ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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214話

 

 

ツグミが肉じゃがの仕上げをしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

忍田家にアポなしの来客があることはほぼゼロなので、こういう場合はだいたい新聞や宗教の勧誘である。

ツグミはそういった種類の人間の扱い方を知っているので、適当にあしらってやろうと玄関の扉を開いた。

 

「よう」

 

「ジンさん!? 家に来るなんて何かあったんですか?」

 

迅の訪問はツグミも想像していなかったようで、目を丸くして訊いた。

 

「何もないけど、久しぶりにおまえの手料理が食べたくなったものだからさ。今夜のメニューは肉じゃがだろ? 俺の未来視(サイドエフェクト)がそう言ってる」

 

するとツグミが苦笑しながら答えた。

 

「ええ、そうですよ。いいですよ、多めに作っていますから、真史叔父さんが帰って来たら一緒に食べましょう。さあ、上がってください」

 

ツグミは迅を家に上げると台所に行く。

そしてなぜか迅は彼女のあとを付いて行き、一緒に台所へと入った。

 

「あなたは…」

 

「なんだ? 何でおまえはツグミんちにいるんだ?」

 

リヌスと迅はお互いの顔を見るなり不穏な空気を漂わせて言った。

それもその筈である。

リヌスにとってはツグミとふたりきりの時間を邪魔されたわけだし、迅にとっては恋人が他の男と一緒に自宅にいるのだから。

もっとも迅は未来視(サイドエフェクト)ツグミとリヌスが談笑している姿を視てしまい、それを邪魔しに来たのであった。

ただ城戸の用事でなかなか解放してもらえず、おかげで3時間以上もリヌスとツグミをふたりきりにしてしまったのだ。

ゼノンやテオはツグミに恋愛感情の欠片もないと思い込んでいるから前日と前々日は不安のなかった迅であるが、リヌスについては彼女への好意が目に見えるほど明らかで、以前に太刀川が彼女に「惚れた」とわかった時のようにムシャクシャして居ても立ってもいられない。

 

(ツグミにはこいつに対してタダの友人レベルで接しているだけなんだろうけど、こいつのそわそわしている様子を見ると嫌な気分になる。太刀川さんの時も同じような気持ちになったけど、今回はちょっと違う。だってツグミは俺の恋人なんだからな。それにツグミは浮気してるわけじゃないんだし、こいつがいくら惚れても実らぬ恋だ。だが悪い予感がするんだよな…)

 

迅の登場で場の空気が変わったことに気付きはしたものの、原因が自分にあるとは想像もしていないツグミ。

それでもこのままではいけないと、必死になって考えた。

 

(『久しぶりにおまえの手料理が食べたくなった』なんて言ってたけど、本当は何か重要な用があるんだろうな。だからここにリヌスさんがいると邪魔…というか早く帰ってほしいと思っているに違いない。料理も後は重箱に詰めるだけだし、パパッと仕上げちゃって終わりにしよう。リヌスさんには申し訳ないけど、ゆっくり話をする機会はまだこれからもあるから許してもらえるよね?)

 

相手の存在が邪魔ではあるものの、それをあからさまに顔に出すとツグミに嫌われてしまいそうだと考えて迅とリヌスは適度な距離を置いてツグミの作業を見守っている。

ツグミは手早く料理を重箱に詰めると、別に用意しておいたご飯と一緒に紙袋に入れた。

そして準備が整うと迅に訊いた。

 

「ジンさん、今日は車で来ていますか? それとも徒歩で?」

 

「玉狛のジープだけど、それが?」

 

「それはちょうどいいです。すみませんがこれからわたしとリヌスさんを遠征艇まで乗せてもらえませんか? バスで行ってクロスバイクで戻って来るつもりだったんですが、そうなると往復で1時間くらいかかってしまうんです。でも車なら30分もかかりませんから、ジンさんを待たせる時間も短縮できます」

 

「ああ、かまわないぜ。帰りはクロスバイクを後ろの座席に載せてくればいいしな」

 

「じゃあ、お願いします」

 

迅は二つ返事で引き受けてくれた。

それはツグミにいいカッコ見せたいだけでなく、リヌスと彼女をふたりきりにする機会を奪うためという魂胆がある。

逆にリヌスは貴重な時間を失ったことで意気消沈してしまったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

遠征艇からの帰り道、迅は助手席に腰掛けているツグミに訊いた。

 

「最近のおまえ、奴らに肩入れしすぎなんじゃないか? 前から奴らのためにいろいろやってるけどさ、ここ数日は街へ連れ出していろいろ見せたり教えたりしてるようだが、何考えてんだ?」

 

「何って…もうすぐ彼らが帰国するから、その時に彼らが重い処分を受けないようにしたいってことはジンさんにも話したはずです。忘れちゃったんですか?」

 

「忘れちゃいないさ。だけど奴らを引っ張り出して何をやってんだってことだ。奴らのために何かしてやる義理なんてないんだぞ」

 

「わたしは彼らのために行動しているのではなく、自分自身の利益のために働いているだけです。わたしは自分のことしか考えない利己的な人間ですから」

 

そう言ってツグミが笑うものだから、迅は逆に腹を立ててしまう。

 

「利己的だなんて…何でそんなことを言うんだ? おまえの行動はいつも他人の事情や気持ちに寄り添っていて、自分自身のために動いたことなんて一度もないだろ?」

 

「結果的にそうなっただけですよ。わたしは自分自身が一番大事なんですから」

 

忍田と同じくらいにツグミのことを大切にし、ずっと見つめてきた迅だから知っている。

彼女が自分を犠牲にして他人のために働き、その陰で何度も涙を流してきたことを。

そんな彼女は自己犠牲というものを否定していて、他人がそういった行動をすることをひどく嫌う。

それは5年前の遠征で「みんなのために」と大勢の仲間たちが命を失ったことがきっかけで、誰かのために命を捧げて戦うことでその誰かが死ぬほど哀しむということを身をもって知ったからである。

しかし彼女のこれまでの行動の数々が自分を犠牲にしてきた事実は否定できず、誰が見ても彼女は自分よりも他人もために生きていると思ってしまう。

本人もそのことをわかっているからこそ「自分は利己主義者」であると称して自分自身と他人を騙して偽悪ぶっているだけなのだ。

 

(他人の自己犠牲を嫌うくせに、自分は平気でやるんだよな…。俺が言えたことじゃないが、アフトの侵攻の時に自分が死ぬかもしれない状態で千佳ちゃんとメガネくんを守ろうとしたのは紛れもなく自己犠牲の精神によるものだ。あの時はキューブにされて絶体絶命だったくせに、『わたしは自分の強い意思で確定した未来でも不都合なものなら変えてみせる』なんて言って無茶したことを正当化するんだよな。利己主義者だと言うならもっと自分と俺のために生きようとしてくれるはずなんだが…)

 

迅の心の中などまったく察することもなく、ツグミは言い訳を続けた。

 

「これまでボーダーは遠征で近界民(ネイバー)の技術を少しずつ手に入れて自らの力としてきました。徐々に()()()を高めてきましたが、先のアフトクラトルとの戦いで近界民(ネイバー)とボーダーの関わりについて大きな転換点を迎えたと思うんです」

 

ツグミは大きくため息をついて続けた。

 

「トリオンを奪い合う戦争を延々と続けている近界(ネイバーフッド)の現状を見ていると本当にバカバカしい。最上さんたちもそのバカバカしい戦争に巻き込まれて死んでしまったんですよ。近界民(ネイバー)たちがくだらない戦争を続けているから、わたしたちがそれに巻き込まれて犠牲が出てしまう。だったら近界(ネイバーフッド)の戦争をやめさせたいって考えてしまうのは無理もないでしょ? 軍人であるゼノン隊長たちでさえ戦争なんてなければいいと考えています。きっかけさえあれば戦いに明け暮れる日々に終止符を打つことができるというのに、誰もそのきっかけを探したり生み出したりする努力さえしていません。戦争なんて誰かが初めて誰かが終わらせるもので、自分たちはそれに巻き込まれているだけだと他人事のように考えているか、もしくは無力な自分では戦争を止めることはできないと初めから諦めているんですよ。だから何もしないんです。そこでわたしはどうしたら近界民(ネイバー)の戦争を止められるか考えました。そしてその中でわたしは『近界民(ネイバー)自身に戦争をやめたいという強い意思を持たせること』と『戦争をやめて玄界(ミデン)と交流することで、戦争を続けるよりもはるかにメリットがあると近界民(ネイバー)に知らしめること』が重要だという結論に達しました。別に近界民(ネイバー)同士が戦争を続けてお互いに相手の国を滅ぼし合うことを憂いて戦争を止めようと言うのではありません。近界民(ネイバー)が戦争を続けている限りどうしてもわたしたちが巻き込まれてしまう可能性があるからで、わたしは自分自身と自分の手の届く範囲の人間たちが近界民(ネイバー)の脅威に怯えることなく毎日笑って暮らせるようにするための活動をしているだけなんですよ」

 

「……」

 

「そこでゼノン隊長たちのキオンの諜報員という立場を利用させてもらいます。ボーダーはこれまでキオンの人間との接触はありませんでしたから、彼らが玄界(ミデン)と密約を結んでいるとは想像もしません。ですから彼らの言葉には信憑性が出てくるんです。テオくんの話ですと標的(ターゲット)に決めた国に潜入して情報操作をする時には酒場などの口が軽くなる場所で言い触らせばすぐに広まるそうなんです。彼らに『玄界(ミデン)では独自の文明が非常に発達しているだけでなく、(ブラック)トリガーを持ったアフトクラトルの大軍を数時間で撤退させるだけの武器(トリガー)技術も持っている』とか『玄界(ミデン)の人間は好戦的ではなくトリオンも必要としていないから近界(ネイバーフッド)に進出する気はまったくない。しかしアフトクラトルは玄界(ミデン)の子供を大勢さらったものだから、それを奪い返そうとして着々と遠征の準備を進めている』とか『アフトクラトルに味方すれば玄界(ミデン)を敵に回すことになるから見て見ぬふりをするのが賢明だ』と広めてもらうんです。その時についでに『アフトクラトルは玄界(ミデン)の人間を恐れて属国であるガロプラに命じて遠征計画を断念させるために遠征艇の破壊工作をさせたことで、玄界(ミデン)では計画の遅延が見込まれる』とも。アフトクラトルの連中の耳にもこの噂が届くようにすれば、ガロプラの遠征艇破壊の一件は事実だと思わせることもできます。しかしゼノン隊長たちが帰国をしても重い処分を受けないという安心感を持ってもらわないと、この計画は成功しません。だから彼らをボーダーの協力者に仕立てるためにいろいろなことをしているんです。アフトクラトルの連中もまさかキオンとボーダーが手を組んだとは考えないでしょうし、ガロプラの破壊工作についても半信半疑であった部分が確証に変わる。そうなれば奴らにも油断が生まれ、遠征も少しは楽になるんじゃないでしょうか?」

 

「……」

 

「そしていずれキオンとボーダーが不可侵条約を結び、キオンに玄界(ミデン)の先端技術を導入して生活レベルが向上すれば、それを知った国々も自分たちもその恩恵に預かりたいと考えるようになる。そもそもキオンは自国の食糧事情を改善するために侵略戦争を繰り返しているだけで、食糧を得る手段さえあれば戦争をする理由がなくなります。トリオンが欲しくて戦争をしている連中もトリオンに変わるエネルギーがあると知れば、戦争を続けて疲弊するよりも戦争をやめて新技術を取り入れようと考えるはずです。わたしがゼノン隊長たちを街へ連れ出しているのは、近界(ネイバーフッド)での価値観しか知らない彼らにわたしたちの()()()()()()を見せることで近界民(ネイバー)として何が必要なのか、そのためには何をすべきなのかを自ら悟ってもらいたいという気持ちからです。人が変わるためには誰かに強制されるのではなく、自ら変わろうという意思が必要です。わたしは彼らに変わりたいと思うきっかけを与えているに過ぎません」

 

「……」

 

「そして彼らの認識は少しずつ変わっていきました。これまではキオンのことだけではなく近界(ネイバーフッド)の情報を一切口にしなかった彼らですが、祖国のために自分がすべきことを考えるようになり、その結果わたしにアフトクラトルの情報も教えてくれるようになったんです。別にアフトクラトルがキオンにとって敵国だからボーダーと戦わせて弱体化させようというのではありません。ただしここでボーダーに恩を売っておけば後々役に立つという打算的な面があるのは確かです。ゼノン隊長がそう言っていましたから。わたしも弱い立場の彼らを厚遇して情報を手に入れているのですからお互いさまです」

 

「……」

 

「キオンとの関係は始まったばかりですが、何事も始まりはこんなものでしょ? でもいつまでもそんな関係では寂しいですから、いつかは心から相手のことを尊重できるような絆に変えていきたい。わたしは自分が欲しいと思うものを相手に与えることにしています。信頼してもらいたいなら相手のことを信頼する。愛情が欲しいなら相手にも愛情を注ぐ。自分は何もしないで相手にだけ要求するようではダメ。…今、彼らは玄界(ミデン)のことを知りたがっています。それも自分たちと同じ庶民階級の人間がなぜ笑顔で暮らすことができるのかを知ろうとしていて、わたしはそれを彼らに感じてほしくて一緒に街歩きをしているんです。リヌスさんは『私が知りたいのは玄界(ミデン)で暮らす普通の人々の日常です』なんて言うものですから、わたしは自分の日常を見せました。特別なことは何もしていません。ですが彼にとってはいろいろとカルチャーショックを受けたみたいです。でもその経験や得た知識をキオンに帰ってから活かすことができたなら…ってわたしは彼らに期待をしたくなります」

 

迅にはツグミの言い分に何も反論できなかった。

5年前の遠征によって生き残った人間はさまざまな想いを抱えて生きている。

その中で玉狛支部に集うメンバーは「近界民(ネイバー)にもいいヤツがいるから仲良くしようぜ主義」を謳っているものの、「反近界民(ネイバー)」を掲げるボーダー本部にとって受け入れがたい人物 ── 遊真やヒュースを抱え込んでいるだけで、これといって積極的に行動しているわけではない。

一方、ツグミは自分を拉致したキオンの人間に対してでも初めから友好的に接していた。

周囲から反対されても自分の意思を通し、「近界民(ネイバー)にもいいヤツがいるから仲良くしよう」を体現しているのは彼女だけである。

もっとも彼女は「近界民(ネイバー)とは仲良くしたいが、敵となるのなら容赦なく斬る」という玉狛寄りの忍田派の考えであるのだが、レイジや小南たちよりもはるかに近界民(ネイバー)との友好的な関係を大事にしようとしている。

 

近界民(ネイバー)を絶対悪として組織を維持しなければならない城戸さんや、三門市民を守ることで頭がいっぱいの忍田さん、そして仲良くしようと言いながら特に何かをしているわけではない林藤さんや俺たち。そんな情けない大人たちの中でこいつは自分なりの答えを見付けたんだろう。きっとこいつのやろうとしていることこそが旧ボーダーの理念、彼女の父親の織羽さんや有吾さんの願いを()()()受け継いでいるんだ。ボーダーを近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の架け橋にしたいと言っていた若かった頃の城戸さんと忍田さんと林藤さんの姿が今のツグミで、城戸さんたちがこいつの行動を容認しているのは自分たちが叶えることのできなかった夢を託しているからじゃないんだろうか…)

 

迅が何も言わなくなったので、ツグミは納得してくれたのだろうと考えて口を閉じた。

そして目を瞑って考える。

 

(わたしがやっていることが正しいことなのか間違っていることなのか、それを判断できる人はどこにもいない。だって現在進行形でまだ結果は出ていないんだから。今のわたしができることは未来の自分に恥じないことをするだけ。これまでもそうしてきたし、これからもそれは変わらない。そのせいでジンさんと道を違えることになっても後悔はしない。いくらジンさんに好かれたいとか嫌われたくないからって自分を曲げて生きるなんてできないもの。それにわたしもジンさんも今は恋愛のことに夢中になっている暇はない。ジンさんはアフトへの遠征に参加するのは間違いないんだから、わたしはそのジンさんが無事に帰って来られるように思い付く限りの策を考えて実行するだけ。ジンさんが帰って来なかったら、それこそわたしは未来の自分に申し訳が立たないわよ)

 

ツグミと迅、それぞれに思うことがあってずっと無言でいたのだが、ツグミの携帯電話の着信音がその沈黙を破った。

 

「はい、ツグミです。……………はあ、それは大変ですね。……………さすがにそれは無理です。ちゃんと夜食用に残しておきますから、帰って来たら温めてあげます。……………わかりました。それではお仕事頑張ってください」

 

そう言ってからツグミは電話を切った。

 

「それ、忍田さんからだな?」

 

迅が訊く。

 

「ええ。どうやら定時で上がろうとしていたところに某スポンサーから急遽呼び出しなんですって。()()だから無茶な呼び出しも断れないみたい」

 

「上客」とは本来の意味は「商売上、店にとって大事な客」のことであるが、ボーダー関係者の間では大口のスポンサーのことをこう呼んでいるのだ。

 

「だから夕食はジンさんとふたりきりになります。久しぶりですね、ふたりだけで食事をするのは」

 

ツグミが微笑みながら言うものだから、リヌスの件で苛立っていた気分がサーっと潮が引くように消えていった。

 

「ああ、そうだな」

 

嵐の前の静けさとも言うべき穏やかな日々はまもなく終わりを告げることになる。

それにまだふたりは気付いていない。

 

 

 

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