ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
[受験者のみなさん、ぼくは遠征艇防衛班の三雲です! 遠征艇はみなさんのいる場所の真南約950メートルの位置に停まっている設定です。これから千佳が試験官を一掃するために真北に向けてアイビスを撃ちます。そうなると試験官だけでなくその手前にいるみなさんを巻き込んでしまいますが、生身の身体になった状態でここまで走ってください。試験官が復帰するまで約120秒かかりますが、それまでにはみなさんも遠征艇に到着できるはずです。接近した試験官へはぼくたちが銃で応戦しますので、その間に一刻も早く遠征艇の中へ避難してください]
すべての受験者が遠征艇からの援護があるという話は聞いていなかったものだから、この修からの通信には驚くと共に大きな期待を抱いた。
直接見たのではないが千佳がノーマルな弾で人を撃てるようになったという話は耳にしていたし、精密狙撃を必要としないことだからたぶん大丈夫だろうと考えたのだ。
狙撃によって遠征艇の場所が敵に知られてしまっても襲撃をかけるまでタイムラグが生じることになり、その間に全員を回収して
東は受験者全員に通信で呼びかけた。
[今の三雲くんからの通信は聞いたな? レーダーで遠征艇と現在地の位置関係はわかると思う。雨取のアイビスは真北に向かって撃つということだから、換装の解けた者はその射線上に乗らないよう東西に分かれて走れ。戦闘体を維持している者はあまり露骨に動くと計画が試験官側にバレる恐れがあるから無理に射線から外れようとはせずにこのまま真っ直ぐ走ってくれ。狙撃に巻き込まれたとしても換装が解けて生身の身体に戻るだけで、残りの力を振り絞って遠征艇まで走れはいい。換装の解けた者は絶対に巻き込まれるな。気を失って倒れた者を担いで遠征艇まで行く余裕はないからな]
さすがの太刀川も迅との決着がついていないとしても東の指示に従うしかない。
迅の追撃を振り切って東たちのように遠征艇に向かって全速力で走り出した。
そしてしばらくすると再度修からの通信が入った。
[10秒前のカウントダウンを始めます! 10秒前、9、8…]
修は自分の隣でアイビスを構えている千佳の顔をチラリと見た。
真剣な目で
修はこれまで千佳が
もし不安で指が震えているようであれば励まそうと思っていた修だが、千佳の方が自分よりもずっと肝が据わっているように見えた。
ここで撃つことができたら自分がボーダー隊員として仲間と一緒に戦えると千佳本人が言い出したことで、本来なら彼女が一番緊張しているはずなのに、関係のない修の方が手に汗をかいて震えている。
今の彼にできることは千佳のためにカウントダウンをすることだけしかないようだ。
[…3、2、1…
修の合図に合わせて千佳は引き金を引いた。
すると凄まじい音を立てて障害となる木々を吹き飛ばしながら、真っ直ぐに砲弾は飛んで行く。
そしてその眩いトリオンエネルギーの塊は東たち5人の受験者と6人の試験官に直撃し、全員の戦闘体は一瞬にして砕け散った。
その背後にいたバムスターの1匹が吹き飛んだが、そんなものはこの試験の結果にはほとんど影響はない。
試験官たちは
換装の解けていた14人はアイビスの射線から外れていたので全員無事である。
つまり千佳のアイビスによる試験官一掃作戦は成功したのだ!
[みなさん、今のうちに遠征艇まで走ってください!]
修からの一斉通信が入った。
[試験官は120秒後にこの遠征艇のすぐそばに姿を現すはずです。ぼくと千佳のふたりで援護をしますが気休め程度だと思ってください]
受験者たちと遠征艇の距離は直線にして約500メートル。
森の中を抜けるのだが千佳のアイビスで障害となるものは約3メートルの幅ですべてなぎ払ってしまっているから走るのはそう難しくないし、120秒もあれば十分に間に合うだろう。
それで最悪の場合には修と千佳が遠征艇から試験官たちを攻撃し、受験者たちの避難を援護することになる。
修は通信を終えると千佳を労った。
「千佳、よくやったな」
「うん。十分とは言えないけどこれで
嬉しそうに言う千佳に対し、修の表情は重く沈んでいる。
「千佳は偉いな…」
「え?」
「ぼくはまだ両親に必ず無事に帰って来るって自信持って言えない。ぼくは2ヶ月前と比べても全然成長していないから」
「そんなことはないと思うよ」
「いや、ぼく自身がそう思うんだから間違いない。このままじゃダメだって思うんだけど、何をどうすればいいのかわからないんだ」
俯く修に千佳は言う。
「修くん、わたしもどうしたらいいのか一緒に考えるよ。だから今は今やるべきことをやろうよ」
「今やるべきこと?」
「うん。ほら、あそこ見て。遊真くんが先頭になってみんなで走って来るよ」
千佳の指さす先に受験者19人全員が全力で走って近付いて来ていて、それを見た彼女はアイビスを
「それは…!?」
「これ、今のわたしなら使う資格があるってツグミさんがくれたの。これまでの普通のライトニングに
鳩原の密航事件後に完成したが、使用者がいないためにずっとお蔵入りになっていた
その存在は依頼者のツグミと製作者の寺島と鬼怒田の3人だけで、千佳の問題がなければずっと封印されていたままであったかもしれない。
千佳の「撃てない」問題が発覚した時にツグミがこのライトニングの存在を教えることは簡単だった。
しかしそれでは問題を解決しないと考えたツグミはあえて教えず、自分の力で解決するよう促した。
そしてユズルの協力で
おかげで人間を撃たなくてはならない時にはライトニングで
その後の遠征に向けての特別訓練では通常のライトニングによる
そもそも
いくら速度重視のライトニングでも
だからこそノーマルな弾で人を撃てるようにとツグミは訓練を促したのだった。
ツグミが
それまで千佳は自分にできる精一杯の努力をして訓練を重ねたのだろうが、結果が伴わなかったのは本人にとってとても悔しいことだったに違いない。
生来一度やると決めたことに対しては決して挫けずやり通す性格の千佳だから、このままではダメだと感じて一念発起してとうとうやり遂げたのである。
人を撃つことができるようになって遠征に参加する他のメンバーに一緒に戦う仲間として認めてもらいたいという一心が彼女を変えたのだ。
そして千佳の努力と結果に満足したツグミは
これは人を撃ちたくないからと言って
これまでの情報を総合するとアフトクラトルの人型
ライトニングの威力と射程を削って弾速に回しているため、弾速をノーマルの弾を撃った時とほぼ同じレベルにまで引き上げている。
射程も
なお
遠征艇の出入り口は1ヶ所しかなく、地面から15段ほどのタラップを上ったところにあるのだが、そのタラップの幅がひとり分しかないので、19人全員が乗り込むには少々時間がかかってしまう。
今の受験者は全員が生身の身体になっていて攻撃も防御もできないタダの民間人と同じ状態だ。
その間に試験官が復帰して攻撃をしてくるだろうから、その攻撃から受験者を守るのが千佳と修の役目である。
修はそのトリオン能力の低さに問題があるのだが、千佳のそばにいれば自動的に彼女からトリオンを補充することができるため簡易トリオン銃・ターミガンは撃ち放題となり、おまけに本来のトリガーの使用も可能だから
トリオン値2の修でも
その結果を見せられるかどうかは修自身の気持ちにかかっている。
(千佳が成功のための引き金を引いたんだ、ぼくがそれを無駄にするようなことになればぼくがここにいる意味はない。無様な姿を見せてなるものか!)
遠征艇の出入り口の横には鉄砲狭間のような穴があり、そこから銃型トリガーの銃身を出して外にいる敵を撃つことができるようになっている。
本来は非戦闘員がターミガンを撃つ必要に迫られた時のみ使用するものだが、今こそがその必要に迫られた状況なのだ。
出入り口のドアが開け放たれ、下ろされたタラップを一番に駆け上ってきたのは遊真だった。
「空閑!」 「遊真くん!」
「よう、オサム、チカ、ふたりのおかげで助かったぜ」
チームメイトとの久々の再会を喜んでいる暇もなく、続いて小南、風間、米屋という順でタラップを上がってくる。
生身の身体であっても比較的機動力のポイントの高い者が早いようで、次々に受験者たちが帰還していった。
しかしレイジ、奈良坂、古寺、そして東の4人がなかなか戻って来ない。
どうやら奈良坂と古寺がバムスターに食われそうになった時に足をくじいてしまったようで、移動速度が落ちたふたりをレイジと東が背負ったり肩を貸したりしていて遅くなってしまったようだ。
それでもなんとか遠征艇のすぐそばまでたどり着くことができたのだが、とうとうタイムオーバーともいうべき120秒が経って試験官たちが遠征艇から30メートルほど離れたところに登場したタイミングで4人の先頭の古寺がやっとタラップに手を掛けた。
「千佳、いくぞ!」
「わかった!」
4人が全員遠征艇の中に入ってドアを閉めてから10秒後に
遠征艇の外壁はボーダー本部基地並みの強度があるから、数人のトリガー使いの攻撃程度では破壊されることはないが、イルガーのようなトリオン兵の攻撃を受ければダメージを受けることになる。
よって実戦であっても全員収容して敵の総攻撃の前に
その発進までのわずかな時間稼ぎのために修と千佳はそれぞれの
修はターミガンを鉄砲狭間から撃つ。
それは彼自身の
試験官たちは攻撃をしようとしてもシールドは展開しながらになるので、決定的な効果は出なくても試験官側の攻撃の威力と幅を減らすことができる。
千佳は
ツグミは千佳の狙撃が
バランスを崩した彼女はとっさに左手で弧月を抜いて右腕を肩から切り落とした。
その様子を見た試験官たちは「
その間に古寺が遠征艇の中に入り、タラップの中央付近を上っていた奈良坂が重い足を一歩踏み出した瞬間、忍田の旋空弧月が遠征艇とタラップの繋ぎ目を切り離してしまった。
すると奈良坂と彼を支えていたレイジが上っていたタラップが落ち、ふたりが2メートルくらいの高さから落下してしまう。
上手い具合に着地して怪我はせずに済んだようだが、東を含めて3人が地上に残されてしまった。
このままだとこの3人は遠征艇内へ入ることができずに
出入り口付近にいた受験者たちは手を伸ばそうとしたが間に合わなかったもので、落ちてしまったふたりを見下ろすだけだ。
遠征艇に縄梯子やそれに類似するものはなく、生身の身体では4メートル近い高さにある出入り口までジャンプすることもできはしない。
地上の3人を見捨てて遠征艇のドアを閉めてしまえばレイジ、東、奈良坂以外の16人の受験者は合格と認められるが、3人は不合格となって遠征には参加できないことになる。
見捨てることはできないといっても地上の3人を遠征艇内へと引き上げる手段はなく、早くドアを閉めて逃げなければいずれ試験官たちによって遠征艇が乗っ取られてしまう恐れもあるわけで、早く
切羽詰まった状態でありそれも短時間で決断しなければならないのは非常に難しい。
これは試験のための模擬戦であるから判断を間違えてしまったとしても誰かが死傷するようなことはないが、もし実戦であったらどのような犠牲が生じるかわからない重要な選択の場面である。
特にアフトクラトルでこの状況になった場合、C級隊員の救出どころではなくなってしまい、ボーダーの主要戦力が捕虜になるだけでなく千佳は間違いなく次期「神」とされるだろう。
いつまで経っても帰還しない遠征部隊を三門市で待つ方も状況がわからないのであれば追加の遠征部隊を出すこともできないわけで、このボーダー創設以降初めての大規模な遠征は失敗となって市民からの信頼を失い厳しい追及を受けることとなる。
これがアフトクラトル遠征の中で起きたことの最終判断は引率責任者の忍田が決定するが必ずしも彼が判断をできる状況にあるとは限らず、本隊のリーダーである東がその代わりを務めなければならない場合もありうるのだ。
そして今がまさにその瞬間で、受験者たちは東の判断を待っていた。
東は顔を上げて遠征艇の中にいる受験者たちに呼びかけた。
「俺たちを残して行け! おまえたちだけでも遠征へ行くんだ!」
その場にいた東以外の受験者すべての動きと表情が凍りついた。