ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
喜ぶ者がいる一方で、怒りに身を震わす者もいる。
そう、ハイレインだ。
遠征部隊との戦いで五分五分に見えていた状態の中、ツグミが居城に攻撃を加えたことでその均衡が崩れてしまい、そのせいでC級隊員と遠征部隊メンバー全員にまんまと逃げられてしまったのだから、その怒りの感情を何かにぶつけなければ居ても立ってもいられない。
もしこれがツグミのような
しかし彼の
こういう時に貧乏くじを引くのがランバネインである。
関わりたくないと思っても逃げるわけにはいかず、嵐が去るのを黙って耐えるだけだ。
ハイレインはランバネインとふたりで破壊されずに残った城の居住区部分に立っていた。
日本の城でいえば天守部分を完全に破壊され、本丸部分はかろうじて残ったが無残な姿を晒しているという状況である。
もしこの光景をライバル貴族たちに見られたら自ら命を絶ちたくなるほどの無様な惨状であるから、一刻も早く元の姿に戻さなければならない。
ただ破壊されたのは物見櫓の役目をしている塔の部分だけであったのは不幸中の幸いで、彼らの居室はほとんど被害を受けていないから雨や雪が降っても問題はなさそうだ。
さらに地下にある基地にはまったく被害はないということだが、逆に何もなかったことでチェックが遅れてレプリカがヒュースによって奪還されたことに気付くのはもうしばらく先のことになるだろう。
「兄者、これからどうする?」
ランバネインに訊かれ、ハイレインは努めて冷静に答えた。
「どうするも何もない。まずは城の補修をして、ディルク・エリンの処分を考える。この一大事に具合が悪いなどと言って参戦しなかっただけではなく、何か隠していることがありそうだ。まあ、今後使い物になりそうにないなら予定どおりこの国にその身を捧げてもらうつもりでいるがな」
「
「ああ、わかっている。ガロプラの連中にはヒュースが接触してくるだろうからその時には奴を始末しろと命じてあったが、
憎々しげな顔のハイレインにランバネインが言う。
「ヒュースが祖国を売るとは想像もしていなかったが、考えてみりゃ奴が忠誠を誓うのは
「そうだ。だからこの街にいるであろうヒュースを捕らえ、ディルクには部下の不始末の責任を取ってもらうしかない。これ以上の戦力の減少は痛いが、役に立たない駒であればないものと同じだ。…まずはエリン家の監視を強化し、屋敷への人の出入りをチェックさせる。無闇に処分しようとすれば領民どもが反乱を起こすかもしれないが、正当な理由さえあれば問題はないからな」
ハイレインはディルクを生贄にするという考えに落ち着いたようだ。
遠征中の部下からは喜ばしい報告はなく、「神選び」の日が迫ってきているから焦ってしまう。
おまけにいざという時に役に立たず、ヒュースがボーダーを招き入れたのではないかという疑惑があればもう容赦はしない。
彼の言う「正当な理由」もでっち上げてしまうことも可能だが、そこまでしなくても尻尾を掴んで
それくらいディルクが「限りなく黒に近い灰色」な状態であるとハイレインが考えているということで、ディルクが怪しい動きを見せれば一発でレッドカードとなるだろう。
非常に危険な立場ではあるが、ツグミにとっては都合が良い。
ディルク自身が身の危険を感じるのであればすすんで三門市に行こうという気持ちになってくれるからだ。
「兄者はヒュースがアフトに帰って来ていると考えてんだろ? だとすれば奴が身を隠す場所はエリン家の屋敷しかない。いっそのこと何か理由をつけて家探しでもしてみりゃ手っ取り早いんじゃないか?」
ランバネインが言う。
「そのとおりだが万が一家探しした時に見付からなかったとすると面倒なことになる。我らを警戒して逃げられてしまっては身も蓋もない。ここは慎重に事を進め、決定的な証拠を突きつけて有無を言わさずに捕まえる…ということにした方がいいだろう」
「ずいぶん消極的だな?」
「もう失敗は許されない状態なのだ。ボーダーの奴らの手際の良さは内通者がいることの証明で、それがヒュース以外には考えられない。しかしヒュースが情報漏洩したところで2ヶ所に分けて住まわせた雛鳥の居場所を確定するくらいしかできないはず。しかし管理の厳しい幼年学校の寮に住まわせた雛鳥とも連絡を取り合い、同時に脱走するなど他にこの街に詳しい者が手引きをしたとしか思えない」
「それがディルク・エリンだと兄者は睨んでいて、その裏切り行為を理由にして奴を神に祀り上げる…か。ま、証拠を突き付けりゃ奴もぐうの音も出ないだろうな」
「ひとまず逃がさないように監視しておけば今のところはそれで十分だ。それよりも気になるのはキオンによる侵攻のことだ。
「だなあ…。ひとまず城を修理しないとこれじゃベルティストン家の威厳もへったくれもねぇ。…しかしまあ見事に木っ端微塵にしてくれたなあ。ほとんどが砂みてえな細かい粒ばかりで、破片が飛び散ったところで周囲の建物にはまったく被害が出てねえ。ぶっ壊れたのは城だけかよ。ひでえなあ…」
ツグミが周囲の民家に被害が出ないように最大出力でアイビスを撃った結果だが、ハイレインやランバネインには永遠にわかるはずがないだろう。
「どうやら遠征部隊には大規模侵攻で取り逃がした金の雛鳥とイルガーを一発で撃墜した娘のふたりがいたようだ。どちらかひとりでも捕獲できれば32人の雛鳥を奪い返されたことなどどうでもよくなっただろう。都市内に潜伏していたことに早く気が付けば捕らえることもできたかもしれぬ。惜しいことをした」
「過ぎたことをいつまでもくよくよしていても仕方がないだろ? とにかく俺は部下を集めてエリン家を見張らせる。兄者の方は後始末を頼む」
「わかっている。…ところでおまえは例の家に帰るのか?」
「あん? 決まってんだろ。こんな城よりはるかに快適でのんびりできる。それに街をふらついているとなかなか面白い奴に出会うこともあるんだ。何日か前には面白い娘に会ったぞ」
「面白い娘?」
「ああ。貴族の俺が下町を歩いているのを見付けて好奇心で尾行してきたものだから、俺は気付かないフリをして家まで戻ったところで裏口から出て捕まえてやった。そしたらこれがなかなかの上玉で、イデアという名の15歳の娘だった。どっかの屋敷の侍女らしいんだが、あれは貴族の娘が行儀見習いで働いているってカンジだったな」
「行儀見習いとなれば未婚か」
「そうだ。それで俺が家に誘ったら何て言ったと思う? 俺の私生活には興味はあるが恋愛感情はない。俺の好意を利用してベルティストン家の御曹司の正妻の座を狙っている小賢しい女に思われるのは絶対に嫌なんだと。普通の女ならこれ幸いと家に上がり込むだろうに、このイデアって娘は俺の誘いを拒んだ」
「ほう…」
「その上俺のことを『初めは怖そうだなと思っていましたが意外にも気さくな方で、一緒にいると楽しいおしゃべりができそうだなって思えてきました』なんて可愛いことを言うんだぜ。俺がベルティストン家の人間であると知ると媚を売る女が多いというのに、このイデアという娘はその様子が一切ない。それで俺と一緒にいると楽しい会話ができそうだなんて言うもんだから俺は彼女との再会が楽しみで仕方がないんだ。…俺、本気になっちまったかも」
「フッ…何をバカなことを言っているんだ? どこの誰ともわからぬ女にのぼせ上がっている暇などなかろう。それに愛人ならともかく正妻にはできんぞ。おまえにはミラがいるんだからな」
するとランバネインはムッとした顔で言い返した。
「あいつは兄者の婚約者だろ。そもそもあいつは
ランバネインはそう言うと面倒事は御免だといった顔でその場を離れてしまった。
ひとり残されたハイレインは穴の開いた天井を見上げた。
(俺だって好きで当主の座にあるわけじゃない。おまえみたいな男では他の貴族連中との権力争いに勝てぬから俺が代わりにやっているんだ。このベルティストン家が絶えるようなことになれば父や祖父、そしてご先祖様に申し訳が立たぬというもの。おまえに任せられるものならとっくに当主の座など譲って今のおまえみたいに気ままに生きているさ。ランバネイン、おまえが羨ましい)
そして大きくため息をひとつしてから後ろを振り返ると、半分ほど崩れ落ちた壁の陰にミラの姿を見付けてしまう。
ハイレインに用事があって探して来たものの当人はランバネインとの会話の途中であり、その話題が自分のことであったとなれば声をかけることができなかったのは当然だ。
「ハイレイン様、盗み聞きをしてしまい申し訳ございません」
「いや…別に気にしてはいない。ところで何か用なのか?」
「はい。先ほどからヴィザ翁がお待ちで、ハイレイン様にお詫びをしたいと申しております」
「詫びなど不要だというのに…。彼は良い働きをしてくれた。今回は思わぬ伏兵の存在によって当てが外れてしまっただけなのだがな。とにかく行こう」
「はい」
「ところでランバネインとの会話を聞いてどう思った?」
ハイレインに直球で聞かれてミラは戸惑うが、年頃の女性らしい笑みを浮かべて答えた。
「私はベルティストン家の家臣、当主にお仕えするだけでございます。そしてハイレイン様が私を必要としてくださるのであれば一生おそばに置いてくださいませ」
このミラの言い方は優等生の回答である。
当主夫人の座が目的であることは明らかなのだが、結婚という言葉は出さずに「当主にお仕えする」「ハイレインが必要とするならば一生そばにいたい」という表現で、ハイレインが当主である限り絶対に離れる気はないと宣言しているのだから。
婚約しているとはいえまだ確定しているわけではなく「仮」であるからハイレインと結婚するとは決まっていないが、公になっている以上はハイレインかランバネインのどちらかが正妻にしなければならない。
兄弟のどちらかと結婚するというのであれば別に長男でなくともかまわないと思われるがミラにとっては当主と結婚することに意味があるわけで、ハイレインの正妻にならなければ己の野望を果たすことができるないのだ。
もっとも没落確定のフラグが立ったようなものだからベルティストン家に執着せずに他の貴族に乗り換えたらどうかと思うが、婚約破棄を言い渡された女性にはロクな縁談が来ないためにハイレインに縋るしか彼女に道はない。
それにハイレインが王になれば彼女自身は王妃になれるというもの。
一方、計算高く鼻持ちならない女性ではあるが利用価値は高かったためにハイレインは婚約という手段で
できることならランバネインに押し付けて、自分はもっと聡明で温厚な性格の女性と結婚したいとさえ思っている。
そんなハイレインがミラに優しい言葉をかけた。
「ミラ、俺にはおまえが必要だ。だからおまえも俺のことを信じていつまでもついて来てくれ」
「はい、ハイレイン様!」
嬉しそうな顔をするミラ。
彼女は自分の後ろからついて来るハイレインが何を企んでいるのかなど想像もできないらしく、ハイレインがアフトクラトルの王となって自分が王妃となる姿を夢見るのであった。
◆◆◆
キオンがアフトクラトルを攻めるという噂はツグミたちが流したデマであるが真実味を帯びているので信じる者は多く、また面白おかしく尾ひれを付けて話を盛り上げてしまう無責任な第三者がいたものだから、キオンによるアフトクラトル侵攻は8:2の割合で信じられていた。
これはハイレインたちだけでなくアフトクラトルの四大領主たちにも信じ込ませて不安にさせることでボーダーの遠征を成功に導くという手段であったが、アフトクラトル国内の政治不安をより一層深刻なものにしてしまったのだった。
しかしこの噂の甲斐もあってかC級隊員救出作戦においてアフトクラトルの民間人への被害はゼロで、失われたのは100匹強のトリオン兵とベルティストン家の家名というささやかなもので済んだ。
よってツグミにはデマを広めたことに関して罪の意識はないがこのまま終わりにする気もなく、アフトクラトルという国の将来に関わってしまったことについては責任を負うつもりでいる。
トリオン文明という点では格段に劣っている(と思われている)
以前は「
ボーダーが現在の体制なってから被害は激減したものの、いまだにアフトクラトルのように「人的資源」を奪いに来る連中もいる。
しかしそのアフトクラトルに対してわずか30人という少数精鋭のみで戦いを挑み、見事に勝利したという「事実」は
キオンと手を結んだとなれば、
よって
それにこの遠征の成功は
その点ではこの遠征の成功はボーダーにとって大きな一歩となり、次の一歩がだいぶ踏み出しやすくなっているはずだ。
ボーダーの遠征が成功した ── まだ無事に三門市に帰還したのではないから安心はできないが ── となればツグミが次にやることはディルクの身の安全の保証である。
彼が三門市に行くと言えばそれで簡単に解決するのだが、
彼も自分がいたところで領民の暮らしが楽になるわけではないとわかってはいるのだが、なかなか踏ん切りがつかないでいる。
(ハイレインはヒュースがアフトクラトルに戻って来ていると考えているはず。近いうちに家探しをして
ヒュースは
ディルクは自ら神となることを志願したということになり、「神選び」で神に決まればハイレインが王となる。
そんなことをさせないためにツグミはアフトクラトルに残ったのだから、多少の無理や危険なことをしてでもディルクを三門市へと連れて行かなければならない。
(やっぱりここはディルクさんの家族を大事にする気持ちに
「神選び」は約100日後、正確には93日後に行われる。
四大領主がそれぞれひとりずつ選んだ「神」候補を首都の神殿に集めて衆人環視の中でトリオン能力の検査を行う「儀式」だ。
4人のうちで最もトリオン能力の高い人間が神という名の生贄になるわけだが、誰も好き好んで生きたまま
人間としての100年にも満たない寿命よりもはるかに長く生きることになるが、その「生きる」が人としての自由や尊厳をすべて奪われて生命とトリオンをゼロになるまで吸い上げられる「道具」だけの存在としてのものである。
神になった人間の言葉を誰も聞いたことがないのだから知る由もないが、その状態でいることに満足しているとは考えられないのだ。
現在の「神」は約260年前に現王家のコヴェリ家当主が他国を侵略した際に連れ去られた当時15歳の少年であったそうだ。
親から引き離されただけでなく自分の祖国を侵略して大勢の同胞を殺した憎きアフトクラトルのために生贄にされてしまった。
生まれつきトリオン能力が高かったためにトリガー使いになり、侵略者から祖国を守るため勇敢に戦ったせいで当時のコヴェリ家当主に目を付けられてしまい、行き場のない無念の思いを抱えたままで「神」とされてしまったのだった。
国土の維持に
それも自分の意思で身を捧げるならまだしも他人に強要されて無理矢理に生贄にされるわけだからこの世に未練は残るだろう。
(せめて祖国の、家族や友人のためになるのであれば救いはあるというものの、祖国を侵略した敵のためとなれば恨み辛みや悪意を抱えたままで
ディルクとヒュースを三門市に連れて行くことができればエリン家の家族のことは心配はいらない。
城戸と忍田が「ボーダーの賓客」として遇してくれることを約束してくれているからである。
そしてツグミはこの遠征における「論功行賞」として城戸に
ボーダー創設時の理想であった「
いずれはボーダーの組織図の中に「外交部」を作ろうとおうと考えていて、そのためにも
彼女にとっての「知識」はトリオンやトリガー以上に役立つ武器であり、その武器を誰よりも効率良く使うことができる「能力」も携えている。
そしてそんな彼女のことを城戸や忍田や迅といったボーダー側の人間だけでなく、
夢は諦めなければ必ず叶う…ではなく
しかし彼女には避けて通れない道があり、そちらの問題のことを忘れてはいない。
彼女を取り巻く環境はすべてリンクしていて、どれかひとつを解決できれば自然と他の問題も上手く片付くようになっている。
よって一番身近で大切なものから問題を解決しようというのであった。