ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
約束の9時ちょうどにツグミは城戸の執務室を訪問した。
「時間ピッタリだな」
「はい。お忙しい司令の時間を1分たりとも無駄にはできません。…ところでこれからお話することについて部外者が介入するとお互いに面倒なことになると思います」
「ああ、それは承知している。これから1時間、緊急時以外は呼び出しも来客もないはずだ」
「それは安心ですね。ではさっそくこちらの報告から行います。その上でボーダーの
「わかった」
城戸は来客用のソファに移動し、ツグミを向かいに座らせた。
「城戸司令はわたしの父の織羽がエウクラートンから来たオリバという
「ああ。本人も自分が養子で実の両親のことは何も知らないと言っていた」
「そのとおりです。ですがエウクラートンを訪問した際にわたしがオリバの娘だということをリベラート殿下に伝えましたら、すぐに面会を許されました。そして殿下はわたしの顔を一目見てすべてを悟ったようでした。オリバの母親はミリアムさんで、父親は…リベラート殿下だったんです」
「なんだと!?」
さすがに城戸もこの事実には驚いたものだから、目を大きく見開いて身を乗り出した。
「わたしはミリアムさんと話をして彼女が若い頃に私生児を産んで養子に出したということを聞いていました。ですが相手が誰なのかは知らされておらず、それが王家の男性であったなんて想像もしていませんでした。殿下も自分に子供がいたとは知らなかったようで、ミリアムさんは妊娠を知ってすぐにリベラート殿下とは別れて密かに出産していたのですが、当時の女王つまり殿下の母親にバレてしまい息子を取り上げられてしまったそうなんです。ミリアムさん自身もどこの誰に引き渡されたのかをまったく知らなかったようで、成長したオリバがトリガー使いとして、また
「……」
「ミリアムさんとリベラート殿下は本気で愛し合っていたようですが、殿下にはすでに許嫁がいましたのでこのことが醜聞として国民に知られてしまったら大変なことになりますから仕方がなかったようです。そういうことで父自身が自分の出生の秘密を知らずにいたのですから、わたしが王家の血筋の人間であることなんてエウクラートンに行かなければ知るはずのないことでした。別に真実を知ったことを後悔はしていませんが、そのせいで少々厄介な問題を抱えてしまったんです」
「厄介な問題だと?」
「いえ、ボーダーに何らかの不利益が生じるわけではありません。ただエウクラートンでは女王の体調がすぐれず、
「…ああ」
「わたしは神殿にある
「……」
「そんな顔をしないでください。別に女王になるというのは
「なぜそんな重要なことを忍田ではなく私に言った?」
城戸はこれまでになく難しい顔でツグミに問う。
「だって真史叔父さんに言えば感情的になって『絶対にダメだ!』とひと言で片付けられてしまい、再度その話を持ち出しても一切聞き入れてくれないでしょう。あの人はわたしのこととなると冷静な判断ができなくなります。でも城戸さんはそんなことありませんから」
「私もおまえのことを娘のように思っているつもりなのだが…」
「それは重々承知しています。ですがあなたは城戸正宗という個人であることとボーダーの最高司令官であることをきちんと両立できる人ですから、この話を聞いて『絶対にダメだ!』とは言わないという確証がありました。仮にあなたが忍田真史と同じように100%わたしの父親として判断するような人間であれば絶対に反対するでしょうし、逆に100%ボーダー最高司令官の立場で物事を考えるならわたしを上手く
「……」
「わたしは利己主義者ですから自分のことが一番大事で常に自分の幸せを追求しています。その自分の幸せが手の届く範囲にいる人たちと穏やかな日々を過ごすことなのですが、そのために他者を犠牲にするという考えはありません。自分の小さな幸せのために他者の同じ小さな幸せを奪って良いというものではなく、そんなことをすれば寝覚めが悪いですからね。わたしの行動のすべては自分の幸せのため。ボーダーで戦っているのも三門市民のためではなく、一緒に戦っている仲間たちのために少しでも助けになればということ。結果的に三門市民のために戦っているように見えるだけです。今度のアフトクラトル遠征を成功させたいと考えて走り回るのはさらわれたC級隊員を助けたいというよりも、助けることによってボーダーの存在意義を世間に知らしめることができるからと、遠征に参加する隊員つまり仲間たちに犠牲が出ないようにと考えているからです」
「……」
「ですからわたしは家族や仲間が哀しむようなことは絶対にしたくありません。訓練を欠かさずに日々強くなろうと努力するのは絶対に死ねないからです。わたしが死ねば真史叔父さんはわたしをボーダーに入隊させなければ良かったと、哀しむと同時に自分のことを責めるでしょう。世界で一番大好きなあの人にそんな辛い思いはさせたくありません。自惚れではありませんがわたしが死ねば真史叔父さんだけでなく何人もの人が哀しむと思うんです。だからわたしは絶対に死んではならないと心に深く刻み込んでいます。トリオン体で戦うから絶対に死なないという甘い考えで戦っている隊員を見ると腹立たしい。旧ボーダー時代に
「……」
「7歳の時のわたしの世界はとても狭くて、旧ボーダーのメンバーがすべてでした。ボーダーに入隊して戦っているうちに仲間は増えていって、さらに
城戸はツグミの告白を黙って聞いていた。
そして自分の人生に大きく関わってくる選択を迫られていて、それを自分にだけ打ち明けてくれたことが嬉しかった。
それがいくつかの出来事をきっかけに和解し、お互いに相手のことを信頼していたことを知った。
以来、ふたりの関係は良好なものとなり、城戸はツグミの行動についてある程度の自由を与えることとなったのだった。
しかし自由を与えて
それでも本人がしっかりとした考えを持ってどうすべきか迷っているようだから
「わたしがエウクラートンで知った真実についてのお話はこれくらいです。ですので次は城戸司令からボーダーの
「ああ。私が知っている事実についてすべて話そう」
城戸は重々しい口ぶりでボーダー創設の頃の話を始めた。
◆
「有吾と織羽によって
城戸はゆっくりとひと言ひと言を噛み締めるように昔話を始めた。
「
「その時から
「いいや。しかし
「ミリアムの
「ああ。どのようにして手に入れたのかは織羽も有吾も教えてはくれなかったが、あれは間違いなく
ツグミがミリアムから聞いた話と同じだった。
「しかし忍田や林藤といった連中が入隊し、しばらくして続々と若者たちが入隊すると規模を拡大しなければならなくなった。そこで当時同盟関係のあった国から
「あの…というと例の?」
「ああ、そうだ。あの遠征は19人中10人が犠牲となる悲劇となった。救援を求めた国自体も国民の9割以上を失って再起はないだろうということになり、我々ボーダーは彼らから
「
「それは一見普通のトリオンキューブだが高エネルギーの凝縮体で、それを定められた手続きを行うと
「定められた手続き」というのがトリオン能力者を何らかの方法で核と融合させることだということはツグミにもなんとなくわかった。
問題は誰が「人柱」となって命を捧げたかである。
タイミングが一致することから遠征で犠牲になった10人のうちの誰かではないだろうか。
そうなると最上以外の残りの9人の中で本人が自ら希望して「核」と融合して
瀕死の状態で帰還したものの助からないと知ったら、その残り少ない命を有効活用するには
しかしそれが誰なのかと訊いたところで答えてはくれないとうこともわかっていて、静かに目を伏せた。
「ツグミ、詳しいことを話せなくてすまない」
「いいえ、謝らないでください。でもこの本部基地の下に
「希望?」
「はい。…
「……」
「多数のために少数を切り捨てる考え方は正論のようですがわたしは正しいと思いません。だってそれは考えることや努力をすることを怠った愚か者たちの言い訳で、真理ではないとわたしは考えているからです。
「……」
「わたしが『希望が見えてきた』と言ったのは変革のきっかけを見付けることができたからです。こうなると父が20年前にやろうとしていたことを娘のわたしが引き継いでやり遂げるのは義務ではなくわたしに与えられた権利だって気がしてきました。やらなければいけない『義務』ではなく、わたしが好きなようにやってもいい『権利』。考え方を変えるだけでだいぶ気持ちが楽になりました。それも城戸司令がボーダーの秘密を教えてくださったからです。どうもありがとうございました」
ツグミはそう言って城戸に頭を下げたのだが、大事なことを思い出した。
「城戸司令、大事なことを思い出しました。ボーダー関係者で内科、それもできれば血液内科のお医者様に相談したいことがあるんですけど、ご紹介いただけませんか? 医務室の
「どうして血液内科の医師なんだ?」
「実はエウクラートンの女王の体調不良なんですけど、素人のわたしが見ただけですが極度の貧血ではないかと思えたんです。それも鉄欠乏性貧血で、いくつかの症状が当てはまるものですから専門家に診てもらってできるだけ早く適切な治療を受けることで改善することができるんじゃないかと。疲れやすく、夜よく眠れないとか、すぐに息が切れて眩暈や立ちくらみをよく起こすそうです。さらに爪が弱いみたいで、なによりも顔色がすごく悪いんです。それに食事も栄養のバランスが悪く、野菜は十分に摂れているようですが、肉や魚といったものは不足がち。鉄分を多く含む赤身魚やレバー、海藻類などは一切摂取していないそうなんです。エウクラートンの医師では知識や技術のレベルが低く、原因も治療方法も見付けられないということでしたから、こちら側の医師を派遣して診察してもらえたら…と思ったんです」
エウクラートンの女王が健康を取り戻すことができればツグミの問題もある程度は先延ばしできるわけで、城戸もこの状況を利用することを考えた。
「わかった。適当な医師を探しておく。心当たりがあるからさほど時間はかからないだろう」
「ありがとうございます。…っと、そろそろ1時間になりますね。では、これで失礼させていただきます」
改めて城戸に礼をするとツグミは執務室を出た。
(城戸司令と話をしたことでいくつかの情報が手に入った。ミリアムさんから聞いていた話と整合性はあるし、あの人が嘘をつくはずもないから事実であることは間違いない。もっとも隠していることもまだたくさんありそうだけど今は追求すべきじゃないし、それよりも重要なことがある。先にそっちを片付けなきゃ)
走り出したい気分を抑えてツグミはゆっくりと廊下を歩き出した。