ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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323話

 

 

アフトクラトルへさらわれたC級隊員たちにとって一日千秋の思いで待っていた朝がやって来た。

アフトクラトル(この国)の「神」に人々の願いを叶える力があるのかどうかわからないが、少なくとも玄界(ミデン)の人間にとっては神様とはいえない存在であったようだ。

この時期としては珍しく暖かい朝で、おまけに霧ではなく霧雨が降っている。

深夜に降り始めたから乾いた土はだいぶ水を含んでいて、こうなると耕作放棄地はぬかるんで走りにくくなり、遠征艇までたどり着くのに予定よりも大幅に時間がかかってしまうだろう。

よってC級隊員の脱走発覚が敵側にバレるのが早いか遅いかで作戦の成否が決まることになりそうだ。

 

地面はぬかるんでいるが、ツグミの計画にぬかりはない。

当日の天気などという不確定な条件で左右される計画など彼女が立てるはずもなく、同じ作戦であってもその時の気象条件で臨機応変に対応できるようにできている。

だから雨が降ったからといって延期はありえないのだ。

 

(C級の子たちは一日でも早く帰りたいんだし、計画を遅らせることで遠征部隊本隊が敵に発見される可能性が高くなる。足元の具合は最悪だけど、明日になれば条件が良くなるとは限らない。少々無理をしてでも作戦は決行するわよ!)

 

 

◆◆◆

 

 

いつものようにエリン家の屋敷を出ようとしたツグミは通用門の前で待っていたリヌスとテオのふたりに「予定どおりに決行」の旨を告げると外へ出た。

この国では傘を使うという習慣はなく、雨や雪などが降っている場合はフード付きのレインコートを着るということなので、ツグミもそれに従ってダークグリーンのレインコートを着用している。

そして幼年学校の通用口で警備員に挨拶をして中に入ると、食堂棟の入口でレインコートを脱いだ。

すると主任がやって来てドアの鍵を開けてくれる。

 

「おはようございます、主任さん」

 

「ああ、おはよう。今日はあいにくの雨だな」

 

「ええ、そうですね。でもこの分ならお昼頃には雨も上がりそうですね」

 

「そうだな。この雨も今年最後の雨かもしれない。あと数日もすれば雪に変わるだろうからな」

 

そんな挨拶を交わしてから厨房の中に入り、ツグミは作業台の清掃を始めた。

そのうちにひとりふたりと先輩職員たちが出勤してきて、天気以外は何も変わりのないいつもの朝の光景となる。

ツグミ以外誰もこれから起きる騒ぎのことなど知る由もないのだ。

 

 

「そういえば出勤途中で怪しい人を見たんです」

 

厨房でオートミールの鍋をかき混ぜていたツグミは隣りで同じように鍋の番をしている年配の女性職員に声をかけた。

 

「怪しい人だって?」

 

「はい。通用門から少し離れた場所で塀に同化するようにぴったりと背中をくっつけて立っているんです。こんな雨の早朝に何をしているのかと思うと不気味じゃありませんか?」

 

「それはそうだねえ…」

 

「それに怪しい人は今日だけじゃないんです」

 

「え? どういうことだい?」

 

「同一人物かどうかはわからないですけど、昨日と一昨日にも同じような場所に立っている人を見かけました。雨でもないのにコートのフードを頭から被っているなんて素顔を見られたくないからだと思うんです。フードを深々と被っているので男か女かもわからないですけど、たぶん体格から判断すると男ですね」

 

「得体の知れない男がうろついているなんて気味悪いねぇ。念のために主任に報告をして上の人間に知らせていおいた方がいいかもしれないね」

 

「じゃあ、調理が終わったら主任さんに話してみます」

 

ツグミはそう言って調理を続け、仕上げてしまうと主任に不審者の存在について報告をした。

この不審者の話は彼女の「嘘」である。

これからC級隊員の脱走事件が起きるわけだが、不審者がいたとなればその人物が関わっているのではないかと誰もが考えるもので、()()()手引きをした者がいると思わせて城外から目を逸らせるためだ。

もちろんその程度の話ではたいした時間稼ぎにはならないが、5分でも10分でも時間稼ぎができるか否かで結果が大きく変わってくることはある。

やらないよりはマシということだ。

彼女がここで働き始めてまだ4日目だが、彼女の真面目な働きぶりは誰もが認めるもので、彼女が嘘をついて騒ぎを起こしたいなどという理由がないのだからこの話を信じるのは当然だ。

主任は自分の上司に報告をするために席を立ち、ツグミは自分の担当部署に戻っていった。

 

 

 

 

午前7時になるとC級隊員18人が揃って食堂へとやって来た。

そしてそれぞれカウンターに並んでいる料理をトレイに載せて、自分の分を持って適当な場所に座って食事を始める。

ツグミはカウンターの中で料理を盛ってC級隊員に手渡す役目をしていて、有田の番がやって来た時に無言で「決行」を伝えた。

その瞬間、有田は満面の笑みを浮かべ、足取りも軽く仲間のいるテーブルの方へと歩いて行った。

そして普段と変わらない様子で食事をし、15分ほどで食事を済ませると何事もなかったかのように食堂を出て行く。

その時に有田がツグミの方をチラ見したものだから、彼女のすぐ横にいた年配の女性職員がニヤニヤしながら彼女に声をかけた。

 

「あの男の子、あなたに気があるみたいだね。さっきも料理を受け取る時に嬉しそうにしていたし、今もこっちをチラリと見てから出て行っただろ」

 

「気があるって…。そんなことはない…とは言い切れませんけど、残念ながらわたしにはあの人に関心はありません。あの人は玄界(ミデン)から連れて来られてトリガー使いとして鍛えられているんですよ。また戦争が始まったらすぐに最前線に送られて死んでしまうかもしれないんですから、わたしはそんな人よりも戦いに行かずに済む人の方がいいです」

 

「それはそうだ。あたしの旦那みたいにお貴族様相手の商売をしている方が堅実さね。それも玄界(ミデン)の男じゃ結婚しても周りから白い目で見られる。…っと、そろそろ洗い物を始めないと次の子供たちがすぐにやって来る時間になっちまう!」

 

朝の厨房や食堂では暢気に世間話などしている暇はない。

ツグミは急いで厨房の奥へと戻り、C級隊員たちが使用した皿を洗い始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

この日は雨が降っているので校庭での実技訓練はできない。

こういう時は教室での座学か、もしくは体育館で基礎体力を作るための運動をする体育の授業となる。

どちらであっても始業時間は午前8時で、それまでに指定の場所に勢揃いをしていないと処罰を受けるものだから「5分前行動」が習慣となっていた。

そんなC級隊員たちも今日だけはそんな5分前行動など無視し、ツグミに指示されたように発信機付きの靴を自室で脱ぎ、あるだけの靴下を重ね履きして外へ出た。

そして職員寮と食堂棟の間にある機械室の裏へと向かう。

そこに地下道への出入り口のドアがあって、そこでリヌスが待っているのである。

有田を中心として一丸となった18人のC級隊員たちは雨の中を濡れねずみになりながらもドアまでたどり着いた。

 

コン、コン、コン

 

ツグミから言われていたとおり3回ノックすると内側からリヌスがドアを開けた。

リヌスはヘッドライトと撮影用の小型カメラが装備されたヘルメットを被っている。

 

「ボーダーの人ですね?」

 

「そうだ。全員揃っているか?」

 

リヌスが余計な挨拶などせずに単刀直入に訊く。

 

「はい。18人全員います」

 

有田の答えにリヌスは微笑むとドアを大きく開けて彼らを中へ招いた。

 

「ここから城外にある地下道の出口まで私がきみたちを案内する。暗くて不安だろうが心配要らない。全員が一列に並び、このロープを握って前の人について行けば必ず遠征部隊本隊メンバーのいる場所まで連れて行ってやる。…行くぞ!」

 

リヌスはヘッドライトのスイッチを入れて前方を照らし出すと、ロープの端を左手に握る。

その後ろに17人のC級隊員、列の最後に有田という形で地下道を出口に向かって歩き出した。

 

 

 

 

同時刻、攻撃手(アタッカー)組の14人も行動を開始していた。

こちらは午前7時頃にC級隊員たちの住む民家に近所の食堂の従業員が料理を運んで来て、それを自分たちで皿に盛って食べる。

そして8時頃に従業員が片付けのために再度やって来るというパターンになっており、1日3食の食事の度に同様のことを繰り返していた。

だから7時に食堂の従業員がやって来てから8時の片付けの再訪までの1時間が勝負で、いつもよりも早めに食事を済ませてしまうと脱出の準備をしてこっそりと抜け出した。

テオと合流するのはその民家から約300メートル離れた礼拝堂の納棺室にある地下道の出入り口で、その場所は里中が下調べをしてあるから迷うことなく目的の場所にたどり着いた。

幼年学校の場合と同じく3回ドアをノックするとテオが顔を出した。

 

「待ってたぜ。全員揃ってるだろうな?」

 

「はい」

 

里中が代表して返事をする。

 

「じゃ、ひとりずつ中に入ってこのロープを握って並ぶんだ。地下道だから迷ったらそこでおしまいだからな、絶対にロープから手を離すなよ」

 

テオもリヌスと同じヘルメットを被っており、ヘッドライトを点灯させると奥へと歩き始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

地下道は迷路にはなってはいないものの、目印のようなものはないから目的の場所に向かうには「地図」が必要である。

その地図はベルティストン家はもちろんのことエリン家のような貴族や主だったトリガー使いたちしか持っていない。

そもそもその存在を知っているのが彼らだけで、一般市民には地下道があることすら知らされてはいないのだ。

別動隊はディルクからその地図を渡され、実際に歩くことで確認をしている。

そして迷いやすい場所には予め目印を付けてあり、南側の出口まで行くことができるようにしてあった。

だから攻撃手(アタッカー)組が午前7時40分頃に出口に到着するまでスムーズに移動でき、幼年学校組が10分遅れで到着すると約4ヶ月ぶりに再会した仲間たちと肩を抱き合い、涙を流して喜び合ったのだった。

しかしこれがゴールではなく、ここから先が敵に発見されて戦闘に及ぶ可能性の高い地上に出るのである。

リヌスは慎重にドアを開けると、地上で待っていた迅に挨拶をした。

 

「ジン、久しぶりだな」

 

「ああ、おまえも元気そうだ」

 

トランシーバーを使って声だけは聞いていたが、こうして顔を合わせるのは半月ぶりなのだ。

 

「ここからは本隊の…おまえたちの仕事だ。ツグミが危険を承知で潜入調査をした結果を台無しにしてくれるなよ」

 

「もちろん。おまえもあいつの()()()に付き合うんだろ? 俺がそばにいられない分、おまえに頑張ってもらわなきゃならん。あいつの足を引っ張るんじゃねぇぞ」

 

「わかっている。彼女が一日でも早く玄界(ミデン)に戻れるよう精一杯努力しよう」

 

「頼んだ」

 

リヌスとテオは実動部隊にC級隊員たちを託すと、背中を見せて去って行く彼らの後を追った。

ここからは案内役ではなく「遠征部隊によるC級隊員救出作戦」の記録係として彼らの行動をすべて記録する役目を担う。

ツグミが自分でやりたいと言っていたことだが、城内での陽動作戦等の彼女にしかできない役目があるのでリヌスとテオが請け負うことになったのだった。

 

「テオ、おまえは実動部隊の右側から撮影しろ。私は左側から撮影する」

 

「了解」

 

ふたりは左右に分かれると実動部隊とC級隊員たちの側面から撮影を開始した。

 

 

◆◆◆

 

 

午前8時になった時点で幼年学校ではC級隊員たちがいないことに気付いた。

本来ならこの時間には運動着のようなものに着替えて体育館で整列していなければならないというのに、まだ誰ひとりとして来ていないのだ。

指導教官は厳しい中年男性で、8時の始業のチャイムが鳴った時点で怒りが沸点に達して体育館から飛び出した。

当然行き先はC級隊員たちが寝起きをする寮の部屋で、ドアをいきなり開け放って中を見た瞬間彼の顔は怒りの赤い顔から絶望のための真っ青は顔に変わってしまったのだった。

ハイレインから直々に預かった子供たちが逃げ出してしまったことによってこの学校の職員は管理不行き届きで罰せられるだろう。

ならば自分の将来を想像すると顔面蒼白になるのは無理もない。

本来ならまだこの時点では脱走がバレることはなかったのだが、脱いだ靴をベッドの下やクローゼットに隠しておかなかったせいで指導教官にひと目で知られてしまったというわけだ。

しかしこの男がハイレインにすぐに報告せずに自分たちの力でC級隊員たちを連れ戻して()()()()()()()()にしようとするのは想定内のことで、彼は同僚の教官たちを総動員して学校の敷地内を探したがC級隊員たちの姿を見つけることができず、結局捜索を30分で諦めて報告をしたのだった。

 

 

 

 

一方、攻撃手(アタッカー)組の方も食堂の従業員が午前8時になって片付けにやって来たが、C級隊員たちの姿が見えなくても特に不審には思わなかったようだ。

しかし屋敷で待っていたヴィザがいつまで経っても来ないC級隊員たちを()()()()わざわざ彼らの住む民家へと訪れた。

そこで誰もいないことに気付いてすぐにハイレインに報告をする。

この時8時20分で、C級隊員たちは城外で実動部隊と合流をしていた。

ハイレインに知られたとなればすぐに警戒態勢となるはずだったのだが、攻撃手(アタッカー)組の中に賢い隊員がおり、自分たちの靴を使って時間稼ぎをする策略を考えたのだった。

それは隊員の何人かが餌をやって飼い慣らしていた7匹の野良猫や野良犬の首に紐を縛り付け、その先に靴を結んで街へと放し、その反応を追わせようというものである。

これで靴に仕掛けられた発信機の反応がレーダーに映り、それが本物か偽物かは実際に捕まえて確認しなければわからないので、多少なりとも時間稼ぎにはなるだろう。

1匹当たりふたり分の発信機を付けられているので、14人がそれぞれふたり組に分かれて街の中を動き回っているように思えるということなのである。

これはツグミにとって想定外のことであったが、救出計画に支障はない。

しかし8時30分になって幼年学校での異変を知り、続いて靴が付けられた野良犬が1匹発見されたことでC級隊員たちが同時に脱出を試みたことは明らかとなった。

ここでハイレインは城郭都市全域にサイレンを鳴らして緊急非常事態の宣言を発令したのだった。

そしてトリガー使いと一般兵全員に招集がかかり、ディルクの元にも伝令がやって来たのだが、彼はそれを無視して屋敷でハイレインの訪問を待っていた。

 

 

 

 

遠征艇の停まっている南の森へと向かっていたC級隊員と実動部隊のメンバーにも緊急事態を告げるサイレンの音は聞こえていた。

そしてそれは脱走がバレたことと近いうちに追手が迫ってくるという合図で、全員が一瞬足を止めたがすぐに全力で走りだした。

 

 

 

 

当然のことながらツグミもそのサイレンの音は聞いている。

C級隊員たちの姿が見えないということで彼女も捜索隊に編入されて校内を()()()()()()()()()が、このサイレンを合図に捜索隊は解散となった。

 

 

 

 

ゼノンはこのタイミングで城郭都市の東西南北にそれぞれある4つの城門の前に()()()()()()()()()()()()()偵察用超小型ラッドを1匹ずつ転送した。

このラッドは以前にハイレインがボーダーの本部基地に送り込んだもので、ガロプラ側の報告すら信用できずに自ら情報収集をしようとした事件で鹵獲したものである。

20匹のうち16匹を偽情報と一緒に送り返し、4匹をいつか利用できる時が来るだろうと修理と改造をして研究室(ラボ)に保管していたのだった。

これなら「アフトクラトル製のトリオン兵」であるからトリオン反応はアフトクラトルのものとなるためボーダーの仕業とは考えず、むしろ国内のライバル勢力による襲撃でC級隊員の脱走はその陽動だと勘違いしてしまうのは無理もない。

ただし冷静になれば開いた(ゲート)のトリオン反応を調べただろうが、想定外のことが続いたものだからそこまでは頭が回らなかったようだ。

ハイレインを出し抜くためには労を惜しまないツグミであるから、忙しい鬼怒田や寺島らに頭を下げて、さらに差し入れまでして偵察用超小型ラッド()を作ってもらったのだった。

カメレオンを起動しているからトリオン消費が激しく長時間の起動はできないが、それでもレーダーには反応するが姿の見えないトリオン兵にハイレインの部下たちは手を焼いて、結局トリオン切れになってカメレオンが解けたことで正体がバレてしまった。

それでもたった10分でも注意を城門に向けることができたのだから成功だと言えよう。

 

 

◆◆◆

 

 

その頃、ハイレインからの招集に逆らって自宅待機していたディルクは書斎で考え事をしていた。

 

(本格的な戦闘になるとわかればハイレイン自らここに乗り込んでくるだろう。ツグミからはボーダーに妻子を誘拐されて人質になっていることはまだ黙っていて仮病で誤魔化すように言われているが、それくらいであの男が許すとは思えない。いざという時には押すようにと渡されたこのスイッチ…。何か状況が変わる工作でもしているのか?)

 

ディルクはツグミから手渡されたカードのような長方形の板に小さなボタンのついている機械をガウンのポケットに入れた。

 

 

 

 

同じ屋敷の中でも別室にいるヒュースはディルクの書斎に仕掛けた盗聴器で様子をうかがっていた。

 

(ハイレインはディルク様を戦闘に駆り出そうとここへ来るに決まっている。だがツグミたちとの契約でディルク様はボーダーの敵となることはできない。いくらマーナ様とレクス様が人質になっているといってもハイレインは聞き入れないだろうな。生贄の件もあるから簡単に殺害するようなことはないと思うが、拘束されて城に連れて行かれたら救出するのは難しい。…いや、キオンの(ゲート)トリガーを使って忍び込むことはできそうだから、ツグミは心配は要らないと考えているのかもしれないな。キオンの連中はディルク様に対して恩義など感じてはいないが、奴らはツグミに骨抜きにされているから、あいつの言ったことなら何でもやるだろう。まあ、いざとなればオレが命を賭してもディルク様を守る。死ぬとしてもハイレイン(あの男)を道連れにして、後々の憂いをなくしてやるぞ)

 

 

本格的な嵐がやって来る前の一瞬の静けさはこうして過ぎていったのだった。

 

 

 

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