ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
本部司令執務室へ向かうツグミを忍田が追いかけて呼び止めた。
「待ってくれ、ツグミ。一緒に行こう」
そして忍田は立ち止まったツグミの隣に並び、彼女の歩調に合わせて歩き出す。
「忍田本部長はわたしに何か言いたいこととか訊きたいことはもうないんですか?」
ツグミが正面を向きながら忍田に訊いた。
「まあ、アフトクラトル側におまえと同じような狡智に長けた奴がいないことを祈るよ。今回の試験も私の想像のはるか斜め上を行っていて、説明をしてもらわなければまったく意味がわからなかった。おまえの指示のひとつひとつに深い意味があったのだな」
「遠征部隊の引率者になる方が何を言っているんですか…。これじゃ忍田本部長も東さんから戦術を学んだ方がよろしいのでは?」
「ああ、本気で勉強した方がいいと感じたよ」
「でも何で誰も気付かないんでしょうかね? 特にガロプラ戦に参加した
そう指摘されれば誰でもわかるのだが、指摘されなければ気付かないというのが普通の人間だ。
忍田もその普通の人間であるから、ツグミに言われてやっと気付くというレベル。
彼女が修のことを心配するのと同じくらい忍田の戦術面の知識には不安があって、彼女の「東さんから戦術を~」は冗談ではなく本気の発言である。
「そう言えばガロプラの連中が基地内に侵入した時は迅の
「ボーダー本部基地のように外敵に対して万全の体制の城郭都市も内部に侵入されると弱い部分が多々あります。ですから侵入されないようにいろいろと策を練っているはず。今回の試験は敵から逃げるという設定でしたからそれほど難しくはありませんでした。本当に難しいのは敵に見付からずに潜入して短時間でできるだけ多くの情報を得ること。敵に発見されたら今日の試験のように逃げなければなりませんからね」
「そうなると今後行う遠征用の戦闘訓練もさまざまなシチュエーションを元に考えなければならないな…」
アフトクラトルへの遠征が単純に隊員同士を戦わせて戦闘技術を磨くという訓練だけでは意味がないということを忍田が
ツグミの持論は「他人から言葉で教えてもらうよりも自分自身が経験して気付くことの方が本人のために重要である」なので、忍田にすら自分で気付いてくれるようにと仕向けたのだった。
「そこは東さんにも協力をお願いしましょう。とにかく準備万端で挑まなければならない最優先で最重要プロジェクトなんですから」
「私もそう思う。…ところでさっきの試験だが、おまえが受験者だったらどう行動した?」
「わたしは…普段はグラスホッパーを装備していませんから城門を開けて出て行くしかないので、アイビス
「情報のない状態で敵の本拠地を攻撃するだと? もしそこにC級隊員がいたらどうする?」
「捕虜を自分の居城の
「たしかにそう言われればそうだな」
「それにこの強襲によって兵士の指揮系統を混乱させ、逃走するボーダー隊員を追撃できないようにするという意味もあります。城壁の頂面から狙撃されると厄介ですからね。敵の本拠地を攻撃することで兵士への指揮系統が麻痺して街中を混乱させ、その混乱に乗じて城門の開閉システムを乗っ取ってしまおうというわけです。ついでに城門の上の見張り小屋を破壊し、
ツグミと忍田はそんな会話をしながら本部司令執務室の前までやって来た。
ドアの前で深呼吸をひとつしてから、ツグミは部屋の主に声をかける。
「城戸司令、霧科ツグミがまいりました」
「入れ」
許可を貰い、ツグミと忍田は中へ入った。
「アフトクラトル遠征部隊の選抜試験は無事に終了いたしましたので、結果のご報告にまいりました」
「ふむ。それでどうだった?」
「受験生は全員合格。
「そうか。しかし不合格者のいない試験では何のために行ったのかわからん。意味のないことだったのではないのか?」
「いいえ、そんなことはありません。それにここで不合格者を出してしまったら最終的な遠征部隊のメンバーの数が足りなくなって困ってしまいますよ。敵の本拠地に乗り込むのですから先の大規模侵攻よりも激しい戦いになると誰にでもわかります。それを踏まえた上で遠征に参加したいと申し出たのですから、その覚悟は並のものではないはず。まあ、一部例外はいますけど。…ただ、わたしは現在の戦闘能力のみで彼らを選別してはいけないと思いました。戦闘技術はこれからの訓練次第で身に付けることは可能ですが、強大な敵と戦うという覚悟は後から湧いてくるものではありませんからね」
「なるほどな。それで試験は成功であったと言えるのか?」
「受験者はベテランのA級からギリギリでB級2位になった
「ふむ…」
「それぞれがボーダー隊員としての自分自身を振り返ってみて
「……」
ツグミの「戦いに赴く仲間を見送ることしかできない」という言葉を聞いて、城戸は胸に痛みを感じた。
城戸も若い隊員たちを戦地に送り込んで無事を祈るしかできないという自分の不甲斐なさを心苦しく思っていた。
過去にも遠征で多くの隊員を死なせてしまった自分の無力さを悔いていて、それでもボーダー最高司令官としての務めを果たしている城戸。
そんな彼も自分だけでなくツグミもまだ5年前の傷が癒えていないのだと知り、それで彼自身も心に負った傷が痛んだというわけだ。
ツグミが遠征部隊選抜試験の内容を提案したと聞いた時、城戸は忍田と同様に彼女が何を考えているのかまったくわからなかった。
S級とはいえタダの一隊員に重要な試験の一切合切を任せてしまって良いものか迷うものだが、9歳で正式入隊した時からずっと彼女の行動を見てきた城戸のボーダー最高司令官としての目と勘と経験が彼女に任せてみようという気にさせた。
彼女の他人とは違った価値観や信念を貫く意思の強さがボーダーにとってのカンフル剤となっていた事実を否定することはできず、自ら望んでS級となった彼女がこれまでの停滞している組織に風穴を開けるのではないかと期待をしてしまうのも無理はない。
ボーダーの最高司令官という立場にある城戸は何でもできるように思えて実はその立場に縛られて何もできずにいた。
逆にツグミは世間の目や社会的立場なんてものを気にせずに自由に立ち回ることができる。
そんな彼女は城戸にとって自分の夢や願いを託せる存在で、時々若気の至りで危なっかしいことをするが、それすらも自らの若い頃を思い出させるものだから黙って見守りたくなるというものだ。
試験の内容を彼女の口から詳しく聞きたいのだが、残念ながら城戸には城戸の最高司令官としての役目がある。
「ご苦労だった。この短時間に試験の立案から下準備まですべてひとりでやったということだから寝る間もなく働いたのだろ? 明日は一日特別休暇を与える。家でゆっくりと休みなさい」
城戸の口から自分を労う言葉が発せられるとは思ってもいなかったものだから、ツグミはすぐに返事ができなかった。
「何か不満でもあるのか?」
ツグミの反応がないものだから、城戸は彼女に異存があるのかと思ったのだ。
「あ…いえ、不満などありません。ただこれくらいのことで特別休暇が貰えるとは思っていませんでしたから、ちょっと驚いてしまっただけです。寝る間もなく、というのは大げさですがこのところずっと家族に不便をかけていましたから休暇を貰えるのはありがたいです。最近お疲れ気味の叔父に精のつくものを食べさせてあげたいですからね。城戸司令、ありがとうございます」
そう言って頭を下げるツグミ。
「まだまだおまえにはやってもらいたいことがたくさんある。この前のように倒れられても困るからな。…下がってよろしい」
「はい。では、失礼いたします」
ツグミは一礼するとひとりで本部司令執務室を出た。
◆◆◆
続いてツグミが向かった先は自分の作戦室である。
明日は完全オフになるため、やるべきことを全部やっておこうというのだ。
(報告書は宿題にして、今のうちに遠征について気付いたことをまとめておこうかな)
そんなことを考えながら歩いていると、自分の作戦室の前で佇んでいる修の姿を見付けた。
「オサムくん、そんなところでどうしたの?」
ツグミが声をかけると、修はすっと姿勢を正して返事をする。
「霧科先輩、少しお話したいんですけど…今、いいですか?」
「うん、いいわよ。中に入って」
作戦室のドアを開けて修を中へ招くツグミ。
修の話の内容についてはおおよそ見当が付くものだからついほくそ笑んでしまうが、それを悟られないようにしながら椅子に座り、修にも座るように勧めた。
「さあ、そこに座って。お互いに無駄な時間はないんだから、さっさと話をしましょう」
「はい」
修はツグミの正面に置いてあるスチール製のスツールに腰掛けようとしたが、思い直したのか立ったままで頭を下げた。
「先輩、まず謝らせてください。すみませんでした」
「わたしに謝罪するってことは、あなたはわたしに対して何か許しを乞わなければいけないことをしたのね? いったい何をしたというの?」
「それは…さっき試験の前に先輩が作戦室にやって来て千佳とヒュース抜きで試験を受けろと言った時なんですが、それはぼくを不合格にするためにわざと試験直前まで教えてくれなかったのだと思いました。だって4人で受験する前提で試験対策をしてきたのに、突然ぼくと空閑だけで試験を受けろって…。先輩のことを意地悪な人だって思ったんです。千佳のことがあって先輩があんな形で玉狛支部を出て行ったので、きっと先輩はぼくたちのことが嫌いになって、それで意地の悪いことをしたんじゃないかって」
「うん、それで?」
ツグミはニコニコしながら修の話を聞いている。
「だけど先輩からの説明を聞いて、そのとおりだと思ったので何も言えませんでした。たしかにヒュースはアフトクラトルに着いたら戦力として期待できないし、千佳は遠征艇から出られないのだから潜入調査や戦闘には参加しない。こんな当たり前にことに気付かなかった自分が悪いのに、先輩が意地悪だと思うなんてぼくこそ愚かで酷い人間です」
「だからあなたがひとりで謝りに来たのね?」
「そうです。でもそれだけじゃありません」
「それなら座りなさい。もう謝罪は終わったんだから」
「はい…」
安堵の表情で座る修が言う。
「試験の前、先輩がぼくたちのことを三雲とか空閑って呼ぶのを聞いて、なんか他人行儀なカンジがしてきっとぼくたちは先輩から嫌われているんだろうなって思っていたんです。でもまた名前で呼んでくれるようになってホッとしています」
「あら、別に嫌ってなんていないわよ。ただ試験の責任者としてはどの受験者とも個人的な関係を完全に排除して中立な立場でいなければならないから
「…あ」
修はこれまでのツグミの言動を振り返ってみて納得した。
普段なら年長者のことを「さん」付けで呼ぶ彼女だが、受験者全員苗字と「隊長・隊員」という肩書きを付けて呼んでいた。
いつもと違うよそよそしい印象を受けたのはそのせいであったのだ。
「試験官に求められるのは公正さよ。受験者の多くは本部所属の隊員たちで、わたしが玉狛支部の受験者と親しいことを知っている。レイジさんやユーマくんたちは実力で試験に合格できるってみんなは思っているけど、オサムくんが合格したらそれが実力であってもわたしがあなたを贔屓したんじゃないかって邪推されてもおかしくない。受験者全員を合格させたのはわたしが後輩を合格させるためだって思われたらこの試験自体がイカサマだってことになって再試験にもなりかねない。そうならないために受験者全員とは一定の距離を置くことに決めたのよ。わたしの本部のS級という立場、そしてわたしが突然玉狛支部を出て実家に戻ったことがみんなに知れ渡っていたのは都合が良かったわ」
「……」
修はここでも物事を深く考えることの重要さを思い知らされた。
(霧科先輩の言動のひとつひとつにはどれにも理由があって、何をするにも自分の言動によって周囲にどんな影響を与えるのかきちんと考えているんだ。それって『先を読む』ってことだよな…。ランク戦だって敵の行動の先を読んで戦うのが当たり前なのに、日常の中では意識しないってことの方がおかしい。先輩は常にそうやって先のことを考えて行動しているから失敗しないのかな?)
「まだ他にも話があるんでしょ? 悪いけどまだわたしは仕事が残っているの」
ツグミに急かされて謝る修。
「すみません! …それで先輩から見て今後ぼくはアフトクラトルへ行くことができるようになるでしょうか?」
修は真剣な目でツグミに訊く。
選抜試験では合格となったが、全員合格であったのだから自分が遠征部隊に参加できるのかどうか不安になるのは当然である。
「ええ。アフトクラトルへ行くことはできると思うわよ」
その答えが嬉しかったのか、修の顔に笑みが浮かぶ。
しかしすぐにその笑顔は失われた。
続くツグミの言葉が突き放したような冷たい言い方だったからだ。
「アフトクラトルに限らず
「そんな…」
「今回の試験の最大の目的は受験者に自分の『甘さ』を認識してもらうためのもの。トップチームの隊長である太刀川さんや風間さんですら自分が甘いってことに気付いたと思うのよ。もしこの試験内容とまったく同じ条件の実戦であったら、C級隊員を救出するどころか情報収集の段階で遠征部隊は全滅していたかもしれないんだから。オサムくんも
「はい…」
「遠征参加メンバーのための短期集中訓練ではこれまでの常識が通用しない戦闘を想定して行われることになるわ。その訓練内容を考えるのもわたしの仕事なの。だから単純な戦闘訓練だけでなく、いろいろな手を使ってオサムくんたちをみっちり鍛え上げてあげるから覚悟しておきなさい。そして最終試験で合格できなければ遠征参加は諦めるしかない。最終試験は今回のよう生ぬるいものではないわよ。わたしは
「わかりました。心の整理ができましたので、これで失礼します」
心の整理ができたとは言っているが、これ以上いてもツグミに迷惑をかけるだけと考えて退散することにしただけだ。
選抜試験に合格すれば自信がつくと思っていたというのに、実際は「首の皮一枚で繋がっている」という散々な結果なのである。
自分でもわかっていることだというのに、改めてツグミからダメ出しされたようなものであるから意気消沈もするわけだ。
沈鬱な面持ちで部屋を出た修はすぐに遊真たちと合流する気になれず、ひとりになりたいと思って屋上へ繋がるエレベーターに乗るのだった。