ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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346話

遊真が調査隊第一弾としてエクトスへ向かったことで「第一次三門市民救出計画」は一歩前進した。

このことはメディア対策室としては市民に発表すべきことなのだが、まだしばらくの間は公表しないことになっている。

なにしろボーダーが近界(ネイバーフッド)へ人を送り込んだのはつい最近のことであり、行方不明の市民を探す手がかりがまったくない()()なので、その状況で隊員を調査隊として派遣するのは時期尚早ではないかという声が上がると推測されるからだ。

一日も早く家族や友人を救出してほしいと願っている市民は大勢いるが、未知の異世界に若者を送り込んで危険な目に遭わせることを望んでいるのではない。

だから適切なタイミングに発表することに決め、遊真が調査隊として出発したことはボーダー内でも一部の関係者しか知らされていないのだった。

 

遊真がエクトスへ向かっている間にできることは調査隊として任務を遂行できる隊員の育成で、まずはA級隊員の中から希望者を募ることにした。

これは単純に戦闘力が高ければいいというものではなく、隠密行動を主としてできるだけ戦わずに済ませることが重要であるから、いくらA級隊員が精鋭揃いといっても諜報活動に向いているとは限らないのだ。

これは焦っても逆効果となるわけで、興味のない隊員に対して強制したり、明らかに隠密行動に向いていない隊員に教育しても意味はないということで、時間をかけて行うこととなった。

 

遠征艇については新たに1艇建造する計画が立てられた。

それだけの資金にゆとりがあるということで、アフトクラトル遠征後にスポンサーが増えたおかげである。

さらに三門市は行方不明の市民救出のため「ふるさと納税」で支援を求めることを発表したものだから、小口ではあるものの全国からの善意の寄金が集まった。

なお、これはボーダー隊員の福利厚生に関わるものだけでなく、救出された市民が社会に復帰するための支援に使われることになっている。

 

 

B級ランク戦については9月から新たなルールによって再開されることになった。

試合のルールなど大まかな部分がこれまでどおりだが、A級昇格に関してのみ少々変更がある。

遠征計画が本格的に動き出すと遠征に参加するA級隊員たちは通常の防衛任務に就くことが困難になるので、B級の上位1・2位の部隊(チーム)がA級部隊(チーム)との模擬戦を行うことがほぼ不可能だと思われる。

本来のルールではすべてのA級部隊(チーム)と戦っての勝率と戦闘の内容によって昇格の判断を下すもので、前回の二宮隊と玉狛第2はアフトクラトル遠征を優先することもあってB級ランク戦自体を短縮して、さらにA級部隊(チーム)との模擬戦も1回だけという特別扱いであった。

よって次回のB級ランク戦はできる限り通常のルールに戻さねばならない。

しかしA級部隊(チーム)が玉狛第1を含めて10部隊(チーム)あり、そのすべてと戦うとなればそのスケジュール調整に人手と時間が大幅にかかってしまうということでルール自体を変えることにしたのだ。

そこで試験は行わず、B級ランク戦で決まった上位3部隊(チーム)までをB級という立場ではありながら実質的にはA級として優遇するというものである。

出来高払いの給与が固定給+出来高になるだけでも隊員たちにとってはやる気を出すことになるし、隊章(エンブレム)を持つことも彼らの部隊(チーム)の格を上げるというものだ。

さらに武器(トリガー)の改造もOKとなるので、戦力面でもアップが見込まれる。

単純にA級隊員の数を増やせばいいという意見もあったが、B級上位だからといってA級として相応しいかどうかは別ものである。

だからこそ試験を行っていたわけだが、その試験を行うことが現状では困難であり、玉狛第2が不合格になったという事実もあってA級とB級は明確な区分けが必要だと判断された。

そしてB級上位3部隊(チーム)のメンバーには三門市防衛という本来の任務において中心となってもらい、遠征部隊がいない期間には留守番組のA級部隊(チーム)とともに三門市防衛の主戦力として戦ってもらうための措置なのである。

前回のB級ランク戦で1位の二宮隊がA級に昇格し、2位の玉狛第2が解散したことで順位は2つずつ繰り上がり、来月から行われるシーズンは1位影浦隊、2位生駒隊、3位王子隊…というランキングで始まることが決定。

開幕は9月3日の水曜日となり、3ヶ月かけてRound20まで行われた結果で1位から3位までがB級でありながらもA級と同一の待遇が受けられることになる。

A級昇格を目指している彼らにとってしばらくの間昇格試験が行われないのはモチベーションの低下に繋がるだろうが、それを補うだけのメリットがあるのだからボーダーの事情を鑑みてこの新ルールには納得してくれるだろう。

 

 

◆◆◆

 

 

ボーダー本部と三門市民が「三門市民救出計画」で盛り上がっている一方、ツグミはエウクラートンの女王の「往診」のために動いていた。

城戸から面識のある白峰医師に頼んだことを知らされ、ツグミはさっそく白峰医院へと足を運んで打ち合わせをした。

 

「これまで往診は何百回とやったが、まさか異世界の患者のところにまで行くことになるとは思ってもみなかったぞ」

 

白髪混じりの頭を掻きながら中年医師は言う。

彼の名は白峰仁政(しらみね じんせい)という68歳の小さな医院の開業医だ。

以前にツグミがトリオン切れで倒れた際に精密検査をしてくれた医師で、彼女はその時に初めて会ったと思い込んでいるのだが、実は彼女がプラーヌスからやって来たアマドという近界民(ネイバー)の一家と遭遇した一件で会っているのだ。

しかしこの事件そのものを表沙汰にしたくない上層部は彼女の記憶を操作して()()()()()()にしてしまった。

だから精密検査の時が初めてで、今回が2度目だと思い込んでいる。

民間人でありながら彼は近界民(ネイバー)が人間であり、トリオン器官という内蔵の存在を知っているボーダーの協力者なのである。

ちなみに白峰の弟がボーダーの専属医で、旧ボーダー時代の城戸や忍田たちが彼らに世話になったこともあり、近界民(ネイバー)絡みで医師が必要なケースでは彼が引き受けている。

「記憶処理」にも関係していて、ボーダーの「暗部」にも関わっている重要人物なのだが、彼の正体を知っているのは城戸、忍田、林藤の旧ボーダー3人組と唐沢の4人のみである。

よって今回のツグミの依頼によるエウクラートンの女王の往診は彼が行くしかなく、今後のエウクラートンとの関係を良好なものにするには必要なことなのだ。

近界(ネイバーフッド)において影響力のある国と親交を持つことはボーダーにとって重要な案件であり、ありていに言うと「恩を着せよう」ということである。

もっとも朋友であった織羽の祖国の一大事であり、現女王は織羽にとって叔母なのだから見て見ぬふりもできないという気持ちもあった。

 

「無茶なことを言ってすみません。でも世界で初めて近界(ネイバーフッド)()()()()()医師として記録に残りますよ。公にはできませんけどね」

 

ツグミは白峰に淹れてもらったお茶を飲みながら会話を続ける。

 

「片道おおよそ2週間で、滞在日数がどれくらいになるかわかりませんが、全行程40日から50日くらい予定でいます。食料や日用品などはボーダーで用意しますが、何か特別に用意するものがあれば今のうちに言ってください」

 

「ああ、それならもう城戸司令にいくつか頼んであるよ。きみが患者に会っていて、さらにエウクラートンという国のことを報告したことで()()に何が必要なのかはおおよそ見当が付いているからね」

 

ツグミは素人ながら女王の体調不良に関していくつかの症状について気付き、それを城戸に報告して医師の手配を依頼してあった。

彼女は女王が「疲れやすく、夜よく眠れない」「すぐに息が切れて眩暈や立ちくらみをよく起こす」「爪が弱い」「顔色がすごく悪い」という症状や、「野菜は十分に摂れているが、肉や魚といったものは不足がち」「鉄分を多く含む赤身魚やレバー、海藻類などは一切摂取していない」という生活習慣から極度の貧血である可能性が高いと判断していた。

当たらずとも遠からずという認識で、白峰は日頃から太陽の光の当たらない地下の神殿から一歩も外に出ないという点や、運動不足などの情報を参考にして治療に使う機材や医薬品などを取り寄せてもらっていて、そのほとんどが既にボーダーの倉庫に積まれている。

 

「そうでしたか。近界(ネイバーフッド)の医療レベルはこちら側の世界に比べて格段に劣っています。疫病を神の怒りだと言ってお祈りで収めようとするほどではありませんが、ビタミンやタンパク質といった食品から得られる栄養素の概念すらなく、食事は腹を満たして生存するための行為でしかないんです。これはどこの国でも人間の数に対して食料の生産が少ないことと、トリオンとトリガーに関する技術はどんどん進歩していくのに人間がより良く生きるためには全然生かされないためで、常に戦争が行われている国では身分の低い人間はトリオンを搾取されているという現実をわたしはこの目で見てきました。三門市民がさらわれるのもたくさんのトリオンを必要としている国があって、戦争のために兵士が大勢必要だからなんです。まるでこちら側の世界の中世ヨーロッパのようじゃありませんか。だからこちら側の世界ではすぐに治療すれば簡単に回復する病気であっても近界(ネイバーフッド)では死に至ることもあるんです。如何せん医師の数が少なく、下層階級の人々は治療さえ受けられないのが現実なんです」

 

「それはマズイなあ…。トリオン兵とか言う怪物兵器を作る技術があっても、そういった人間が生きていく上で必要なものが欠けている国というのはいずれ滅ぶ。別に近界(ネイバーフッド)の国が消えてなくなろうと私は痛くも痒くもないが、病気で苦しんでいる人間がいるとなれば無視を決め込むこともできん。城戸司令の話だと私の往診先はボーダー創始者のひとりである近界民(ネイバー)男性の故郷で、きみの様子を見ているときみ個人にとっても因縁浅からぬ国なんだとわかる。ならば行くしかなかろう」

 

「ありがとうございます。近界民(ネイバー)に関わることですから他にお願いできる人がいませんから白峰先生だけが頼りなんです」

 

「頼りにされるのは嫌いじゃない。大船に乗った気持ちでいてくれ…と言いたいところだが、近界(ネイバーフッド)近界民(ネイバー)のことならきみの方が専門家(プロ)だからな、そっちはお願いするよ」

 

「はい、任せてください。それからこちらの準備はできていますのでいつでも出発OKです。先生の準備ができたらご連絡ください。すぐに発ちますから」

 

「承知した」

 

こうして簡単な会話をしただけで打ち合わせらしいことはしなかったが、このふたりが次に会ったのはその5日後の出発当日であった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミには他にもやらなければならないことがあった。

ディルクとゼノンに玄界(ミデン)の進んだ社会を見せることで現在の近界(ネイバーフッド)国々が抱えている問題を解決しようという計画を進めていたが、彼女がエウクラートンへ行くことになると計画が中断してしまうことになる。

それは当事者たちにとって不都合なものとなり、ディルクやゼノンは玄界(ミデン)で無駄な時間を過ごすこととなるわけで、彼女はそのための対策もちゃんと考えていた。

これまではツグミが同行していろいろな場所を見学させてもらっていたのだが、案内役は彼女ではない。

手配してくれているのは唐沢だし、運転手は迅がやっていて、ツグミはタダの付き添いのようなものだ。

よってこのふたりに任せてしまっても特に問題はなく、彼女が作った「見学場所リスト」を()()してもらえばいい。

もちろんそれには他の人たちの協力が必要で、関係者にはそれぞれの尽力に見合う「礼」を考えている。

ツグミはエウクラートン出発までの間にお世話になる人たちを回ったのだが、日頃の行いが功を奏して誰もが快く引き受けてくれたのだった。

 

 

エウクラートンへ行くのはツグミと白峰と、遠征艇の操縦とボディガードを兼ねたリヌスの3人である。

テオも一緒に行きたいと言い出したが、ツグミの計画では彼に調査隊メンバーへ諜報や近界(ネイバーフッド)の各国の国情などを教える教官という役目をお願いして同行をリヌスだけにしたのだった。

教官の役目ならリヌスでも良いのだが、やはりエウクラートンへ行くとなれば彼の方が適任であるのは間違いない。

「それぞれが自分の役目を完遂しよう」というツグミに対し、テオは従う代わりに彼女が帰って来たら以前に行ったフルーツパーラーでもう一度スイーツ&フルーツの食べ放題をしようという約束を取り付けた。

 

 

◆◆◆

 

 

そして出発の前夜、ささやかな送別会が行われた。

以前は「別れの儀式」に強い嫌悪感を抱いていたツグミだが、自分に自信がついて必ず帰って来ることができる、さらに見送る側になっても相手が必ず帰って来るという確信が持てるようになったことで普通に受け入れられるようになったのだった。

ツグミは親しい者たち()()に囲まれて楽しそうにしているのだが、見送る側の気持ちは複雑だ。

特に迅は自分以外の男がツグミと長い旅に出るのであり、おまけに自分に隠し事をしているとなればモヤモヤしたものを抱えてしまうのは無理もない。

 

(ツグミがエウクラートンの女王の病気を気にするのはわかる。医師に診察してもらいたいという気持ちも理解できる。しかし今回の渡航はそれだけじゃない。俺にすら言えないことがあり、自分で解決しようとしている…というところまではわかるが、それが何なのかはまったく視えない。ただし今回も無事に帰って来ることだけはわかるが、結果だけがわかったところで道中の心配をしないで済むというだけだ)

 

アフトクラトルによる大規模侵攻の頃はいくつもの未来が視えていて、その中からどの未来を選ぶかは本人の意思に委ねられ、彼の行動によって迎える結果が変化することになっていた。

ガロプラによる襲撃も前もって予知し、大きな被害を受けることなく片付いた。

しかしそれ以降の彼の未来視(サイドエフェクト)には少しだけ変化が見られた。

不確定な未来の可能性が視えなくなり、確定したものしか視えなくなっていたのだ。

それもどうなるかが詳しくわかるものではなく、結果のみが「視える」というものになっている。

アフトクラトル遠征でもどのような経過になるかはまったく視えず、「成功する」「誰も死なない」という大雑把なものしかわからなかった。

ツグミが修を遠征に参加させるよう忍田に頼んだのも迅の「誰も死なない」という未来視(サイドエフェクト)の結果によるもので、「修が死なない」というものではない。

ツグミがキオンやアフトクラトルへ行くと言い出した時も「ツグミは無事に帰還する」ことは視えても彼女の行動がどんな結果をもたらすかは視えていなかったのだ。

それだけでも十分意味のあるものなのだが、いくつもある未来を自分自身の判断と行動で選ぶことはできなくなり、定められた未来を先に知ることしかできないとなれば未来視の能力は迅の精神を追い詰めることにもなりかねない。

これまでは「成功する」「誰も死なない」といった良い未来しか視えなかったからそれでよかったのだが、もし「失敗する」「誰かが死ぬ」という悪い未来が視えてそれが()()()()()()であれば何をしても回避することはできないのだ。

そして何も視えないというのは複数の可能性があってまだ決まっていないということになり、以前のように最善の未来になるように行動する「ヒント」がないのであれば手の打ちようもない。

これが迅の未来視(サイドエフェクト)の能力の質が変化したのか、能力の低下なのかはわからないのだが、このことはまだ誰にも打ち明けることができずにひとりで悩んでいる。

 

(ツグミが無事に帰って来ることは確定した未来ということで安心してはいられるが、こいつの旅がボーダーや周囲の人間にとって今後どのような影響を与えるのかはわからない。行かせて良いものかどうか散々悩んだが、結局はこいつの意思に任せることにした。しかしこの未来視(サイドエフェクト)とは違う俺の勘が言っている。こいつがエウクラートンに行くことはこいつの人生と周囲の人間の未来を大きく変えることになる気がする。無事に帰って来さえすればいいというものじゃない。せめてこいつが俺に何でも話してくれさえすれば…)

 

ツグミに何でも話してほしいと言いながら、自分の未来視(サイドエフェクト)の能力の変化については彼女に話してはいないのだから矛盾している。

どちらも心配させたくないという相手への思いやりなのだが、迅にしてみれば自分の手を離れて遠くへ飛んでいこうとするツグミに置き去りにされているような気がして寂しくてたまらない。

特にツグミに好意を寄せているリヌスと旅をするのだから、この自分のいない期間に何かふたりの間にあったらと想像すると居ても立ってもいられないのだ。

もちろんツグミは迅一筋でリヌスに対しては「良いお友達」とか「戦友」の気持ちしかないものの、本人の意思に関わらず何らかの変化がありうるというもの。

迅には「ツグミは無事に帰還する」未来が視えていてもそれは怪我や病気をすることがなく()()()()()()()()というもので、彼女の心の変化まではわからない。

 

(俺の気持ちも知らずに暢気な顔をしてやがる。長い間離れ離れになるっていうのに寂しいと思わないのか? 俺が浮気をしないと確信しているとしても、会えなくなる時間を寂しいと思わないから平然としていられるんじゃないのか? それとも俺のことよりもエウクラートンの女王のことの方が大事なことだから、離れ離れになるのは仕方がないとか?)

 

父親代わりの忍田と城戸に公認された恋人同士になったというのに恋人らしいことはほとんどできず、この数ヶ月間ボーダーの活動に追われてふたりだけの時間を確保することすら難しかった。

それは仕方がないことなのだが、離れ離れになっているのではなく常に一緒に行動していてもそれは任務の一環であるからプライベートな会話ができるはずもなく、そのことをツグミが残念そうな顔をすることはなく平然としている。

それが迅には不満で寂しいのだ。

 

 

送別会は2時間ほどでおしまいとなり、迅は片付けをしているツグミのそばへ行くと耳打ちをした。

 

「あとでふたりきりで話をしよう。片付けが終わって解散をしたら5分後に俺の部屋に来てくれ」

 

「はい。必ず行きます」

 

ツグミは小さく頷いてそう答えた。

 


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