ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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259話

 

 

メノエイデスはボーダーにとって馴染み深い国である。

軌道が玄界(ミデン)に近い場所を通っているため、遠征の行程で最初と最後の寄港地として立ち寄ることが多い。

また比較的治安が良い国であるため、新生ボーダーが軌道に乗ると何度か訪れて新しいトリガーを手に入れたという過去がある。

しかし今から2年と少し前にボーダーの遠征部隊はメノエイデスと第三国との戦闘に巻き込まれてしまったのだった。

その時にメノエイデスの兵士に敵と勘違いされてしまったボーダーは彼らと交戦し、トリガー使いの青年をひとり捕虜にした。

その捕虜の名はウェルスといい、城戸から連行して帰還する命令が出されたのだが、ツグミはその捕虜を逃がしてしまったのだった。

結果、彼女は隊務規定違反によってA級からB級への降格と10000点のポイント剥奪、そして1ヶ月の謹慎という処分を受けることになった。

彼女にとってはそんな因縁の土地なのである。

その話はゼノンたちにも話してあり、聞き終えた彼らは自分たちが厚遇を受けたことにも納得がいった。

ツグミにとっては近界民(ネイバー)であっても家族がいて、戦争とは無関係の人間を不幸にしてしまうことを彼女の正義が許さない。

そのために罰を受けようとも、自分の正義を貫こうとする彼女の強い意思に感銘を受けたのだった。

 

 

 

 

ツグミたちの乗った遠征艇はメノエイデスの首都から約10キロ離れた森の中に停泊した。

ここでは特に目的はなく、経由地としての役目しかない。

なにしろ近界(ネイバーフッド)を航行する艇としては旧式の小型で長距離の連続航行ができないものだから、何度かこういった数時間から十数時間のインターバルを要する。

それでもゼノンが現状で最も効率の良い航路を選んでくれたからロスタイムはかなり減らしたのだが、キオンまでの往復に40日かかる予定だ。

メノエイデスでの滞在は約10時間で、特に用事もないから街へは出ずに森の中で身を潜めていることになった。

いくら治安が良い国だとはいえ無用なトラブルに巻き込まれて計画が遅延することを恐れてのことだ。

とはいえ何十時間も狭い艇の中に閉じ込められているのだから気分転換はしたいというもの。

よって交代で森の中を散歩したり、レジャーシートを敷いて屋外で食事をしたりとささやかなピクニック気分を味わうことにした。

ところがこの行動が意外な事件に繋がることになる。

 

 

全員で昼食を済ませるとゼノンとテオが艇のトリオンチャージ、リヌスが機械のメンテナンスをするために戻り、ツグミと迅はふたりで森の中を散策することにした。

長い時間狭い艇の中にいると身体が鈍ってしまうということで、現地の人間に見付からない程度に運動しようというのだ。

三門市内には森や山があって自然に親しむことは簡単にできそうだが、ツグミのようにボーダーの活動と学生を両立し、さらに家事全般を完璧にやっているとなかなか休日に遊びに行こうとする機会は得られない。

したがって何もしないでのんびりと森の中を歩くなんて彼女にとっては最高のレクリエーションである。

おまけに迅という騎士(ナイト)がいるとなれば不慣れな土地であっても危険な目に遭う心配はなく、ツグミは少々浮かれていた。

 

「あー、こんなところにキノコが生えてる。シメジに似ているけど、知らないキノコを食べちゃダメよね~」

 

ホンシメジに良く似たキノコが生えていたのを見付けたツグミがはしゃぐのは無理もない。

スーパーで売っているブナシメジと違って天然もののホンシメジは「香りマツタケ、味シメジ」というくらい美味しいキノコなのである。

 

そんな調子で森の中を歩いていると、前方の茂みがガサガサと音を立てて動いた。

そして茂みの奥から12-3歳くらいに見える近界民(ネイバー)の少女が姿を現す。

 

「あっ!?」

 

彼女は見知らぬ人間がいたものだから驚いて咄嗟に後退りし、うっかりと石につまずいて転んでしまった。

 

「大丈夫!?」

 

思わずツグミは駆け出したのだがその次の瞬間、少女はパニックになって悲鳴を上げた。

 

「いゃぁぁぁぁあ!」

 

しかしそれはツグミに対して発せられたものではなく、ツグミたちのいた背後の茂みの中から現れた大きな黒い塊に向けたものだった。

その悲鳴に反応した迅は即座に振り向いて戦闘体に換装する。

 

「トリガー、起動(オン)!」

 

迅はスコーピオンでその大きな黒い塊 ── 体長が3メートル以上もある熊 ── に斬りかかる。

目にも止まらぬ早さで熊は一刀両断にされ、迅は熊が絶命したのを確認してからツグミたちのいる場所へと駆け付けた。

ツグミは少女をかばうように前に立ち塞がり、トリガーホルダーを固く握り締めている。

 

「ふたりとも、もう大丈夫だ」

 

迅の声で緊張が解かれたツグミは急に地面に座り込んでしまった。

イルガー相手に一歩も怯まなかった彼女だが、生まれて初めて見る野生の熊はさすがに怖かったらしい。

 

「ああ、怖かった…」

 

そう言いながらゆっくりと立ち上がると、すぐ後ろで腰を抜かしている少女に手を差し伸べる。

 

「立てる?」

 

少女は黙って頷くとツグミの手を握って立ち上がった。

そんな彼女にツグミは謝罪する。

 

「驚かせてしまってごめんなさい。わたしたちは怪しい者じゃないわ。旅の途中でちょっと立ち寄っただけで、この国の人に何かしようというんじゃないから」

 

「いいえ、この森は人里から離れているから人がいるなんて思ってもいなかったからびっくりしてしまっただけです。それよりも熊を倒してくれてありがとうございました。あの熊は人を襲って傷付けることはないんですけど、この森に生えているキノコが大好物なのでキノコ採りをしている人間を追い出そうとして森の外まで追いかけて来るのですごく困ってたんです」

 

そう言って少女はぺこりとツグミと迅に頭を下げた。

詳しい話を聞くとどうやらメノエイデスの熊は草食、特にキノコ類を好むようで人や他の動物を襲うことはないらしい。

 

「それに熊のお肉はめったに手に入らないご馳走なんです。これから家にいる兄にこのことを伝え、家まで運んでもらうつもり。おかげで今夜はお腹いっぱいご飯が食べられます」

 

少女は熊の死骸に近付いて行き、つま先で熊の腹をつついて死んでいるのを確認し、ツグミと迅に向かって言う。

 

「おふたりはこれからどうされるんですか? もしよかったら一緒にわたしの家に来ませんか? 熊を倒してくれたお礼をしたいんです」

 

見ず知らずの他所者を家に招こうというのだから生来フレンドリーな性格なのかも知れないが、あまり警戒心を抱かなくてもいい穏やかな暮らしをしているだろうとツグミは感じた。

ツグミ本人はいろいろな国の人間と交流を持ちたいのだがこれは物見遊山ではない。

答えを迷っていると迅がツグミの肩をポンと叩いて言った。

 

「そろそろ帰らないとゼノンたちが心配する。彼女の家がどこにあるのかわからないが、途中で何かトラブルに巻き込まれるようなことになれば出発のタイミングがずれてしまい、予定どおりにアフトクラトルへ行けなくなるかも知れないんだ。今回は諦めるんだな」

 

「はい、わかりました」

 

ツグミは残念そうな顔で少女に言う。

 

「わたしたちはのんびりしていられない身分なの。だからせっかくのお誘いだけど遠慮させてもらうわね」

 

「そうですか…」

 

その少女も残念そうな顔をした。

 

「でもいつか時間がたっぷりとできたらまたここに来るわ」

 

「わかりました。わたしの名前はエカです。あなたは?」

 

「わたしはツグミ。…あっ」

 

ツグミはエカの左の手のひらに擦り傷があるのを見付けた。

おそらく転んだ時に手をついて、地面にあった石で擦ってしまったのだろう。

少しだが血が滲んでいる。

ツグミは急いでバックパックの中からペットボトルのミネラルウオーターと未使用のハンカチ、そして絆創膏を取り出した。

 

「エカ、ちょっと左手を出して」

 

「え? 何で?」

 

「傷の手当てをするから」

 

そう言ってツグミはエカの手を引っ張って傷口を上に向けた。

そしてミネラルウオーターで傷口を洗い、ハンカチできれいに拭くとそこに絆創膏を張る。

エカは傷の手当てをするツグミの手際を物珍しそうに見つめていて、手当てが終わると絆創膏を指差して訊いた。

 

「これ、何ですか?」

 

「それは絆創膏といってちょっとした傷ができた時に手当てをして、その後に貼っておくものよ。こうしておけば衛生的な状態を保てるから化膿することはないわ。薬が必要なほどの怪我ではないから放っておけば自然に治るでしょう」

 

「ふ~ん。いろいろ珍しいものを持っているのね。その水筒とか」

 

「うん、近界(ネイバーフッド)にはないものだからね。あ、もしよかったらこれあげるわ」

 

「いいんですか?」

 

「もちろん。中に入っているのはただの水だから飲んでも大丈夫。器は軽いし何度も使えるから便利よ。でも壊れやすいから扱いには気を付けてね」

 

ツグミはエカにペットボトルを手渡しながら言った。

 

「うわっ、ガラスみたいに透明なのにすっごく軽い。何でできているのかしら?」

 

玄界(ミデン)ではごく普通にあるプラスチックという素材よ」

 

玄界(ミデン)と聞いて目を丸くするエカ。

 

「もしかしてあなたって玄界(ミデン)の人?」

 

「ええ。でもわたしたちに会ったことは秘密にしてちょうだい。わたしたちは訳あってこっそり旅をしているから。もしわたしたちの存在が()に知られてしまうと困ることになるのよ。これまで何度か玄界(ミデン)の人間がこの国に来たことはあるし、わたしも以前に来たことがあるんだけどその時にちょっとしたゴタゴタがあって、一部の人からは玄界(ミデン)の人間は憎まれているかも知れないの。その人は軍のトリガー使いだから騒ぎが大きくなると一緒に旅をしている無関係な人に迷惑がかかっちゃう。だからお願い」

 

「はい、約束します。あなたたちのことは誰にも言いません。だってわたしや家族のみんなは玄界(ミデン)の人のこと嫌いじゃないですから」

 

「ありがとう。…でも玄界(ミデン)の人のことが嫌いじゃないって、あなたは前に玄界(ミデン)の人間に会ったことがあるの?」

 

「もちろん…って言いたいですけど会ったのは兄だけ。兄からいろいろな話を聞いて玄界(ミデン)にも良い人と悪い人がいるって教えてもらったんです。兄は良い人に会えたから家族と一緒に今を幸せに生きていられるんだっていつも言っています。ツグミも良い玄界(ミデン)の人ですね」

 

「そう…?」

 

ツグミは良い人と言われて照れてしまう。

 

「せっかく知り合いになれたのにこれでお別れなのは残念です。わたしは玄界(ミデン)に行くことはできませんがあなたならまたメノエイデスに来ることができますよね? わたし、待ってますから絶対に会いに来てください」

 

「ありがとう、エカ。今度来る時には珍しいお土産を持って来るから。その時にはあなたのご家族にもご挨拶させてね」

 

「はい!」

 

ツグミとエカは少女らしいささやかな再会の約束をして別れた。

このふたりの間には近界民(ネイバー)玄界(ミデン)に侵攻して人をさらい、玄界(ミデン)の人間が近界民(ネイバー)を憎むという方式は成り立っていない。

よって友好的な関係が築かれるのはこのように簡単なこと。

しかし残念なことにツグミには自分の理想を叶えるためにやるべきことがあり、エカと親交を深めることは二の次になってしまうのだ。

 

「そういえば…」

 

遠征艇への帰途、ツグミは思い出したかのように呟いた。

 

「…メノエイデスとは近い位置にあるから遠征の途中で立ち寄ることが多いというのに、ボーダーは正式な国交を結んでいなかった。どうしてなんだろ?」

 

旧ボーダー時代は3つの国と同盟関係を結んでいたのだが、メノエイデスは地理的に最も近い国なのに同盟どころか友好国としての付き合いはない。

過去にトラブルはあったものの、敵対国ではないとわかっているはず。

同盟国とまではいかずとも正式に国交を結べばいろいろと便利ではないかとツグミは考えたのだ。

しかしすぐに答えが出た。

 

(そうか、城戸司令はすべての近界民(ネイバー)は敵であると公言しているものね。そんな人が近界(ネイバーフッド)の国と正式な国交を結ぶなんて矛盾している。遠征へ行くのもオフィシャルには『近界民(ネイバー)の技術を手に入れて防衛力アップを図るためで、近界民(ネイバー)()()()()()()』だし。()()城戸司令では同盟を結ぶという考えは自身に頭の中にあっても実現は無理。だからゼノン隊長たちとの関係もわたしが()()()()親しい間柄ということにしておいて、ボーダーとの関係は『ない』ということにしている。まあ、上層部のメンバーや技術者(エンジニア)の一部の人は真実を知っているんだけどね)

 

ツグミがそんなことを考えていると迅が何かを()()ようで、彼女に言う。

 

「なんだか近いうちにあの子とはもう一度会うことになりそうだぞ」

 

「あの子ってエカのことですよね? ってことはキオンからの帰り道でもう一度ここに寄って ──」

 

「いや、もっと早いうちに会える。俺の未来視(サイドエフェクト)がそう言っている」

 

「?」

 

迅の言う意味がよくわからないという顔でツグミは首をかしげる。

 

「…ま、いいか。一生会えないという未来よりもずっといいもんね」

 

深く考えることはせず、ツグミは別のことを思い出して小さく声を上げた。

 

「あっ! あのキノコ、食用だったんだもの採っておけばよかった…」

 

熊や地元民が食用にしているのであれば毒はなく、醤油はあるので焼きキノコとして食べることができたのだ。

しかし気が付いても今から戻っていてはタイムオーバーとなってしまう。

 

「今度来た時にエカと一緒に採ればいいや。…そういえば熊肉を夕食のご馳走にするって言ってたけど草食なら玄界(ミデン)の個体よりも臭みがなくて食べやすいかも? キノコや野菜と一緒に鍋にしたら美味しそう…」

 

キノコと野菜たっぷりの熊鍋を想像し、ツグミは残念そうな顔をした。

そんな彼女の様子を見ていた迅は思う。

 

近界(ネイバーフッド)の旅はまだ始まったばかりだというのに余裕たっぷりじゃないか。この調子ならアフトクラトルでの交渉も上手くいきそうだな。こいつは敵意のない相手だとすぐに親しくなって心を開くし、相手もこいつを前にすると警戒心を抱かない。20年以上も前に近界民(ネイバー)だったこいつの親父さんを城戸さんや最上さんはすんなりと受け入れたという。こいつにもその血が流れているから相手が近界民(ネイバー)であっても同じ人間として接することができるんだろうな…)

 

有吾と共にやって来た近界民(ネイバー)の青年・オリバは城戸や最上にとって初めて接する異世界の人間だったはず。

それが一緒にボーダーを創設するほどの仲間となり、かけがえのない友人としての絆を結んだ。

そしてそこに忍田と林藤が加わり、忍田の姉の美琴が帰化した織羽と結婚をしてツグミが生まれたのである。

織羽とツグミこそ近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)といった住む世界が違う人間同士であっても心を通わすことができると証明する存在で、ふたつの世界を繋げる鍵となるのではないかと迅は考えていた。

自分たちには不可能だと思える難しいことであっても彼女なら「やれるか、ではなく、やらなくてはならないんです」と言ってがむしゃらに向かっていく。

だから城戸たちは彼女に期待をせずにはいられないのだ。

 

 

 

 

森の中を20分ほど歩くと遠征艇が見えてきた。

この場所の5キロ四方に街はない上に深い森の中であるからと、ステルストリガーは使用していない。

ボーダーのカメレオンやバッグワームと同じでトリオンを消費するのだが、艇を1隻隠そうとすればかなりのトリオンを使用しなければならないので、使わずに済むのなら使わないことにしている。

なにしろキオンまで旅をするわけだからトリオンは節約しないと途中で他の国に何度も立ち寄らなければならず、その分時間はかかるしトラブルに巻き込まれる可能性が高くなるのだから避けたいと思うのも当然である。

 

「ただいま~」

 

「お帰りなさい」

 

ツグミたちの姿を見付けたリヌスが声をかけてきた。

 

「こちらの準備はほぼ終わっています。あとは隊長とテオが戻って来るのを待って、すぐに出発しましょう」

 

「ふたりはどこかへ行っているんですか?」

 

「はい。この近くを流れている川で水浴びしています。艇の水を節約するためにはこうした水のある場所で身体や髪を洗うのはいつもやっていることです。玄界(ミデン)には銭湯という入浴施設があって便利でしたが、近界(ネイバーフッド)にはありませんからね」

 

「じゃあ、わたしも行ってこようかな? 水浴びなんて気持ち良さそう」

 

ツグミがそう言ってタオルや着替えを取りに艇に行こうとすると、リヌスが彼女の前に立ち塞がった。

 

「ダメです! 女性が男性のいる場所、それも屋外で服を脱ぐなどとんでもない話です。あなたは艇のシャワーを使ってください」

 

リヌスの言い分は当然のことであった。

この近くには少なくも4人の男性がおり、彼らが不埒な真似をせずとも熊やその他の野生動物もいるのだから危険極まりない。

万が一さっきの熊のように突然現れて追いかけられたら無防備な姿のままで逃げるハメにもなりかねないのだ。

よって安全な艇のシャワールームを使うのが彼女の()()でもある。

 

「…わかりました」

 

残念そうな顔をするツグミを見てリヌスは申し訳ないという気持ちになるがこればかりは譲れない。

 

「それにまもなく日が暮れます。急激に気温が下がってきますから、我々のように慣れた人間でないと沢の水は冷たくて風邪をひいてしまいますよ。もし水浴びがしたいなら別の国に滞在する時、それも暖かい昼間にしましょう。その時には我々が完全に安全だといえる環境を用意します」

 

ツグミはリヌスの気遣いに感謝して笑みを返した。

 

「ありがとうございます。じゃあ、ゼノン隊長たちが帰って来るまでに火を焚いて暖が取れるようにしておきましょう」

 

ツグミは昼食の際に使用したかまどに小枝を入れて火を起こした。

 

 

 

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