ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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263話

 

 

目の前にいるのは玄界(ミデン)の少女である。

自分よりもはるかに若く人生経験も積んでいないというのにしっかりとした考えを持ち、それを怯むことなく堂々と言ってのける肝が据わった態度にディルクは圧倒されていた。

 

(彼女の言い分は正論のように思えるが、それは()()()正義による詭弁とも受け取れる。しかし彼女の言っていることが真理であるかのように心に響いてくるのも確かだ。考えてみれば私はアフトクラトルの民のために身を捧げることはできても他の国や玄界(ミデン)の人間のためにできるかと問われたらできないと答える。同胞のために死ぬことはできても赤の他人のために死ぬ気はないからだ。それはすなわち彼女の言う()()()()()()の広さが違うだけで根本は同じこと。彼女を非難する資格など私にはない。いや、どんな人間にだってできるものではないのだ)

 

ディルクは自分を真っ直ぐに見つめているツグミの視線にたじろぎ、わずかに顔を背けた。

 

(この私がこんな少女に気圧されるというのか? …ああ、彼女は自分の信念が真理や一般的な規範に逆らうものであってもそれが『正しい』のだと押し付けているのではない。自分が『そうありたい』と願っていて、そのために全力であらゆるものと戦っているだけ。それが他人からどう見られようとも気にせず、強大な敵であっても恐れずに立ち向かう勇気があるからこそ()()にやって来て堂々としていられるのだ)

 

ツグミとディルクの間に沈黙が続いた。

それはツグミが言いたいことを言うだけ言ってディルクが「YES」という答えを出すことを待っているのではない。

彼女はディルクに対してこれまで正しいと信じてきたことが本当に正しいことなのかを改めて考えてみる時間を与えたのだ。

しかし自分が間違いであったと反省させるためではなく、自分の信じていたものがすべてではなく他にも「道」はあると気付かせるためである。

その上でどのような判断を下すのかはディルク自身のことであるから彼に決めてもらうしかない。

そのための時間はたっぷりとあるのだから。

ただこれでおしまいではなく、ツグミはタイミングを見計らって次のステップに進むことにした。

 

 

「ディルクさん、わたしは突然やって来て非礼にも関わらず持論を展開したわけですが、これはあなたに亡命することを強制しているわけではありません。あなたの国のことですし、あなたご自身の未来に関わることですから決めるのはあなたしかいません。それに(マザー)トリガーに放り込まれる生贄にあなたがなると決まったわけではありませんから。しかしその可能性が高く、ヒュースがあなたのことを心配していることとそれを回避するために彼が行動を開始したことは事実です。万にひとつのことであっても可能性があるのなら、今のうちにできることをしておこうと決めた彼の気持ちは大切にしてあげてください。それを伝えるためにわたしは来たのですから」

 

「はい。それはわかっています」

 

「それからわたしは個人的にですがあなたに亡命を勧めたい理由があります」

 

「あなたが個人的に亡命を勧める理由…ですか?」

 

「ええ。あなたがボーダーを頼って亡命を受け入れてくれなければ、いずれわたしたちとあなたは敵同士として戦うことになります。もちろん戦いたくはありませんが、ボーダーはさらわれた32人の訓練生をひとりも欠けることなく救出しなければならず、そのための遠征が近いうちに行われるとなれば戦いは避けられないでしょう。ハイレインと戦うということはその配下であるあなたは紛れもなくボーダーの敵としてわたしたちの前に立ち塞がる。そしてヒュースもまた再びボーダーの敵となってわたしたちにその刃を向けることになります。わたしとあなたとヒュース、わたしたちはそれぞれ自分の正義のためには戦わざるをえません。お互いに憎しみ合っているわけではないのに戦うなんて馬鹿げています」

 

「それはそうですね…」

 

「ここから先はわたしにとって都合の良い話になります。あなたが亡命を受諾してくれたならあなたと夫人と御子息の3人は玄界(ミデン)の安全な場所に滞在していただくことになり、あなたの安全が保証されたならヒュースは全面的にボーダーの味方となって一緒にハイレインと戦ってくれるそうです。そうなれば力強い味方が増えるだけでなく面倒な敵が減ることになって戦闘が楽になるというもの。ハイレインから戦力を削ぐことになりますから、ボーダーの上層部の面々もわたしの提案を採用し、こうして近界(ネイバーフッド)へ送り出してくれたというわけです」

 

ここまで言うとツグミは声を潜めて続けた。

 

「ここだけの話ですけど、ボーダー上層部の面々はヒュースのことをまだ信用していない部分があります。なにしろ先の侵攻では6人の職員がエネドラによって殺害され、訓練生をさらわれ、街を破壊されたのですからその憎しみをアフトクラトルの人間であり破壊の当事者であるヒュースに向けても仕方がないことです。彼のことはアフトクラトルに到着するまで利用して、その後は始末するつもりでいます。だって到着次第すぐに彼はボーダーの敵側に戻ってしまうわけですから。それに彼に対して友情も仲間意識もありません。彼は上層部の面々にとって捕虜という認識なのですから」

 

「……」

 

「そんなことにさせないためにもヒュースにはボーダー側でいてもらわなければなりません。彼のためにもその方が良いのです。上層部の面々はあなたとエリン家の家族をボーダーで保護すると言っていますが、それは言い換えれば人質とすること。あなた方がボーダーの手の中にある以上ヒュースはボーダーを裏切ることができないということになります。卑怯だと思われるでしょうが、敵地で慣れない戦いを強いられるのですから、あらゆる手段を講じて隊員たちに犠牲が出ないようにするのは当然のことです」

 

「……」

 

「わたしは自分とボーダーにとって都合の良いことだけを話しておしまいにすることはできましたがそれではやり方が汚いと思い、内幕のことも話しましました。おわかりのようにボーダーは形振りかまってはいられない状況にあり、余裕などなくじたばたしている状態です。現状では圧倒的にアフトクラトル…ベルティストン家に有利となっています。またわたしはハイレインと戦い、あの男に部下にならないかと誘われたことがあります。それだけのトリガー使いであるという証拠で、今ならわたしを捕らえてあの男に差し出せば褒美が貰えるかも知れません。ただトリオン能力はそれほど高くありませんから生贄としての価値はありませんけど。ああ、もしわたしを捕虜にしてヒュースとの交換を考えても無駄ですよ。ハイレインはヒュースが帰還することを喜びはしませんから。…とわたしの話はここまでです」

 

そう言ってツグミは表情を緩めた。

彼女は自分のできることはすべてやり終え、この会談の結果がどのようになろうとも後悔はないという満足感によるもの。

今は彼女がボールを投げた状態となっているから、後はディルクがどういう球種で投げ返すかだけである。

 

ディルクはそんなツグミの気配に気付き、同様に表情を緩めて言った。

 

「あなたを捕虜にするなんてありえませんよ。ヒュースの友人に無礼なことはできません。それに私自身があなたのことを気に入ってしまいましたから。交渉をする際には利点を強調して欠点を隠すものです。ですがあなたは正直に話してくれました。それにあなたはヒュースを人質にして私に亡命を強いることができたはずなのにそれをしなかった。私の意思を尊重するということですよね? 大事なことですから今すぐに答えを出すことはできません。それに家族や家臣たちとも相談したいことですから、しばらく時間をください」

 

「ええ、もちろんです。ですがわたしたちも先がありますから待つことができるのは明日の昼までになります。明日の今頃にはこの国を発たなければなりませんので」

 

「でしたら明日の午前中にもう一度来てもらえますか? その時に返事をします」

 

「はい。良いお返事をいただけるよう、期待してお待ちします」

 

ツグミはそう言って頭を下げた。

そして再び上げた顔は晴れやかな笑顔であって、ディルクの心はすでに決まっていて後は家族や家臣にその報告をするだけだとわかっているといった感がある。

事実、ディルクはツグミの話を聞かされて自分が何のために戦っているのかを問われ、同胞のためなどという大義名分ではなく家族や自分を慕ってくれる家臣たちのためであることに気付かされたのだった。

自分が「神」という名の生贄になれば多くの同胞が救われることになり「家」を守ることができるだろうが、最も大切にしている家族そして家臣を守りきれず哀しませることになる。

おまけにハイレインが国を支配するために自分の命が利用しようとしているのだから納得しようにも無理があり「なぜ私があの男の野望の犠牲にならなければいけないのだ」と思うのは当然だ。

 

ツグミにはディルクが貴族とはいえ自分と同じ価値観を持つ人物だとわかっているから、どのような答えを選ぶのかはほぼ想像ができる。

同じ貴族であっても自分の野望のためなら他人の犠牲を厭わないハイレインのような人間であったらこの交渉自体を行うつもりはなかっただろう。

そもそもそんな冷酷な野心家であれば情をかけてやる理由はなく「わたしの手で生贄として(マザー)トリガーに放り込んでやるわよ!」と彼女なら言うに決まっている。

いや、言うだけでなく実際にやるだろう。

彼女にとってハイレインは紛れもなく敵で、彼女の()()()()()()()の人間であるからどうなってもかまわないのだから。

 

「わたしたちはこれでおいとまさせていただくのですが、このお屋敷の中でトリガーを起動するとハイレインたちにバレてしまうようなことになりますか?」

 

ツグミがディルクに訊く。

 

「あ、いや…それはないと思いますよ。この街は高い城壁で囲まれていて4ヶ所の門も優秀なトリガー使いが常に見張りをしています。よって城壁の内側は安全だということになっているので、わざわざトリオンを消費してレーダーで監視する必要はないですからね。ですがそれがどうしましたか?」

 

「念のためにわたしたちはトリオン体に換装して、その姿で帰りますので。…それから、たぶんご存知かと思いますがわたしたちの後にもうひとり使者が訪問しているはずです」

 

「ああ、それなら連絡が来ていて、屋敷内に入ることはできないからと使用人の館で待機させてくれと言ったらしく、彼はセリウスが接待している」

 

「そうでしたか。ではセリウスさんを呼んでください。わたしたちのトリガーを返してもらい、連れ…ゼノンのいる場所に案内してもらいたいので」

 

「わかりました。少々お待ちください」

 

そう言ってディルクは壁に設置してある呼び鈴を鳴らすと1分と経たないうちにセリウスが客間にやって来た。

 

「お客人がお帰りになる。お連れの方のいるところへご案内してくれ」

 

「承知致しました。こちらへどうぞ」

 

ツグミは最後にディルクに向かって言った。

 

「明日はご家族のみなさんにも会わせてください。それを楽しみにして来たのですから」

 

「ああ、わかっていますとも。マーナとレクスもきっとあなたに会えば喜びます」

 

「では、これで失礼いたします」

 

 

ツグミと迅はセリウスに案内されて使用人の館に連れて行かれた。

ゼノンのいたその部屋は使用人たちの談話室らしいもので、質素なものであるがきちんと片付いていて快適な空間となっていた。

それを見ただけでも家臣や使用人に対しての福利厚生が行き届いていて、それだけ彼らのことを大事にしているのだということがわかる。

使用人たちの心が荒んでいるようであれば彼らが日常的に使用する部屋が雑然としていて、ディルクに対する忠誠心も大したことはないと言えるのだが、手入れの行き届いた状態であれば彼らがエリン家で働くことに生きがいを感じていると判断しても良いだろう。

そしてツグミたちを待っていたゼノンの表情もにこやかであるから、きっとセリウスと意気投合して話が盛り上がったのかも知れない。

 

「ツグミ、その分だと会談は上手くいったようだな?」

 

ツグミの満足気な顔を見たゼノンが声をかけてきた。

 

「ええ。お返事は明日いただけるとのことなのでもう一度訪問することになりますが、手応えはバッチリです」

 

「そうか、それは良かった」

 

「そちらはどうですか?」

 

「首尾は上々。南門からこの屋敷まで至る道ならどこでも()()ことができるようにしてある。しかし今日は使わないんだろ?」

 

「はい。()()は最終手段ですから。無闇に使用していざという時に使えないと困ります。面倒ですけど勘弁してください」

 

「いや、気にする必要はない。たしかに()()は切り札として残しておくべきだろう。まあ、今のところ切り札として使えるかどうかわからんがな」

 

「わたしが使えるようにしてみせますよ。では、来た時とは逆の順で帰りましょう」

 

セリウスからトリガーを返してもらったツグミたちはその場で換装し、続いてバッグワームを起動する。

そしてゼノンがひとりで出て行き、その15分後にツグミと迅がエリン家の屋敷を後にした。

 

 

 

 

ディルクとの会談に手応えがあったことでツグミの足取りは軽やかだ。

 

「すいぶんと上機嫌じゃないか。ディルクが亡命を受け入れてくれると確信しているんだな?」

 

迅はツグミにそう訊いた。

彼女の様子を見ていればそう思うのも無理はない。

しかし彼女は大きく首を横に振った。

 

「いいえ。彼の出す答えはふたつありますけど、そのどちらともまだ言い切れません。五分五分と言ったところです」

 

「五分五分? それって亡命を受け入れるか入れないかのふたつってことだよな?」

 

「そうです」

 

「だったら亡命しないという選択をされたらこっちのシナリオに狂いが出て困るだろ?」

 

「わたしの書いたシナリオもふたつあって、彼がどちらを選んでもかまわないようになっていますから大丈夫です」

 

「彼が亡命をしないでアフトに残るというなら、おまえがわざわざここに来た意味がないんじゃないのか?」

 

「そんなことはありませんよ。わたしがヒュースの現状を伝えたことで彼がどのような扱いを受けていて、さらにボーダーが遠征を行う際にどのようなことになるのかをディルクさんは知りました。ヒュースがボーダーで丁重に扱われていることには感謝し、彼の行動によっては殺されるかも知れないという恐ろしい事実も知ったわけで、ディルクさんは家族同様のヒュースのために自分が何をすべきかと考えるきっかけを与えたことになります」

 

「それはそうだが、ボーダーにとっては亡命をしてもらうことで有利になるんだからNOと言われたら都合が悪いと思うが…」

 

「ええ、たしかにわたしも亡命をしてもらいたいと思います。それがボーダーにとっての最適解ですからね。ですがベストでなくベターであっても遠征部隊にとってディルクさんが敵として立ち塞がることがなくなればだいぶ楽になるはずです。彼はヒュースが人質になっている状態でボーダーに歯向かうようなことはできそうにありませんよ。…まあ、ディルクさんが自分で答えを出したなら、彼も結果がどうなろうと後悔はしないはず。わたしも自分にできることをやったんですから、どのような答えを出されても受け入れられます」

 

「……」

 

「C級隊員の救出は必ず成功させなければならないボーダーの至上命題ですが、アフトクラトルの(マザー)トリガーに関してはこの国の人間が解決しなければならない問題です。本来なら他所の国の人間が関わることではありませんが、ボーダーは巻き込まれてしまったんですからこちらに火の粉が降りかからないようにするのは当然です。しかしそれ以上の関与は内政干渉ともなります。仮にディルクさんが家族や家臣を説得して自分が生贄になると決心したなら、わたしたちにはそれに反対する資格はありません」

 

「……」

 

「ですがディルクさんが亡命を受け入れてくれないとわたしはヒュースとの約束を守れなかったことになるので困るんですよね…。その時にはディルクさんにヒュースへの手紙で事情を説明してもらわないと、帰った時にわたしはヒュースに責められます。まあ、ディルクさんならヒュースを()()()()()に追い込むようなことはしないはず。ちゃんと納得させるだけの手紙を書いてくれるでしょう」

 

「……」

 

「そうは言っても明日もう一度会うまではディルクさんがどんな答えを出すのかはわかりません。ジンさん、あなたにもまだ未来()()()()()は視えていないでしょ? それは彼が自分なりの答えを出していても家族や家臣に相談していて最終的な結論が出せないでいるからだと思うんです。今わたしたちがヤキモキしたところで何の意味もありません。大丈夫です、あなたが哀しんだり苦しんだりする未来はわたしが視させないですから」

 

「…!」

 

ツグミは自信たっぷりの笑顔で迅に断言すると、彼の左腕にしがみついた。

 

「艇に帰るまでまだだいぶあります。せっかくのふたりきりの時間なんですから楽しいことを話しましょ。今はアフトクラトルの庶民の夫婦という設定ですから、こうしていれば自然なカンジに見えますよ。もっとも周囲に誰もいませんからアピールしたところで意味ないですけど」

 

「たしかに誰もいないな」

 

迅はそう言ってツグミを抱きしめ、耳元で囁くように言った。

 

「今のところは危険な目に遭ってはいないがここはアフトクラトル、敵の真っ只中なんだぞ。余裕があるのはいいが、油断はするなよ。俺が全力で守ってやるつもりだが、俺にだって不可能なことはある。それに無事に帰還できることはわかっているが、それは死んだり怪我をしないというだけで、心に負う傷のことまではわからない。見た目だけではわからないことだからな。俺はおまえと違って心の傷を癒す方法を知らない」

 

「ジンさん…」

 

「城戸さんからおまえのやることは黙って見届けるだけでいいと言われている。だからおまえが何をしようと自由にさせているが、それは何をやってもかまわないと俺が認めているということではないんだぞ。俺もアフト遠征は成功させなければいけないと考えているが、そのためにおまえが犠牲になってしまっては何の意味もない」

 

「……」

 

「正直言うと俺はディルクたちを亡命させることに反対はしないが賛成でもない。おまえも言ったようにアフトの(マザー)トリガーに関してはこの国の人間が解決しなければならない問題だ。だからおまえにはこれ以上関わりを持ってほしくはない。そのことは覚えていてくれ」

 

「…はい」

 

「それともうひとつ。もう少しこうしていたい。いいよな?」

 

「はい」

 

「ああ、やっぱりおまえの身体は温かい。早く抱き枕にして眠ってみたいな…」

 

「ジンさんのバカ」

 

「バカ」と言ったツグミの顔は真っ赤だ。

それは(マザー)トリガーの影響で勢いが衰えた太陽がさらに一日の終わりを告げる心細い光を投げかけて彼女の顔を照らしているせいでもあるのだが。

 

 

 

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