ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
暖かい日差しと春の訪れを告げる南風が人々の気持ちを浮かれさせ、2ヶ月前の
もっとも市街地に被害が及ばないようにとボーダーが全力で戦ったからで、市民にも犠牲者が出なかったからこそ誰もが暢気にしていられるのだ。
しかし2ヶ月経ち、市民の中から「遠征はどうなった」との声が上がるのは無理もない。
アフトクラトル遠征を成功させた後に、第一次
メディア対策室では毎月第1・3日曜日にボーダーの広報番組を放映し、遠征計画の進捗具合なども報告されるようになったものの、それでも家族や友人が無事に帰って来ることを待ち望んでいる市民にとっては不満でしかない。
そのような状態を鑑み、ボーダー関係者は非番の日であっても市民の目に付く場所でのレクリエーションは控えるようにとの城戸の名前で通達があった。
よってツグミがゼノンたちと遊園地で遊んでいる様子を市民に見られるのはマズイ…となるのだが、彼女はすでに手を打ってある。
ボーダー本部基地の
「これがおまえから頼まれていたバッグワームの試作品だ。おまえが使ってみてOKだってことなら遠征に参加する連中の分に手を付ける。今ここで換装してみろ」
寺島はツグミにトリガーホルダーを手渡した。
「トリガー、
トリガーは彼女の生体データを読み取り「霧科ツグミ」と認証すると、
「次はその状態でバッグワームを起動してみろ」
「はい。……あ!」
ツグミは寺島に言われたようにバッグワームを起動した。
すると隊服だったものが見慣れない服装に変わったのだ。
それは中世ヨーロッパの庶民が着ていたものに似ているワンピース型の衣装で、頭には頭巾を被っている。
「それはアフトの庶民の若い女が普段着として着ているものを真似たもので、エネドラッドに確認したところほぼ完璧だということだ。だがその姿になるのはバッグワーム起動中だけだから注意をしろ。それと鏡を見て来い」
「どういう意味ですか?」
「見ればわかる」
ツグミはバッグパックから手鏡を取り出すと自分の姿を映してみた。
「ああ…なるほど。これならハイレインに見られてもわたしだってバレないくらい完璧に顔が変わっていますね」
手鏡に映っていたのは肌が小麦色で瞳は琥珀色、髪はフワフワの栗毛といった別人の姿である。
どちらかというと色白で黒髪、瞳は日本人らしい濃褐色のツグミであるから元の面影はほとんどない。
「アフトの連中は貴族・兵士は比較的肌の色が白っぽいものの、農作業に従事する庶民は日焼けしていて肌の色は淡褐色や小麦色といった色が多いそうだ。瞳の色は特に決まったものはなく、濃褐色よりは琥珀色や灰色といった欧米人的なものにしておけばいいらしい」
「それならボーダー隊員だってことはバレませんね。C級の居場所を探る先発隊には絶対に必要な装備です。…で、これはトリオン反応をアフトクラトル側が察知できないようになっていますよね?」
「当たり前だろ。この前キオンのトリガーを借りて奴らの使っているものとまったく同じタイプにしたからな」
「ボーダーのものはハイレインたちに解析されていると考えて間違いないですからね。これならトリオン体であってもトリオン反応でバレることはない。現地の人間に紛れて街の中を歩き回ってもこの姿なら不自然には見えませんね。…そこでひとつお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」
「何だ?」
「これの実験として街の中を歩いてみようかと思っているんです。この衣装だと変なコスプレイヤーにしか見えませんが、服装を普通のものにすれば誰もわたしを霧科ツグミと認識できず外国人の少女だと思うはずなんです。なのでわたしのことを
ツグミの依頼は寺島にとって面倒なことだが、実用性があるかの確認のためにはちょうど良い実験となる。
「わかった。プログラムを少々いじるから換装を解いてそこで待ってろ。特急でやるから30分はかからないと思う」
「じゃあ、その間に他の用事を済ませてきます」
ツグミは借りたトリガーを寺島に返すと
◆◆◆
ツグミが本部基地内の廊下を歩いていると、向かい側から栞、国近、月見の3人が談笑しながら歩いて来た。
「おはようございます、みなさん。今日は訓練がないのにお揃いなんですね?」
ツグミが訊くと栞が答えた。
「今日は医務室で
「そうですか。本業の他にいろいろ大変ですね。あ、でもそれだとチカちゃんも一緒に教わるはずじゃ…」
「うん、チカちゃんは自宅から来るから別行動なの。あと15分くらいで始まるからひとりでもう医務室に行っているのかも知れない」
「そうだ、ちょっと時間もらえますか? 4-5分で終わりますから」
「うん、いいよ」
ツグミは栞の許しを得ると事情を話した。
「実はチカちゃんのことなんです。訓練の際にまだ人を撃つことに抵抗があり、さらに遠征自体が自分のせいで失敗したら誰かから責められるという恐怖があるものだから余計に萎縮しちゃってダメなんです。もちろん玉狛のメンバーが責めるはずがないとわかっているんですけど、本部の人たちだと
「なるほどね。それは良いアイデアだと思うよ。じゃあ、本隊の方は小南と加古さんと双葉ちゃんの3人だからアタシが声をかけるね」
「お願いします。遠征先では戦わずに済めばそれが一番良いんですけど、最悪の事態も想定して彼女には人を撃てるようになってもらわないとマズイんです。前回の訓練でライトニングの
「そうだね。B級ランク戦で修くんがいよいよ危ないという時にノーマルな弾を撃ったもんね」
「はい。とにかく彼女は責められるのが怖いと言うのですから、逆に撃つことができたらみんなが褒めてくれるとわかればやる気を出すんじゃないかと思います。彼女は自分がダメな人間だと思い込んでどんどん深みにハマってしまうことが多いですから、みんなでたくさん褒めて伸ばしてあげる方が良いと思うわけで、その第一段階が『玉狛以外の友人をたくさん作る』なんです」
「ツグミちゃんの気持ちはよ~くわかった。…正直に言うとアタシとレイジさんとあなたの3人で千佳ちゃんの話を聞いた時のことなんだけど、あなたのことをなんでもっと彼女の気持ちに優しく接してあげられないんだろうと思ってた。たしかに厳しく接しなければいけないところもあったけど、彼女に厳しく言えば余計に自分が悪いのだと心の扉を閉ざしてしまって手が付けられなくなるとアタシは考えていたのよ。でもそれってアタシが千佳ちゃんに嫌われたくないというエゴだった気がする」
「シオリさん…」
「だってあなたは千佳ちゃんに嫌われることを恐れないで言うべきことを言ったけど、アタシだったら嫌われたくないからと心では思っていても絶対に言えない。それって結局千佳ちゃんと同じ。自分が傷つきたくないから『やれることはやっている。でもダメだった』って自分に言い訳していたってことだから。考えてみれば玉狛のみんなって千佳ちゃんの事情を知っているから接する時にけっこう気を使ってしまって、それが逆効果だったのかも知れない」
「たしかにそのとおりだと思います。彼女はそのずば抜けたトリオン能力のせいで苦労してきましたけど、だからといってみんなで彼女を守ってやろうという考えは間違いです。戦闘員になると決めた以上は物理的にも精神的にもそれまでよりも傷つくことが増えるんですから、どんな傷にも耐えられる強い精神と肉体を持たなければなりません。わたしはあえて彼女を傷つけるようなことをしています。訓練でも厳しいことを言っていますから、彼女の性格だとかなりダメージを受けているはず。でもその後にちゃんと『それならどうしたらこの問題を解決できるのか』のヒントを与え、自分で考えるように諭してから解散しています。1回目の特別訓練ではB級ランク戦の装備のままでしたから複数のトリオン兵を効率良く倒すことができませんでした。その時には倒せなかった理由を教え、トリガーセットを再考するように言いました」
「うん。その後すぐにアタシに相談してきたからね、その話は良く知っているよ」
「その結果、2回目の訓練ではトリオン兵を倒すためにどのトリガーを使うのか自分で判断して戦いました。でもやっぱり人型
「それなら早い方が良いよね。次の訓練は明後日だから、それまでに女子会を開いて少なくとも遠征に参加する女性陣は誰もあなたのことを責めないって教えてあげなきゃ」
「ぜひお願いします。思う存分甘やかしてかまいませんから」
「いいの?」
「はい。ただし初めから寄って集って甘やかすのではなく、彼女が自分の力で問題を解決した時に褒めてあげるようにしてください。アメとムチのムチの方はわたしが引き受けます」
「憎まれ役をあなたにだけ押し付けてしまうようで申し訳ないな」
「かまいません。わたしはもう他人から嫌われたり憎まれたりすることを恐れはしませんから。それだけ強靭な精神を身に付けただけでなく、絶対にわたしのことを理解してくれて裏切らない人がいると確信していますから大丈夫なんです。いずれチカちゃんにもそうなってもらいたいものです」
「ツグミちゃん、以前にも増して強くなったってカンジがする」
「ええ。人には言えないことがいろいろと…。あ、でもこれはボーダーの任務の上で口外できないって意味です」
「ああ、たしかに。今年になってからアフトクラトルが攻めて来たり、
「シオリさん、ダメです!」
その場には国近と月見がおり、ゼノンたちによるツグミの拉致事件はトップシークレット扱いのものだから知られてはマズイのだ。
「あ、ごめん。とにかく千佳ちゃんのことは任せて、あなたはあなたにしかできないことをやってちょうだい」
「はい、わかりました。お忙しいところお時間をいただいてどうもありがとうございました。わたしはこれで失礼いたします」
ツグミは栞たちに頭を下げるとその場を立ち去った。
◆◆◆
再び
彼女の姿を見付けた寺島が彼女を呼んだ。
「ツグミ、できているぞ」
「ありがとうございます、寺島さん。お手数をおかけしてすみません。これ、お詫びの品です」
ツグミが寺島の作業机の横に置いたのは栄養ドリンクが1ダース入った紙パッケージで、用事を済ませるために出かけた際に売店で購入したものだ。
「おお、気が利くな。じゃ、これを使ってみろ」
寺島から手渡されたトリガーで換装してみるツグミ。
その服装には見覚えがあった。
「これって…」
「ああ、わかるか? これは4年前におまえの3年後を想定して作ったトリオン体の服装のデータを転用したものだ」
それは新ボーダーの組織が発足してまもない頃、
通常は生身の身体と換装体を大きく変えると生身との感覚のズレから上手く動かせなくなるという理由で外見はほぼ同じ姿にしているが、多少成長した姿であっても意外と問題はなかったのだった。
しかし彼女がボーダー新入隊員披露記者会見で問題を起こしたためにお蔵入りになっていた。
それが別の形でやっと
「それで仕事が早かったんですね。じゃ、やってみます。…トリガー、
今度はさっきの外国人少女がごく普通のブラウスとスカート、ジャケットを着ている姿に変わった。
「これならどこにでもいる普通の外国人の少女に見えますね。How do I look like with this?」
ツグミは流暢な発音で寺島に訊いた。
するとすぐに答えが返ってくる。
「どこから見てもおまえが霧科ツグミだってわからねえよ」
「じゃあ、明日の夕方までお借りして街の中で使ってみます。使用許可は城戸司令にもらってありますし、それに前の時みたいな騒ぎは起こしませんから心配しないでください」
「了解。何かあったらすぐに連絡をよこせよ」
「はい、わかりました。…トリガー、
換装を解いたツグミはトリガーホルダーをジャケットのポケットに入れる。
すると寺島が声を潜めて言った。
「ところで雨取が人を撃てないってことで困っているらしいじゃないか? 鳩原の時の例の
「はい。わたしとしては
「おまえがそう言うならそれでいいんだ。もしかしたら忘れているのかなと思ったもんだから」
「忘れたりはしませんよ。鳩原さんがあと1週間だけでも密航を先延ばしにしてくれたらあんなことにはならなかったんですから。おまけにわたしが彼女を
「ふ~ん…そういう考えならこの件はひとまず保留ってことでいいな」
「はい、そうしてください。特に鬼怒田には内緒にしてくださいな。あの人に知られたら絶対に使わせろと言うでしょうから」
「だろうな。鬼怒田さんは雨取に自分の娘の姿を重ねているから、彼女のことになるといろいろ甘いんだよ。彼女がポイント不足でもB級になれたのがいい証拠だ」
「そんなこともありましたね。でも彼女をB級に昇格させたことでボーダーのメリットが大きかったですから、まあこれでいいんじゃないでしょうか。…さて、わたしの用事は終わりました。寺島さんの方でわたしに何かあればどうぞ」
「今のところはないな。明日か明後日の早いうちに適当な時間を作ってトリガーの返却と使用感の報告を頼む」
「了解しました。ではこれで失礼します」
ツグミが一礼して
そして一気にそれを飲み干した。
「さて、気分転換と運動がてらに遠征艇の方がどうなってるか見に行くか。この24時間、歩いたのはトイレに行く時だけだったからな、運動不足でおかしくなっちまいそうだ」
そうひとり言を呟いてからゆっくりと立ち上がると、ツグミの後を追うように寺島もまた出て行ったのだった。