ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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277話

 

 

ツグミは30日ぶりにアフトクラトルの地に降り立った。

彼女にとって危険な国であるアフトクラトルに再びやって来たのは、エリン家のマーナとレクスを玄界(ミデン)へ亡命という名の一時避難をさせるためである。

前回の訪問でこのふたりだけをボーダーで保護し、ディルクはアフトクラトルに残るという話になっている。

ツグミの計画では家族3人全員を玄界(ミデン)へ連れて行くというものであったが、ディルクが自身の矜持のために残ると決心したのだから彼の意思を尊重するしかないのだ。

前回と同じくトリガーを使って現地の人間に似せたトリオン体になり、さらにバッグワームを起動して庶民の服装になる。

そして迅とふたりで夫婦を演じて城郭都市内へ向かい、ゼノンには()()()()()()のために艇で待機してもらっている。

 

 

ツグミたちがエリン家の屋敷に着くと、レクスが大喜びでツグミに駆け寄って来た。

前回の訪問で彼女に懐いてしまったからで、はしゃいでいるのは父親との別離の時が来たことで寂しいと思っていることを周囲に心配をかけないようにと無理をしているだけなのだ。

それがわかるからツグミは哀しくなるのだが、そのことをレクスに悟られないように自分も彼に会えてとても嬉しいという気持ちを全面に出して一緒にはしゃぐのだった。

 

「ディルクさん、お気持ちは前回お会いした時と変わってはいらっしゃらないのですね?」

 

客間でエリン家の3人を前にしてツグミがディルクに訊いた。

 

「はい。30日間じっくり考えた末で、以前にお答えしたものと同じ結果となったのです。やはり私はエリン家の当主としての義務を果たさねばなりませんし、マーナの夫そしてレクスの父として家族の安全は守らなければなりません。ですからふたりだけを玄界(ミデン)へ行かせて私は残ることに決めました。あなたのお気持ちはありがたいですか、こうすることが私の正義だと信じているのです」

 

「ええ、そのお気持ちは良くわかります。ヒュースは残念がるでしょうが、それでもすぐに会えますよ。ボーダーの遠征も準備は進んでいるはずですから、彼がアフトクラトルに着けばすぐにここに戻って来るでしょうから」

 

ツグミが遠征という言葉を口にすると、ディルクが思い出したかのように言う。

 

「そうです、遠征のことなんですが、私もお役に立ちたいと思ってさらわれたあなたの仲間のことについて少々調べてみました」

 

「え? それでいかがでしたか?」

 

ツグミは身を乗り出して訊いた。

 

「さらわれたのが32人だと聞いていましたが、そのうちの十数名は(ブレード)トリガー使いだということで、ヴィザ翁の元で剣術の稽古をしているらしいのです。ヴィザ翁の屋敷の近くにある家に住まわせて共同生活をしているようなのですが、具体的な場所まではわかりません。残る20人弱についてはまったく情報を掴めませんでした。申し訳ない」

 

そう言って頭を下げるディルク。

 

「いえ、顔を上げてください。それだけでも十分に役立つ情報です。どうもありがとうございました。でも無理はなさらないでください。ハイレインに知れたらあなたがボーダーと通じているとバレてしまって、あなたご自身が危険な目に遭ってしまいますから」

 

「わかっています。…私はあなたに会った時、自分よりもはるかに若く人生経験も積んでいないというのにしっかりとした考えを持ち、それを怯むことなく堂々と言ってのける肝が据わった態度に圧倒されてしまいました」

 

「わたしの…?」

 

「あなたの言い分は正論のように思えますが、それはあなたの正義による詭弁とも受け取れます。つまり自分さえ良ければという身勝手な話ですが、あなたの言っていることがまるで真理であるかのように心に響いて私は自らを振り返ってみたのです。私はアフトクラトルの貴族として同胞のために戦っているつもりでいましたが、結局のところ自分と家族()()良ければいいのだという結果になりました。つまり私もあなたと同じで、大切なものを守るために()()()()同胞たちのことも守ることになるだけなのです。貴族の義務だなんだと言っていましたが、所詮私もあなたと同じ利己主義者。あなたは自分の信念が真理や一般的な規範に逆らうものであってもそれが正しいと信じていてもそれを他人に押し付けているのではありません。自分がそうありたいと願っていて、そのために全力であらゆるものと戦っているだけ。それが他人からどう見られようとも気にせず、強大な敵であっても恐れずに立ち向かう勇気があるからこそ堂々としていられる。そんなあなたに私は惚れてしまったらしいのです」

 

「え?」

 

「いや、惚れたといっても男女の恋愛のことではなく、人として魅力を感じて惹きつけられたというものです。あなたのことが好きになったから、あなたのために何かしてあげたいと思っただけなのですよ。というわけですから私はマーナとレクスが悲しむようなことは絶対にしません。いくらあなたに頼まれても自分自身と家族が最優先ですからね」

 

ディルクはそう言って微笑んだ。

ツグミはそんな彼に深く頭を下げた。

 

「ディルクさんのおかげで遠征の成功の可能性が高まってきました。すぐに帰ってこの吉報を上司に報告したいと思います。本当にありがとうございます」

 

「その代わりと言ってはなんですが、マーナとレクスのことをくれぐれもよろしくお願いします」

 

「はい、重々承知しております。近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)は環境や習慣が違っていますけどすぐに慣れますよ。それにヒュースという先輩もいることですし、わたしが精一杯お世話させていただきますからご安心ください」

 

ツグミがそう答えると、隣に座っていたレクスが言う。

 

「お父さま、ボクがお母さまのことを守るから大丈夫。ツグミの言うことを聞いていい子にするから、ボクのことは心配いらないよ。ボクはもうすぐ9歳になる。もうひとりで何でもできるんだから、お父さまはご自分のやるべきことをやってください」

 

ドレスを着ていても貴族の嫡男としての魂は持っているようで、レクスはディルクにはっきりと自分の考えを言えるようになっていたのだった。

それが父親であるディルクにとって非常に嬉しかったらしく、レクスを抱き上げると「高い高い」をする。

 

「お父さま、ボクはもう子供じゃないんですから下ろしてください」

 

「ああ、すまない。高い高いはこれで最後にしよう」

 

ディルクはそう言って5-6回グルグル回るとレクスを床の上に下ろした。

 

「だいぶ重くなったな。玄界(ミデン)に行っても好き嫌いをせずに何でも食べて大きくなるんだぞ」

 

「はい、お父さま」

 

ディルクに頭を撫でられて嬉しそうにしているレクス。

残り少ない親子団欒の時間を邪魔してはいけないと、ツグミは退席することにした。

 

「では明日の朝にお迎えにまいりますので、先ほどご説明したように支度をして待っていてください。わたしたちはこれで失礼させていただきます」

 

「ツグミ、待ってください。あなたに見せたいものがあります。ジンと一緒に来てください」

 

ディルクはそう言ってツグミと迅のふたりを自分の書斎へと案内した。

 

 

 

 

書斎に着くとディルクは窓を開けて外を見る。

そして振り向くことはなく、背後にいるツグミに言った。

 

「見てください。あれがベルティストン家の居城ですが、一番東側の部屋が当主つまりハイレインの私室になっています。エウクラートン人の血を引くあなたなら良く見えると思います。カーテンの陰に隠れて見てみてください」

 

ツグミは身を隠しながら窓辺に近付き、カーテンに隠れながら東端の部屋を見た。

 

「こちらに向けて何か設置していますね。双眼鏡…みたいなものでしょうか?」

 

「やはりそうでしたか。以前にはなかったのですが、前回のあなた方の訪問から数日後にあのようなものが設置されました。初めは何かわからなかったのですが、あの男のことですから次期神候補の私が妙な動きをしないか自ら監視しているのだろうと思っていました。私は自分が生贄になることですべてが上手くいくのであればそれも仕方がないと思っていましたが、あなたに会って考えを変えました。同胞のためだと言いながら家族を哀しませることになるのでは意味がありません。私はエリン家の当主としての体面ばかりを気にしていて最も大切なものから目を背けていたようなんです」

 

「最も大切なもの?」

 

「自分自身の正直な気持ちです。私が今一番望むことはマーナとレクスと一緒に暮らせることで、いっそ一緒に玄界(ミデン)へ行ってしまおうかと考えたこともありました。ですが私はこのアフトクラトルを捨てることはしたくありません。ですからハイレインと戦ってでもアフトクラトルでの自分の居場所を勝ち取ろうと決めたのです。心置きなく戦うためにマーナとレクスには一時的に玄界(ミデン)へ行ってもらい、必ず呼び戻すと彼女たちに約束しました。3人で安心して暮らせる日々を取り戻すために私は本気でハイレインと戦うつもりですが、私だけでは心許ない。そこで私はボーダーの遠征を利用させてもらいます。…こちらへ来てください」

 

ディルクはツグミを部屋の奥へと招き、執務机の引き出しから2枚の大判の紙を取り出した。

その1枚をテーブルの上に広げる。

 

「これはこの城郭都市の地図です。たぶんあなた方も大まかな地理は把握しているでしょうがここまで詳細なものではないはずです」

 

ディルクが言うようにその地図には詳しい建物の配置や細い路地までもが記されている。

 

「そしてこちらが地下道の地図です。こうして重ねるとどのように張り巡らされているかが良くわかります」

 

2枚目の地図を上に載せると下にある地図が透けて見えて、主だった貴族の屋敷から地下を通って城外へと抜け出せるようになっているのがわかる。

 

「これは城内で戦闘となった場合に貴族連中が城外へ密かに脱出するためものです。ですが逆にこれを使って城内に入ることも可能で、私がこの屋敷側の扉の鍵を開けておけばこっそり侵入することができます」

 

「そんな大切な情報をわたしたちに教えてしまってかまわないのですか? ボーダーが悪用しないという保証はないのですよ」

 

ツグミがそう言うとディルクは笑う。

 

「ボーダーがベルティストン家の本拠地で本格的な戦闘を行って犠牲者が出てもかまわずにさらわれた仲間を取り戻すという目的を達成するのであればそれもいいでしょう。ですができるかぎり戦闘を行わずに被害を抑えたいと考えているのなら、この情報は悪用ではなく()()()使うしかないはずですよ。ボーダーはアフトクラトル全体を敵に回す気はないはずですからね」

 

ディルクの言うとおりである。

ボーダーはアフトクラトルという国と戦争をする気などまったくなく、ハイレインによってさらわれたC級隊員を救出するのが目的であるから戦闘は極力避けて被害を出したくはない。

それにまったく無関係なこの街の市民に被害を出すことになれば、それはベルティストン家だけでなくアフトクラトルという国を敵に回すことになるのは自明の理というもの。

詳細な都市図と地下道の位置の情報があれば街をひとつ壊滅することは可能だが、そんなことをしてもボーダーに利益がないばかりか不要な敵を増やすことになる。

そしてツグミがこの情報をボーダーに悪用させるはずがないという確信があってこそ、ディルクは重要機密を漏らすことにしたのだ。

これは主君であるハイレインを裏切る行為になるのだが、ディルクは自分の正義のためにツグミに情報を開示したのである。

 

「わかりました。この情報はわたしが責任を持って管理させていただきます。あなたの信頼を裏切るようなことは絶対にありません」

 

「そう言うと思っていました。これは写しですのでお持ち帰りください。…あ、そうなると明日の朝にこの屋敷まで来なくてもこの地下道の出口のこの地点で合流できますよね?」

 

エリン家の屋敷から伸びている地下道は南門のある場所から約500メートル離れた場所に出口がある。

早朝の霧で視界が閉ざされる時間帯でそれだけ城郭都市から離れていれば、生身もしくはバッグワームを起動していればレーダーに映ることもない。

当初の計画よりもリスクは断然低いものとなるのだ。

 

「そうですね。ならば時間はそのままで、合流場所を地下道の出口ということに変更しましょう」

 

こうしてディルクとの最終打ち合わせを終え、2枚の地図を受け取ったツグミはゼノンたちの待つ艇に帰って行ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝、まだすべての生き物が目覚めてはいない早い時間にツグミたちは行動を開始した。

アフトクラトルは初秋といった感じの時期で、早朝には深い霧で周囲が何も見えなくなる。

そこを狙ってマーナとレクスを艇に連れて行こうというのであった。

地下道の出口の目印は1本の大きなポプラの木で、ツグミと迅が到着するとすでにエリン家の3人と執事のセリウスが待っていた。

 

「遅くなって申し訳ありません」

 

ツグミが詫びるとディルクが笑みをたたえて言う。

 

「いいえ、お気にならずに。気が急いてしまって早く来てしまっただけですから」

 

「そうですか。それにしても深い霧ですね。あれだけ大きくて近い場所にある城郭都市の全容がまったく見えないんですから」

 

「この早朝の霧はあと50日ほど続きます。もしボーダーの遠征がその間に行われるのでしたら、この霧も利用できるでしょう。ヒュースもそのことは承知していますから、彼は頼りになるはずです。…ツグミ、以前にヒュース宛に書いた手紙を処分してこちらの手紙を彼に渡してください」

 

ディルクはそう言って封筒をツグミに手渡した。

 

「前回の手紙には私のエリン家当主としての彼への指示でしたが、こちらにはディルク個人としての正直な気持ちが書いてあります。その方が彼にとって自分が何をすべきかの判断に役立つことでしょう」

 

「わかりました。…ところでマーナさんとレクスくんの荷物はこれだけでいいんですか?」

 

ふたりが持っているのは大きめのトランクがひとつずつしかないのだ。

 

「最低限のものしか持って行きませんから。必要なものは玄界(ミデン)ですべて揃えるように言ってあります。しばらくの間玄界(ミデン)の人間として暮らすのですから、近界(ネイバーフッド)のものは邪魔になるだけです」

 

「そうですか。ならば玄界(ミデン)に着いたらさっそくお買いものに行きましょう。おふたりには不自由はおかけしません」

 

「お願いします」

 

「それでは名残惜しいとは思いますけど、いつまでもこうしてはいられません。そろそろ出発します」

 

トリオン体に換装しているツグミと迅は軽々と大きなトランクを持ち上げた。

そして心苦しいとは思いながらもマーナとレクスに声をかける。

 

「わたしたちがおふたりを必ずこの国に送り届けます。ですから今はわたしたちと一緒に来てください」

 

「ええ、わかっています。…レクス、行くわよ」

 

「はい、お母さま」

 

レクスはそう言ってからディルクの方に向きを変えて言った。

 

「お父さま、行ってきます。次に会う時にはボクはもっとエリン家の次期当主として相応しい男になっていますから期待をして待っていてください」

 

言っていることは立派なのだが、着ているのが女の子の服であるから説得力がなさそうに見えてツグミは苦笑するしかない。

 

(でも魂は立派な貴族の男の子だもの、きっと約束を守って再会した時にディルクさんを大喜びさせるに違いないわ)

 

レクスがディルクに別れを告げると、マーナとディルクは人目も憚らず抱き合ってキスをした。

 

「あなた、行ってきます」

 

「ああ。くれぐれも身体には気を付けなさい。きみは健康で丈夫な身体を持っているがそそっかしいところがあるからな」

 

「わかっています。あなたこそ無茶をすることがありますから気を付けてくださいね」

 

「大丈夫だよ。きみたちの帰って来る場所は必ず確保するが、それ以外のことはできるだけ不干渉でいるつもりだから」

 

以前はエリン家の当主としての役目だとか矜持を重んじていた彼だが、ツグミの影響を受けて「手の届く範囲内の幸せ」のみを追求するようになってしまったようだ。

しかしそれこそが一番大事なのであって、同胞のためなどというものは二の次三の次で良いのである。

 

そしてディルクとセリウスが見送る中、マーナとレクスは自分と家族の幸福の実現のために旅立ったのだった。

 

 

艇に着くとゼノン、リヌス、テオの3人がマーナとレクスを歓迎した。

前もってレクスのことは3人に話してあったので、彼の女装について驚く者はおらず、むしろその愛らしさにドキドキしてしまったほどだ。

特にテオにとっては妹ができたように思えるらしく、その気持ちがレクスにも伝わってふたりはすぐに打ち解けたので何も心配はいらないようである。

 

「さあ、玄界(ミデン)に向けて出発しましょう」

 

ツグミがそう声をかけるとリヌスは艇のエンジンを始動し、(ゲート)を開いた。

真っ白な霧の立ち込める森の中に黒々とした(ゲート)が生じ、艇はその中に進入して行く。

そして(ゲート)が閉じるとそこは物音ひとつない森が広がるばかりであった。

 

 






ツグミは近界(ネイバーフッド)での様々な出会いと経験によって成長しました。
出生の秘密を知ってしまったことで彼女の未来への選択肢は増えてしまいましたが、彼女がどのような選択をするのかはまだわかりません。
これまで彼女が守りたいと思っていたものは玄界(ミデン)にしかありませんでしたが、近界(ネイバーフッド)にもできてしまったことで彼女は悩み苦しむことになりそうです。
彼女が選ぶ道はますます過酷なものとなりそうな予感がします。



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