ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミは玉狛支部の自室で勉強をしていた。
彼女は昨年4月から六頴館高等学校の通信課程で学んでいる。
ボーダーの仕事と学業を両立させるためにはボーダー提携校に入学するという方法が一般的だが、その中でも彼女はあえて通信制を選んだ。
通信制の方が時間を上手く利用できるし、学費が安いからだと本人は言っている。
ただ実際のところ、緊急時にも直ちに出動できるよう常に玉狛支部の自室で待機しながら勉強ができるというのが一番の理由であるのだが、それは忍田にも内緒にしている。
普通の高校生としての生活を犠牲にしてまでボーダーのために働いていると思われたくないからだ。
「さて…そろそろお昼の支度をしようかな」
部屋の時計が10時半を過ぎたのを確認したツグミは厨房へと降りて行った。
レイジは防衛任務、林藤は本部へ行っていて、迅は数日前からずっと玉狛に帰って来ない。
よって玉狛支部に残っているのは彼女と陽太郎と雷神丸と捕虜のヒュースだけである。
昼食の準備をするにはまだ早過ぎるほどの時間であった。
しかし彼女がこんな時間から昼食の準備をするのには理由があるのだ。
ツグミは慣れた手つきで鳥の唐揚げ、海老とブロッコリーのサラダを調理し、それをふたつの弁当箱に詰めた。
さらに炊飯器の中のご飯で具が梅、昆布、鮭、高菜のおにぎりを作る。
それを皿の上に載せて湯気と粗熱を取ってからアルミホイルで包んだ。
そして唐揚げ用の鶏肉の残りを使って陽太郎とヒュースのオムライスを作る。
全部の作業が済んだのが11時25分。
そこでツグミは陽太郎を呼んだ。
「ヨータロー、お昼ごはんができたわよー!」
ツグミに呼ばれてダイニングルームへとやって来た陽太郎と雷神丸。
「わたしは病院に行ってくるから、ヨータローにはヒュースのことをお願いするわね。ちゃんとごはん食べさせるのよ。それからアフトクラトルの連中がヒュースを連れ戻しに来たら追い払っておいてね。じゃ、行ってきまーす」
「おー、行ってこい。オサムのことたのんだぞ」
バスケットに入れた弁当を持つと、ツグミは玉狛支部を出た。
◆◆◆
修の病室には香澄がひとりで椅子に腰掛けてぼんやりとしていた。
前日にICUから出て普通の病室に移動になったのだが、修の意識はまだ戻っていない。
「香澄さん、こんにちは」
ツグミが笑顔で声をかけると、香澄も同じように笑顔で答えた。
「こんにちは、ツグミさん。いつも申し訳ないわね」
「いいえ、気にしないでください。わたしが好きでやっていることですから。それよりもオサムくんの具合はどうですか?」
「危険な状態は脱したけど、まだしばらくは様子見ですって」
「そうですか…。じゃ、休憩室へ行ってお昼ごはんにしませんか?」
「ええ」
ツグミは香澄を伴って休憩室へ向かった。
そして窓際の明るいテーブルに向かい合って座り、持ってきた弁当を広げる。
「今日のおにぎりの具は梅、昆布、鮭、高菜ですけど、どれにします?」
「昆布と鮭をお願い」
「はい」
ツグミは香澄に昆布と鮭のおにぎりを皿に載せて手渡した。
さらに弁当箱のフタを開けて勧める。
「今日のメニューは鳥の唐揚げに海老とブロッコリーのサラダです。唐揚げの味付けは塩麹に挑戦してみました。ちょっとだけ自信があるんですよ」
香澄は唐揚げを一口食べてみた。
「あら、美味しい。ツグミちゃんはお料理が上手ね。昨日の筑前煮や一昨日のおからハンバーグ、その前の日のキッシュも美味しかったわ」
「ありがとうございます」
ツグミは礼を言って自分も唐揚げを口にした。
香澄の言うようにツグミは修を見舞った次の日から昼食用の弁当を作ると毎日欠かさず香澄に届けていたのだ。
防衛任務も午後や夜間のシフトにしてもらい、極力昼食時に時間が取れるようにしているツグミ。
そして今日で4日目となる。
玉狛支部の隊員だけでなく、本部の隊員たちも防衛任務の合間や放課後などに修の見舞いに来てくれた。
もちろん遊真と千佳は毎日放課後に来ていて、修のことを心配している人間がそれだけ多いということだ。
トリオン能力が低く、防衛隊員としての戦力はお世辞にも優秀とは言えない修だが、彼の行動には周囲の人間を惹きつけるものがあり、ツグミもその魅力に取り憑かれたひとりである。
親しい友人のような会話をしながら食事をし、再び病室へ戻ると間もなく忍田が訪ねて来た。
3人は簡単に挨拶を済ませると、忍田が封筒に入った書類を香澄に手渡す。
それは総務課から預かってきた書類で、今回の負傷は労働災害であり、治療費は保険の対象となるため申請をしてほしいということだ。
本部長自ら総務課へ赴いて書類をもらってくるなど異例のことだが、それだけ修のことを心配し、さらに期待しているという証拠でもある。
忍田は忙しい仕事の合間に時間を作って来たらしく、すぐに本部基地へ戻らなければならないとのことであった。
そしてツグミを伴い病院を後にした。
◆◆◆
「ツグミ、最近のおまえは働きすぎじゃないのか?」
病院を出てすぐに忍田がツグミに訊く。
大規模侵攻の後にツグミが防衛任務のシフトを増やしていることを林藤から聞かされていた忍田は彼女の身体を心配し、本部長ではなく父親の立場で諌めるつもりでいた。
彼女が毎日昼食用の弁当を香澄に運んでいることも林藤から聞いていたので、あえてこの時間を狙って修の見舞いに来たのだ。
「働きすぎって…。ああ、防衛任務のシフトの件ですね? それはまだアフトクラトルが再侵攻してくる可能性があるわけですから、しばらくの間は仕方がありません。それはわたしだけでなく他の隊員も同じこと。わたしは比較的時間の融通が利きますから、人手の足りない夜間にシフトを持っていくのは当然です。それにB級のわたしは固定給がありませんから、防衛任務でのトリオン兵討伐による出来高払いに頼るしかないので、むしろ仕事が増えて大助かりです」
ツグミはあっけらかんと答えるが、忍田は心配でたまらない。
「そもそも防衛任務ではトリオン体で行動していますから生身の身体に疲労は溜まりません。それに三門市民が安心して暮らせるならと思えば、これくらいのことは何でもありませんよ。本部長だってあと数日は枕を高くして眠れないはず。むしろそちらの方がわたしは心配です。本部長のことですから大規模侵攻以来ずっと本部の仮眠室に寝泊まりしているのではありませんか? 本部長ともあろう方がヨレヨレのシャツを着ていたり十分な睡眠が取れていないという顔だったりでは市民のボーダーに対する信頼度はダダ下がりです。差し出がましいことを言うようですが、どうかご自宅にお帰りになってしっかりとお休みください。大規模侵攻の後始末でお忙しいと思いますが、本部長が倒れたら目も当てられません」
「あ、ああ…」
さらに他人行儀な厳しい言い方をするものだから、自分とツグミの距離がどんどん離れていくようで忍田は寂しくてたまらない。
しかし続くツグミの言葉が忍田に元気を与えた。
「わたしに心配してくれる家族がいるように、本部長にも心配してくれる家族がいらっしゃるのですから、今夜は必ずご自宅にお帰りになってください。
ツグミにそう言われて忍田は苦笑いをする。
「そうか。…では君が自主的に休暇を取らないなら、私が
「いいえ、その命令には従えません」
真剣な顔できっぱりと断るツグミ。
「なんだと?」
「現在は本部長といえどもわたしに直接命令は下せません。林藤支部長を通してください」
そう言ってツグミが笑うと、忍田もつられて笑った。
「そうだったな。玉狛支部の隊員を動かすには林藤を介さなければならないという基本中の基本を忘れていた。私もだいぶ疲れているようだ、ハハハ…」
「でしたら本部長も明日は休暇をとってはいかがですか? 1日くらい本部長がいなくてもボーダーはちゃんと回っていきますから。わたしは明日休みを取って実家で親孝行でもしようかと思います」
「え?」
「久しぶりにだし巻き玉子を作ってあげようかなって。
ツグミの言葉に忍田の顔が緩む。
「そうか…私もだし巻き玉子は大好きだ。きっと
「はい。ではこれで失礼します」
ツグミは笑顔で敬礼すると足取りも軽く去って行く。
その後ろ姿を見守る忍田はえも言われぬ幸福感に包まれていた。