ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

263 / 721
244話

 

 

近界(ネイバーフッド)へ行くために保護者の承諾が必要なのはツグミだけではない。

もっと深刻な状況なのは千佳である。

彼女には提出期限があり、それが明日に迫っているのだ。

そしてツグミのように両親を説得する手段も覚悟もなく、ただどうしたら良いのかわからずにオロオロしているだけだった。

これまでなら玉狛支部の仲間たちが彼女に助け舟を出すところだが、前もってツグミに手助けをするなと言われていて、その理由に納得していたから手を出さずにいる。

修までもがこの問題は千佳ひとりで解決するべきだと判断して何もせずにいたのだが、切羽詰まった状態の彼女の姿を見てはいられず、自分が母親を説得した ── というよりも香澄によって誘導されたと言った方が適切である ── 言葉を教えた。

そして彼女を雨取家まで送り届けると家の中へ入って行くのを確認してから玉狛支部へと戻るのだった。

 

 

千佳は一度説得に失敗しているものだから彼女の両親は再び遠征の話を持ち出されることを嫌がっていて、承諾書にサインをもらうどころか話をきいてもらえるのかさえ怪しい状態にあった。

そうなると彼女が遠征に参加することは不可能となり、遠征計画自体の大幅な変更を余儀なくされる。

そこでツグミは前日に千佳の両親に面会をして彼らを説得し、もう一度だけチャンスを与えてくれるよう依頼してあった。

そんなことになっているとは知らず、千佳は緊張しながらも並んで座っている両親と対峙した。

前回とは違って彼女にはふたつの「武器」が与えられていて、それをどう使うかによって彼女にも勝機はある。

 

(大丈夫。修くんとツグミさんにアドバイスをもらってるんだもの、それを上手く活かすことができればきっとわたしだって…)

 

千佳は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると話を切り出した。

 

「お父さん、お母さん、ごめんなさい。わたしは今までボーダーのことを何も報告せずにいて、急に近界(ネイバーフッド)遠征に行きたいなんて言い出して困惑させてしまいました。お願いごとをする前に果たすべき義務があったのにわたしはそれを怠けてしまいました。わたしはどうしてわかってもらえないのかと悔しく思ったんですが、自分のことを何も話していないんですからわかってもらえないのは当然なんです。だから今日はお願いをするのではなく、今のわたしの気持ちをわかってもらうために話をしたいと思います」

 

そう言って前置きをし、千佳は自分が玉狛支部に初めて行った日、つまり入隊を決めた時のことから話を始めた。

自分のせいで行方不明になった青葉と麟児を探したいと願いながらも手立てのなかった状態で悶々としていた時にボーダー隊員であった修を介して遊真、そしてツグミや迅といった玉狛支部のメンバーとの出会いがあった。

それまで他人に迷惑をかけたくなくてボーダーの保護を求めることも嫌がっていたが、ボーダー隊員になれば近界(ネイバーフッド)へ行くチャンスがあり、そうすれば青葉と麟児を自分の手で探すことができるという()()で入隊を決めた。

そんな理由であっても玉狛支部のメンバーは歓迎してくれて無事に入隊し、先輩隊員が丁寧に指導をしてくれたおかげで玉狛第2はB級ランク戦で2位にまで上り詰めることができた。

他にもいろいろなことがあり、これまで両親に一切話すことのなかったことを詳しく教えた。

そして最後に今の自分が3ヶ月前と比べて経験を積んで人として、そしてボーダー隊員として成長をしていることをアピールしたのだった。

これは「チカちゃんのコミュニケーション能力だとご両親を説得することはほぼ不可能。それに一度失敗しているんだから前よりもハードルは高くなっている。大切なことを内緒にしていたんだからご両親が腹を立てるのは当たり前。まずは説得するよりも今の自分の状況と気持ちを理解してもらうことから始めよう」というツグミによるアドバイスによるもの。

自分がボーダーという組織の一員として上司や仲間から信頼されていて、アフトクラトルへの遠征も自分が重要な役目を負っているということを説明し、最後に誰にも迷惑をかけたくないから遠征に参加させてほしいと付け加えた。

するとそこまで黙って聞くことに徹していた千佳の父親が口を開いた。

 

「千佳、おまえがボーダーに入隊したいと私たちに頼んだ時、玉狛支部の支部長さんや先輩方がおまえの入隊のために我々に頭を下げてくれたことを覚えているか?」

 

父親の問いに千佳は頷いた。

 

「はい」

 

「では、おまえはその人たちの期待や信頼を裏切ったことはないと自信を持って言えるのか?」

 

「それは…」

 

「おまえにはボーダーで戦うための優れた能力があり、それが三門市民を守るために役立つのだと聞いていたが、さっきの話だとおまえは自分が友達や麟児を探しに行きたいという個人的な理由()()で入隊したと感じられたのだがそうだったのか?」

 

「…はい」

 

「そんなことはまったく聞いていない。初耳だぞ。ただボーダー隊員になって近界民(ネイバー)と戦いたい、とだけ言っていた記憶があるが」

 

「……」

 

「おまえはずいぶんと身勝手な人間だったのだな。玉狛支部の人たちはおまえの自己中心的な入隊動機を認めて仲間に入れてくれたようだが、彼らの優しさに甘えてばかりいたのではないか?」

 

「……」

 

「周りの人間がおまえの身勝手に付き合って振り回されていた、なんてことはなかっただろうな?」

 

「…いいえ、たくさんみんなに心配や迷惑をかけてしまいました」

 

「ならば近界(ネイバーフッド)への遠征でも仲間たちに甘えてばかりいて、心配や迷惑をかけないと言い切れるのか?」

 

「……いいえ、言い切ることはできません」

 

「それでも遠征に参加するのであれば、仲間たちはまたおまえに迷惑をかけられたり心配をすることになるのだろう。ついさっき自分がボーダーという組織の一員として上司や仲間から信頼されていると言ったがそれは疑わしい話だな。アフトクラトルへの遠征に自分が重要な役目を負っているというのは本当らしいが、ただそれもおまえのトリオンとかいう物質が必要なだけであり、共に戦う仲間としてではなさそうだ。つまりおまえはそのトリオンがなければタダの役立たず。いや、迷惑をかけるだけの厄介者だ。そんなおまえでも私たちにとっては大事な娘、危険な場所へ行かせるわけにはいかない。遠征に参加するのは諦めなさい。それが嫌ならボーダーを辞めるんだ」

 

「……」

 

父親は千佳に対してひどいことを言うし、母親はそれを止めようともせずに黙って見守っているだけの状態だ。

千佳がツグミのように口が達者なキャラクターであれば黙って言われっぱなしということはなく、その何倍も言い返していることだろう。

このままでは前回と同じく一方的に否定の言葉を投げかけられ、泣きたくなるのを堪えながら黙って聞いているしかないと思われた。

後がない千佳にとってこれは最後のチャンスであり、このチャンスを活かすことができなければ自分を支えてきてくれた仲間たちを裏切ることにもなってしまう。

 

(そんなのは絶対にイヤ! それにわたしが遠征に参加できなかったら、きっとみんなは…)

 

「あ…」

 

千佳は小さく声を上げた。

そこでやっと自分が真に愚かであったことに気が付いた。

 

(またわたしはやってしまった…。遠征に参加できなければ計画自体を大きく変更しなきゃならないと聞いていたから、わたしがいないと遠征の規模を小さくしたり、出発が遅れたりする。そのせいでさらわれたC級隊員を連れ戻すことに失敗したら、みんながわたしのことを責めると思い込んで怖がっていた。そうやって他人の目を気にしてばかりいて、ひとりで怯えているところは3ヶ月前のわたしと全然変わってない。わたしが参加しないと遠征計画が台無しになることじゃなく、みんなから責められるのが怖いから何とかして承諾書にサインを貰わないといけないって考えること自体が間違いなんだ)

 

心の中で自身を責める千佳。

 

(わたしはアフトクラトルへ行きたいと思っているわけじゃない。一番早い近界(ネイバーフッド)遠征がアフトクラトルだったというだけ。それも戦闘員ではなく機関員という役目だから戦わないで済むと軽く考えてた。でもそれはわたしの思い違いで、遠征艇で留守番をするとしても敵が攻めて来たら防戦をしなければいけない。その時に『本隊』の人たちがいなければわたしが戦うのは当然なのに、そのことを全然考えていなかったわたしはバカだ。トリオン体で戦うから誰も傷付かないし、緊急脱出(ベイルアウト)があって誰も死なないというのにツグミさんがあれほど危険だと言い続けていたのはこういう時のことを想定してのことだったんだ。みんなが緊急脱出(ベイルアウト)して戻って来る場所が遠征艇で、その遠征艇を守るのはわたしの役目。その役目を果たす覚悟がないのに近界(ネイバーフッド)へ行くことで頭がいっぱいになってた。わたしがちゃんと戦えなければみんなが戻って来る場所がなくなってしまうし、帰ることもできなくなってしまうという恐ろしいことになる)

 

千佳は頭の中で遠征艇を破壊されてこちら側の世界に戻る手段を失い、茫然自失の状態になっている自分や仲間たちの姿を想像して身を震わせた。

 

(だからツグミさんはあんなに厳しい訓練をさせて、わたしを…ううん、わたしだけでなく遠征に参加するみんなを死なせないために考えて行動しているんだ。あの人はわたしたちよりもずっと先の先を見つめていて、誰よりもボーダーとそこにいる隊員や職員の人たちのことを守りたいと思っている。自分のことしか考えていない上にいっぱいいっぱいのわたしに比べてあの人は広い視野で物事を見て考えることができる。わたしはなんてちっぽけで卑怯な人間だっんだろう。今回に限って誰もわたしを助けてくれないのは、わたしにこのことを教えるためだったのかも知れない)

 

そしてツグミに言われた言葉を思い出した。

 

「この説得は誰かに頼ってはいけない。自分の力だけで解決しなければならないことで、誰かを頼ろうと考える弱い気持ちがご両親の不安の種にもなるのよ。あなたはひとりでは何もできない。そんな娘が近界(ネイバーフッド)なんていう危険な場所で戦争をするなんて無理に決まっているって思われてしまう」

 

(そう、わたしは自分の力ではどうにもできないことにぶつかると逃げるか誰かに助けてもらうという手段で済ませてきた。ボーダーに入隊する前はボーダーに頼りたくなくて、トリオン兵が襲ってきたら隠れてやり過ごすという方法で逃げてきた。大規模侵攻ではまだ戦えなくて修くんやボーダーのみんなに助けられたから今ここにいられる。あの頃からわたしは全然変わってない。今回も自分だけでは両親を説得できないでいて、修くんや玉狛の誰かが助けてくれること待っていただけ。だから今は逃げちゃダメ。ひとりでやらなきゃダメなの!)

 

千佳は自分を奮い立たせ、心の底からの叫びにも似た自身の気持ちを口にした。

 

「今のわたしは遠征に参加する資格がないのかも知れない。周りの人の厚意によって自分が強くなったと思い込み、それが自分の努力の結果だと勘違いしていた。父さんや母さんが反対するのも当然で、本当なら諦めなきゃいけないんだと思う。だけどわたしは遠征に参加したい。青葉ちゃんや兄さんを探したいという気持ちは当然あるけど、それだけじゃない。遠征に参加することでこれまでお世話になった人たちに恩返ししたいの。城戸司令や上層部の人たち、それに先輩隊員たちはわたしの戦力をアテにしているんじゃなくてトリオンが欲しいだけだってわかってる。それでもみんなのためになるなら役に立ちたい。…でも今のわたしじゃ近界(ネイバーフッド)へ行くことはできても無事に帰って来ることはたぶんできない。それがわかっているから父さんと母さんが反対するということもわかってる。だからわたしにチャンスをください。遠征が行われるまでまだ2ヶ月くらいかかるそうだから、それまでに近界(ネイバーフッド)に行って無事に戻って来られる自信が付くまでわたしはどんなに辛い訓練でも耐えてみせます。…父さん、母さん、お願いします。承諾書にサインをください」

 

そして床に座って土下座をした。

そんな娘の姿を見て心をを動かされない親はいない。

 

「千佳、顔を上げなさい。そしてもう一度ソファに座って私の話を聞くんだ」

 

父親にそう言われ、千佳は再び両親の前に姿勢を正して座った。

 

「私たちはおまえが遠征の話をしても二度と聞く気はなかったのだが、霧科という先輩隊員が昨日の夜にここへ来て事情を説明してくれて、もう一度おまえの話を聞くように頼まれていたからこうして話を聞いている」

 

「ツグミさんが?」

 

「ああ。彼女からおまえが入隊してからの3ヶ月間にどんなことがあったのかも詳しく聞いている。そして今度の遠征でおまえの能力がどうしても必要だということも聞いた。もちろんその時に私たちは自分の娘を遠征艇のエネルギー欲しさに連れて行くと知って反対をしたさ。しかし彼女はボーダーの代表者でもないのに私たちに対してさっきのおまえみたいに土下座をして頼んだんだ。承諾書にサインをしてくれというのではなく、もう一度おまえと話し合ってほしい、と」

 

「……」

 

「だから私たちはおまえの話を聞いた。そしてその話の中でおまえが自分の弱さを認め、遠征隊が出発する2ヶ月間に死ぬ気で訓練をして無事に生還できるほど強くなると約束するのなら、どうかその時にはチャンスを与えてほしい、と言われたんだ。彼女はおまえのことを心から心配している。今のおまえでは死にに行くだけだが、彼女が『わたしが必ず生還できるだけの力をつけさせます』と約束をしたから、私たちは彼女を信頼しておまえにチャンスを与えようと思う」

 

「じゃあ…」

 

「承諾書を出しなさい。私がサインをする」

 

千佳は信じられないといった顔でカバンの中から承諾書の入った封筒を取り出した。

そして書類にサインをして、最後にひと言付け加えた。

 

「これはおまえではなく霧科さんを信頼しての『賭け』のようなものだ。今のおまえでは信頼に足らぬ。信頼されたいのなら今の約束を必ず守れ。いいな?」

 

「はい! ありがとう、父さん、母さん」

 

千佳は座ったままで深々と頭を下げた。

 

 

 

 

書類を持って自室に戻った千佳はすぐに修に報告の電話をし、彼を安堵させた。

さらに迷った末にツグミにも報告とお礼をすることに決め、少々緊張しながら電話をかけた。

 

「あの…ツグミさん、今いいですか?」

 

遠慮がちな千佳に対し、ツグミはそっけない態度で答える。

 

「別にかまわないけど、何?」

 

「遠征の承諾書、父にサインを貰えました」

 

「そう? 良かったじゃない。これで日曜日の訓練は予定どおりできるってことね」

 

「はい。どうもありがとうございました」

 

「何でわたしに礼なんか言うの?」

 

「ツグミさんが昨日の夜に家に来てくれて、両親を説得してくれたと聞きました。そのおかげでサインがもらえたんです。だからお礼を」

 

「わたしは別にサインをしてくれなんて頼んではいないわ。もう一度だけチカちゃんの話を聞いてほしいとは言ったけど。それでサインをしてもらえたのはあなたが頑張った結果よ。それにあなたが参加できないと困るのは遠征に参加する隊員たちや、遠征のために必死になってくれている技術者(エンジニア)の人たち。大勢の人間がアフトクラトルへの遠征に関わっていて、あなたひとりのせいでその計画を潰されちゃ困るからやっただけのこと。そのためにわたしがあなたのご両親に頭を下げることなんて些細なことだもの。それよりもサインを貰えたということは、あなたは絶対に無事に帰って来るってご両親に約束したってことよね?」

 

「はい」

 

「だったら次の訓練はもっと厳しいものに変更するわよ。覚悟しておきなさい」

 

「はい、わかりました。じゃあ、おやすみなさい」

 

「おやすみなさい。これで安心して良い夢が見られるといいわね」

 

「はい」

 

そう言ってツグミとの会話を終えた千佳は大きく深呼吸をした。

 

(よかった…。だけどこれはまだ遠征に行けるって決まったわけじゃない。行けるかどうかはこれからのわたしの努力次第。みんなが期待してくれているんだもの、ここで頑張らなきゃ。だってそれがわたしの今やるべきことだから。ダメだった時のことを考えて誰かに責められることに怯えるような自分はキライ。そんな自分とは今日でお別れするんだから!)

 

千佳の覚悟は本物だが、実際に遠征に参加できるかどうかはまだ決まっていない。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。