ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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345話

 

 

月曜日の朝、ツグミはディルクとヒュース、ゼノン、そして運転手の迅という計5人で唐沢の紹介でとある農家の畑へと向かっていた。

ここは農地の3分の2がトマトのハウス栽培で、残りの3分の1は露地物で数種類の季節の野菜の栽培をしている。

訪問した目的は玄界(ミデン)における標準的な農家の作業の見学であった。

アフトクラトルとキオンでは気候や地形の関係で稲作は不可能だが、畑作に関しては見習うべきことがたくさんあると考えたツグミが近界民(ネイバー)たちを「外国から日本の農業を学びに来た留学生」ということにして日本の農業を見せたいと唐沢に頼んであったのだ。

近界(ネイバーフッド)の国々ではトリオンとトリガー関連の技術は非常に進んでいるが、その他の産業・インフラ・政治等は玄界(ミデン)の中世ヨーロッパのレベルに近い。

国王を頂点とし、地方領主が領民たちから徴税をするとか、貴族同士が戦争をして陣取り合戦をしたり、他国に攻め入ってトリオン能力者をさらうなど100年どころか200年以上も昔に玄界(ミデン)であったことと同じようなことをしている。

農作業は未だに牛や馬を労力とした手作業で、作付面積に対する収穫量は非常に少ないから効率が悪い。

就労人口も少なく、国によっては他国を支配して強制的に徴収しなければ国民の生活を維持できないという状況だ。

そして玄界(ミデン)では当たり前にあるインフラが整備されていないので、貴族の屋敷であっても照明はロウソクで、水道がないから使用人が井戸で水を汲まなければいけない。

なにしろ「電気」というもの自体が存在せず、すべてのエネルギーをトリオンに依存しているために常にトリオン不足に陥っている。

そこに目を付けたツグミは近界(ネイバーフッド)に現代の玄界(ミデン)の生活様式を持ち込み、トリオンを目的とした戦争をなくすことで三門市に平和をもたらそうというのである。

電力については太陽光発電が可能であることは検証済みで、電力を確保できればトリオン依存の近界(ネイバーフッド)の国々の根本をひっくり返すことも可能となるだろう。

アフトクラトルとキオンという近界(ネイバーフッド)の二大軍事国家の人間に玄界(ミデン)の生活と文明を経験してもらうことで祖国に知識や技術を持ち帰りたいと思わせるのが目的で、その第一弾として農業を見てもらうことにしたのだった。

どちらの国も食糧不足に喘いでいて、他国を侵略して植民地化や従属させた国から徴収しているので、自国で十分とまではいかなくても大部分を賄うことができれば大勢の人間が重労働と飢えから解放されるだろう。

少なくともキオンは国民の食料を十分に調達できれば戦争などしたくはないと考えていて、玄界(ミデン)が技術協力すればトリガー関連の技術をボーダーに提供するという約束になっている。

キオンが近界(ネイバーフッド)における主導権を握るためにはどの国よりも早くボーダーと手を結ぶ必要があり、まずはゼノン隊を派遣することでボーダーに対して貸しを作ろうというのであった。

しかしディルクというアフトクラトルで影響力のある人間が参入してきたことで、場合によってはアフトクラトルも同様に玄界(ミデン)の技術をすすんで導入しようとするかもしれない状況になってきた。

ボーダーにとっての敵はベルティストン家であり、アフトクラトルという国自体はボーダーに対して敵意はないということにしてアフトクラトルの国王がボーダーに擦り寄ってくることも考えられる。

したがってどちらの国がいち早くボーダーと友好条約を結んで同盟国になるかが今後の近界(ネイバーフッド)の国々を大きく変えることになるわけで、ツグミはこの2国を平和な手段で競わせようと企んでいるのだ。

トマトを栽培する農家へ連れて来たのは近界(ネイバーフッド)にもトマトが存在しているからで、トマトが害虫や病気にやられやすくて栽培が難しい作物だとディルクとゼノンは良く知っている。

そのトマトをハウス内で栽培すると害虫は入りにくくなるだけでなく、水分をあまり与えない方が甘味が増すので水分調整を簡単に行えるハウス栽培は非常に効率が良い。

そして最も優れている点は夏季が旬の作物を一年通していつでも収穫できるというもの。

200年前の人間をタイムマシンで現代に連れて来てこのハウス栽培を見せたら腰を抜かすだろう。

それと同じことをツグミはディルクとゼノンに対してやっているとうわけだ。

 

ツグミの()()は大成功であった。

ディルクとゼノンは見るもの聞くものすべて初めての経験で、農業に関しては素人の彼らがここまで夢中になるのなら、専門家を連れて来たらもっと()()()ことになるだろうとほくそ笑んだ。

今後も農業のような第一次産業だけでなく二次・三次産業の現場や、電気・ガス・水道・通信・交通などの生活インフラについての重要性などを自分の目で確かめてもらう予定である。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミがボーダーの活動とは直接関係のないことをやっている間、ボーダー上層部は次の遠征に向けての準備を進めていた。

遠征対策準備室(仮)から提供された情報を元に「第一次三門市民救出計画」の準備として3つある候補のうちのひとつを選んで即戦力となる人員を調査隊として送り出すことに決まった。

3つの国へ同時に調査隊を送り出すことは事実上不可能だということになり、さらに隊員の中から数人を選んで訓練を行うにも時間がかかる。

よってまず1ヶ国を選んで近界(ネイバーフッド)での知識や経験豊富な遊真を()()()()送り出そうということになった。

遊真が有吾と一緒に近界(ネイバーフッド)の国々を渡り歩いた事実は非常に貴重なもので、ボーダーの人間の中で彼が一番近界(ネイバーフッド)の情勢に詳しいし、彼が三門市にやって来た時に使用した小型艇があって新たに遠征艇を用意する必要もない。

そこで遊真は調査隊の役目を引き受ける条件として行き先をエクトスにすることを要求したのだった。

エクトスは3つの国の中で一番遠い場所にあり、できるだけ早く出発した方がリスクの軽減になる。

そしていろいろな国を回って交易を行うので比較的安全な国だと認識されている。

もっとも遊真が国の内情を探るために玄界(ミデン)からやって来たスパイであるとバレたらどうなるかわからないが、彼が近界民(ネイバー)として自然に振る舞えばバレる可能性は非常に低い。

危険な任務ではあるが遊真が役目を引き受けたのは、エクトスの軌道とトロポイだと思われる国の軌道が交わるタイミングが約50日後で、今すぐに出発すればエクトス探索の()()()()レプリカの修理のためにトロポイへ行くことができるだろうということを知ったからである。

その情報源はもちろんツグミであり、玉狛第2の解散を聞いた彼女は()()()()()()()()と察して遊真をトロポイへ行くことができるように城戸に働きかけた。

即戦力であり、近界(ネイバーフッド)に一番詳しい人材で、さらに小型艇を隠し持っていることをツグミが城戸に教えたからこそ「まずは1ヶ国だけでも調査をしよう」という計画が実行されることになったのである。

そうでなければ遊真をひとりでエクトスの調査に向かわせるはずがない。

上手くいけば初手でビンゴとなり、ハズレであってもレプリカの修理ができるだろうし、残る2国はエクトスに比べたら近い場所なので遊真が帰国するまでの間に隊員の特別訓練が行うことができるといういくつものメリットがある。

城戸もツグミが何かしら企んでいるとは気付いていたが、それでも利害関係が一致するのだからと彼女の提案に賛成したのだった。

急なことではあったが、とにかく一刻も早く出発したいと遊真自身が望むものだから、3日後の7月5日にエクトスへ向かって発つことに決まった。

艇のトリオンチャージや食料の準備などで遊真だけでなく玉狛支部のメンバーはてんてこ舞いで、前夜にささやかな送別会が行われるまでゆっくりと話をする暇さえ持てなかった。

その送別会も夜遅くまで続き、修が遊真と話ができたのは日付が変わってからであった。

 

 

玉狛支部の屋上で修と遊真はふたりで並んで夜空を見上げていた。

 

「朝早くに出発するのに呼び出して悪いな、空閑」

 

「何言ってんだよ。おれの身体はトリオン体だから眠らなくても平気なんだぞ。忘れたのか?」

 

「そうだったな…。出会ってからもう半年以上経つからすっかり忘れてた」

 

「その間にいろんなことがあったもんな」

 

「空閑がこっちにやって来た時は冬だったのに、今は夏だ。それだけ長く一緒にいるってことなんだよな…」

 

しみじみという修に遊真が返す。

 

近界(ネイバーフッド)にも季節のある国はあるけどこんなにはっきりとはしていない。季節によって食べるものが違うなんて近界(ネイバーフッド)にはほとんどないぞ」

 

遊真は長い間レプリカと一緒に近界(ネイバーフッド)の国々を旅して様々な文化に触れてきた。

しかし近界(ネイバーフッド)の国は玄界(ミデン)と比べて衣食住のすべてにおいて数段劣る。

特に「食」に関しては食事を楽しむ余裕などなく、毎日同じ粗末なメニューを繰り返して食べるだけで、生命を維持するために食料を体内に摂取する行為のようなものであった。

ところが玉狛支部で暮らすようになってからは様々な「食」に触れるようになる。

大人数でワイワイと食事をすることだけでも珍しいことだというのに、冬は大きなひとつの鍋をみんなで食べる「鍋料理」や、屋外で肉や野菜を焼いて食べるバーベキューといったイベント的な食事は初めての経験だった。

また正月にお雑煮やおせち料理などの特別な日にはいつもと違うものを食べるという行為は近界(ネイバーフッド)にはない習慣だったので驚いた。

食べることひとつにしても豊かで楽しむ行為にできる玄界(ミデン)に遊真は感銘を受け、ずっとここで生きていきたいと願ったのは修の存在が大きかった。

もし修に出会っていなかったら遊真はどうなっていたかわからない。

旧ボーダーの創設理念を実現化するための引き金(トリガー)としてこのふたりの出会いは必然であったのだろう。

そしてこのタイミングでツグミは自分の出生の秘密を知り、自らすすんで近界民(ネイバー)と交流しようとしている。

20年以上前の有吾と織羽と城戸と最上の「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい」という願いは彼らの子供たちに引き継がれていて、それが叶う未来が手の届くところまで来ているのだ。

 

「オサム、おれに言いたいことがあるんだろ? 思い出話なら今でなくてもいいんだし、このタイミングで言うんならなんとなく想像はできるけどな」

 

遊真に急かされて、修はやっと本題に入る。

 

「空閑、おまえは近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)のことはボーダーの誰よりも詳しいし、自分自身を守るだけなら戦闘能力も十分だと思う。だけどこれから行く国はおまえにとっても初めて行く場所なんだ、どんな敵が現れるかわからない。それに霧科先輩の話だとトロポイという国はキオンの諜報員ですら正体を掴めない謎の多い国だっていうことだ。だから ──」

 

「ストップだ、オサム。オサムが心配してもしなくてもおれは行くし、無事に帰って来る覚悟でいる。だったら心配するだけ無駄だぞ。その分の時間を自分のために使え。おれがいつ帰って来られるかはわからないが、それまでに少しは成長したってトコ見せろよ。そうでなきゃ部隊(チーム)を解散した意味がないぞ」

 

「わかってる。だけど無茶はするなよ」

 

「C級のトリガーでモールモッドに向かって行ったオサムには言われたくないな。おれは勝ち目のない戦いはしない。相手がヤバいってわかったらすぐに撤退するよ。今回のような敵情を調査する場合は戦って勝つよりも敵にバレないように潜入して、情報を手に入れて戻って来ることが重要なんだ。戦うってことは敵にその存在がバレてるってことで、その時点でミッションは失敗になるんだぞ」

 

「それはそうなんだが…」

 

「オサムの気持ちはわかる。わかるから無茶はしないでちゃんと帰って来るって約束してんだ。オサムはおれのことを信用できないのか?」

 

わざと口を尖らせて拗ねた顔で遊真は言う。

すると修は慌てて言い返した。

 

「そんなことはないさ! 空閑のことはボーダーの誰よりも信じている。…でも心配はするに決まっているだろ。だって今はレプリカがいなくてたったひとりの旅なんだぞ。病気になったって看病してくれる人はいないんだし、なによりも寂しいだろ? ぼくだったらひとりで旅するなんて耐えられない」

 

「おれの身体はトリオン体だから病気の心配はないが、ひとりで旅するのはたしかに寂しいな。話し相手がいるといないではずいぶんと気の持ちようが変わってくる。だけどそれはトロポイに行く時だけだ。帰りにはレプリカ(相棒)が一緒に旅してくれる。だからきりしな先輩はボーダーに内緒でエクトスの調査よりも先にトロポイへ行ってレプリカを修理してもらって来いって言ってくれたんだ。レプリカがいれば調査もだいぶ楽になるし、帰り道も楽しいものになるはずだからな」

 

遊真は修を心配させないようにと強がっている部分もあるが、これまでに積み重ねてきた経験が彼に自信を与えているのだ。

 

「今回の旅はひとりだけど、いつかオサムと一緒に近界(ネイバーフッド)を旅してみたいな。もちろんボーダーの遠征じゃなくて、個人的な旅行で。今の状況では玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)を自由に行き来することは不可能だけど、いつかそういう日が来るだろうとおれは信じている。その時が来たらおれが近界(ネイバーフッド)の面白い場所を案内してやるよ」

 

「それは楽しみだな。その時にはぜひ頼む」

 

少しだけ笑顔を取り戻した修が言う。

そしてひとつため息をしてから話を続けた。

 

「たぶん不安なのは空閑のことじゃなくて自分自身のことなんだと思う。千佳のことはもうぼくがそばで見守っていなくても大丈夫そうだし、遠征に参加しても機関員としてだけでなく戦闘員としても役に立つだろうから周りの人が千佳を守ってくれる。ところがぼくは先が見えない。もちろんこれまで以上に訓練を続けるつもりだけど、先が見えないっていうのは不安…というか怖いんだ」

 

「だけどオサムの周りにだって支えてくれる仲間や先輩がいっぱいいるんだから不安とか怖いって思うのはおかしいぞ」

 

「だからこそなんだ。みんなが期待してくれてもそれに応えることができない自分が悔しくて情けない。みんなの思いやりは嬉しいけど、それが重荷に感じる時がある。貴重な時間を割いて訓練に付き合ってくれたというのに成果を出すことができずにいて、それに耐えられなくなって逃げ出そうとしても逃げてはいけないと引き止める自分がいる。それで堂々巡りをしてしまって前に進めない。このまま出口が見付からなかったどうしよう…と思うと怖くてたまらないんだ」

 

「だったらグルグル回り続けてもいいし、見苦しくジタバタしてもいいじゃないか」

 

「空閑…?」

 

「誰だって成長の途中でグングン伸びたかと思うと途中で頭打ちになってしまう経験はしている。おれだって親父にトリガーの使い方を教わって途中までは順調だったけど、ある時から伸び悩んでしまったことがある。今のオサムは順調に伸びてきたから頭打ちになって困惑してしまっているんだろ? 大丈夫、そのうちにまた前に進めるようになるさ」

 

「空閑は停滞してしまった時にどうやって解決したんだ?」

 

「なんにもしないで一日中ぼんやりしていたり、川で魚釣りをしたりと訓練とは関係ないことをして過ごした。訓練をしないでいるとそのままダメになってしまうって不安になったけど、親父にトリガーを取り上げられてしまったから訓練はできなかったんだ。そして10日くらい経った頃かな、急に『できる』って気がしてきて親父からトリガーを返してもらって訓練を再開した。するとそれまでできなかった技が急にできるようになっていたんだ。理由はわからないけど、まあ気分転換したからだろうな。ひとつのことばかりに集中しているからそれが頭打ちになるとすべてがダメだと思うようになって、このままじゃ自分はおしまいだって勝手に決めてしまう。だから親父はおれからトリガーを取り上げて訓練ができないようにさせたんじゃないかって思うんだ。だからしばらくはA級とか遠征とかのことを忘れてのんびりしてみたらどうだ?」

 

「それができたら苦労はしないよ」

 

「う~ん…オサムの性格だと無理、かな? だけど前に進むにしても、たまには立ち止まってみるのも悪くない。遠回りのように思えることも案外それが一番の近道だったりすることもあるからな。まあ、おれの経験がオサムに通用するかどうかわからないけど、1週間か10日くらいボーダーに関係することを何もしないでいてみたら、案外今まで見えなかったものが見えるようになるかもしれないぞ」

 

「そういうものかな?」

 

「そういうものさ。もし不安があるならきりしな先輩に相談してみたらどうだ? 厳しいしけっこうキツめなことを言うけど信頼はできるぞ」

 

「そうだな。何だかんだ言っても面倒見が良くて、どっちを向いていいのかわからない時にはちゃんと正しい方向を示してくれる。いざという時には相談してみるよ」

 

「そうしろ。なにしろおれがトロポイへ行きたいという個人的な理由を公式な任務にしてくれたのがきりしな先輩なんだからな」

 

そう言うと修が遊真をたしなめた。

 

「任務で行くのはエクトスだ。トロポイの件はぼくたちだけの秘密なんだ、間違っても他の人に言うんじゃないぞ」

 

「そうだったな」

 

遊真はそう言って笑う。

 

ふたりのいる場所のすぐそばには七夕の笹飾りが立てられており、修の「空閑が無事に帰って来られますように」という短冊と、遊真の「オサムと一緒に近界(ネイバーフッド)を旅したい」という短冊が2枚並んで吊るされていて風に揺れていた。

 

 

◆◆◆

 

 

翌早朝、遊真の乗った小型艇は玉狛支部のメンバーと忍田に見送られて近界(ネイバーフッド)へと旅立っていったのだった。

 

 

 

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