ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミにとって今一番重要なのはアフトクラトル遠征を成功させることである。
よって本来の任務とは違う慣れないことをいくつも掛け持ちしなければならないのだが、その中でも苦労して試行錯誤しているのがアフトクラトルの客人、マーナとレクスへの対応だ。
キオンの3人は三門市での生活に慣れているから買い物や調査など単独で行動できるが、マーナとレクスのふたりはまだ誰かが付き添わなければ外出はできない。
ヒュースは玉狛第2としての任務で出かけることがあるし、遠征に参加することになっているのだからその対策会議などへの参加も求められる。
レクスがテオに懐いているのでツグミが留守の時にはテオに子守りを頼んでいるのだが、そのテオ自身が
マーナにとっては見知らぬ土地で親しい女性はツグミひとりしかおらず、特にすることもないから手持ち無沙汰な時間が長くなってしまう。
そこでツグミは彼女たちの居室にテレビを置き、世界遺産が収録されているDVDを見ることができるようにした。
誰であっても美しい風景や人々の珍しい習慣などを見るのは嫌いではないはずで、日本にある自然・文化遺産だけでも20を超えるのだから退屈しのぎになるだろう。
そう考えたのだが、マーナとレクスの反応はツグミの想像以上であった。
アフトクラトルに限らず
キオンのような一年のほとんどが雪に覆われている国の人間にとって常夏の島に咲く色鮮やかな花に惹かれるだろうし、リーベリーのような海洋国家なら標高が8000メートルを超える山頂に雪をいただく山脈など想像もできないだろう。
アフトクラトルはトリオンを効率良く使うために国土の面積を限定し都市部に人口を集中させて、残った部分で農業等の国民を支える産業を行うそうで、
だからこちら側の世界に存在する
そしてただ見ているだけでは満足できず、知識欲の塊となってツグミにありとあらゆる質問をぶつけてくる。
おかげでツグミはより忙しくなったのだが、良い傾向であるとしてふたりに親切に解説をしてやったのだが、その時にレクスが「お父様にも見せてあげたいね」とマーナに言っていたことがツグミの胸に強く響いたのだった。
◆◆◆
日曜日の夕方、約束どおり忍田がツグミたちの住む寮へとやって来て、ツグミは彼を出迎えた。
「いらっしゃい、忍田本部長。お待ちしておりました。
「すまないな」
「いいえ、彼らも快諾してくれましたから気にしないでください。それよりも夕食の時間は一九〇〇時からなので、それまでに打ち合わせを終えてしまわないと他の人たちに迷惑をかけてしまいます。ですから時間内に終わらせましょう。二〇〇〇時からはボーダーの広報番組もありますし」
ツグミは空き部屋をミーティングルーム兼食堂として使用しており、ゼノン、リヌス、テオの3人と迅はそこで待機していた。
忍田との会話にあった
そして畳敷にした6畳の部屋に長テーブルと座布団を人数分並べ、テーブルの上には人数分の資料が置いてあり、壁にはホワイトボードが掛けてあって準備万端である。
忍田が上座に座ると会議は始まった。
「では、アフトクラトル遠征部隊の最終試験内容についての会議を始めます。僭越ではございますが、霧科ツグミが司会を務めさせていただきます」
ツグミはホワイトボードの前に立ち、少々芝居がかった言い方で言う。
「お手元にある資料の1ページ目は試験で使用する予定のマップ『城郭都市・改』の詳細です。これは以前に使用していた『城郭都市』のマップに新たに得た情報を反映させたもので、受験者たちにとってはいくつかの点で未知の部分があります。少々難易度が上がりますが、これくらいは問題ないと思います」
ツグミの言う「城郭都市・改」のマップは彼女が選抜試験や初期の訓練で使用していたマップにアフトクラトルで実際に見聞きした情報とディルクから貰った地図のデータを追加したものである。
実際の戦闘フィールドに近いものを使用しての訓練の方が良いと考えて彼女が「城郭都市」マップを導入したものの、一部の隊員の意見によって彼女が訓練の責任者を辞退したことで以降は使用されていないと思われていた。
しかし東が責任者となって遠征参加者の訓練を行っていた中で、改めて実戦に近い環境でも訓練を望む声が上がって再び使用されていたのだった。
よって受験者には戦い慣れたマップなのだが、そこに「改」として受験者の知らない
もちろんこれはすでに城戸と忍田の許可を得ており、開発室でデータの書き換え作業を進めてもらっている。
「このマップを使用することを前提として、どのような内容の試験にすると良いかというのを相談するのがこの会議です。忌憚のない意見をどんどん出してください」
試験であるから合格・不合格にするポイントが必要だ。
選抜試験で行なったクリア条件は「城郭都市内から脱出して約5000メートル離れた位置に停めてある遠征艇に帰還する」というものであった。
ツグミはこの内容の試験で全員を合格にしたのだが、無闇に
ツグミ自身は城郭都市における戦闘など経験はなかったが、中世ヨーロッパの戦史を学ぶことで知り得た知識から導き出されたもので、同時に
通常のボーダーの戦い方がアフトクラトルという敵地では通用しないことを参加者たちに強く印象付けることになったのは確かで、ツグミたちが
もっとも普段から戦闘体にダメージを受けないように戦っていたツグミなら「これくらいのぬるいルールじゃ物足りない」と言っただろう。
実はこの日の午前中に本部基地で行われた遠征「本隊」の訓練をツグミは見学させてもらっていた。
この特別訓練は閉鎖空間での滞在実験の期間以外は週2回必ず行われていて、個々の隊員の戦闘技術は以前に比べて実戦に対応できるものとして格段にアップしているように見えた。
しかし所詮は手の内を良く知っている
ツグミが見た訓練では「本隊」の20人を10人ずつに攻撃側と防御側に分け「紅白戦」を行っていた。
戦力バランスはほぼ同等に分けてはいるものの、お互いに敵側のメンバーは良く知った仲間であるからどのような
これが実戦でアフトクラトルの兵士と戦うのなら相手の兵装は不明であり、近距離攻撃なのか中距離攻撃なのかによって対応は違ってくるものだ。
こういった点でこの訓練は単なる技術アップの模擬戦でしかない。
もちろんそれは仕方がないことだが、ツグミは選抜試験で「敵側の兵士は全員黒ずくめの衣装で顔もわからない」ようにして個人を特定できなくしたのだが、その時の彼女の考えは理解されていなかったようだ。
たとえ敵が仲間の誰かであってもその
実戦ではその一瞬が命取りになるケースが多いのだから敵に出会ったらまず警戒するという癖をつけるのは必要だ。
それが仲間内の戦いでは得られない経験値だとツグミは考えている。
忍田はツグミの視点と考え方が他の隊員にないものであるとわかっていて、最終試験を
たぶん忍田自身も訓練の様子を見ていてこのままではマズイと判断したのだろう。
そこで試験官としてツグミと迅、そしてゼノン隊の3人に頼むことにした。
ツグミと迅の戦い方は誰もが熟知しているがゼノン隊の3人については限られた人間しかその存在すら知らないのだから、敵側の人間として戦ってもらうにはちょうどいい。
ボーダーのトリガーにはない武器を持っているのも具合がいいのだ。
選抜試験の時とは違って遠征に連れて行くことができないレベルの隊員を排除するためのものであるから、忍田も本気で試験官として「生還できそうにない隊員」に引導を渡さなければいけない。
「ツグミ、質問がある」
ゼノンが手を挙げた。
「質問って何ですか?」
「この試験で何を試すのかまだ聞かされていない。我々と戦って勝つことが目的なのか、全員揃って遠征艇に帰還するのか、もしくは誰かひとりでも遠征艇に帰還できれば良いのか、それによってやり方は違ってくる」
それを聞いてツグミはにやりとした。
「ごめんなさい。遠征の目的が『C級隊員32名を無事に救出し、遠征部隊全員で生還する』ことですから、この試験でも同じようにやろうかと考えていました。つまり全員無事に遠征艇に帰還するのが目的です。ああ、もちろん
「それは選抜試験と同じじゃないのか?」
忍田が口を挟んだ。
「ええ。でも敵側のメンバーは違いますし、一度経験しているシチュエーションですから前回よりも
「換装が解けたら失格とは厳しいな」
「だって他の隊員たちだって生身の人間を守りながら戦えるほどの余力はないはず。それとも生身の姿で遠征艇まで無事に帰還できるというのなら、失格にせずに試験を続行しましょうか?」
「それは…。しかし全員で帰還するといっても
「敵を全員倒してしまえば追ってこられませんよ。…ってさすがにそれは実戦では無理ですから、ちゃんと救済策はあります」
「救済策?」
「はい。でもそれはわたしが考えたC級救出作戦を採用することになれば、です。その作戦案とはこれです」
ツグミはそう言って作戦案のコピーを忍田たちに渡した。
彼女の作戦案とは遠征部隊の本隊が城郭都市に潜入しC級隊員の救出作戦を行うことはそのままなのだが、すべてが滞りなく進むとは考えにくいので、別働隊を動かしてその時の状況に応じてC級隊員の捜索・救助・陽動を行おうというものである。
その別働隊とはツグミとゼノン隊の3人のことで、ディルクと連携をとることで一層効果を生み出すことができるだろう。
「なにしろディルクさんはマーナさんとレクスくんをボーダーに人質に取られていて、ボーダーに協力しないと人質を殺されてしまいますから身を切られる思いでベルティストン家を裏切ってしまうことになります。嫌々ながらボーダーに従うのも家族の命を握られていたら仕方がないですよね」
ツグミはそう言って笑う。
もちろん人質うんぬんは対外的なもので、ボーダーの遠征部隊とハイレインたちが戦うことになれば間違いなくディルクは駆り出される。
その時にハイレインにマーナとレクスを人質に取られて無理やり戦わされたり、
ボーダーで保護していればハイレインの手は及ばないし、ディルクがボーダーと戦うことになっても家族が人質にされているとなれば積極的に戦えないのだと誤魔化すこともできるだろう。
ツグミは城戸や忍田の依頼があればすぐに動けるよう準備をしており、まずはこの別働隊作戦の提案を忍田にしたのである。
「この別働隊の案はいいと思う。しかし遠征部隊のメンバーに内緒にしておく必要はないんじゃないか? むしろ共闘できるようにした方がいいと思うんだが」
忍田が素朴な疑問を口にする。
たしかに戦闘力の高い
しかしツグミには別の考えがあるようである。
「今はまだ別働隊のことを知らせないでおいた方がいいとわたしは判断しました。理由はいくつかありますが、一番の理由は
それに彼ほどではなくても
だからゼノンたちには陰から力を貸してもらうに留めることにしている。
「もし後でバレたとしても本人が悔しいと思うだけで、任務が成功さえすればそれで十分。わたしは恨まれるでしょうけど別に気にしません。だからこの別働隊案が採用されてもされなくてもゼノン隊長たちのことは可能な限り内緒にしておきます。この時期に波風立てたくはないでしょ、本部長?」
「ああ。おまえの言い分はもっともだな。この別働隊案に私は賛成だ。城戸さんも反対する理由がないのだから、内容もこのままで決行することになると思う」
「ではこの別働隊案を採用すると仮定して話を進めますね。そうなると遠征部隊本隊はハイレイン配下の兵士たちを全員倒さなければならないということにはならず、別働隊が陽動で騒ぎを起こしますから本隊メンバーはその騒ぎに乗じて脱出すればも比較的楽に退避できると思います。ですから試験では…例えば試験時間を150分としてそのうちの120分を試験官であるわたしたちは受験者に対して問答無用で攻撃をし、戦闘不能な状態に追い込みます。そしてその間耐え抜くことができたら残りの30分を退避に当ててもらいます。ただ城壁の上にいる
「つまりやることは選抜試験と同じだな」
「はい。内容は数段レベルアップしていますけど。そしてこの試験で不合格になった場合、今度は容赦ない態度で接してもらいますよ。泣きつかれたり誰かさんのフォローによって不合格を取り消しにするなんてことはダメです。実戦に近い試験で不合格ということは、実戦では死ぬかも知れないということと同義ですから」
はっきりと言うツグミに忍田は渋い顔をする。
「相変わらず厳しいな」
「この遠征の目的を考えれば当然です。それに遠征が成功するか失敗するかはボーダーという組織の運営にも大きく影響するわけで、仮に32人のC級を救出できたとしても何人かの犠牲者が出てしまえばそのことでマスコミに大きく叩かれます。今までのようにトリオン兵=
「……」
「いくら装備が拡充されたとはいえ、遠征では三門市防衛よりもはるかに厳しい戦闘になるんですから、それぞれがこの約2ヶ月間で戦闘技術を磨いただけでなく精神も鍛えてきたはずです。今日見た限り成長していることは認めますが、やはりやる気はあっても実力が伴わない隊員がいることは否めません。もっとも頼りになる
「……」
「模擬戦でダメな隊員が実戦でなら戦えるということはまずありません。遠征で死ぬ前に気付いて命拾いするんですから本人にとってもボーダーにとっても良いことではありませんか? 試験で不合格になった隊員がいたとして、その人が努力をしなかったとは言いません。ですが努力は誰もがしていることですし、その努力の結果が一定のレベルに達していないのであればそれは分不相応だということ。これは世の中のあらゆることに通じています。高校や大学の受験がその良い例です。誰もが努力をしても合格する者と不合格の者が出てしまうのは仕方がないことです。むしろこの遠征の試験なら全員合格だってありうるんですから、不合格になるのは単に本人の実力が伴わないとはっきり目に見える形で表れるというもの。まあ、多少学力が足りなくても『ボーダー推薦』という形で楽々進学してしまうようなシステムがあってそれを当然だと思っているようであれば、誰かがなんとかしてくれると甘く考えてしまうのも無理はないかも知れませんね」
「……」
「別にボーダー推薦の進学を否定しているわけじゃありませんよ。任務と学業を両立するのは非常に難しいことはわたし自身が一番わかっているつもりです。ただ身の丈にあった生き方をすべきであり、それが高校や大学というものであれば本人が苦労するだけで済みます。ですが遠征で身の丈に合わないことをしようとすればそれはすなわち自分の死や仲間の犠牲を生み出すことにもなりかねないということ。慎重に判断しなければならないものだと言いたいだけです。わたしの考え方が厳しすぎるというのであれば、本部長が判断して合否を決めたらいかがでしょうか? わたしはあなたに意見を求められたので自身の考えを述べただけで決定権はありません。すべては遠征計画の責任者である忍田本部長にあるのですよ」
「ああ、責任者は私だ。…わかった、試験内容は納得できるものであり、異議を唱える部分もない。他に意見のある者がいなければこの内容で進め、これからは個々の担当について話をしよう。意見のある者はいないか?」
その場にいた全員が無言で「異議なし」と答えたのだった。