気持ちが変わる可能性は十分ある。

迅の未来視(サイドエフェクト)でツグミと迅が一緒にいる未来が視えるのと同時に一緒にいない未来も視えるのはこのためなのだ。

以前に迅の視た「ツグミが自分たちの前からいなくなる未来」は変えることができたのだと誰もが信じているのだが、ここで迅たちは大きな勘違いをしている。

「ツグミが自分たちの前からいなくなる未来」はゼノンたちに誘拐されることによって起きる最悪の未来であったと断定できるものではないということを。

なにしろ「ツグミが自分たちの前からいなくなる未来」と同時期に「男と一緒に出て行く」の2つの未来をほぼ同時に予知してしまったものだから両者を関連付けてしまい、遊園地でツグミが男=リヌスに拉致されても無事に帰って来たことで終わったと考えている。

もしこれが迅の予知とは無関係なことであり、別の要因によって「ツグミが自分たちの前からいなくなる未来」が実現するかもしれないということを想像もしていないのだ。

もちろんツグミは「自分と迅が結ばれる未来」を願っているのだから、彼女の気が変わらない以上はきっと実現することだろう。

ただ…人智の及ばない妨害によって叶わぬこともありうる。

ゆえに迅にどのような未来が視えたとしても、彼女の未来はまだ定まっていない。

 

 

 

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