ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
三者会談を終えたツグミはその足でゼノンたちのいるキオンの遠征艇へ向かうことにした。
「ツグミ、俺もゼノンに用事がある。一緒に行こう。だからちょっとだけ待っててくれ」
林藤は玉狛支部を出て行こうとするツグミを引き止め、5分ほどして玄関へとやって来た。
彼は紫色の風呂敷に包まれた一辺が30センチ弱の立方体の箱らしきものを抱え、小さな紙袋をひとつ左手に下げている。
「悪ぃが紙袋の方を持ってくれ」
そう言ってツグミに紙袋を手渡す林藤。
「中に何が入っているんですか?」
「キオンの連中のトリガーだ。俺が預かっていたんだが、これはおまえに渡しておいた方がいいだろうと思ってな」
このトリガーはゼノンたちに一旦返却されたものだが、彼らが林藤に再び預けていたものだ。
玉狛支部を出る時に捕虜でなくなったとはいえかつては敵であった
ツグミはゼノンたちから全面的な信頼を得ているが、そんな彼女を林藤も信頼しているということ。
信頼しているからこそ彼女の常識の枠を外れた計画に全面的に賛成とまではいかないが見守ることに決め、その証としてゼノンたちのトリガーを彼女に預けたのだ。
「林藤支部長、わたしにこんな大事なものを預けてしまったら大変なことになるかも知れません。遠征艇のトリオンも満タンになったことですからいつでも出発できる状態で、彼らのトリガーとミリアムの
ツグミが困ったような顔で言うと、林藤はニヤニヤしながら答えた。
「そんなことは100%ありえないって思ってるんだろ?」
するとツグミも意味深な笑みを浮かべて言い返した。
「もちろんです。でもわたしが悪用するかも知れませんよ」
「悪用?」
「わたしの計画を城戸司令たちが認めてくれない場合、強硬手段に訴えることができるということです。つまり親の許しを得られないからと家出して、
「ハハハ…おまえならやりかねないからな。そん時は俺が責任を取らされて頭を丸めることになるんだろうな…」
「支部長の坊主姿を見てみたい気もしますが、たぶん似合わないのでそんなことにはならないように気を付けます。…って冗談はさておき、その風呂敷包みの中身は何なんですか?」
「あ、これか? これは連中が帰国する時に持たせてやろうと思っていたもんだ」
「お土産…ですか?」
「まあ、そんなもんだな。前にゼノンと一緒に酒を飲んだ時に渡すって約束してたからな、突然帰国することにでもなったら渡すタイミングを逃しちまう。だから今のうちに渡しておこうと思ったんだ」
「もしかしたらこちら側の世界のお酒ですか? ゼノン隊長って酒豪っぽいから」
「…そろそろ行くぞ」
ツグミの問いに答えないまま、林藤は彼女を連れて玉狛支部を出た。
◆◆◆
ツグミがゼノンたちの遠征艇を訪問するのは5日ぶりであった。
それまで毎日弁当を作って届けていたのだが、ゼノンからの連絡でしばらく不要であると言われて「本業」に専念していた。
よってこれは久しぶりであり突然の訪問となるわけで、ゼノンたちは嬉しいような困ったような複雑な顔をして彼女を出迎えた。
その表情に気付いたが、それは単にアポなしでいきなり訪ねて都合が悪いことがあったのだろうという程度にしか思わなかった。
しかし事実は9年前に彼女の両親を殺したのがキオンの諜報員であったことをリヌスとテオも知ってしまったからである。
彼女がボーダーに入隊して
心の整理がつくまで会わずにいようと決めていたというのに、その途中で彼女が突然やって来てしまったのだから無理もない。
「みなさん、突然押しかけてしまってすみません。ご迷惑のようでしたら今日はこれで失礼しますけど…」
ツグミがそう言うと、ゼノンが前に進み出て言った。
「いや、別にかまわないさ。久しぶりでちょっと戸惑っただけだ。用があればこちらから連絡するという話だったからな」
「ええ、そうでしたね。でもわたしの方で用があったんです。みなさんにお願いごとがあって、できるだけ早いうちにお話したいと思ったものですから」
「お願いごと? きみのお願いなら何でも叶えてあげたいと思うが、やはり内容を聞かなければ良い返事はできない。それを今から聞かせてくれるんだね?」
「はい、そうです。ただしこれは極秘で進めなければならない計画のひとつで、林藤支部長とヒュースとみなさんの3人とわたしという6人だけが知っているものになります」
「ヒュースだって? あのアフトの小僧も関わっているのか?」
ゼノンが渋い顔で訊く。
「この計画というのがアフトクラトルへの遠征に関わるものですから、彼にも協力してもらわなければならないので。そしてついさっき彼の協力が得られましたので、その足でここへ来てしまったというわけです。とにかくアフトクラトルの人間が関わっているからという理由で門前払いはしないで話だけでも聞いてください。ゼノン隊長たちにとって悪いようにはなりませんから」
「いや、そういうのではなく…我がキオンとアフトクラトルは
「その顔はそういう意味でしたか。では作戦室へまいりましょう。わたしの計画の内容をご説明いたします」
ツグミはそう言って「勝手知ったる」といった様子で作戦室へと歩いて行く。
すると林藤はゼノンに耳打ちをして言った。
「例のものを持って来た」
「例のもの?」
「おまえさんの先輩のアレだ」
林藤が抱えていた風呂敷包みの中身は9年前のツグミの両親を殺害したキオンの諜報員の男の遺骨が入った骨壷であった。
以前にふたりだけで話をして秘密を共有していたのだが、その時の約束でゼノンたちが帰国する際には渡すことになっていたのだ。
「そろそろ帰国するだろうから渡し損ねないようにって、な。それとおまえさんたちのトリガーはツグミに預けてある」
「ツグミに?」
「ああ。だからおまえさんたちがあいつや俺の信頼を裏切ろうとすればできるってことだ。もちろん俺はおまえさんたちがそんなことをするはずがねぇと思ってるからこんな話をしたわけだがな」
「俺たちが
ゼノンはそう言って深く頭を下げると、骨箱を受け取ってひとりで倉庫へと向って行った。
◆
作戦室に全員集合したことでツグミは説明を始めた。
「まもなくみなさんはキオンへと帰国されることになるわけですが、その時にわたしも一緒に連れて行ってください」
前置きもなくいきなり本題に入ったものだから、ゼノンたちは目を丸くして固まってしまう。
「やっぱり突然こんなことを言い出したらビックリしますよね? でもこれは冗談でもふざけているのでもありません。わたしは本気です」
ツグミの真剣な目に射抜かれ、ゼノンは正気を取り戻して訊き返した。
「一緒に…ということは、きみがキオンへ行くという意味なのか?」
「はい、そうです。もちろんミリアムの
ツグミがあっけらかんと言うものだから、リヌスは彼らしくなく声を荒らげた。
「何を言っているんですか!? そんなことをしたらあなたは ──」
「でもそうすればみなさんは任務を無事に遂行したということで処分されるどころか一等市民になれるんですよ。当初の目的を果たせるというのになぜそんな困ったような顔をするんですか?」
「それは当然じゃありませんか…。ではなぜあなたはこれまで私たちの減刑のために役立ちそうなものを探して走り回ってくれたんですか?
するとツグミは笑みを浮かべながら答える。
「わたしも初めは自分がキオンに行こうだなんて考えてはいませんでした。でもいろいろ考えて行動しているうちにわたし自身がキオンへ行って事情を説明した方が効果があると思ったんです。今までやったことも無駄にはなりません」
「しかしあなたがミリアムの
「キオンが危険な国だとは思っていません。キオンはわたしの友人たちの国です」
「……」
ツグミの言葉にその場にいた全員が黙り込んでしまった。
世間知らずの小娘が性善説を信じて、相手が誰であっても話し合いで解決できると能天気に構えているように感じられたのだ。
しかし彼女がそんな甘い考えでいるはずがない。
「わたしはミリアムの
わけがわからないという顔でゼノンたちにツグミはミリアムの
「ミリアムさんの魂がこの中に封じられていて、起動すると彼女と会話ができるんです。そこでいろいろなことを教えてもらいました。わたしが抑止力として所持することに賛成してくれていて、逆に戦争に用いることになれば彼女は絶対に起動してくれないでしょう。わたしからこれを取り上げたところで他に適合者はいませんから、勝手に使用されることもありません。そもそもキオンが他国に侵攻するのはその国で産出する食料が欲しいからであり、それを生産する人間を死なせてしまうような戦い方はしないはずです。ですがこれは生身のトリオン器官を破壊してしまうようなヤバイものですから、逆に『これを使用されたくなかったらおとなしくしろ』と脅しに使うくらいしかできません。よってわたしが大量殺戮者になったり、わたし自身が命を落とすようなことにはならないんです。テオくん、わたしの言っていることが嘘か本当かわかるでしょ?」
ツグミに訊かれ、テオは頷いた。
「ツグミはオレたちに嘘を付いたりしないことはサイドエフェクトを使わなくてもわかるさ。それにおまえがいろいろ考えた結果、キオンに行くことが
「ありがとう、テオくん。…そういうことで、わたしがキオンに行っても危険な目に遭う確率は非常に低く、逆に先方が
ツグミの言う「最終目標」が気になった林藤が訊く。
「その『最終目標』ってのは何なんだ?」
「それはまだ秘密です。いずれ話す時が来ると思いますので、それまで楽しみに待っていてください。…って、楽しみというよりは胃に穴を開けちゃうことになるかしらね。それにわたしの突拍子もない計画に協力してもらうんですから、みなさんだけにはお話しておきましょうか」
そう言ってツグミは4人の男たちの不安げな顔を見回してから続けた。
「いずれは現在の界境防衛機関ボーダーという組織を解体し、有吾さんやわたしの父がボーダーの創設理念『ボーダーを
「だからこっちのトリオンを使わないいろんな技術を
「はい、林藤支部長のおっしゃるとおりです。とにかく
「武器としてのトリガーをすべて破棄するというのは…?」
「本来ならトリオンやトリガーに関わる技術や知識は
「……」
「トリオンやトリガーを医療や福祉などに利用することについては大歓迎です。ですから
ゼノン、リヌス、テオの顔をそれぞれ見つめながらツグミは訊いた。
しかし誰も答えようとはしない。
「それはそうですよね…。こんなことを即決できるはずがありません。なにしろ自分たちの祖国の未来にも影響しようという話なんですから。ですので今すぐに答えをもらおうとは思っていません。ゆっくりと考えてください。と言ってもあまりのんびりはしていられません。家の庭の桜の蕾が今朝ふたつほど開いていました。1週間もすれば見頃になっていますから一緒にお花見をし、そして帰国されるのですから。それまでに遊園地へ行ったり、他にもお土産になるものを集めたりと忙しくなります。できることなら1-2日のうちに決めてください」
無理強いはできないことなので引き下がることにしたツグミだが、ゼノンたちの気持ちは既に決まっていたようであった。
3人は顔を見合わせてから黙って頷いた。
そしてゼノンが代表して答える。
「ツグミ、俺たちに異存はない。きみがキオンへ行くと言うのなら、俺たちは全力できみを守り、無事に
林藤としてはゼノンがNOと言ってくれるのを期待していたが、後押しをするような形となってしまった。
こうなれば仕方がない。
「わかった。おまえたちの一致した意見なら俺が反対するのも野暮ってもんだ。だがこの計画…というか企みには俺も一枚噛んでいるわけだから、何かあれば必ず俺にも教えろよ。それを約束しなければ俺は反対する。いいな、ツグミ?」
「はい、承知しました。…それとゼノン隊長にはまだお願いがあります」
「お願い?」
ゼノンはもう驚かないようにしようと気持ちを落ち着けてから訊いた。
「キオンに帰る途中でアフトクラトルに立ち寄ってもらいたいんです」
「アフトに立ち寄るだと!?」
一瞬だけビックリしたが、ゼノンはすぐに冷静になった。
「そうです。アフトクラトルへ立ち寄ってエリン家のご当主に面会し、ボーダーを頼って一時的でも亡命してもらえるよう促すんです。そのディルク・エリンという人は次の『神』にされそうになっていて、ヒュースはそれを阻止するためにアフトクラトルへ帰りたがっている。ボーダーはそんな彼を利用して遠征を行う予定ですが、彼の守りたいエリン家の一家をボーダーで匿うことにできれば遠征の時に楽になるはずなんです。エリンさんは神候補になるくらいのトリオン能力者ですしトリガー使いとして優れた人物だそうですから彼を敵にしたくはありませんし、さらにヒュース自身を味方にしてボーダーの駒として利用できるというわけです」
「なるほど、それであのアフトの小僧も関わっているということか」
「はい。ヒュースったらご主人様のことが心配で一日も早く帰りたいっていう気持ちでいっぱいなのはわかるんですけど、生贄にされそうになっているエリンさんをどうやって助けるのか、またハイレインたちとの関係をどうするのかなど全然考えていなかったみたいなんですよ。わたしがエリンさんの亡命を提案したら彼も賛成らしく、エリン家の家族のことまで教えてくれました。これまで何を訊いても教えてくれなかったのに。これって彼が自分の力だけではどうすることもできないって認めたからなんでしょうね。…そこでキオンへの往路でエリンさんと接触して事情を説明し、復路でも立ち寄ってどうするのか答えをもらうように考えています。彼に亡命の意思がなければ仕方がありませんから諦めますけどね。ヒュースには手紙を書いてもらい、一時的にでもボーダーへ身を寄せるようにエリンさんを説得してもらおうと思っています。敵勢力の弱体化…城戸司令たちを説得するにはちょうど良いネタだと思いませんか?」
「たしかにエリン家当主がベルティストンの一派から抜けるとなればかなり戦力を削ることができるだろう。さらにベルティストン家は四大領主の中で頭ひとつ抜きん出ていたから他の3つの貴族たちは奴らを煙たがっていて、最近ではベルティストン家対3貴族連合という雰囲気もあった。3貴族を味方に付けるのは難しいだろうが、きっかけさえあればベルティストン家の弱体化は可能だと考えていた。まさかエリンを奴らから切り離すとは…なかなかの策士だな、きみは」
「恐れ入ります。これでわたしがアフトクラトルへ行く手段を得て、キオンの元首と面会する機会も得られましたが、まだ城戸司令たちの説得という面倒な仕事が残っています。忍田本部長は絶対に認めないと言うでしょうが、城戸司令はボーダーの利益になるのであれば少々の無茶でも認めてくれるはず。時間はあまりありませんが全力でアタックしてみます」
やる気満々のツグミの様子を見ていたリヌスが彼女に訊く。
「ジン…にはどう説明するんですか? 彼はあなたのことをとても大切にしていますから危険なことはさせられないと反対するんじゃないでしょうか?」
「ジンさんか…。彼なら大丈夫だと思います。彼なら今頃わたしのやろうとしていることに気付いていて、止める気ならとっくに行動しているはずなんです。それがないということはわたしの行動がボーダーのために役立つということと、わたし自身に危険が及ばないとわかっているのでしょう」
ツグミが推測したように迅には彼女の行動のいくつかが視えていて、それによってアフトクラトル遠征の成功の確率が格段にアップすることがわかっていた。
そして彼女の身柄の安全は彼女が無事に帰還する未来が視えているので不安はなく、今のところは彼女の意思に任せて良いと考えていたのだった。
「彼にはきちんと話をして納得してもらってから出発します。そうしないとお互いに後悔することになりそうですから」
この時、ツグミには「ひとつの未来」が視えていた。
その未来とは迅の
しかしそれはいくつもある未来の内のひとつであり、選択肢さえ間違わなければそんな「最悪の未来」にはならないとツグミは固く信じているのだった。