ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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36話

 

 

ツグミは新部隊(チーム)結成の書類を提出し、正式に「霧科隊」通称「玉狛第3」が発足した。

そのニュースはC級隊員を含めすべての防衛隊員にあっという間に広がり、ランク戦開始前から話題になっている。

しかし入隊2年未満の隊員は彼女の名前すら知らない者も多く、本部時代の彼女の個人(ソロ)ランク戦のログも残っていないから、B級隊員の半数以上は彼女の戦闘スタイルをまったく知らない。

先の大規模侵攻で「特級戦功を受けた」「完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)」という情報の断片しかなく、情報を得るには彼女のことを知っている隊員からのクチコミしかないのだ。

それがツグミにとって一番の強みとも言える。

修たちもまだ彼女のすべてを知っているわけではないので、いずれランク戦でぶつかるライバルとして慎重にならざるをえない。

それでも玉狛支部での日常は変わらない。

いつものように師匠たちからの指導を仰ぐ修たちと、師匠不在の場合には模擬戦などに付き合うツグミ。

ただ変わったことがふたつあった。

ひとつ目はツグミが自室を作戦室に改造したこと。

誰にも気兼ねなくランク戦に向けて様々な戦術、さらに長期的な戦略を練るためである。

ふたつ目は例の外務・営業部長()()の役目が加わったことで、防衛任務の数を減らさなければならなかったこと。

こちらに関しては林藤だけでなく玉狛支部全員の許可を得ているので、さほど問題にはならない。

強いてもうひとつあると言えば須坂個人から彼女宛の清涼飲料水や健康補助食品などの食料品の差し入れがあり、おかげで玉狛支部の()()が少しだけ楽になったことくらいだ。

 

玉狛第2は修と遊真が大規模侵攻で得たポイントを千佳に分け与えるという裏ワザを駆使して彼女をB級に昇格させた。

そして遊真自身は個人(ソロ)ランク戦でポイントを稼ぎ、4000ポイントを超えたことでB級昇格。

これで3人揃ってB級ランク戦に出場できることとなった。

あとは開幕日を待つだけである。

 

 

 

 

B級ランク戦の開幕日までの数日間、ツグミはこれまで以上に忙しかった。

彼女は唐沢に連れられていくつかの企業を回って資金援助のお願いをしたり須坂の自宅に招待されたりと、学業&防衛任務という()()以外の仕事で目まぐるしい毎日を過ごしている。

彼女のおかげで従来のスポンサーからは資金援助の増額が、また新たなスポンサーとして名乗り出る企業・団体が現れた。

もちろんツグミの活動は非公式なものであるから城戸たち上層部と玉狛支部の人間しか承知しておらず、彼女の苦労を知る者は少ない。

しかしそれでも彼女は「自分がやるべきことをやっているだけで、誰かに感謝されたいわけじゃない」と言ってマイペースを貫いていた。

 

 

◆◆◆

 

 

そんなある日、久しぶりに全日オフとなったツグミが自室で寛いでいるとドアをノックする者が現れた。

 

「俺だけど、今いいか?」

 

声の主は迅である。

もちろん断る理由はないので、ツグミは中に招き入れることにした。

 

「どうぞ」

 

入って来た迅の表情はいつもと同じなのだが、ツグミには普段と違う気配を感じた。

いつもならぼ〇ち揚の袋を抱えているというのに、手ぶらでいるのもおかしい。

しかし気付かないフリをして、いつものように接することにした。

 

「こんな時間にジンさんが玉狛にいるなんて珍しいですね。午前中に大量の洗濯をしましたから、ジンさんのせいで雨が降らなきゃいいんですけど」

 

「ハハハ…実力派エリートでも休息は必要さ。…ところで今日は例の仕事はないみたいだな?」

 

「ええ。唐沢部長が中央省庁巡りで留守にしてますので。学校の方も提出するレポートは書き上げてしまいましたし、特にこれといってやることもないものでいろいろ考えてました」

 

「いろいろ考える?」

 

「ええ。ユーマくんがこちらの世界に来てから日常が一変して、まさかこのわたしがランク戦に参加してA級を目指すことになるなんて、ジンさんの未来視(サイドエフェクト)でも視えなかったんじゃないですか?」

 

「そうだな…」

 

「なんだかユーマくんとオサムくんを中心としてボーダーにも新たな動きが出ているってカンジ。これからどうなるのか楽しみだって言ったら不謹慎かしら?」

 

「そんなことはないさ。俺も同じだからな」

 

迅の言葉にツグミは微笑む。

 

「ところでわたしに何かご用ですか?」

 

「あ、ああ…。ちょっと付き合ってほしいところがある。暇ならこれから一緒に出かけないか?」

 

「ジンさんとお出かけですか? もちろんご一緒しますけど、どこへ行くんですか?」

 

「うん…あまり楽しいっていう場所ではないが、急に行きたくなって、な…。じゃ、俺は車の用意をしてくるから、おまえは出かける支度をして駐車場まで来てくれ」

 

迅はそう言ってツグミの部屋を出て行った。

ツグミは行き先がわからないのでどんな服にすべきかと考えたが、迅の言う「あまり楽しいっていう場所ではない」という言葉に思い当たる場所がひとつしか思い当たらず、それに合わせて白ブラウスに黒スカート、黒ジャケットという地味な服装にする。

髪をまとめている桜色のリボンも外し、代わりにシンプルな白いリボンで結び直した。

ツグミが駐車場に行くと迅が彼女を待っていた。

迅はツグミの服装を見て彼女が自分の良き理解者であると再認識して思わず笑みがこぼれた。

迅が運転席、ツグミが助手席に座る。

後部座席には花束がふたつと、日本酒の一升瓶と缶コーヒーやジュースなどの清涼飲料水が置かれている。

ツグミもそれを見て自分の判断が正しかったと感じていた。

 

 

迅がツグミを連れて来たのは三門市の北西にある三門山の中腹の小さな公園であった。

ここには旧ボーダー時代から現在に至るまでの殉職したボーダー隊員の慰霊碑があって、5年前の近界(ネイバーフッド)遠征で亡くなった最上をはじめとした10人の名前が刻まれた黒御影石の石碑が市内を見渡せるようになっている。

別の場所には第一次近界民(ネイバー)侵攻の際の民間人犠牲者の慰霊碑があって、そこは整備された市民公園になっているのだが、それに比べてこちらの慰霊碑を訪れる者はボーダー関係者くらいで、いつもひっそりと静まり返っている。

 

「最上さん、みんな…久しぶり」

「みなさん、ご無沙汰してます」

 

迅とツグミは慰霊碑に声をかけ、ツグミは持ってきた花束を、迅は最上が好きだった酒の封を開けて他の飲み物と一緒に供えた。

そしてふたり並んで黙祷をする。

来月には慰霊祭が行われ、先日の大規模侵攻で亡くなった本部通信員6人の名前もこの慰霊碑に加えられることになっている。

 

「みんな…ここからならよく見えたと思うけど、また近界民(ネイバー)が攻めて来たんだ」

 

そう言って迅は師匠や旧友たちに大規模侵攻のことを報告する。

 

「…で、市民の犠牲者は出なくて済んだけど、本部の職員が6人殺られた」

 

そこまで言うと、迅はひどく辛そうで絞り出すような声で続けた。

 

「俺にはそうなる未来が視えていたのに助けてやることができなかった。…いや、助けようとしなかった。いくつかある未来の中で、彼らが救われる未来を俺は選ばなかったんだ」

 

師匠や旧友たちの前で懺悔をする迅の背中を見つめるツグミ。

なぜ迅が自分を連れて来たのかわからず、ただ彼の行動を見守るしかない。

 

「これは言い訳にしかならないが、最悪の未来を回避する上で彼らを見捨てなければならなかった。もちろん死んでいった連中の命を蔑ろにしたつもりはない。誰も俺を責めはしないし、仕方がなかったことだ、俺の判断は正しかったのだと言う。しかし大を救うためには小を切り捨ててもいいものなのか? 小を助けるために大を犠牲にすることがあってもいいのか? 俺にはわからなくなった。…最上さん、俺はどうすべきだったんでしょうか?」

 

命の重さに差はない。

一方を救うためにはもう一方を切り捨てなければならない場合、その命の数を基準にして多い方を救おうとするのはごく自然なことである。

多くの人間が同じ判断をするだろう。

だから迅も同じことをしたし、そのおかげで民間人にはひとりの犠牲者も出ずに済んだのだ。

ただ彼はボーダー職員を助ける未来を選ぶこともできた。

しかしボーダー職員の命を優先したことで民間人に犠牲が出たら、それはそれで自分をもっと責めたに決まっている。

 

(なぜジンさんは答えの出ない問いに苦しんでいるんだろう…? ジンさんが自分を責める理由なんてないのに…)

 

たしかに迅にはいくつもの未来が視えていて、C級以外の隊員がさらわれるとか、民間人に犠牲が生じるといった未来もあった。

その中で彼は彼の思う最善の未来を目指して奔走した。

未来視のサイドエフェクトを持ったがゆえに悩み苦しむ迅。

そんな彼にツグミは声をかけることができずにいた。

他の人間のように彼の選択が正しかったのだとか、彼のおかげで多くの人命が救われたなどという言葉では何の慰めにもならない。

そんな言葉ではなくもっと別の何かでなければ彼の救いにはなれない気がしていたからだ。

 

 

しばらく慰霊碑の前でしゃがみこんでいた迅が立ち上がってツグミの方を振り向いた。

 

「なあ、ツグミ…おまえはこんな俺の姿を見て情けないヤツだと思っているんだろうな?」

 

そんなことを言う迅にツグミは厳しい言葉を放った。

 

「ええ、情けないです。普段は実力派エリートとか言って偉そうにしているのに、こんな誰にも見せられないような覇気のない姿を晒すなんて…。死者に話しかけて正解のない問いの答えを求めるなんてナンセンスです」

 

「ハハハ…。普通、こういう時には優しい言葉で慰めるってのがお決まりなんだけどな」

 

笑ってはいるもののそれは自分を卑下するもので、ツグミには迅の姿に呆れてしまう。

 

「そういうのを期待しているのなら、他の女性にお願いしてください。わたしは『みんながそうするから』といって同じことをするのは嫌いなんです。わたし自身がジンさんに優しい言葉をかけたいと思ったらなそうしますけど、今のあなたに優しい言葉は意味がない。ジンさんだってわたしにそんなものを期待してここへ連れて来たわけじゃないんでしょ?」

 

「…まあな」

 

「わたしにできるのはあなたのやり場のない怒りや苦しみ、哀しみを正面から受け止めることで昇華させることくらい。ううん、わたしにそんな大層なことができるかわからないですけど、抱えているものをすべて吐き出しちゃってください。ここなら誰にも見られたり聞かれたりする心配がないからさっさと出すもの出してスッキリした方がいいですよ」

 

「…おまえには敵わないな。昔から俺が落ち込んでいる時には必ずそばにいて、シビアな目で俺を見てる。俺の悩みや苦しみをくらだないことだと言って一刀両断するんだ」

 

「バッサリと斬るのは得意ですよ。だってわたしは弧月使いですもの」

 

「フッ…。そしていつも俺の愚痴やバカバカしい話を最後まで聞いてくれるよな」

 

「だってそんな萎れている姿を見せられるのがわたしだけなんだろうなって思えば、そうするに決まってるじゃないですか。それにわたしはいつだってジンさんの味方ですもの。世界で2番目に好きな人なんだから」

 

「2番目? じゃ1番は?」

 

「そんなの真史叔父さんに決まってるじゃありませんか。世界で一番強くて、頼もしくて、カッコ良くて…。だらしないところや他人には言えないような恥ずかしい部分とかもありますけど、とにかく最高の男性です。ジンさんはその次ですよ」

 

「そうか…忍田さんの次なら仕方がないか。おまえはいつまで経っても忍田さんのことが好きだもんな」

 

「女の子にとって父親は特別な男性なんですから仕方がないでしょ。それに今のジンさんみたいに人前で情けない姿を見せることはありません。わたしはそんなジンさんの姿を見たくはありません。いつものジンさんに戻ってくださいな」

 

正面から自分を受け止めてくれようとするツグミの姿を見ていて、迅は偽ることなくすべてを告白することにした。

 

「じゃ、俺の懺悔を聞いてもらおうかな」

 

 

迅は慰霊碑のそばにあるベンチにツグミを誘い、並んで腰掛ける。

そして迅は大きく深呼吸をひとつしてから口を開いた。

 

「…大規模侵攻の日、俺が『おまえの狙撃が鍵になってくる』って言ったことを覚えてるか?」

 

「ええ。だから言われたようにリザーブと鉛弾(レッドバレット)をセットしておきました。おかげでずいぶんと戦闘が楽になりましたよ。あと珍しく無茶をするなとも言われましたね」

 

「だがおまえは無茶をした。(ブラック)トリガーふたりを相手にして、危うくトリオンキューブの状態で連れ去られるところだった」

 

「…それは猛省しています。そのせいでオサムくんに大怪我をさせてしまいましたし」

 

「すまない、ツグミ。そのことなんだが…おまえが人型と戦うように仕向けたのは俺だ。無茶をするなと言いながら無茶をさせたのは俺なんだ」

 

「…!?」

 

「最初におまえを本部待機にしたのはイルガーの対策だった。俺にはイルガーが本部基地を襲撃する未来が視えていたからな。太刀川さんを本部待機にと忍田さんに進言したのも同じ理由だ。だが途中でラービットの目的がC級隊員の捕獲だとわかった時点でおまえの存在が利用できるとわかった。おまえのトリオン能力と戦闘力を知ったアフトの連中はおまえを要注意人物だと判断する。おまえが千佳ちゃんの護衛に回ればアフトの連中にとって都合が悪いからと、ラービットを差し向けるだろう。そうすれば千佳ちゃんやC級に向けられるラービットの数を減らすことができる。そして作戦自体は成功したが、おまえは危険な目に遭い、俺はそうなる道に導いたことを今までずっと隠していた。だから俺のことを罵倒してくれていいんだぞ」

 

「なるほど…これで合点がいったわ」

 

迅の告白で大規模侵攻におけるいくつかの疑問が解けた。

C級隊員を捕らえることを目的としているラービットが何体もツグミに襲いかかって来たこと。

危機にある修たちとすぐには合流をさせず、ギリギリまで待たせて終盤になってやっと合流するよう指示があったこと。

ラスボスといえる人型と戦わざるをえない状況に誘導したのは迅であったのだ。

一歩間違えればツグミは近界(ネイバーフッド)に連れ去られていたわけで、この場合彼女は迅を責めても許されるだろう。

しかし彼女の態度は違っていた。

ツグミは大きくため息をついて呆れたように言う。

 

「わたしに罵られることでジンさんの気持ちがスッキリするなら悪口雑言のかぎりを尽くしてもいいですよ。でもそんなことで解決するようなことじゃないでしょ? それにジンさんが懺悔するって言うから、どんなすごいことかと思ったらくだらなすぎて呆気にとられてしまいました。そんなバカバカしいことで悩んでいたというなら、わたしはあなたのことを随分と買い被っていたことになります」

 

「バカバカしいって、な…。俺はマジで悩んでいたんだぞ」

 

「わたしが危険な目に遭う未来に誘導したのが自分だから? もしわたしが()()()B級だったならジンさんのことを恨みますけど、わたしが人型と戦えるだけの実力を持っていたからぶつけたんじゃないんですか? それに事前に全部教えてもらっていたとしても、わたしは同じ行動(こと)をしました」

 

「……」

 

「仮に自分が死ぬという未来であったとしても、わたしはジンさんの視た未来を覆してみせましたよ。わたしはあなたのことを、そしてあなたの未来視(サイドエフェクト)を信じています。疑ったことなどありません。でもあなたの視た未来がわたしにとって不都合なものであれば、わたしは自分の意思のチカラで未来を変えてみせます。()のわたしなら自分の意思と行動力の方が上回るって自信がありますから、あなたの視た最悪の未来を最善の未来に変えることだってできる気がします」

 

そう事も無げに言って微笑むツグミ。

 

「未来は無限に広がっている…というのはジンさんの持論ですよね。あなたにはいくつもの不確定な未来が視えるからそう言える。でもわたしだって視えないだけで未来が無限にあることを知っています。日常の中にはいくつも選択肢があって、選んだ答えで未来が変わる。ただ先が視えないから、どの選択肢をどう選んだからこういう未来になった…なんてことはわからない。いわばわたしたちの人生なんてRPGを初見でプレイしているようなもの。ジンさんは攻略本をチラ見して、どこの選択肢でどの答えを選べば結果が『Happy End』になるとか『Bad End』になるのかわかっていながらプレイしているってところでしょうか」

 

「……」

 

「でも『Happy End』とか『Bad End』なんてものは誰が主人公になるかで変わるものです。誰かの『Happy End』が他の誰かにとっての『Bad End』ということはざらにある。だから誰もが自分にとっての『Happy End』を目指して生きている。でも重大な選択肢で答えをミスると『Bad End』どころか『Dead End』になってしまうことがあるのが現実。さらにすべての人間にとっての『Happy End』つまり『All Happy End』なんてありえない。ゲームの中では可能であっても、現実世界では不可能です。だからジンさんが全責任持つことなんて無理なんですよ。それができる、自分に責任があると思い込んでいるようなら、あなたはきっと神か悪魔。どちらにしても人外ですね。…っと、すみません。ジンさんの懺悔を聞くと言っていながら、わたしの持論をくだらない喩えで長々と話してしまいました」

 

そう言ってツグミは照れ笑いする。

 

「いや、おまえらしい喩えだな。『Happy End』とか『Bad End』とかは誰が主人公になるかで変わる。『All Happy End』なんてありえない…か。たしかにそうだな」

 

「さっきジンさんは『大を救うためには小を切り捨ててもいいものなのか? 小を助けるために大を犠牲にすることがあってもいいのか?』って問いましたけど、たぶん大多数の人間は前者を『正しい』、後者を『間違っている』と答えるでしょう。人の命の重さは誰であっても同じだから、どちらかを選ばなければならないなら数の大小で選ぶのは仕方がないこと。でも人によって答えは違うはず。両方とも『正しい』の人もいれば、逆に両方とも『間違っている』と答える人もいると思います」

 

「ああ…」

 

「ただしわたしたちはボーダー隊員です。わたしたちは三門市民から人命と財産を守ることを託され、それに応えるために戦う道を()()選びました。入隊する時に全員が『強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて市民の負託にこたえることを誓う』という宣誓書にサインをしています。技術者とか一般職員といった直接戦闘に携わることがない人でもボーダーという組織に身を置くことを選んだ以上はいつ死んでもおかしくはありません。殉職した通信員6人もその覚悟で任務に就いていたはず。そして近界(ネイバーフッド)に連れ去られたC級32人だって同じ。もちろんだからといってボーダーの人間は死んでもかまわないというわけではありませんよ。ただそうなると単純に命の数の多いか少ないかで選ぶことはできないと思うんです。例えば三門市民5人を助けるために10人のボーダー隊員が犠牲となる状況であった場合、命の数で判断すれば市民を見捨てることにもなりかねません。また市民のためなのだからと10人の隊員が犠牲になるのが()()であるとも言い切れません。だからさっきのジンさんの問いにわたしは『どちらにも正解はない』と答えます。だって答えは『正しい』か『間違っている』の二択に限ったものではないんですから」

 

「…!」

 

「たぶん最上さんも生きていたら同じことを言うと思いますよ。そして『過去は変えられない。しかし未来は無限に広がっていて、人の意思が介入できる未来ならいくらでも良い方へ変えることはできる。おまえの力はそのためにあるんだ』とも言うはずです。もしジンさんが自分の未来視(サイドエフェクト)を厭わしいと思っているのであれば、わたしは自信を持って『それは違う』と断言します。だってあなたの力のおかげで命拾いしたり、不幸な目に遭わずに済んだ人が大勢いて、わたしもその中のひとりなんですから」

 

第一次近界民(ネイバー)侵攻の際、ツグミは迅の未来視(サイドエフェクト)のおかげで「Dead End」を回避することができたという事実があった。

初めて大規模な戦闘に参加し、さすがの彼女も緊張していて大きな失敗をしてしまったのだ。

もしそこで迅の事前の忠告がなければトリオン兵の群れに囲まれて死んでいたか、近界(ネイバーフッド)に連れ去られていたかもしれない。

以来、彼女は迅に対して全幅の信頼を寄せているのだ。

 

「もし世界中の人間がジンさんの敵になったとしても、わたしはあなたの味方です。だからわたしの前では安心して無様な姿を見せても大丈夫ですよ。ここで見たことや話したことは絶対に誰にも言いません。これからもこういうことがあった場合にはいつでもお付き合いします。できれば金輪際お断りです、って言いたいところですけど『自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である』という言葉がありますからね」

 

「誰の言葉だ?」

 

「ニーチェですよ。今のジンさんみたいな病気を癒すには、そばにいる女性が寄り添って話を聞いてあげることが大事ってことです。わたしが賢い女というわけではありませんけど、今は他に適当な人がいないみたいですからね」

 

「フッ…おまえらしいな。…考えてみりゃ5年前にも同じことがあったっけな」

 

迅は穏やかな表情を取り戻して言う。

 

「5年前?」

 

近界(ネイバーフッド)遠征の後、最上さんを救えなかった後悔で、俺は今以上に落ち込んでいた」

 

「ああ、あの時の…」

 

「そうだ。俺には最上さんや仲間たちが次々に死んでいく未来が視えていて、そのことを最上さんと城戸さんに伝えた。ふたりは俺の未来視(サイドエフェクト)を信じてくれていたはずなのに同盟国を守るためにと参戦してしまった。近界(ネイバーフッド)へ行かなければ最上さんたちは死なずに済んだはずだ。俺がもっと大人で強く反対すれば最上さんたちは死ななかったんだと、俺は自分の無力さを悔やんだ」

 

「ええ。…でも遠征に行けばボーダー隊員(みんな)が死んでしまう。遠征に行かなければこちら側の人間(みんな)が死んでしまう。最上さんたちはジンさん以上に悩み抜いて遠征に行くことを自分自身で決めたんです。ジンさんのせいじゃありません」

 

「しかし俺は自己嫌悪に陥り、城戸さんたちの慰めの言葉も届かなかった。そんな時におまえは俺のそばに来て、ただ黙って隣にいてくれたな」

 

「あの時はわたしもまだ子供で、何て言葉をかけていいのかわからなかったから。ただ大好きなジンさんには早く元気になってほしい。誰かがそばにいればあなたも寂しくないだろうし、それにあなたが笑顔を取り戻した時に誰よりも早くその顔を見られるって、それだけ。…でも言葉ではない何かが大事だって本能でそう感じていたからじゃないかという気がしてきました。だって今そう思うんですもの。…なんて言いながら散々喋りまくっていましたけど」

 

ツグミはそう言ってまた照れ笑いをする。

そんな彼女に迅は大きく首を振って答えた。

 

「いいや、成長したおまえが必死になって俺を納得させようとしているのを見て、なんだか嬉しくなってきたよ。おまえは5年でずいぶん成長したというのに、俺はあの頃のままだった。それが一番恥ずかしいな」

 

「大丈夫です。ジンさんの恥ずかしい姿を知っているのはわたしだけ。他の人には実力派エリートだといういつものドヤ顔でいてください。みんながそれを期待しているんですから」

 

「ああ、わかったよ。…ところでさっきおまえは世界中の人間が俺の敵になったとしても、おまえは俺の味方だと言ったが、もし忍田さんが俺の敵になったとしても同じことが言えるのか?」

 

「そんなことにはなりませんよ。もしジンさんにそんな未来が視えても、そんな未来はわたしが覆しますから」

 

「ハハハ…そうきたか」

 

「ええ。わたしがジンさんのことを信じているように、ジンさんもわたしのことを信じていてください。いつの日かあなたのことを一番大切に想う運命の女性(ひと)…ニーチェの言う『賢い女』が現れるでしょう。でもそんな女性(ひと)が現れるまではわたしがそばにいますから頼ってくれていいですよ」

 

ツグミがそう言うと、迅は少しだけ間を置いて言った。

 

「…それなら今だけでいい、もうしばらく俺のそばにいてくれ」

 

そしてツグミの身体をギュッと抱きしめる。

 

「じ、ジンさん…!?」

 

「日が傾いて少し寒くなってきたからな。ああ、別にイヤらしいことしようっていうわけじゃないから」

 

「当たり前じゃないですか! ジンさんはこれまでにわたしのお尻を触ったことだってないんですから、わたしにそういう興味なんてないってわかってますよ!」

 

「…うん。暖かくて柔らかくていいな…」

 

「頼ってくれていいと言いましたけど、湯たんぽ替わりにされるなんて思ってもみませんでした…」

 

「暖かくて抱き心地が最高だよ。湯たんぽというより抱き枕かな…。このまま眠れたらいい夢が見られそうだ」

 

「ここで寝たら風邪ひいちゃいますって。 …もう、しょうがないですね。寝ちゃダメですけど、あと少しだけならこのままでいてあげます」

 

「ありがとな、ツグミ。ホントにありがとう…」

 

ツグミの耳のそばで囁かれたその声は少しだけ涙ぐんでいたように聞こえたが、ツグミは気付かなかったフリをすることにした。

 

 

 

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