ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
三輪と奈良坂と古寺がヴィザの進攻を遅らせてくれたおかげで、遠征艇から北約350メートルの地点にいるこの3人を残して全員が遠征艇まで戻ることができた。
[三輪、奈良坂、古寺、これから20秒後に雨取がアイビスを放つ。そのまま逃げる素振りを見せて走り続けろ。
[了解しました]
[では、カウントダウンを始める! 20秒前、19、18………]
忍田のカウントダウンが始まった。
遠征部隊の最終試験でも千佳がアイビスを撃って敵を掃討するという作戦であったが、
しかし三輪、奈良坂、古寺の3人以外は全員帰還しており
もちろん遠征艇の停泊場所は敵にバレてしまうが、C級隊員15人分のキューブ化が終われば即刻出発できるわけで、その時間を耐え抜けばボーダーの勝ちとなるのだ。
三輪は
千佳は遠征艇の上部にアイビスを固定させてカウントダウンを聞いていた。
ここで失敗すればヴィザの
下手をすれば航行不能となり、艇自体が遠征部隊メンバーの「牢獄」と化してしまう恐れもある。
そんな責任重大な任務を千佳は
以前の千佳であれば命じられても渋々やることになり、失敗した時のことばかり考えてしまって引き金を引くことができず、その結果が芳しくないものとなれば自分を責めてしまい、ますます自分の殻に引きこもってしまうという悪循環を繰り返すことになっていただろう。
その負のスパイラルから抜け出せた彼女にはもう何も恐れるものはないのだ。
膨大なトリオンを活かした狙撃はコツコツと訓練をしてきたことで技術もアップしているから撃ち損なう可能性は低くなり、結果を出せば周囲の人間が認めてくれて「自分がみんなの役に立っている」という自信を持つことができる。
仲間との関係の良好なものとなるから他人を信じることができるようになり、これまで全部自分の中に押し込めていた自我を適度に開放するようにもなる。
そうやってボーダーだけでなく日常生活の中でも好ましい人間関係が築かれていくことになるわけだ。
「他人を信頼できない」という千佳の欠点が解消された今、彼女はボーダーの命運を背負って重要な任務を遂行しようとしている。
(わたしのことを信じてくれている仲間には信頼で答えるのが当然よね。…大丈夫、もう怖くない。指だって震えていないし、心臓だって思ったほどドキドキしていない)
千佳の覗く
だから人を撃つというプレッシャーが感じられないのだろうが、逆に見えないからこそレーダーを頼りに撃たなければならず不安はあるはずだ。
しかし彼女は「自分にはできる」という暗示をかけていて、意外なほど落ち着いていられる。
[……5秒前、4、3、3、1、ゼロ!]
「
忍田のカウントダウンがゼロになり、千佳のアイビスから放たれたトリオンエネルギーの塊は障害となる木々だけではなく地面をえぐって真っ直ぐに飛んでいった。
しかし通常のアイビスのように一直線に伸びていくのではなく、彼女のアイビスの銃口を
本来「点」攻撃をするアイビスだが、千佳はこれを「線」攻撃として邪魔なものを吹き飛ばして
それをさらに改良して「面」攻撃で効果範囲を広げることに成功した鬼怒田謹製アイビスである。
元はツグミのアイビス
邪魔なものを全部なぎ払って
これなら切り替えによって通常の「点」「線」攻撃に加えて「面」攻撃ができるので、
砲撃の直後、遠征艇の居室のベッドの上に三輪と奈良坂と古寺が転送されて、この時点でC級隊員32人とヒュースを除く遠征部隊全員が遠征艇の中に揃ったことになる。
後は15人分のC級隊員のキューブ化が完了すればすぐにでも出発することができる状態だ。
艇内には安堵の空気が漂うが、まだ100%成功したとは言えない。
遠征艇はベルティストン家の基地のレーダーの効果範囲外だが、千佳のトリオン反応は地形を変えるほどの圧倒的なエネルギーであるからハイレインに知られないはずがなく、「金の雛鳥」が自らやって来たとなれば是が非でも捕まえたいと思うのは当然である。
しかし遠征艇自体には攻撃手段はなく、亀のようにじっと耐えるしかない。
◆◆◆
遠征部隊本隊があと一息という時に城郭都市内では意外な人物が意外な行動を起こしていた。
そのことはツグミですら想定外のことで、事が完了した後になって話を本人から聞かされて驚くことになるのだが、その話はまだ少し先のことである。
◆◆◆
遠征艇の停泊位置は城郭都市の南の方角の
居城に戻っていたハイレインは即座に出撃可能な限りのトリオン兵の卵をかき集め、遠征艇の上空に数十の
しかしイルガーの爆撃にも十分耐えることができた。
これもすべて鬼怒田の采配で外壁を通常のものではなく本部基地の外壁と同レベルにまで頑丈なものにしたからである。
もっとも千佳が参加していなかったらここまで強固なものにしたのかどうか…は誰にもわからないのだが。
遠征部隊メンバーたちにとって遠征艇の発進までの十数分は数時間のように長く思えたことだろう。
そして15人のC級隊員のキューブ化が完了すると、遠征艇は
◆◆◆
ボーダーの遠征部隊がC級隊員32人全員を無事に奪い返して、遠征部隊メンバーも全員揃って帰還することになったのだからこれはハイレイン側の完敗である。
おまけに居城は半壊し、貴族としてのプライドもズタズタだ。
これがきっかけで四大領主の勢力バランスは大きく変わることになるだろう。
そうなるとハイレインがベルティストン家の力を維持するためには「神選び」で絶対に勝たなければならないわけで、ますますディルクの身が危険なものになる。
もちろんこれはツグミも承知の上のことで、ディルクとヒュースを三門市に連れて行ってほとぼりが冷めるまで滞在をしてもらうことになっている。
ボーダーが敵本拠地で完全試合をしたようなものだから、内通者がいてボーダーに協力をしたとハイレインが考えるのは当然の流れであり、その
ツグミはどのタイミングでディルクをアフトクラトルから脱出させようかと考えながら歩いていた。
「あ…止んだみたい」
未明からずっと降り続いていた雨はいつの間にか止んでいた。
ねずみ色の雲の隙間からわずかだが光が差し込み、それは大規模侵攻でハイレインたちを強制的に
レインコートのフードを外して空を見上げ、そのままベルティストン家の居城があった城郭都市中央へと視線を移す。
つい1時間ほど前にはそこにベルティストン家の権力の象徴である荘厳な塔があり、城郭都市内のどこからでも見ることができていた。
それが今はなくなっていて、視覚的にもベルティストン家が没落する前触れと感じられる。
ツグミだけでなくこの街に住む人々にとってもそれは同じことで、ただでさえ将来が不安なのにますます未来に期待が持てなくなってしまうだろう。
(ボーダーとベルティストン家の戦いに無関係な市民を巻き込んでしまったことになるけど、こうしないとわたしはわたしの大切なものを守ることができなかったんだもの。だから謝罪はするつもりはないけど、このままにする気もないわよ)
◆◆◆
ツグミがエリン家の屋敷に着くと、それからすぐにヒュースが
本来ならディルクのそばにいて有事の際には体を張って守るはずの彼が外出していたというのはおかしい。
「ヒュース、ご主人様を放ったらかしにしてどこへ行っていたの?」
「そのご主人様の命令でちょっとした用事を済ませてきただけだ」
仏頂面で答えるヒュースだが、彼の右手には黒い袋に入った
「手に持っているそれは何?」
「おまえよりも先にディルク様に報告せねばならない。気になるのなら一緒に来るか?」
「もちろん」
ツグミはヒュースと一緒にディルクのいる書斎へと向かった。
「ディルク様、ただいま戻りました」
ヒュースはそう言って書斎に入って行くので、ツグミはその後を追うようにして入る。
「お疲れさま、ふたりとも。さあ、そこに腰掛けなさい。今セリウスにお茶を持ってこさせよう」
ディルクに促され、ツグミは長椅子にヒュースと並んで腰掛けた。
その向かい側の椅子にディルクが腰掛け、テーブルを挟んで対面する。
「それが例のアレ、だね?」
ディルクがにこやかにヒュースに尋ねる。
「はい、そうです。どうぞご確認ください」
そう言ってヒュースが袋から出したものは、ツグミにとって約5ヶ月ぶりに再会した仲間の半身であった。
「レプリカ…なの、それ?」
「他に何に見える?」
ヒュースが意地の悪い言い方をするものだからツグミは少々ムカッとしたが感謝の気持ちの方がはるかに大きいために素直に頭を下げた。
「ありがとう、ヒュース。心から感謝しているわ」
「オレはディルク様の指示どおりにしただけだ。おまえが城に向けてアイビスを撃ったことで地下基地は大混乱になってそこにいた連中はすべて避難してしまったからな、その隙に忍び込んでレプリカを奪還してきた」
「でも誰かに見付かったりしなかった? あなたはこの世に存在しない人間なんだから、見付かったら大騒ぎよ」
「騒ぎになっていないのだから見付からなかったのだとわかるだろ?
「その言い方だとまるでわたしが地下基地に忍び込んでレプリカを奪還しようと計画していたみたいね」
「違うのか?」
「…正解よ。オサムくんとユーマくんがレプリカのことをすごく気にしていて、C級救出が完了したら自分たちはアフトに残ってレプリカを助け出すんだって息巻いていたの。それをわたしが絶対にダメだと叱ったものだから、わたしがやらなきゃ…って思ったわけ。でもこんなに早くレプリカを助け出せたなら戦闘の様子を録画したカメラと一緒に渡せるわ。想定外のことだけど、こういう嬉しいサプライズならいつでも大歓迎。本当にありがとう、ヒュース」
ツグミに何度も礼を言われるものだから、ヒュースは照れ隠しのためにわざと素っ気なく言った。
「これでタマコマ支部にいた時のおまえの作った美味いメシの礼はできたはずだ。これでその件についての貸し借りはもうないからな」
「うん、わかった」
ヒュースに見せた微笑みをそのままディルクに向けた。
「レプリカの件、どうもありがとうございました。ボーダーを代表して心よりお礼申し上げます」
「いや、礼には及びません。あなたは私と私の家族のために誠心誠意努めてくれています。そのことを考えたらこれくらい大したことじゃありませんよ。…それに私はまだまだあなたのお世話になるのですからお気にせずに」
「はい。ひとまず遠征部隊本隊は無事にアフトを離れたようですので、ここからはディルクさんの命を守るための行動に専念できますからご安心ください。まもなくゼノン隊の3人もここへ来ますから、今後の作戦会議を行いましょう」
◆
遠征部隊本隊の艇が消えていく様子までを撮影したリヌスとテオはゼノンの開いた
リヌスとテオは自分たちが撮影した映像をツグミに確認してもらおうと、それぞれ自分が携帯していたビデオカメラを彼女に渡す。
それをひとつずつ再生して映像のチェックをすると、ツグミは満面の笑みを浮かべて礼を言った。
「リヌスさん、テオくん、難しい役目を完璧に果たしてくれてありがとうございました。これならメディア対策室で上手い具合に編集をして若きヒーローたちの英雄譚に感動的な演出をしてくれることでしょう。お疲れのところ申し訳ありませんが、これを持って本隊の遠征艇を追いかけてもらえますか? 今から追えば復路最初の寄港地で追いつくことができるでしょうから」
リヌスとテオはアフトクラトルへ着くまでの数日間でツグミからビデオカメラの使い方のレクチャーを受け、寄港地での滞在中に動きの速いものや複雑なもの ── 例えば現地で生息している野生動物やツグミとゼノンの模擬戦など ── の撮影をして練習をしていた。
そのおかげで多少のブレは許容範囲内として視聴に耐えられるレベルの映像を撮影できたといえよう。
遠征部隊本隊の帰還報告記者会見では市民や関係者に感動を与え、ボーダーへのさらなる期待と資金が集まるはずである。
ツグミはすぐにでもこのふたりの功労者を慰労したいのだが、これは大至急でやってもらわなけれな意味がなくなってしまうことなのだ。
そんな彼女の気持ちが顔に出てしまったものだから、リヌスは自分の分のビデオカメラを掴むと言う。
「では、さっさと行って仕事を終わらせ、すぐに帰って来ますね。それまでディルクさんのことをしっかり守ってあげてください。まあ、ゼノン隊長も残ってくれますから心配いりませんよ」
「そうだぜ。オレたちの仕事はまだ半分しか終わってねえから、残りの半分も急いで終わらせるさ。そしたらみんな一緒に
テオも負けじと張り切ってみせる。
「ありがとうございます、リヌスさん、テオくん。…それからこれをユーマくんに渡してください」
ツグミはレプリカの入った袋をリヌスに見せる。
「その時にはヒュースが危険を承知で頑張って
「わかりました。では、行ってきます」
リヌスはレプリカの入った袋を握り締め、テオと共にエリン家の屋敷を後にした。
そして遠征部隊本隊の艇を追ったのだった。
◆◆◆
その頃、遠征部隊本隊メンバーの乗った遠征艇は
C級隊員のキューブ化作業は航行中も続けられ、その間に有田と里中からアフトクラトル滞在中の状況について簡単な聴取をし、全員のキューブ化作業が終わると忍田は実動部隊メンバーをプレイルームに集めて事情の説明をすることになった。
このC級隊員救出作戦は大成功ではあったものの、実動部隊メンバーにとってはまだ理解できない部分や納得できないことが多いために、忍田が説明責任を果たさねばならないという声が一部から上がったからだ。
もっともこうなることは予めわかっていたことで、忍田はツグミから「想定問答集」を預かっていてそのQ&Aを暗記していたから慌てることはなかった。
「みんな、お疲れだった。敵地に乗り込んでC級隊員を救出するというボーダー初のミッションをこのような完璧な形で成功させることができたのはひとえにきみたちの日頃の訓練の賜物である。この遠征は単にさらわれた仲間を救出するというものではなく、今後の第一次
忍田の話をじっと聞いている実動部隊メンバーたち。
その中にはこの演説がツグミの書いたシナリオであることに気付いている者もいるが、忍田の言葉として耳を傾けている。
「第一次
そして最後に締めくくった。
「C級隊員を救出して遠征の目的を果たしたように思えるが、全員が生還してやっと成功したと言えるのだ。だからまだ気を抜かずに三門市に着くまでもうしばらく頑張ってくれ。以上だ」
説明会が終わって実動部隊メンバーは解散して自室へと戻って行く。
それぞれ思うところはあるようだが、少なくともこの遠征は三門市民のために存在するボーダーという組織の将来に大きく関わることで、それを成功させたことは非常に重要なことであると自らに言い聞かせ、胸の中に燻る苛立ちの種火を消すのだった。
原作連載ではまだ遠征選抜試験の真っ最中…というか始まったばかりで、今後どのような展開になるのかまったく予想がつきません。
よって拙作のアフトクラトル遠征では作者の自己解釈でこのような顛末となりました。
別動隊による様々な工作によって本隊のメンバーは活躍の場がなかった展開になりましたが、これは十分に理にかなった内容だと自負しております。
ハイレインたちは
ボーダー側の戦力は多くても30人くらいでしょうし、トリオン兵のような使い捨ての兵器もありませんから、戦闘体が破壊されてしまえば手も足も出ませんし、何より三門市での戦闘のように安全な場所に
いくら考えても普通に戦えばボーダー側に勝ち筋はまったく見えず、ならば隠密作戦や情報操作などを駆使してすべてを水面下で行い、すべてお膳立てができたところで本隊メンバーには「できるだけ戦わない」戦闘を行ってもらうことにしました。
この遠征の目的はC級隊員の救出であり、ハイレインたちを倒すことではありません。
よってC級隊員を遠征艇まで護衛するグループとハイレインたちを足止めするグループに分かれて、できるかぎり被害が出ない手段を講じたのです。
拙作でのC級隊員救出作戦はキオンの諜報員が協力してくれて、ヒュースを仲間に引き込むことでディルク・エリンを味方にして成功を収めます。
原作では今のところそういった「協力者」がいませんから、このままでは隠密裏に事を進めることはできそうにありません。
もしかしたらガロプラのガトリン隊メンバーが関わってくるかもしれませんけど、やはり現地の協力者は必須ですよね。
アフトクラトルに乗り込んでの全面戦争になるとすればボーダー側は圧倒的に不利なわけで、よほど練に練られた緻密な戦術を駆使しないと難しいでしょう。
なにしろ現状では敵地の様子を知る者はエネドラッドしかおらず、ヒュースはアフト到着と同時に離脱してしまうのですから五里霧中の状態でC級隊員がどこにいるのかを探すのにもひと苦労のはずです。
原作で遠征に出発するのはまだまだずっと先になるでしょうから、拙作ではこういう形でアフトクラトル遠征を成功させました。
これなら全員が三門市に生還でき、レプリカの半身も取り戻すことができたというパーフェクトな結果になり、筋もちゃんと通っていると思います。
読者様の中にはいろいろ否定的な感想を持つ方もいらっしゃるでしょう。
しかし当作者にとってはこれが「自分の納得できる形」ですので、あしからず。