ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「女王陛下は聡いお方だ。きっときみの気持ちは届くと思う」
神殿の廊下を歩きながらリベラートがツグミに言う。
「そうであってほしいものです。女王陛下は自分の人生のすべてを国に捧げ、王家に生まれたことを呪ったこともあるかもしれません。庶民とまではいかずとも王族でなければ自分が行きたいところに行くことも、食べたいものを食べることも自由にできたはずで、その気持ちは殿下もおわかりになると思います」
「ああ。私が王族でなければミリアムと結婚することもできたはずだし、彼女を
「女王陛下の英断によってはまだできるかもしれませんから諦める必要はありません」
「どういうことだ?」
「この国の未来への道は大きく分けてふたつあります。わたしが条件付きで女王になるか、
「まさか…!?」
「とにかくわたしにできるのはここまでで、後は当事者であるエウクラートンの人間が決めることです。どんな答えを出すのかわかりませんけど、聡明な女王陛下ならきっと誰もが幸せになれる道を選んで導いてくれることでしょう」
ツグミはそう言って微笑んだ。
リベラートはツグミの言う「3つ目の答え」について心当たりがあるらしく沈黙してしまった。
ツグミが女王に即位したとしても同じ結果となるが、その経緯が異なる。
そしてその経緯が重要なわけで、ツグミはこの「3つ目の答え」になるよう心から願っていた。
そうしないと彼女の人生設計が大きく狂ってしまうからで、忍田との約束を守るためにはどうしても必要なことなのである。
(真史叔父さんにはまだわたしがエウクラートン王家の人間だったって教えていないから、帰ったらそのことでものすごく叱られると思う。おまけにエウクラートンの女王にならなきゃいけなくなって、さらにそのためにはできるだけ早くジンさんと結婚しなきゃならないなんて言えば気絶どころか昇天しちゃいそう。大事なことを黙っていたことを叱られるのは仕方ないけど、女王にならずに済む道も残っていると報告したいものね)
ツグミにとって世界で一番好きな人との約束 ── 成人するまで「忍田ツグミ」でいる ── は絶対に守らなければならない。
たとえエウクラートンが滅びようともこれだけは譲れない
「ところで、午後から議会を開いてこの問題を審議することになっているのだが、きみにも出席してもらいたい。そしてその場できみがオーラクル王家の一員であり、私の孫であることを公表する。そしてその後に女王の継承についてとそれに関わるいくつかの条件の説明をしたい。もうこれ以上きみのことを隠し通すことはできないからな」
リベラートにとってはあまり公にしたくはない話だが、さすがに女王継承問題に関係するとなれば触れないで済ませることはできない。
「そうですね。議会での決議内容が女王陛下の意思決定にも影響するのですから仕方がありません。それにわたしもこの国の議会に興味がありますから見学したいと思っていましたし」
かつてエウクラートンは絶対君主制の国であった。
しかしそれははるか昔のことで、現在では国内各地の地方領主が議員となって国会が開かれるようになった。
国民が自分たちの代表として領主たちを中央へ送り出すのだが、選挙によって選ばれるものではない。
そもそも選挙というシステムがないのだ。
とはいえ自分たちの住む土地を収める領主を代表とするのは当然で、この点では民意が反映されていると言えるだろう。
国の運営に関して最も重要なのが
国土の維持等
こうして国会で話し合われた「国民の総意」の結果に従って女王が
もちろん国会で決まったトリオン配分には合理的な理由があるのだから女王も無碍にはしないが、約20年前のキオンとの戦争の時には国防に回すトリオンの割合が国土の維持に使用するトリオンとほぼ同じになったという状況になり、一時期だが地面の力が衰えて作物が収穫できなくなってしまったという国の存亡に関わる事態となってしまった。
この時、女王はこのままでは国が滅びてしまうと考えて本人の判断で国防に関わるトリオンの割合を下げた。
そのことでキオンに攻め込まれ、ミリアムが
重要なことは国会で審議されるものの最終判断は
人口が100万にも満たない ──
そして後継者問題によって不都合が生じたからといって彼女の意思
午後2時からの「臨時国会」に出席することになったツグミ。
彼女の祖母のミリアムも父のオリバもエウクラートンでは有名人であり、リベラートのたったひとりの孫で唯一の次期女王候補者となれば議会場が騒然となるのは目に見えている。
(他人からの注目を浴びて面倒事を負わされるという立場は願い下げだけど、王族の血筋を引くという
◆
午前中はリヌスと一緒に遠征艇のためのトリオン抽出作業に携わり、昼食後に1時間ほど休憩してからリヌスと共に政庁の大会議場へと向かった。
「殿下、これがこの国の正装ということですけど、やっぱりわたしも着なければいけないんですか?」
「当然。王家の人間なのだからそれに相応しい身なりをしていなければ権威が保てない」
「たしかに第一印象は大事ですし、地方領主たちに侮られてしまうのは避けたいですけど…」
そう言ってツグミは窓ガラスに映る自分の姿を見てため息をついた。
彼女が着ているのは白地に金色と紺色の糸を使用した豪奢な刺繍のマーメイドドレスに同素材のローブ。
身体にフィットするデザインなので身体のラインが強調されてしまう上に、裾が床すれすれの長さなので歩くたびに踏んづけてしまいそうになる。
額には身分を示す
玉といっても掘り出された鉱石を研磨したものではなくトリオンを美しい珠の姿にしたもので、高価なものではなくその色と大きさによってその人間の身分や職業を示すただの飾りだ。
ちなみに女王は同様のティアラに直径5センチくらいの紺色の玉が付いているものを着用し、リベラートは男性なのでスタンドカラーに直径3センチくらいの紺色の玉が付いているブローチを着けている。
エウクラートンでも王族の男性及び王族以外の貴族は
唯一の救いは露出度が少ないことで、慣れないハイヒールを履いて足元に気を付けながらツルツルの廊下を歩いているのだった。
「格式とか伝統って大切なものだとは思いますが面倒ですよね。…それにしてもこんなサイズぴったりの衣装をいつ用意したんですか?」
「それは女王陛下が即位した時に着用したものだ。もう何十年も前になるが、若い頃の彼女は今のきみのように生き生きとしていた。その時にはこんな未来が訪れるなど想像もしていなかったからな。…さあ、無駄話はこれくらいにしておこう。会議に遅刻してしまうぞ」
リベラートに促され、ツグミは再び歩き始めた。
◆
エウクラートンの「国会」は国内各地をそれぞれ治めている領主36人が
会議場は地方自治体の本会議場などで見られる一般的なタイプで、中央に議長席があってその両側に大臣席、議長席の前に演壇、そしてそれらの席の向かい側に議員席がある。
ただし記者席や傍聴席はなく、議員の役目をする領主たちは世襲なので庶民が政治に参加するどころか議会で何が行われているのかを知る手段もないようだ。
しかし
リベラートとツグミが会議場に到着した時にはすでに他のメンバーは全員着席していたが、緊急招集であるために場内はざわめいていた。
通常国会が半月前に終わったばかりであり、ここ数年緊急招集などなかったから不安になるのは無理もない。
そこにリベラートが王族しか着ることの許されない衣装を身にまとった見知らぬ少女を連れて来たのだから、一瞬にして場内は水を打ったようにしんと静まり返った。
そして議長席の隣に用意されていた椅子にツグミが軽く会釈してから腰掛け、リベラートも議長席に着席した。
「皆の者、緊急の招集をかけてすまなかった。しかし我が国の将来に関わる重要案件が発生したのだ。急ぎ審議をせねばならぬゆえに皆に来てもらった次第である。…まず皆が一番気になっていることから説明しよう」
そう言ってからリベラートはツグミを立たせて自分がその横に並んで立つ。
「彼女の名前はツグミ・オーラクル。単刀直入に言うと私の孫だ」
すると場内はざわめき立つ。
「静粛に! これでは詳しい話ができないではないか!」
リベラートに諫められた議員たちは再び口を閉じてツグミの顔に視線を向けた。
「公式には私に子はおらぬことになっているのだが、実は婚姻前にとある女性と交際しており、その女性にひとりの男児が生まれた。この事実は私自身が3ヶ月ほど前に知ったことで、それまで息子がいたことなどまったく知らずにいたのだ。そしてその息子の名はオリバで、
この場にオリバの名を知らない者はいないものだから、英雄の娘となれば否が応でも彼女に関心を抱いてしまう。
「かつて我々はキオンによる侵攻で危機的状況に陥ったが、その際に女王陛下はトリガー使いとして名を馳せていたオリバにミリアムの
すると場内は「おおぉぉぉっ!」と大歓声が上がる。
しかしリベラートはその歓声を鎮めてから言う。
「静粛にしたまえ、皆の者! ツグミはオリバの代わりにこの国へ帰って来たが、皆が考えているようなことはないのだ。彼女はトリガー使いではあるが、キオンと戦うためにミリアムの
しかし武力ではなく話し合いで、さらに
「さて、では審議の前にツグミから挨拶をしてもらおう。なにしろ彼女は次期女王候補で、この後その女王の後継問題について話し合うのだからな。…ツグミ、ご挨拶を」
「はい」
ツグミは優雅な身のこなしで階段を下り、中央にある演壇まで行くと凛とした声を張り上げて挨拶をした。
「エウクラートンのみなさま、初めまして。ツグミ・オーラクルと申します。
挨拶と言うよりは挑戦状と称した方が相応しい物言いをしてツグミは自分の席に戻った。
ここからの彼女は議長や議員からの質問に答える以外は一切口出し無用で、会議場の一番高い場所から議会の様子を見物させてもらうだけである。
(そういえば小学校の社会科見学で三門市議会の様子を見たことがあったっけ…。あれは第一次侵攻の直前で、議題は市民プールの改修だった。でもそのすぐ後に
そんなことを考えている間に演壇にはリベラートの代理としてミルコが立ち、女王の容態について説明がされた。
場内はざわめくが、
そしてそれに関連して女王の後継者の問題が発生し、これまでずっと不在だった次期女王候補としての資格を持つツグミの登場と、彼女が女王に即位するための条件の話になると議員たちだけでなく大臣たちも騒然とした。
これまで次期女王となる皇女がいないことは周知の事実であったものの、まだしばらく現女王が現役でいてくれるからと問題の先送りをしていたのだが、彼女が病に伏せっていたということを知り、次期女王候補不在というエウクラートンにとって最大の危機に直面していることを思い知らされたわけだ。
さらにその危機を救うのがツグミであり、おとなしく女王になれば問題は簡単に解決するというのに即位は条件付きであり、女王になったら自分の好きにさせろと言うのだから場内が混乱するのは当然である。
いくらキオンのテスタと密約ができていると言ってもにわかに信じることはできず、そもそも
だからといってこの場で証明する手段はなく、ツグミの提案はこのままだと却下される恐れもある。
しかし発言が許されていないものだから、彼女の方から何か言いたくても言えないでいて、議長席にいるリベラートに目で合図を送った。
それに気付いたリベラートは小さく咳払いをひとつしてから声を張り上げた。
「皆の者、静粛にしたまえ! 皆の気持ちや言いたいことはわかるが、ツグミの提案をそう足蹴にすることもなかろう。別に孫可愛さで言っているのではなく、実際に
リベラートは審議を中断し、ツグミを伴って会議場を出た。
そして廊下で控えていた従者に預けていたトランシーバーでツグミがリヌスに指示をする。
[政庁前広場で例のモノのデモンストレーションをします。お手数をおかけしますが準備をお願いします]
[了解]
リヌスとの打ち合わせはバッチリなのでこれだけで彼はツグミのやりたいことを100%遂行できるのだ。
「殿下、午前中の打ち合わせどおりにお願いします。
ツグミはそう言って自信満々の笑顔を見せた。