ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
受験者たちはそれぞれ自分の「甘さ」について考えさせられていた。
ある者はトリガー使いとしての能力を誇っていたものの、己の無知を思い知らされて肩を落としていた。
またある者はこれまで長い時間をかけて蓄えた「知識」という財産がいざという時に何も役立たなかったことで、自らの不甲斐なさに気持ちが萎えている。
そしてすべての受験者が共通して感じたことは「今のままではアフトクラトルへ行ってC級隊員を助け出すどころか自分自身が生還できない」ということ。
この試験は現在の実力で遠征に参加できるか否か判断するものではなく、現状では誰ひとりとして生還できないのだと認識させるものであったとしみじみ感じていた。
仮にこの試験内容とまったく同じシチュエーションで実戦に臨んだとして、いくらレイジや太刀川といった
捕らえられたらハイレインの権力闘争のための戦争の駒として死ぬまでこき使われるし、千佳は「神」としてその命をアフトクラトルに捧げられることになるのは疑いようもない。
さらに二重遭難のようなことになれば、ボーダーは市民から激しい非難を受けてC級隊員や遠征メンバーを救出に行くどころか組織の存在が危ぶまれることとなる。
その恐ろしい事実をツグミは受験者たちに直接説明するのではなく、経験することで理解するように促したのだった。
他人の口から言われたところでピンと来ないものであっても、実際に自分が経験したなら嫌でも思い知ることになる。
ツグミの
◆◆◆
本部基地の屋上から夕暮れの三門市をぼんやりと眺めている修。
選抜試験で自分の甘さを思い知らされたことでひどく落ち込んでいた。
(ぼくは霧科先輩から何度も
西の空に傾いた太陽を見つめながら修は大きくため息をつく。
ボーダーの戦いに限らずスポーツの試合であっても気合や根性だけでは勝てない。
技術的なものだけでも勝つことはできず、「心技体」の3つをバランス良く兼ね揃えていなければならないのだ。
いくら修が「心」── 気力や意欲が漲っていても、「技」── トリガーの扱い方や知力・知識が不十分であり、さらに「体」── 生身の体力とトリオン量がボーダー隊員としてギリギリのレベルでは到底
(だけど霧科先輩はぼくを不合格にしないでくれたってことはわずかでもぼくに期待をしてくれているってことだよな。1%でも可能性があるのなら、ぼくはこの可能性にかけてみたい。自信はないけど、千佳が遠征に参加するならぼくが千佳を守らなきゃ)
「それが麟児さんとの約束なんだからな」
修はそう強く心に決めて言った。
しかしもしツグミがその場にいたら「やっぱりオサムくんは麟児さんの呪いにかかっている」と言っただろう。
本来はここで「自分がそうするべきだと思うから」と言うべきところである。
たとえ「千佳を守る=自分がすべきこと」であっても、この遠征で彼が真にすべきことは「C級隊員と参加した隊員全員の生還のために全力を尽くすこと」なのだから。
◆◆◆
その頃、作戦室でツグミはアフトクラトル遠征に向けての問題点を頭に思い浮かぶだけ付箋紙に箇条書きにし、それをジャンル別にA1サイズのホワイトボードに貼っていた。
(人的な面の問題もけっこうあるけど、やっぱトリガーや遠征艇といった技術的な面の問題点が多いな…。
ツグミが技術面の問題として貼り付けた付箋には「
現在の
敵に発見される恐れがあるのでできるだけ離れた場所に停めたいが、そうなるといざという時には
もっとも「いざという時」とは隊員たちが最悪の状態になっているという意味であるから、一刻も早く収容しなければ命に関わることになる。
そして今回の試験のように
ハイレインたちにはボーダーの正隊員のトリガーには
その問題を解決しなければ本格的な戦闘を行うことなく全滅となる恐れがあるのだ。
敵の戦術レベルを考慮に入れて戦う ── これはツグミが東から学んだ戦術の基本中の基本である。
戦闘能力や武器だけでなく敵のキャラクター性をも考慮に入れ、行動の先の先を読むことで敵の想像の斜め上をいく策を生み出すのが彼女の得意技だ。
大規模侵攻の際、前もって偵察用ラッドを使って情報収集や威力偵察などを行い、途中までは盤面を高みから見下ろしていたプレイヤーだったハイレイン。
ここまでだと慎重で計算高い性格のように思えるが、千佳の存在を知るとラービットを大量に投入して、好機と見るや司令官でありながらも自ら戦場に降り立つという大胆かつ猛々しい面も持っている。
おまけにエネドラとヒュースというふたりの部下を同時に欺くといった卑劣な男であり、目的のためなら手段は問わないタイプ。
ツグミは大規模侵攻で直接戦った経験からハイレインの思考を推し量り、彼がボーダー隊員を
(距離の問題もあるけど、一度に大勢の隊員が
そして戦闘体が破壊されての
そうなると遠征艇の場所を特定されて攻撃を受けた場合、艇の中には大勢の隊員がいても戦える隊員の数は限られる。
アフトクラトル側のレーダーの索敵範囲は不明だが、
(そもそも
そこまで考えていたところで、新たな問題が思い浮かんだ。
(ベルティストン家配下のトリガー使いの数がわからないだけでなく、
ボーダーでは一定レベルのトリオン能力を持つ者だけに
彼らは戦闘体に換装するのではなく生身で戦うから斬られたり撃たれたら死亡する可能性が高いため、自分の身を守るためには狙撃技術を磨かねばならず、よって一般兵の中にはトリガー使いよりもハイレベルの狙撃技術を持っている者もいるそうだ。
(城郭都市であれば敵からの攻撃に対して城壁頂面からの狙撃が基本。かなりの数の
ツグミは新しい付箋紙に「簡易トリオン銃を持つ一般兵の存在」と書いてホワイトボードに貼り付けた。
ひとつの問題を考えていると他の問題にも気付くということの繰り返しで、付箋紙の数はだんだん増えていく。
そのほとんどが
100%死なない安全な戦争なんてものはありえない。
しかしボーダー隊員は死ぬことどころか怪我をする痛みを伴うようなこともなく、ランク戦などVRのゲームのようなカンジで
実戦であってもトリオン体で戦うから
もし
いや、それ以前に生身であったら絶対にできないような無茶な戦い方をすることもしなかっただろうから、結果はまったく違うものになっていたはずだ。
ツグミはB級ランク戦において4試合すべて無傷で勝利してきたのは、彼女が「手脚の1本2本失っても勝てば良い」という考え方に警鐘を鳴らすためでもあった。
そのことに気付いたのはRound4で解説をしていた東だけであったが、彼の解説を聞いていた者なら知っているはずである。
もしツグミの戦い方を頭の片隅にでも留め置いてくれるなら、
(特にB級ランク戦で上位2位までに入ること
ひとりで複数の敵を相手にすることに慣れているツグミだが、それは彼女が日々の訓練の積み重ねで
すべてのポジションに精通しているから敵の行動を読めるし、とっさの時の対応もできる。
いくら太刀川がNo.1
特に城郭都市での戦いで敵が地の利を活かした狙撃をメインとした攻撃をするのだから、ボーダーはその逆の狙撃メインの敵からどうやって身を守るか、または遠距離の敵に対してどういった攻撃をするのかが重要だといえよう。
(遠征の参加希望者の中で
堅牢な城壁を破壊するにはアイビスが必須だが、ツグミのようなトリオン「18」ならともかく東の「7」や奈良坂・古寺の「6」では乱発はできない。
しかしトリオンでできた城壁を破壊する火力は物理的なものはもちろんのこと敵の精神的な面にも効果を与えることができる。
(そうだ、わたしのリザーブを使えばいい。玉狛製のオプショントリガーだからランク戦では使えないけど、実戦で役に立つなら使わないのはもったいない。これを使えばトリオン量が2倍になるんだから、遠慮なくアイビスを何発も撃てるじゃないの!)
「リザーブ」はツグミが玉狛支部所属時代に作ってもらったオリジナルオプショントリガーで、
満タンのトリオン量と同量のトリオンを貯めておいて
しかし大規模侵攻でイルガー2体だけでなく飛行型トリオン兵を数多く撃墜することができたのはリザーブのおかげでもある。
効果は抜群だと証明されたようなものなのだから、制作費のことは大目に見てもらうしかない。
ツグミは「
続いてツグミはホワイトボードを見回し、「遠征艇の定員」の付箋紙のところで視線が止まった。
千佳が機関員という名の「トリオンタンク」役目をすることで艇自体を大きくすることができ、定員数も増加した。
しかしその定員が増えたからといって遠征参加の人員を増やした後のことを誰も考えていない。
少なくともそれに関する話題が会議で検討されていないという話であるから、誰も気付いてはいないのではないかとツグミは考えている。
(艇が大きくなればその分トリオン消費が激しくなるから、できるだけ小さいものにしたい。でも今回は戦闘前提で通常よりも多くの戦闘員を乗せなければならず、現在の希望者全員が行くとなれば戦闘員だけで20人以上になる。他に機関員や
そういった意味で保護したC級隊員をさらわれた時と同じようにトリオンキューブの状態にすれば狭い場所でも大勢を運ぶことができる。
さらに食事もいらないから遠征部隊メンバーの食糧を用意するだけで済むという点もありがたい。
ツグミは「遠征艇の定員」の付箋紙に赤いペンで「キューブ化は可能か?」と書き加えた。
キューブ状になった隊員を元に戻すことができたのだから、キューブ状にすることもできるのではないかと彼女は期待しているのだ。
まさか助け出した人間をアフトクラトル残したままで帰還するはずもなく、だからといって遠征メンバーが
ツグミには「過去にやらかしたいくつもの不祥事」によって直接開発室に仕事を依頼することができないので、すべては忍田を通さなければならない。
面倒なことだがそれも「組織」の秩序を守るための
(キューブ化は
そしてホワイトボードに貼った付箋紙の1枚に視線を向け、「ベルティストン家以外の四大領主3人の対応について」と書かれているその付箋紙を剥がすと自分の手帳にそれを貼り直した。
(これはボーダーの手には余ることだもの、こちらで上手くやれないか試してみよう。…さて、そろそろ家に帰らなきゃ。明日は一日オフだから午前中からゼノン隊長たちのところへ行って相談しよう。そろそろ艇の燃料用トリオンも溜まった頃かな?)
キオンの諜報員という
いや、彼女だけでなくボーダーという組織の可能性が広まったと言い換えるべきか。
いずれにせよアフトクラトルへの遠征の成功の可否が彼女の行動にかかっているのは間違いない。
これまで誰にもできなかった
これも彼女がこれまでに積み重ねてきた実績と信頼によるもので、城戸たち旧ボーダーの大人たちの目には織羽の遺志を正しく継ぐ者として映っていることだろう。
「
そのずっと止まっていたかのように思える時間はいつの間にか動き出し、新たな道が未来へと伸びていた。
今はまだツグミひとりが前に進んでいるだけだが、いずれは大勢の人間が彼女の拓いた道を歩くことになるだろう。
しかしそれまでにはまだもう少し時間がかかる。
彼女の向かう先は地図にも載っていない荒野のようなもので、そこに彼女はたったひとりで道を作っているのだから。