ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「時間も迫ってきておりますので以上で記者会見を終わらせていただきますが、最後に城戸司令から市民のみなさんに向けてひと言お願いしたいと思います」
根付に促され、城戸が自分の席で立ち上がると滔々と演説を始めた。
「今回の
城戸の口から「私の子供たち」という言葉が出たことで、観衆は目を見張った。
その言葉には聞いた者たちから好印象を得ようという打算はなく、心からボーダーに集う若者たちを自分の子供のように思っているから出たのだと悟ったからである。
そして彼の姿からは「やると言ったことは必ずやる」というオーラが漂っていて、下手に手出しをすれば社会的に抹殺されるだろうと背筋に寒気を覚えた記者たちもいた。
テレビの画面越しに城戸の覚悟を見せられた市民たちも同様に彼の覚悟を感じていただろう。
「市民のみなさん、ここにいる若者たちはいずれあなた方の家族、友人を奪った
城戸は自分の気持ちを言い終えると深々とお辞儀をした。
遠征に参加する若者たちはその立場や職種に関わらず自分にできることを精一杯やろうとひとりひとりが自分で考えて行動をすることを覚えた。
ならば大人たちも同様に自分の役目を全力で果たさなければいけない。
そして城戸はボーダーという組織を維持し、戦う若者たちと彼らが帰る場所を守ることが「自分にしかできないこと」だという結論に達したのだった。
これまでの彼は「
これまではそれで良かったのかもしれないが、敵性
ここ数ヶ月の流れですべての
市民の中には自分の辛い気持ちを
遠征に参加する防衛隊員はアフトクラトルへ戦争をしに行くのではなく、C級隊員を救出するためであるからできるかぎり戦闘は避けることを原則としている。
だから戦わずに済むのが最善の道なのだが、帰還して遺族から「おまえたちは何人
疲れ果てている状態で「あれだけ派手に遠征に行くと宣伝していて、ひとりも
ならば普通の人間であったらどれほど傷付くことだろうか。
第一次
憎しみや恨みの念を捨てて楽になりたいと思いつつも、
自分の家族や友人という大切な存在を奪った
しかしツグミは誰かに
ただ自分がそうしたいからやっているというのであり、そんな彼女に惹かれて心を開く
城戸もそのひとりであるから、彼もボーダー隊員・職員や一般市民に
ただかつての「
人の心はその人自身のもので他人に強制されるものではないのだから、城戸はボーダーの人間だけでなく市民に対しても彼らの思想について強制するつもりはない。
ただし遠征に行く隊員たちに
テレビ画面越しに城戸の様子を見ていたツグミは彼の変容に驚き、同時に喜びの笑みを浮かべていた。
(城戸さん…表情が前よりもずっと穏やかになってきた気がする。今度の遠征はこれまでのボーダー活動の大きなターニングポイントになるもので、本来ならもっとピリピリしていてもよさそうなものなのに落ち着いていて、何も不安はないといったカンジ。遠征に参加するメンバーだけでなく三門市に残る隊員たち、それに別働隊として動くゼノン隊の人たちのことも信頼していて、遠征が成功するって信じてくれているんだ)
迅の
C級隊員32人を全員救出するのは当然のことで、参加メンバーにひとりでも犠牲者が出るようなことになれば反ボーダーを掲げる組織に叩かれるのは必至。
それでも不安はないというのだから、城戸は遠征の成功を心から信じているのだろう。
今の彼にとってできることが信じることであり、総司令官が自分たちのことを信頼しているのならその期待に応えなければいけないと参加メンバーも気合を入れ直すというもの。
「自分のできることを精一杯やって遠征を成功させよう」という考え方は「One for All. All for One」のラグビーの精神論に当てはまるもので、舞台袖で城戸の様子を見ていた唐沢がニヤニヤしているだろうなとツグミは想像していた。
(たぶんこの記者会見を最後まで見てくれた人はボーダーに対して好印象を抱いたと思う。市民を騙していることは事実だけど、彼らが満足する結果さえ出せば文句は言えない。嘘がバレた時、その時に生じた不信感をはるかに上回る実績を残すためには何が何でもこの遠征を成功させなければならないと思っていろいろ工作してきたけど、そのどれもが上手い具合に回っている。これでこちら側の世界での下準備は完了。明後日の出発に間に合って良かった…)
アフトクラトル遠征計画における様々な「仕込み」は無事に期限内に終わったようである。
残りは
翌日の
なにしろ今の彼女にはそれが「自分のできること」なのだから。
◆◆◆
翌日、ツグミはゼノン、リヌス、テオ、マーナ、レクス、ヒュース、そして迅と一緒に「Mutsuai Marine Kingdom」へと向かった。
ここは以前にリヌスとふたりだけで楽しんだ場所で、いつかゼノンたちも連れて来たいと考えていた。
時間が1日しかないのでこの大規模な海洋レジャー施設全部を回ることはできないが、キオン同様に海のないアフトクラトルに住むレクスに海の生物を見せてあげたいということで、今回も水族館エリアを中心に回ることにしている。
前回は週末で混雑していたが、この日は月曜日なので客はまばらだ。
太平洋エリアの大水槽を目指して暗い館内を歩いていて急に目の前が青い世界になるとレクスは歓声を上げた。
「うわぁ…!?」
幅約20メートル、高さ約10メートルという巨大な水槽を前にして、レクスはその中で泳いでいるたくさんの魚たちに目が釘付けになってしまった。
三門市で暮らすようになってからのレクスはテレビに夢中になり、その中で次々と現れる美しい風景や珍しい風物などに興味を持っていた。
特に海という未知の世界に惹かれる彼にとってそこに生きる海洋生物の生態を知ることが将来に役に立つと考えたツグミは彼を水族館へと連れて来たのだった。
(誰だって生まれて初めて水族館の魚たちを見た時って興奮するわよね…。わたしは6歳の時に両親に連れられてここに来た。…そういえばあの時のお父さんはわたし以上に喜んでいたっけ。お母さんもそんなお父さんのことを微笑ましそうに見ていた。今になって考えてみれば、お父さんは
ツグミははしゃぐレクスの姿を見ながら自分の幼き日の出来事を思い出していた。
両親との想い出はずっと心の奥底に封印していたのだが、自分の出生の秘密を知ったことをきっかけに楽しいことだけは思い出すようになった。
自分をこの世に生み出してくれた織羽と美琴の存在から目を背けていること自体が不自然で、両親のことを思い出すことで育ての親である忍田への愛情が減るということでもない。
そう考えることで彼女は「血のつながりがなくても強い絆で結ばれている家族」への執着から解放され、一生会うことのできない相手であっても自分が忘れさえしなければ心の中でいつでも会えるという安心感が芽生えたことで「失うことへの恐怖」が薄らいできた。
だからといって死を恐れなくなったのではなく、織羽と美琴の分も生きなければないけないという使命を与えられた気になり、むしろこれまでよりも生に対して貪欲になってきている。
ひとりで3人分の人生を生きようと考えているからなのだが、それが周囲の目には生き急いでいるように見えて身体を壊さないか心配になってしまうのだ。
もちろん人一倍健康には気を遣っているから心配はいらないのだが、それでも
ひとまずアフトクラトル遠征が無事に終わったら強制的にでもツグミに休養を与えようと城戸は考えていて「エウクラートンの女王の件」について先送りさせようと画策している。
ツグミはそんなこと露知らず、修のように「自分がそうするべきだと思ってるから」と自身の行動に自信と責任をもって走り回っているのだが。
◆◆◆
イルカのショーや遊覧船、遊園地のアトラクションなど丸一日かけて堪能したツグミたちは深夜になってから三門市に帰って来た。
別働隊の出発は翌朝だというのに、ツグミはギリギリまでレクスとマーナを喜ばそうと全力を尽くした。
それはこのふたりの友人に楽しんでもらいたいという気持ちと、大切な家族を託してくれたディルクに対しての感謝の気持ちなのである。
その甲斐もあってレクスは今までの中で最も魅力的な8歳の子供らしい笑顔を見せてくれて、その様子を何枚も写真に撮ってあるのでディルクにも見せてあげることができるはずだ。
この親子が三門市に来てから半月、見知らぬ土地でいろいろ戸惑うこともあっただろうがレクスの順応性には目を見張るものがあり、女装をして周囲から奇異の目で見られて消極的だった頃に比べると別人かのように快活で年齢以上に聡明な少年に姿を変えていた。
今の姿を見れば誰でもエリン家の次期当主として相応しい青年に育つと言うだろう。
レクスは女性のひらひらとしたドレスが魅力的に見えて自分も着てみたかっただけで、性同一障害があるわけではない。
そんな彼を家族や使用人以外の大人や友達から変人扱いされて避けられるようになってしまい、屋敷の中で引きこもっている日々が続いていた。
そこにツグミや迅、ゼノンたちが現れて、誰もレクスのことを否定せず家族と同じように受け入れてくれたから本来の彼に戻っただけなのだ。
元々レクスは父親であるディルクに似て貴族らしい振る舞いや考え方を持っており、容姿は母親のマーナそっくりで愛らしい少年だ。
家族や使用人たちに愛されて自由に育った彼に周囲の人間が「当たり前」を強制しただけで彼の本質は全然変わっていないのだが、
それが見た目にも変化を及ぼし、ディルクが彼の今の姿を見ればツグミたちに彼とマーナを預けたことが正しいことであったと心から思うだろう。
そうなればボーダーのアフトクラトル遠征も心強い協力者を得たことになり、ツグミたち別働隊の仕事もやりやすくなり、最終的にはC級隊員救出の成功にも繋がるはずなのだ。
ツグミは深夜にも関わらず昼間撮影した写真を紙焼きしてそれをアルバムに整理していた。
ディルクに見せるには紙焼きにしたものを渡すのが最適で、ボーダーの遠征が終わったからといってすぐにマーナとレクスに会うことができるというわけではないので、しばらくの間は写真を心の拠り所にしてもらうしかない。
しかしボーダーの総力を挙げてディルクを守ることがヒュースとの約束であるから、そう遠くない未来に
そしてアルバムを完成させるとそれをスーツケースの中に入れた。
そこには他にも想いを同じくする家族や友人たちから預かった大切なものがいくつも収められていて、それらがあるとないとでは遠征の成功の確率も大きく変わることになるとツグミは考えている。
レクス、マーナ、ヒュース…彼らの利益がボーダーにとっての利益というわけではない。
ただ遠征を成功させることによって彼らの願いが叶うために一歩前進するのは間違いなく、そのためにボーダーに協力をしてくれているのだから、彼らのためにできる限り尽力しなければ信頼は得られない。
だからこそツグミはこれまで時間をかけていくつも紡いできた絆を最大限に利用させてもらうつもりでいて、城戸からも重要な役目を命じられている。
「ボーダーの最高司令官としてできるのは、社会的に無力である
(城戸さん、あなたが『私の子供たち』と呼ぶ
城戸から預かった「親書」が入っていることを確認すると、ツグミはスーツケースにロックをして玄関まで運んで行く。
そして目覚まし時計が午前5時に鳴ることを確認してから眠りに就いた。
◆◆◆
翌朝6時、ツグミとゼノン、リヌス、テオの4人は親しい者たちに見送られて
前回の旅では「対話」による問題の解決に努めてきたが、今回の旅ではハイレインたちとの戦闘は避けられないものとなるだろう。
少なくとも遠征部隊の本隊が到着するまで別働隊はその存在を知られてはならないので、すべての行動を水面下で行わなければならないから危険なことにはならないはずなのだが、それでも安全であるとは断言できない。
むしろトリガーを使っての戦闘よりも諜報活動の方が難しく危険であるかもしれない。
いくらベテラン揃いのゼノン隊と行動を共にするといってもツグミ自身は諜報活動の素人である。
それでも忍田たちが彼女送り出すというのはゼノンたちのことを信頼しているからで、あの城戸が
そこに「
そんな城戸の顔を見て、ツグミは彼の眉間のシワが少しだけ薄くなってきたような気がした。
これまで見送るのも見送られるのも嫌いだと言っていた彼女が城戸のわずかな表情の変化を見付けることができるほど心に余裕が出てきたのは喜ばしいことだ。
それもこれが「永遠の別離」ではないという絶対的な自信が持てるようになったからだろう。
自分が無力な子供だったせいで遠征に連れて行ってもらえず、思わぬ形で最上たちと今生の別れとなってしまった後悔を繰り返さないと誓った5年半前と比べて、彼女がトリガー使いとしてだけでなく精神的にも大きく成長した証拠なのだ。
「忍田本部長、ジンさん、ヒュース、アフトクラトルでお会いしましょう。城戸司令、林藤支部長、
ツグミがそう言い残すとゼノンは
そしてその約30分後、三門軟石の採掘場跡に停めてあった遠征艇が人知れず