ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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308話

 

 

三門市を発って9日目の夜、ツグミたちはアフトクラトルに到着した。

(ゲート)を抜けると真っ暗で何も見えない森の中であるが、前回の訪問の際にディルクから指定された場所であることは間違いない。

ここはベルティストン家の城下から南西に6000メートルほど離れた深い森の中で、このすぐそばにはエリン家の狩猟小屋がある。

現在は猟期ではないので使用されてはおらず、近付く者もいない。

ここを別働隊の前線基地にするというのではなく、いざという時に使用するための機材や道具をここで保管するのだ。

もちろん遠征部隊本隊のメンバーでこのことを知っているのは忍田と迅のふたりだけ。

そして荷下ろしと設置が終わったらすぐに退散することになっている。

再び(ゲート)を開くと今度は狩猟小屋から約2000メートル東の位置の森の中に艇を停め、翌朝のまだ陽が昇らないうちに徒歩で城郭都市の南門へと向かうことにした。

 

 

ツグミたちが南門に到着した時にはまだ深い霧が立ち込めていて、巨大な城郭都市もすぐ近くまで行かなければ見えないほど周囲は真っ白な世界となっていた。

この時期は夜から朝にかけて深い霧が立ち込めるらしく、ツグミやリヌスのような強化視覚の能力があっても視界が遮られてしまうためにその力を発揮できない。

しかしトリオン反応さえ察知されないようにしておけば敵に見付からずに接近できるという有利な面もあるから、この霧を利用しない手はないだろう。

 

(アフトクラトルはトリオンとトリガーに関してはボーダーよりもはるかにハイレベルの知識や技術を持っている。でも逆に考えればトリオンを使用しない技術ならこちらの方が上。ならば玄界(ミデン)の最新技術で奴らをトリオンを使わない戦いに引きずり込んで叩きのめしてやるわよ!)

 

第一次近界民(ネイバー)侵攻を含めてこれまでの近界民(ネイバー)との戦いはボーダー側が不利な状況で戦わざるをえなかった。

なにしろトリオンによって造られたものは玄界(ミデン)の通常兵器では手も足も出ず、対抗するには同様にトリオン由来の武器である「トリガー」を使うしかない。

しかし戦争とは武力を用いた直接的な戦闘以外にもいろいろな戦い方がある。

ツグミたち別働隊が行おうとしているのは遠征部隊本隊の作戦行動がスムーズに進むようにお膳立てするものであり、ベルティストン家と直接戦闘に及ぶことはなく、諜報や調略といった水面下での工作であるから武器(トリガー)を使用することもまずない。

そこでトリオンを使用していない機材や武器を使うことで敵に察知されずに作戦を遂行できるのだ。

別働隊4人が背負っている荷物の中には近界(ネイバーフッド)にはない技術によって造られた()()()()()()()が含まれていた。

城戸が「戦争でも始めるのか?」と訊いたくらいの物騒なものだが、使用方法を間違わなければ危険はない。

 

 

南門の前で立哨していたのはツグミが初めてやって来た時と同じタルサとカトゥスだった。

このふたりとは何度も顔を合わせているから顔馴染みと言ってもいいのだが、今のツグミは以前の顔とは違うものになっている。

前回の訪問の時に市場でハイレインとランバネインの兄弟と顔を合わせてしまっていたので、同じ顔で街の中をフラフラと出歩くわけにはいかない。

あの時のツグミは別の村に住んでいて知人の見舞いに来たパメラという名前の既婚者という設定であった。

そうなると再び顔を合わせた時に不都合が生じるために帰還した際に寺島に頼んで顔を新しいものに変えてもらったのだった。

今度は銀髪で緑色の瞳をしている15-6歳くらいの少女で、胸にはエリン家の紋章の入ったペンダントをつけている。

これはディルクから貰ったもので、これがあればエリン家の縁者であることがひと目でわかるというもの。

タルサとカトゥスもツグミがこのペンダントを持っていることを知らされていたものだから、すぐに彼女だとわかってエリン家の屋敷まで案内をしてくれた。

 

 

◆◆◆

 

 

マーナとレクスと別れてしばらく経つというのにディルクの表情は思いのほか明るかった。

むしろ最愛の妻子を戦いに巻き込む心配がなくなったからなのか、穏やかな父親の顔から勇敢なトリガー使いの顔に変わったように見え、ツグミはひと安心する。

ボーダーのためだけでなくエリン家の家族にとっても良い選択だとお互いに納得し合って決めたことであったが、家族を引き離していることにちがいはなく、ツグミは少々心を痛めていたのだ。

そこでディルクにも安心してもらうべく、マーナとレクスが玄界(ミデン)でどれだけ楽しい毎日を過ごしているのかを報告する。

そのために写真をたくさん撮っておいたのだ。

ヒュースやテオと一緒に遊んでいる姿、ショッピングセンターでマーナと一緒に買い物をしている姿、水族館でイルカのショーを見ている姿などすべてがレクスの笑顔でいっぱいで、その愛息をマーナが微笑ましげに見ているという写真が厚いアルバムに収められている。

 

「ふたりは大事にされているんですね…。ありがとうございます」

 

すべての写真を見終わったディルクがツグミに頭を下げた。

 

「お礼なんって不要です。わたしたちはマーナさんとレクスくんという友人を招待して、玄界(ミデン)の暮らしを楽しんでもらっているだけで特別なことをしているわけではありませんから」

 

「だがレクスがこんなに明るい笑顔を見せて…、まるでカゴの中で飼っていた小鳥を大空に解き放ったかのようだ。こうして見ると私たちの育て方が間違っていたかのように思えてしまうよ」

 

「それは違います。玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)では環境が異なるのですから、人々が生きていくために必要なものや何を重視すべきかなど違うものになるのは当然です。…この写真を見てください。ヒュースと一緒にボールを蹴って遊んでいるのは玄界(ミデン)でサッカーと呼ぶスポーツです。これは女の子のようなひらひらした服を着ていると動きづらいですから、自分からすすんでズボンを履くと言い出しました。こうして男の子らしい服を着る機会は増えましたけど、家の中で本を読んだりテレビを見るなどおとなしくしている時には女の子の可愛らしい服を着ています。本人がそうしたいと言うので、わたしたちは彼の意思を尊重して好きにさせているんです。アフトクラトルでは彼のような自由な考えを持つこと自体が否定されてしまうために窮屈で生きづらかったのではないでしょうか?」

 

「そうかもしれません…。私はこの国で生まれて育っただけでなく外国に行ったこともありませんから他所の国のことは何も知りません。だから今の生活が正しいのか間違っているのかすら比べることもできないのですが、レクスが異なる文化や思想を持つ世界で様々な経験をすることで多角的な視野を持ち、近界(ネイバーフッド)に新たな風を吹き込む存在になってくれたら嬉しいです」

 

ディルクは自分がそうであったように父親として息子に厳しい教育を施して立派な当主となることを強要していた部分があったと反省していた。

しかしそれがアフトクラトルの貴族として当然のことであり、他に何も知らなければ他の価値観にすら気付きようがない。

 

「あなたがレクスくんにそう期待をしているのであれば、きっと彼はその期待に応えてくれるはずです。彼は素直で賢くて誰にでも愛される優しい子ですから、玄界(ミデン)での経験はきっと彼の将来に良い影響を与えることでしょう。…ああ、これをあなたに渡してほしいと頼まれていたんですよ」

 

ツグミは自分が運んで来た「土産」の中から1冊の本をディルクに手渡した。

それは南の海の中を泳ぐ色鮮やかな熱帯魚が表紙の海洋生物の写真集で、水族館へ行った時にレクスが自分用にと購入したものだった。

レクスは海という未知の世界に魅せられ、それを父親にも見せてあげたいという気持ちに駆られたのだろう。

この写真集にはそんな息子の優しい気持ちが込められているのだ。

 

「レクスくんは玄界(ミデン)の自然にとても興味を持っていて、特に海の中の世界に夢中になっているんですよ。水族館という施設では海の生き物たちを展示してあって誰でも見られるようになっています。玄界(ミデン)の庶民の娯楽のひとつで、レクスくんはすごく喜んでくれました」

 

ディルクは青い海の中を銀色の魚体を光らせて泳ぐイワシの大群の写真を見ながらツグミの話を聞いていた。

 

「子供の頃にどんな経験をするかで将来大人になった時にどのような人間になるかが決まるというのなら、周囲の大人たちはその子にたくさんの経験をさせてあげることが義務だと思うんです。もし役に立たなかったとしても良い想い出になれば十分ですし。レクスくんも水族館の大水槽の中を泳ぐイワシの群れを見て目を輝かせていましたよ」

 

「そうですか…。同じものに興味を持つのはやはり親子だからでしょうかねえ。…ところで例のものの準備はできていますか?」

 

ディルクは優しい父親の顔から戦う男の顔に変わった。

ツグミも暢気にレクスやマーナの近況報告だけをしてはいられず、荷物の中からA4サイズの茶封筒を取り出して中から十数枚の写真と3通の手紙をテーブルの上に並べた。

その写真はマーナとレクスとヒュースが写っているのだが、アルバムに収められていた楽しそうなものとは一転して暗い雰囲気のものばかりだ。

マーナとレクスについては寮の彼女たちの個室で、わざとカーテンを閉めて日差しが入らないようにした薄暗い部屋にして撮影した。

部屋の隅でふたりが手を握り合って何かに怯えたような目つきをしている。

撮影者に対して警戒心を抱いているようで、カメラのレンズの向こう側にいるのがツグミであるとは到底思えない。

 

「ふたりともなかなか良い演技をしてくれました。…アフトクラトルに極秘潜入したボーダーのスパイがディルク・エリン氏の夫人と子息を誘拐した。そしてふたりを玄界(ミデン)へと連れて行き、無事に返してほしければ指示に従えと脅迫してきた。その証拠の写真と夫人と子息の手紙を突きつけて『ボーダーが遠征でベルティストン家の人間と戦う際に寝返って味方をしろ』と」

 

ツグミがそう言うと、ディルクが続けた。

 

「しかし私は主家を裏切ることは絶対にできないと断ると、『味方はしなくてもかまわないが、敵として立ちふさがるのなら人質を殺す』と言う。そこで私は仕方なくどちらにも味方することなく第三者として戦いを見守ることにした…というシナリオでしたね?」

 

「はい。捕虜のヒュースがまったく口を割らないものだから強硬手段に出たということで、妻子を人質に取られてしまったら手も足も出ませんからねえ。それでヒュースの方はもっと本格的ですよ」

 

ヒュースの写真は彼が捕虜であることを強調するために本部基地の地下にある牢屋を使用して撮影したものだ。

誰も信用しない、主君のためなら命も惜しくはない、主君に何かあれば絶対に許さないという覚悟の目でこちらを睨んでいる。

 

「彼の場合は演技ではなく、本気ですから。もっとも彼の主君はディルクさんであり、あなたを次の神候補にと考えているハイレインに対する憎悪の表情ですしね、これは。あと、手紙も真に迫ったものですよ。レクスくんなんてアフトを離れて心細いなんて言っていながらもちゃんとマーナさんを自分が守るんだって逞しさも見せてくれています。マーナさんはあなたのことを気遣うことだけしか書いていませんから、それが逆に無理をしている感が出ていて非常に良い出来です。ヒュースなんて必ずあなたの元へ帰って戦うという覚悟の内容で、3人がハイレインたちを騙すための片棒を担いでいるなんて誰も想像できませんよ」

 

これらの写真と手紙はいずれボーダーの遠征部隊とハイレインたちが戦うことになった時、ディルクがボーダーの敵として立ちふさがることが()()()()ようにするための「小道具」なのである。

ディルク自身は戦う意思があっても妻子を人質に取られているから()()()()ということにする証拠なのだが、もちろんハイレインがディルクに参戦を強制する可能性はある。

しかしここでディルクを無理矢理に前線に立たせれば逆にボーダー側に寝返って敵となることは明らかで、そうなると次期神候補に逃げられてしまうことでもあるからそれは避けたいはず。

よってベストな判断は「ディルクにはおとなしくしていてもらう」ということになるのだ。

ツグミがマーナとレクスを玄界(ミデン)()()しているのはハイレインに利用されないためでもあり、これでボーダーとエリン家が戦うことはないだろうから、ヒュースもボーダーを裏切って敵となることもない。

当然のことながらアフトクラトルに着けばすぐにエリン家に戻って来るが、ボーダーの敵とはならず味方のままでいてくれるのだから問題はないのだ。

ツグミたちにとって最悪の事態はハイレインがディルクのことを「トリガー使いとしては用済みで、あとは(マザー)トリガーの中へ放り込むしか利用価値がない」と判断してしまった時である。

彼を居城の地下深くにある牢屋に閉じ込めてしまったら救出するのは非常に難しく、C級隊員を救出するミッションだけですら困難なのにさらに難しい問題を抱えることになる。

おまけにディルクが恩人であったとしてもボーダーにとっては彼がどうなろうとも無関係だとして救出作戦にノータッチとなることも考えられるのだ。

そこでツグミはその最悪の事態のことも考えていて、彼女なりに対策をしている。

 

ディルクはマーナたちの「表」と「裏」の両方の手紙をひと通り読み終えると父親の顔で微笑んだ。

 

「私はあの子にエリン家の後継者として相応しい人間となるよう教育をしてきたつもりです。ですがこの屋敷、それも私の書斎は狭すぎる。あの子にとって私の口頭による教えやたくさんの書籍で与えられた知識よりも、広い世界を自由に飛び回って自分自身で見たものや聞いたものこそが本当の()になる。本人が興味をもって知りたいと思うようになることで経験が単に知識としてだけでなく血となり肉となるのだという気がしてきました」

 

「大人から与えられたものをそのまま素直に受け入れる『良い子』は型にはまった()()()()()()()()()()()人間にしか育ちません。それが本当に正しいのか、それとも誰かに都合の良い方へ誘引されているのかを自分で考えることができるようになるためには、子供の頃から真実を見極める目を持つことが必要です。近界(ネイバーフッド)での常識が玄界(ミデン)ではそうではないということがあり、また玄界(ミデン)の常識が近界(ネイバーフッド)では違うということは当然あります。ですから両方の世界を知ることで考える力を鍛えて、将来アフトクラトルの国民を導く良き指導者になってくれたら玄界(ミデン)での経験は単なる良い想い出だけでないとても価値あるものになるでしょうね」

 

近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)を行き来する機会を得たツグミはキオンやエウクラートンといったディルクですら行ったことのない国を訪問して首脳陣との会談を成功させている。

ディルクもそのことは承知していて、何が彼女をそこまで突き動かそうとしているのかを知りたくなってしまった。

特にキオンの総統とプライベートな会話までする仲になったという事実は他の国の近界民(ネイバー)にとって非常に興味深いものとなる。

将来キオンとボーダーが手を結ぶことになれば近界(ネイバーフッド)の国々の勢力バランスが大きく変わることになり、彼女を味方にできるか敵とするかで立場が大きく変わってしまうことになろう。

アフトクラトルの人間としてキオンが覇権を握ることになることは絶対に阻止しなければならないことだが、自分と家族と家臣・領民たちの幸せな日常が保証されるのならそれでもかまわないという気さえしてきた。

ツグミは常に自分と自分の手の届く範囲にいる家族や友人たち()()幸せでいられるのならそれで十分で、そのためにはあらゆる()と戦う意思があると言っていて、ディルクもその考えに賛成だ。

マーナとレクス、ヒュースそしてディルクが彼女にとって手の届く範囲にいる友人である確信があるからこそ自分の妻子を安心して預けていられるのであり、ディルクは自分の友人であるツグミのために自分にできることを全力でしようと覚悟を決めた。

 

「私の()()()家族が玄界(ミデン)で楽しい毎日を過ごしていることはこれで良くわかりました。ハイレインを騙すための証拠の品もこれなら通用するでしょう。必要となった時には使用させてもらいます。…では、これからはあなたから依頼されていた件の調査報告をしましょう」

 

ディルクはそう言うと腰を上げ、執務机の引き出しから数枚の書類を取り出してツグミたちの前に置いた。

 

「まずは何をお話しましょうか?」

 

そう訊かれたツグミはディルクを真っ直ぐに見つめて答えた。

 

「もちろんさらわれた訓練生の居場所です。そのお顔ですと良いお返事がもらえそうですね」

 

そう言ってツグミもディルクと同様に微笑んだ。

 

 

 

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