ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
月曜日の朝、ツグミはディルクとヒュース、ゼノン、そして運転手の迅という計5人で唐沢の紹介でとある農家の畑へと向かっていた。
ここは農地の3分の2がトマトのハウス栽培で、残りの3分の1は露地物で数種類の季節の野菜の栽培をしている。
訪問した目的は
アフトクラトルとキオンでは気候や地形の関係で稲作は不可能だが、畑作に関しては見習うべきことがたくさんあると考えたツグミが
国王を頂点とし、地方領主が領民たちから徴税をするとか、貴族同士が戦争をして陣取り合戦をしたり、他国に攻め入ってトリオン能力者をさらうなど100年どころか200年以上も昔に
農作業は未だに牛や馬を労力とした手作業で、作付面積に対する収穫量は非常に少ないから効率が悪い。
就労人口も少なく、国によっては他国を支配して強制的に徴収しなければ国民の生活を維持できないという状況だ。
そして
なにしろ「電気」というもの自体が存在せず、すべてのエネルギーをトリオンに依存しているために常にトリオン不足に陥っている。
そこに目を付けたツグミは
電力については太陽光発電が可能であることは検証済みで、電力を確保できればトリオン依存の
アフトクラトルとキオンという
どちらの国も食糧不足に喘いでいて、他国を侵略して植民地化や従属させた国から徴収しているので、自国で十分とまではいかなくても大部分を賄うことができれば大勢の人間が重労働と飢えから解放されるだろう。
少なくともキオンは国民の食料を十分に調達できれば戦争などしたくはないと考えていて、
キオンが
しかしディルクというアフトクラトルで影響力のある人間が参入してきたことで、場合によってはアフトクラトルも同様に
ボーダーにとっての敵はベルティストン家であり、アフトクラトルという国自体はボーダーに対して敵意はないということにしてアフトクラトルの国王がボーダーに擦り寄ってくることも考えられる。
したがってどちらの国がいち早くボーダーと友好条約を結んで同盟国になるかが今後の
トマトを栽培する農家へ連れて来たのは
そのトマトをハウス内で栽培すると害虫は入りにくくなるだけでなく、水分をあまり与えない方が甘味が増すので水分調整を簡単に行えるハウス栽培は非常に効率が良い。
そして最も優れている点は夏季が旬の作物を一年通していつでも収穫できるというもの。
200年前の人間をタイムマシンで現代に連れて来てこのハウス栽培を見せたら腰を抜かすだろう。
それと同じことをツグミはディルクとゼノンに対してやっているとうわけだ。
ツグミの
ディルクとゼノンは見るもの聞くものすべて初めての経験で、農業に関しては素人の彼らがここまで夢中になるのなら、専門家を連れて来たらもっと
今後も農業のような第一次産業だけでなく二次・三次産業の現場や、電気・ガス・水道・通信・交通などの生活インフラについての重要性などを自分の目で確かめてもらう予定である。
◆◆◆
ツグミがボーダーの活動とは直接関係のないことをやっている間、ボーダー上層部は次の遠征に向けての準備を進めていた。
遠征対策準備室(仮)から提供された情報を元に「第一次三門市民救出計画」の準備として3つある候補のうちのひとつを選んで即戦力となる人員を調査隊として送り出すことに決まった。
3つの国へ同時に調査隊を送り出すことは事実上不可能だということになり、さらに隊員の中から数人を選んで訓練を行うにも時間がかかる。
よってまず1ヶ国を選んで
遊真が有吾と一緒に
そこで遊真は調査隊の役目を引き受ける条件として行き先をエクトスにすることを要求したのだった。
エクトスは3つの国の中で一番遠い場所にあり、できるだけ早く出発した方がリスクの軽減になる。
そしていろいろな国を回って交易を行うので比較的安全な国だと認識されている。
もっとも遊真が国の内情を探るために
危険な任務ではあるが遊真が役目を引き受けたのは、エクトスの軌道とトロポイだと思われる国の軌道が交わるタイミングが約50日後で、今すぐに出発すればエクトス探索の
その情報源はもちろんツグミであり、玉狛第2の解散を聞いた彼女は
即戦力であり、
そうでなければ遊真をひとりでエクトスの調査に向かわせるはずがない。
上手くいけば初手でビンゴとなり、ハズレであってもレプリカの修理ができるだろうし、残る2国はエクトスに比べたら近い場所なので遊真が帰国するまでの間に隊員の特別訓練が行うことができるといういくつものメリットがある。
城戸もツグミが何かしら企んでいるとは気付いていたが、それでも利害関係が一致するのだからと彼女の提案に賛成したのだった。
急なことではあったが、とにかく一刻も早く出発したいと遊真自身が望むものだから、3日後の7月5日にエクトスへ向かって発つことに決まった。
艇のトリオンチャージや食料の準備などで遊真だけでなく玉狛支部のメンバーはてんてこ舞いで、前夜にささやかな送別会が行われるまでゆっくりと話をする暇さえ持てなかった。
その送別会も夜遅くまで続き、修が遊真と話ができたのは日付が変わってからであった。
玉狛支部の屋上で修と遊真はふたりで並んで夜空を見上げていた。
「朝早くに出発するのに呼び出して悪いな、空閑」
「何言ってんだよ。おれの身体はトリオン体だから眠らなくても平気なんだぞ。忘れたのか?」
「そうだったな…。出会ってからもう半年以上経つからすっかり忘れてた」
「その間にいろんなことがあったもんな」
「空閑がこっちにやって来た時は冬だったのに、今は夏だ。それだけ長く一緒にいるってことなんだよな…」
しみじみという修に遊真が返す。
「
遊真は長い間レプリカと一緒に
しかし
特に「食」に関しては食事を楽しむ余裕などなく、毎日同じ粗末なメニューを繰り返して食べるだけで、生命を維持するために食料を体内に摂取する行為のようなものであった。
ところが玉狛支部で暮らすようになってからは様々な「食」に触れるようになる。
大人数でワイワイと食事をすることだけでも珍しいことだというのに、冬は大きなひとつの鍋をみんなで食べる「鍋料理」や、屋外で肉や野菜を焼いて食べるバーベキューといったイベント的な食事は初めての経験だった。
また正月にお雑煮やおせち料理などの特別な日にはいつもと違うものを食べるという行為は
食べることひとつにしても豊かで楽しむ行為にできる
もし修に出会っていなかったら遊真はどうなっていたかわからない。
旧ボーダーの創設理念を実現化するための
そしてこのタイミングでツグミは自分の出生の秘密を知り、自らすすんで
20年以上前の有吾と織羽と城戸と最上の「
「オサム、おれに言いたいことがあるんだろ? 思い出話なら今でなくてもいいんだし、このタイミングで言うんならなんとなく想像はできるけどな」
遊真に急かされて、修はやっと本題に入る。
「空閑、おまえは
「ストップだ、オサム。オサムが心配してもしなくてもおれは行くし、無事に帰って来る覚悟でいる。だったら心配するだけ無駄だぞ。その分の時間を自分のために使え。おれがいつ帰って来られるかはわからないが、それまでに少しは成長したってトコ見せろよ。そうでなきゃ
「わかってる。だけど無茶はするなよ」
「C級のトリガーでモールモッドに向かって行ったオサムには言われたくないな。おれは勝ち目のない戦いはしない。相手がヤバいってわかったらすぐに撤退するよ。今回のような敵情を調査する場合は戦って勝つよりも敵にバレないように潜入して、情報を手に入れて戻って来ることが重要なんだ。戦うってことは敵にその存在がバレてるってことで、その時点でミッションは失敗になるんだぞ」
「それはそうなんだが…」
「オサムの気持ちはわかる。わかるから無茶はしないでちゃんと帰って来るって約束してんだ。オサムはおれのことを信用できないのか?」
わざと口を尖らせて拗ねた顔で遊真は言う。
すると修は慌てて言い返した。
「そんなことはないさ! 空閑のことはボーダーの誰よりも信じている。…でも心配はするに決まっているだろ。だって今はレプリカがいなくてたったひとりの旅なんだぞ。病気になったって看病してくれる人はいないんだし、なによりも寂しいだろ? ぼくだったらひとりで旅するなんて耐えられない」
「おれの身体はトリオン体だから病気の心配はないが、ひとりで旅するのはたしかに寂しいな。話し相手がいるといないではずいぶんと気の持ちようが変わってくる。だけどそれはトロポイに行く時だけだ。帰りには
遊真は修を心配させないようにと強がっている部分もあるが、これまでに積み重ねてきた経験が彼に自信を与えているのだ。
「今回の旅はひとりだけど、いつかオサムと一緒に
「それは楽しみだな。その時にはぜひ頼む」
少しだけ笑顔を取り戻した修が言う。
そしてひとつため息をしてから話を続けた。
「たぶん不安なのは空閑のことじゃなくて自分自身のことなんだと思う。千佳のことはもうぼくがそばで見守っていなくても大丈夫そうだし、遠征に参加しても機関員としてだけでなく戦闘員としても役に立つだろうから周りの人が千佳を守ってくれる。ところがぼくは先が見えない。もちろんこれまで以上に訓練を続けるつもりだけど、先が見えないっていうのは不安…というか怖いんだ」
「だけどオサムの周りにだって支えてくれる仲間や先輩がいっぱいいるんだから不安とか怖いって思うのはおかしいぞ」
「だからこそなんだ。みんなが期待してくれてもそれに応えることができない自分が悔しくて情けない。みんなの思いやりは嬉しいけど、それが重荷に感じる時がある。貴重な時間を割いて訓練に付き合ってくれたというのに成果を出すことができずにいて、それに耐えられなくなって逃げ出そうとしても逃げてはいけないと引き止める自分がいる。それで堂々巡りをしてしまって前に進めない。このまま出口が見付からなかったどうしよう…と思うと怖くてたまらないんだ」
「だったらグルグル回り続けてもいいし、見苦しくジタバタしてもいいじゃないか」
「空閑…?」
「誰だって成長の途中でグングン伸びたかと思うと途中で頭打ちになってしまう経験はしている。おれだって親父にトリガーの使い方を教わって途中までは順調だったけど、ある時から伸び悩んでしまったことがある。今のオサムは順調に伸びてきたから頭打ちになって困惑してしまっているんだろ? 大丈夫、そのうちにまた前に進めるようになるさ」
「空閑は停滞してしまった時にどうやって解決したんだ?」
「なんにもしないで一日中ぼんやりしていたり、川で魚釣りをしたりと訓練とは関係ないことをして過ごした。訓練をしないでいるとそのままダメになってしまうって不安になったけど、親父にトリガーを取り上げられてしまったから訓練はできなかったんだ。そして10日くらい経った頃かな、急に『できる』って気がしてきて親父からトリガーを返してもらって訓練を再開した。するとそれまでできなかった技が急にできるようになっていたんだ。理由はわからないけど、まあ気分転換したからだろうな。ひとつのことばかりに集中しているからそれが頭打ちになるとすべてがダメだと思うようになって、このままじゃ自分はおしまいだって勝手に決めてしまう。だから親父はおれからトリガーを取り上げて訓練ができないようにさせたんじゃないかって思うんだ。だからしばらくはA級とか遠征とかのことを忘れてのんびりしてみたらどうだ?」
「それができたら苦労はしないよ」
「う~ん…オサムの性格だと無理、かな? だけど前に進むにしても、たまには立ち止まってみるのも悪くない。遠回りのように思えることも案外それが一番の近道だったりすることもあるからな。まあ、おれの経験がオサムに通用するかどうかわからないけど、1週間か10日くらいボーダーに関係することを何もしないでいてみたら、案外今まで見えなかったものが見えるようになるかもしれないぞ」
「そういうものかな?」
「そういうものさ。もし不安があるならきりしな先輩に相談してみたらどうだ? 厳しいしけっこうキツめなことを言うけど信頼はできるぞ」
「そうだな。何だかんだ言っても面倒見が良くて、どっちを向いていいのかわからない時にはちゃんと正しい方向を示してくれる。いざという時には相談してみるよ」
「そうしろ。なにしろおれがトロポイへ行きたいという個人的な理由を公式な任務にしてくれたのがきりしな先輩なんだからな」
そう言うと修が遊真をたしなめた。
「任務で行くのはエクトスだ。トロポイの件はぼくたちだけの秘密なんだ、間違っても他の人に言うんじゃないぞ」
「そうだったな」
遊真はそう言って笑う。
ふたりのいる場所のすぐそばには七夕の笹飾りが立てられており、修の「空閑が無事に帰って来られますように」という短冊と、遊真の「オサムと一緒に
◆◆◆
翌早朝、遊真の乗った小型艇は玉狛支部のメンバーと忍田に見送られて