ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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274話

 

 

エウクラートンはキオンと違って夏真っ盛りであった。

(ゲート)を抜けて最初に見た光景は見渡す限りの草原と丘陵で、印象としては北海道の美瑛や富良野のような田園風景だ。

豊穣の大地といった感があり、キオンに従属しているとか女王の身体の不調など信じられないくらいのどかで平和な国に見える。

これまでに立ち寄った国の中で最も豊かな国のように思えるが収穫された作物の多くをキオンに奪われていて、エウクラートンの民はキオンによって労働力として生かされているという状態にあるという。

他人に興味のないツグミであっても自分の身体に半分流れるエウクラートンの血が黙って見ているだけで何もしないことを許せずにいる。

何もできないとわかっていても見ておきたいという気持ちが強く、無理を言って寄り道してもらったのだった。

もっともこの旅はツグミのために行っているものだから、4人の男たちに何も異論はない。

 

爽やかな風が吹く草原に艇を停め、乗員たちはキオンの時と違って軽装のまま地上に下りた。

 

「うわぁ~、すっごく気持ちいい」

 

ツグミは深呼吸をすると裸足になって草の上に大の字になって寝転んだ。

そうすると青い空に白い綿のような雲が次々に流れていくのが見える。

 

「ここがお父さんの故郷なんだ…」

 

そう呟いたツグミは何を思ったのか右手に握っていたミリアムの(ブラック)トリガーを起動させた。

 

「トリガー、起動(オン)

 

ツグミの姿をしたミリアムはゆっくりと立ち上がり、自分の周囲をぐるりと見回した。

 

「ああ…全然変わっていないわ。エウクラートン、私の故郷…」

 

そう、ツグミはミリアムに故郷を見せてあげたかったのだ。

ツグミが自分に憑依させればミリアムが生身の身体を通して太陽の光や風、大地のにおいを感じると考えたからである。

サーヴァとの会食の際に自分にミリアムを憑依させればその間身体をミリアムに乗っ取られることになるが、10分から15分程度の時間であればツグミの体調に問題もないということも実験済みであった。

ツグミの姿のミリアムは裸足のままで草の上を走り出し、丘の上に立っている1本のカシワの木に登り始めた。

少しでも高いところから景色を見たいということだ。

ミリアムにとっては21年ぶりに見る故郷である。

特に二度と見ることができないと諦めていた美しい祖国の景色であるから、彼女がツグミの身体を借りてはしゃぐのは無理もない。

ツグミの姿をしたミリアムは横に伸びた太い枝に腰掛けると足をブラブラさせてはるか遠くに見える首都・ニネミアを見つめた。

ニネミアまで5キロ以上離れているが首都の中央にある大きな神殿やそれに続く王宮などの建物は手に取るように見える。

なにしろ強化視力を持つエウクラートンの人間であるからそれくらいの距離なら楽勝なのだ。

 

「リベラート…」

 

ミリアムはその街にいるはずのかつて死ぬほど愛した男性の名を口にした。

 

(貴方は今頃何をしているのかしら? 今も元気でいるといいんだけど…)

 

彼女が(ブラック)トリガーになったのは38歳の時だから、彼女の時間はそこで止まってしまっている。

生者であるリベラートは61歳になってしまったが、彼女の心の中にある自分と恋人は16歳と18歳のままである。

思い出にに浸っていたミリアムだったが、ツグミがエウクラートンに来たのはミリアムに故郷を見せるためではないのだ。

 

「ツグミ…、あ、いやミリアムさん。そろそろ行きましょう」

 

ツグミの姿をしたミリアムを追って来たリヌスが木の下から声をかけた。

 

「あ、ごめんなさい。今、下ります。リヌスさん、受け止めてください」

 

「え?」

 

ツグミの姿をしたミリアムはリヌスのことを信用して木の上から飛び降りた。

 

「ああっ!」

 

リヌスはとっさに両腕を広げて落ちてきた彼女の身体を上手くキャッチする。

 

「ミリアムさん、危ないじゃないですか!」

 

怒るリヌスにツグミの姿をしたミリアムはケラケラと笑いながら言った。

 

「貴方が受け止めてくれると確信していたもの。それに貴方だってツグミ(この子)を抱っこすることができて嬉しいんじゃないの?」

 

「そ、そんなことは…」

 

リヌスは顔を真っ赤にして口ごもってしまう。

自分の腕の中には無防備な姿のツグミがいて、迅たちのいる場所からその様子を見ることはできない。

 

「今ならキスしても大丈夫よ」

 

そう言ってツグミの姿をしたミリアムは目を瞑る。

それはツグミがキスをしてくれと言っているように見え、リヌスにとっては人生最大で最後のチャンスなのは間違いない。

 

「ミリアムさん、なんでそんなことをするんですか?」

 

「だって私は貴方のことを気に入っているんだもの。ツグミの気持ちはあのジンという子にあるけど、私は貴方がこの子と結婚してくれたらいいと思っているくらいなのよ」

 

「……」

 

「だから貴方の片思いの気持ちがとても辛くって。だからせめてキスくらい ──」

 

「ダメです」

 

「え?」

 

「たしかに私はツグミのことが好きでキスだってしたいと思っています。でも彼女の意思を無視することはできません。彼女はジンのことを愛していて、彼以外の人間にキスされたいなんて思っていないはずですから」

 

そうリヌスが答えるとツグミの姿をしたミリアムは微笑みながら腕をリヌスの首に回した。

 

「そういう真面目なところがあの人に良く似ているの。だから私は貴方のことが気に入ってしまったんだわ」

 

ツグミの姿をしたミリアムはそう言うとリヌスの唇にそっと唇を重ねた。

 

「…!?」

 

驚いてよろめくリヌスにツグミの姿をしたミリアムは言う。

 

「これは私が貴方にキスしたかったから。大丈夫よ、私が憑依している間のことはツグミは何も知らないから。…さあ、下ろしてちょうだい。そろそろツグミが戻ってくるわよ」

 

「あ、はい」

 

リヌスがツグミの姿をしたミリアムを地面に下ろすと、そのタイミングでミリアムはツグミの身体から離れてツグミの意識が戻って来た。

 

「り、リヌスさん…どうして…?」

 

これまでのやり取りのことをまったく知らないツグミであるから、自分のすぐそばにリヌスがいたことを驚いているのだ。

 

「あ、それは…ミリアムさんがこの木の上に上って景色を見ていて、私が呼びに来たところで彼女が飛び降りたものですから私が下でキャッチして、それで地面に下ろしたところなんです」

 

リヌスの言ったことは事実であるが、重要な部分は隠してある。

 

「でも、顔が真っ赤ですよ。何かあったんじゃないですか?」

 

ツグミが普段と違うリヌスの様子に気付く。

 

「いや、ここまで全力で走って来たので…」

 

「そういうことだったんですか。すみません、ご迷惑をおかけしました」

 

「いえ、別に迷惑など…」

 

「それじゃあ、みんなのところに戻りましょう。ねえ、あそこに見えるのがこの国の首都なんですよね?」

 

ツグミがニネミアの方を指差して訊いた。

 

「はい、そのとおりです。これからあそこまで行きます」

 

「歩いてですか?」

 

「いいえ、艇で近くまで行きます。新しい艇は総統府直轄のもので、我々はキオン政府の公式な使者ということになっているんですよ。だから堂々と行ってもかまわないし、女王に謁見…とまではいきませんが、女王の兄のリベラート殿下に面会することはできると思います。テスタ総統閣下からの親書を預かっていますから、それを渡さなければいけませんしね」

 

「そうだったんですか。じゃあ、こんなところでのんびりもしていられないんですね。…それにしても穏やかで美しくて素敵な国ですよね。ここが父の故郷なんだと思うと一層感無量ってカンジです」

 

「ええ。たぶんエウクラートンは近界(ネイバーフッド)の中で最も美しい国だと思います。畑と草原しかありませんが、私はこの国が祖国であることを誇りにしています」

 

「ええ、わかります。わたしもこの国に生まれていたらそう思うんじゃないかって気がしますから。何も高い山や青い海があったり深い峡谷や奇岩がある景色が美しいとは限りません。むしろ見渡す限りの草原と豊穣の大地こそ人間にとて最も美しく価値のあるものだとわたしは思います」

 

リヌスはツグミと並んで果てしなく広がる草原と丘の風景を見つめた。

それこそがリヌスにとってのたったひとつの願いであったのだが、それが叶うとは想像もしていなかった。

 

(ツグミ…私はあなたが好きです。抱きしめることはできなくてもこうして一緒に同じ景色を眺めることができて、私の願いは叶いました。だから後はあなたの願いを叶えることに専念するだけです。それに…)

 

リヌスはそんなことを考えながら自分の唇に指でそっと触れた。

 

(あなたの意思ではないにしろ私はあなたにキスしてもらえたのですから、この想い出があれば十分です)

 

ツグミはリヌスが片想いをしていることにまったく気付いていない。

それがどれだけ残酷なことなのか知る由もなく、無邪気な笑顔をリヌスに向けて艇のある方へと駆け出して行ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

首都・ニネミアは周囲を高い城壁に囲まれた直径が約2キロメートルの真円で、中央にギリシア神殿風の建物が建っている。

そこに神官である女王と王家の一族が暮らしていて、神殿と政庁が女王とリベラートの()()()となっていた。

ツグミたちがこれから面会するリベラートは妹である女王の補佐という立場だが、女王は神殿で(マザー)トリガーの操作をしているから政務は彼がすべて担っている。

この国にも国民が選出した代表者が集まって議会を開き、その結果が国民の意思として反映されるという民主主義的な部分もあるのだが、国民の大多数が「女王の御意のままに」という考えを持っているため、議員たち自身が女王の意思を支持していて民意を反映しているのかしていないのかよくわからない部分がある。

それに問題が発生することがなくて順調に進んでいるのだから外部の人間が「それでいいの?」などという感想を持ったところで意味はない。

しかし女王が体調不良で、それが作物収穫量やその他国民の生活に支障が出てくるようでは問題だ。

おまけに後継者となる王女がいないのであれば万が一の時には国が大混乱になってしまうだろう。

今のところ国民には公表されてはおらず、一時は噂として流れたのだがそれはリベラートによって公式に否定されているそうだ。

とはいえ国民も薄々感じていても「リベラート殿下が否定するのだからそれを真実であると信じよう」という気持ちと、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりしてしまう「正常性バイアス」が働いているものと思われる。

そんな中でキオンは密かに情報を集めていて、テスタは何やら企んでいるようではある。

 

 

ツグミたちの乗った艇はキオンの国旗を掲揚してニネミアの正門へと近付いて行く。

エウクラートンはキオンの従属国となっているから、キオンが公式に訪問をしたということになれば無条件で城門を開くようになっていて、ツグミたちは下船せずにそのまま神殿の脇にある国賓用の駐艇場へと進入した。

乗員全員が艇を降りたところでリベラートの直属の部下である宰相がツグミたちを出迎える。

 

「キオンの皆さま方、ようこそいらっしゃいました。…ですが突然のご訪問でございますね。この度はどのようなご用件でしょうか?」

 

ツグミたちの中で最年長者であるからという理由で、宰相はゼノンに尋ねた。

 

「いや、用件というか…俺たちキオンの人間はこの方を案内して来た護衛です。彼女は霧科ツグミ嬢、玄界(ミデン)の女性ですが彼女の父親は20年前にミリアムの(ブラック)トリガーを携えてエウクラートンを脱出したオリバさんです」

 

ツグミがオリバの娘だと聞かされた宰相は一瞬固まってしまうが、ツグミの顔をじっと見つめてから大きく頷いた。

そして深く頭を下げる。

 

「これは大変失礼いたしました。たしかにオリバ様の面影がありますね。私はエウクラートンで宰相を務めておりますミルコと申します」

 

「頭を上げてください。たしかにわたしはオリバの娘ですけど、初対面で一国の宰相閣下に頭を下げられる理由はありませんから。むしろ突然お伺いしてしまい、大変申し訳ございません。わたしたちはリベラート殿下に面会をお願いしたくてまいりました。お取次をお願いします」

 

「かしこまりました」

 

ミルコは駆け足で政庁の正面玄関へと駆け出して行く。

その後ろ姿を見ながらツグミは不思議そうな顔をした。

 

「父がエウクラートンの出身者だからといってわたしに対してのあの態度っておかしくありませんか?」

 

ツグミがゼノンに訊くと、彼は当然だと言わんばかりに答える。

 

「オリバといえば30代以上の年齢の人間なら誰でも知っている優秀なトリガー使いなんだぞ。技術者(エンジニア)としても優秀で、前女王陛下からの信頼も厚い人物だったそうだからミリアムの(ブラック)トリガーは彼に託された。そんなことで今でも彼は伝説の英雄として国民から慕われているんじゃないのかな」

 

「トリガー使いと技術者(エンジニア)だったという話は聞いていましたが、伝説の英雄というのは初耳です。わたしは父のことをほとんど覚えていませんが、すごい人だったんですね…」

 

「まあ、そのおかげでリベラート殿下との面会もしやすくなったんじゃないかな。こちらにはあまり時間がないから手続きがスムーズに済むとありがたい」

 

「そうですね。最低でもこの親書を渡してわたしたちの訪問理由を知ってもらいたいと思っていましたが、予定どおりに面会もできそう」

 

ツグミは嬉しそうな顔で言う。

これはリベラートとの面会の件よりも父親が偉大な人物であったという事実を知ったことによるものだ。

ずっと記憶の奥に封印していた両親の過去がいつくかの出来事をきっかけに意識するようになっていったので、他人から高い評価をされる人物だとなれば自分のことのように嬉しいのは当然だ。

 

 

数分後、ミルコは準備ができたとばかりに走り寄って来てツグミに向かって恭しく頭を下げた。

 

「ツグミ様、殿下はあなたおひとりとなら今すぐにお会いしたいとのことです」

 

「わたしひとり…だけ、ですか?」

 

「はい。それも公式な謁見ではなく、私的なものとしてということです。皆さまとの公式な謁見は明日以降にお時間を取らせていただきます」

 

ツグミはリベラートがなぜ自分だけと会いたいというのか考えてみるが、それはエウクラートンの英雄の娘であるからとしか考えられない。

単なる個人的な興味ということなのだろうと考えた彼女は答えた。

 

「はい、それでかまいません。お話ができるのなら公式でも非公式でも関係ありませんから」

 

そして迅たちに向かって笑顔で言う。

 

「大丈夫ですよ。心配ありません。ちょっと緊張していますけど上手くできる自信はありますから。じゃあ、行ってきます」

 

「それでは早速ご案内いたします。さあ、どうぞ」

 

ミルコはツグミだけを連れて政庁ではなくリベラート皇太子夫妻の住まいの方へと歩いて行った。

 

「殿下はご自宅の方にいらっしゃるのですか?」

 

「はい、そのとおりです。執務を途中で取りやめてあなたとの面会に変更したくらいですから、あなたもそれくらいの覚悟でいてください」

 

「はあ…」

 

ツグミはますます困惑してしまう。

 

(殿下と面会するのに覚悟が必要って…。リベラート殿下って難しい人なのかな? まあ、礼を失するようなことをしなければ公式な謁見や会談も叶うと思うけど、些細なことでご機嫌を損ねてしまうこともありうる。慎重にいかなきゃね)

 

 

一方、残された迅たちは艇に戻ってツグミの帰りを待つことにした。

不思議と年長者、特に男性に気に入られるツグミであるから心配はないだろうが、彼女ひとりだけを指名して特別に会おうというのだから、リベラートが何を考えているのか気にならないはずがない。

 

「少なくとも英雄の娘に危害を与えるようなことはないだろうし、なによりもキオンとの関係を自ら壊すようなことはありえない。今の彼女はテスタ閣下の後見のある公式の客人だ。彼女に何かあればキオンが黙っていないと知っている以上は何も心配いらないだろう」

 

ゼノンはそう言って皆を安心させようとするが、自身の不安を払拭するために言い聞かせているようなものだ。

キオンの軍人であるからこそテスタがツグミを利用して何らかの行動に出る可能性がなくはないからだ。

たとえばエウクラートン側が彼女に失礼な態度を示せばそれはキオンに対しての反逆だと言いがかりをつけて軍を派遣する理由とし、そのまま実効支配するということも考えられる。

逆にエウクラートン側が彼女を人質にしてキオンに取引を要求することになるかも知れない。

それはツグミも十分承知していて「自分を信用してもらうためには相手を信用しなきゃ始まらないですよ。わたしはテスタ閣下のこともリベラート殿下のことも信用しています。だからみなさんもそんなわたしのことを信用してください」などと言っていたのだからおとなしく待っているしかないのだ。

 

「リベラート殿下は私的な理由で彼女ひとりと面会をしようというのですから、少なくともキオンとエウクラートンという国家同士の関係を揺るがすようなものになるとは考えられません」

 

リヌスはそう言って艇の小さな窓から外を見た。

その視線の先には神殿がある。

 

「エウクラートンは現在女王のことで心配の種を抱えているのですから、これ以上問題を起こすようなことはしないはずです。特にキオンに侵攻の大義名分を与えるようなことはありえません。我々は彼女の言葉どおり彼女を信じて待つだけです」

 

「……」

 

「それにいつか必ず我々が自分の役目を果たす時が来ます。その時には全力で彼女を守り、支え、彼女が願う世界の実現のために働く。待つことも我々の役目ですよ」

 

男たちは黙って大きく頷いた。

 

 

 

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