ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
土曜日の朝、忍田によってツグミはボーダー本部基地へと呼び出された。
(忍田
そんなことを考えながら忍田の執務室のドアをノックした。
「忍田本部長、霧科ツグミがまいりました」
「ああ、来たか。ちょっと待っていてくれ」
ツグミが中へ入ると、忍田が外出する支度をしていた。
「どこかに行くんですか?」
「そうだ。と言ってもここからそう遠くない場所で、車で5分くらいで着くだろう」
「そこに何かわたしに見せたいものでもあるんですか?」
「そのとおり。行けばわかる。さあ、行こう」
◆
ツグミは忍田に連れられて警戒区域内のとある場所に来た。
「ここは…たしか三門市立体育館、でしたよね」
「ああ。第一次
「実験場? 何の実験をしているんですか?」
「見ればわかる。行くぞ」
体育館であった建物の半壊した部分は撤去しているようだが、元々バレーボールのコート4面分広さがあったので半分ほどの広さになっていてもかなりの面積がある。
その正面玄関であった場所から中に入ると、中にはプレハブの小屋が建っていた。
いや、小屋というにはだいぶ大きく、イメージとしては被災地の仮設住宅が連なる長屋のような感じだ。
しかし窓はなく、ただ壁がずっと続いているだけの殺風景な建物だ。
「これは何の施設なんですか?」
ツグミが忍田に訊くと、不思議そうな顔をして答えた。
「わからないのか? おまえが
「え? …ああ、わかりました。この中で遠征艇の中での生活のシミュレーションをしたんですね」
「そうだ。戦闘訓練の方が一段落したので、4月30日から1週間、参加予定者にここで生活をしてもらった。遠征経験のある者もいるが半分が遠征未経験者だからな、この閉鎖空間で生活してもらって適応できるかどうかの実験をしたんだ」
「今回の遠征は
「この遠征艇の内部とほぼ同じ造りの建物の中で一週間…つまりアフトクラトルまでの片道がそれくらいかかる計算だから、その間一度も外に出ることなく生活し、各隊員の体調の変化やストレスの溜まり具合、そして仲間同士での協調性などのチェックをした」
「それでどんな具合だったんですか?」
「まあ、これといって大きな問題はないように見えるのだが、やはり狭い空間に長い時間いると些細なことでケンカになる。慶なんて1週間も模擬戦ができないわけだからストレスが溜まらないはずがない。これは実験前から想定していたことだがな。いつくかの改善点を見付け出すことができたことは評価できる。あとは来週行う最終試験を残すのみだ」
新しい遠征艇がほぼ完成し、あとはエンジンを載せるだけになっている。
その遠征艇の居住区のモックアップ(外見を実物そっくりに似せて作られた実物大の模型)を造ってそこで隊員たちを生活させることをツグミは訓練の一貫として提案をしていたのだった。
忍田が言ったように参加者の半分が遠征未経験者であり、閉鎖空間での生活に適応できなければ遠征に参加させることは不可能。
多少問題はあったようだが改善は可能なようで、落伍者もいなかったとのことである。
「それでここにわたしを連れて来た理由は何でしょうか?」
「ああ、それな。おまえは男4人と一緒に40日を超える長旅を無事に終えた。そのノウハウをこの遠征に役立てたいと思う。そこでまずはこれまでの遠征メンバーの様子を見てもらってからその感想と改善点を教えてくれ」
「わかりました。ご要望とあらばいくらでも」
「すまないな。じゃ、こっちのモニタールームへ来てくれ」
ツグミは忍田に案内されてモニタールームへと入った。
そこには8つのカメラで作戦室・談話室・食堂を兼ねた多目的ルーム、工作室、医務室、そして隊員たちの居住室の4室の様子をモニタリングしている。
居住室は全部で6室なのだが、さすがに女子部屋にカメラをつけるのは問題がある。
さらになぜか居住室のひと部屋は使用されなかったらしい。
現在はすべて使用されていないので、無人の各部屋が映っているだけである。
「さて、初日の分から主要なところを抜粋したVTRがあるからそれを見てもらおうか」
忍田はコントロールパネルを操作して映像を出した。
するとメインモニターに参加する隊員たちがモックアップに入室するところが映る。
「まずはそれぞれの居住室に荷物を持って入ってもらうところからだ」
各隊員が私物を入れて持ち込んだスーツケースは全部同じサイズのもので、各自ひとつずつのようである。
「持ち込める量が限られているからな、全員平等に同じサイズのスーツケースをこちらで用意して使わせている。その中で女子隊員たちからいろいろと苦情があったものだからドライヤーなど共同で使うことのできるものは月見に頼んで別途用意してもらった」
「そうなるでしょうね。わたしの場合は期間が長い上に全部自分で使うものを用意しましたからスーツケースの他にダンボール箱2つ分持ち込みました。まあ、その中にはみんなで使うゲームや現地で情報収集をするために機材もありましたけど。…ところで参加者の部屋割りと内部の平面図がありましたら見せてください」
「ああ。…これだ」
忍田はツグミにA4サイズの冊子を手渡した。
その表紙を見たとたん、ツグミは苦笑してしまう。
「もしかしてこの冊子の作成って本部長でしょ?」
「そうだが、何でわかったんだ?」
「だって『遠征のしおり』って、まるで一昔前の遠足や修学旅行で持ち物や注意事項などが書かれていた冊子みたいなんですもの。このセンスって本部長でなければ東さんくらいですよ」
「何かおかしいか?」
「いえ、らしいなと思っただけです。…なるほど、モニタリングしている部屋以外に食料などを保管する倉庫、シャワールーム、男子用トイレ5つの内2つが個室、女子トイレは2つ、工作室の横にある小部屋は…救出したC級たちをキューブ化するための装置と保管庫ですか」
「ああ、そうだ。居住室は基本5人部屋で、全部で6部屋ある」
「え? それだと数が足りないような…」
「先月の中旬に黒江のおじいさんが入院して、容態がよくないということで彼女は遠征参加を辞退した。事情が事情だけに仕方がない。もし遠征中に何かあれば本人は一生後悔することにもなりかねないからな。それで加古も一緒に残ることにしたんだ」
「なるほど。あのふたりが抜けると戦力低下は否めませんが、大事なのは守りたいと思う家族です。緊急に募集をしても今からじゃ間に合いませんから残ったメンバーで頑張ってもらうしかありませんね」
「そういうことだ。それで部屋割りなのだが、公平になるように男性隊員はくじ引きにした。もっとも同じ部屋に入れたらトラブルになりそうな面子は入れ替えたが、結果的にこうなった」
忍田は部屋割りが載っているページを開いて見せた。
「えっと…1号室は忍田、寺島、冬島、迅、
ツグミがそう考えるのも無理はない。
各部屋にはリーダーとして相応しい人物を配置していてトラブルが起きないように予防線を張っているし、ヒュースが
「でも1号室はジンさん抜きで行なったということですか?」
「いや、さすがに私や寺島たち
「じゃあ、1号室は誰もいないままだったということですか」
「そうなる。そこは
「まあ、そうですね。…それで居住室の広さは約8畳で二段ベッドが3組。ひとつは下段部分を外してテーブルと椅子が置いてあるんですね。居住室というよりは単純に寝るだけの部屋ってカンジ。それでもこの部屋を6つも用意したんですから
C級隊員の救出のための遠征で遠征艇に彼らを乗せる余裕がないと指摘したのがツグミであった。
そこで一度キューブ状にして艇に積み、本部基地で元に戻せばいいと提案したものが採用されたのである。
「そこを突っ込まれると耳が痛いな。しかしキューブ化して運ぶというのはいいアイデアだ。そこで遠征部隊のメンバーをキューブ化してはどうかと考えた。そうすれば狭い艇内でも問題がないだろうと…」
「でもできなかった。実際にキューブ化されたわたしだから断言できます。キューブを解除されて人型に戻った時に記憶の混乱や体調が万全でなかったのですから、1週間もキューブになっていた状態では即戦闘というわけにはいきません。復路なら構わないでしょうけど往路では使えませんよ」
「そのとおりだ。記憶の混乱はまだしも体調不良のまま戦わせる、いや敵地に潜入するのも避けなければならない。そうなると全員が戦闘可能な状態になるまで時間がかかりアフトクラトルでの滞在時間が増えてリスクが高まる。だから狭い艇内でも我慢してもらうしかないんだ」
「仕方がありませんね。もし
ツグミがそう言うと、忍田はじっと彼女の顔を見て言った。
「早速だが頼みたいことがある。それは後で話すが、先にこっちの方を頼む」
「こっち? …ああ、閉鎖空間滞在実験の方ですね。はい、まずひと通り見てしまいましょうか」
ツグミはモニターに映る様子を見ながら、気になるところは一時停止して忍田に意見を言う。
「食事は半数ずつの2交代制なんですね。30人が一斉に食事をしなければならない理由はありませんし、限りある空間を広く感じたいとなればそうするしかないですものね。このテーブルは折りたたみ式で、使わない時には畳んで部屋の隅に置いておくみたいですね」
「ああ。休憩時間に多目的ルームを使うにも交代制にしている。全員が一斉に揃うのは作戦会議の時くらいだろう。その時は全員立ったままで、壁面をスクリーン代わりにして映像を映すようになっている」
艇の中で最も広い部屋がこの多目的ルームなのだが、同時に大勢の人間が集うことは難しい。
そのために誰でも好きな時間に自由に使用できるというものではなく、それぞれ居住室でひとつのグループとして交代制で時間が決められている。
「ところで隊員たちの1日のスケジュールはどうなっているんですか?」
「それはここに書いてある」
忍田は「しおり」のページをめくって指をさした。
「はあ? 何ですか、これは? 睡眠時間8時間は良いとしても、残る16時間のうち毎朝の健康診断とミーティングと食事以外全部自由時間になっているじゃないですか!」
ツグミが大げさに驚いて言う。
「仕方がないだろう。狭い遠征艇の中でできることは限られているし、訓練や巡回任務ができないのだからな。そこで学校側から登校できない分のテキストを配布してもらってこの期間中にやってもらうことにしている」
「それがない大学生や社会人は何をするんですか?」
「各自で判断してもらうしかない。だから人によっては好きな本を持ち込んで読書三昧だったり、B級ランク戦のログを全部見て戦術の研究をしているとか…いろいろだ」
ツグミは多目的ルームと居住室のVTRを見比べながら難しい顔をしている。
「やっぱり効率が悪いですね。例えば2号室ですが、このグループでは第一高校の3年の三輪隊長と2年の烏丸隊員のふたりは課題をやっていて残りの3人は大学生以上で特に決まってやることはないようです。高校生ふたりがそれぞれ別の内容のテキストを自習という形でやっていてわからないところを東隊長が教えているようですが、第一高校なら他に出水隊員、米屋隊員、三雲隊長、空閑隊員と4人いるんですから、彼らも一緒に自習をさせればいいと思います。六頴館と星輪だと宇佐美さん、奈良坂隊員、辻隊員、古寺隊員、歌川隊員、菊地原隊員、小南隊員、中学3年の雨取隊員は第一高校グループにでも入ってもらえばそれぞれ東隊長だけでなく風間隊長や木崎隊長たちが指導してくれそうです」
「なるほど」
「それに勉強している隊員そばで他の隊員が遊んでいると気が散ってしまうでしょう。もちろん遊ぶ時間はあってもかまわないんですけど、三輪隊長と烏丸隊員が自習している横で太刀川隊員がTVゲームをしているなんてもってのほかです。自由時間の使い方は各自に任されているのなら、多目的ルームの使用も各自に任せたらよかったと思います。一度に多人数が集まってしまったのであれば譲り合うようにして。映画やドラマのDVDを持ち込んで見ている人もいるようですが、同じものを見たい人は他にもいるでしょうし、同室のメンバーでも興味がない人だっています。何号室のメンバーは何時から何時までとルールで縛り付けるのは間違っている気がするんです。本番ではその点を考えて自由時間の使い方を効率良くするべきだと思います。自由時間が自由に選べないなんておかしいでしょ?」
東や風間たちが実際に経験して気付いた改善点についてツグミはVTRを少し見ただけですぐに指摘した。
こういったものは中にいては気付きにくいもので、部外者からの視点の方が見付けやすいものなのだが、彼女の客観的な視点は並の人間を凌駕していると忍田は感じたのだった。
しかしツグミにとってはいとも簡単なことである。
彼女が常に「自分がその立場であったら」という考え方をするために主観的・客観的にものを見ることに慣れているだけなのだ。
その後、ツグミは約120分のVTRを見ながら他にいくつかの改善点を指摘した。
それができたのは彼女が実際にアフトクラトルやキオンへ行ったという経験があるからで、その経験値はアフトクラトル遠征だけでなく今後行われるであろう遠征に大いに役立つだろうと忍田は判断したのだった。
「ありがとう、ツグミ。おまえに聞いて正解だった。自由時間の使い方については東や風間から指摘を受けていたのだが、他の食事の改善点や居住室の居住環境のアップなど誰も気付かなかったからな」
「お役に立てて光栄です。わたしがアフトクラトルやキオンに行くことを
「フッ…そのとおりだ」
「ところでさっき頼みたいことがあると言ってましたけど、そちらは何なんですか?」
「ああ、その話か。おまえに頼みたいのは遠征部隊の最終試験の試験官をやってもらいたいんだが、その時に…」
忍田は自分が考えた試験の内容について説明をした。
「面白そうですね。でも本部長がそんな試験内容を考えるなんてちょっと驚きました。わたしは大賛成です。それで試験日はいつですか?」
「24日の土曜日を予定している」
「わかりました。それまでにいくつか調整したいと思いますので、試験官全員で打ち合わせする時間を作ってもらいたいんですけどいかがでしょうか?」
「それはそうだ。それなら明日の夜におまえたちの寮へ行く」
「つまり本部長の分の夕食も作って用意しておけばいいんですね?」
「そういうことだ。頼んだぞ」
「じゃあ、ダシ巻き玉子もメニューに入れておきますから楽しみにしていてください」
ツグミの作るダシ巻き玉子と聞き、忍田は本部長ではなく父親の顔になって微笑んだ。