ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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367話

 

 

白峰による投薬治療と食事メニューを変えたことによって回復の見通しのついた女王。

最近では「朝の勤め」の後には必ずツグミの押す車椅子に乗って神殿の外に出て日光浴をし、自分で歩けるようになりたいと言ってすすんでリハビリもするようになっていった。

昼食と夕食は必ずツグミを神殿に呼び、ふたりで会話を楽しみながら食事をすることで食欲が増して料理を残すことはなくなった。

この様子なら女王の健康問題については心配いらないだろうということになり、ツグミの女王後継問題も議会の若手を中心とした革新派が彼女の意見を全面的に支持し、保守派の老人たちの古い考え方を変えつつある。

ここで最終決定を待ってもいいのだがそれでは回答を急がせているようだということで、ツグミは答えが出るのを待たずに三門市へ帰還することに決めた。

そうなると残念がるのは女王で、すぐに会いに行くことのできる距離ではないためにツグミを引き止めようとする。

もちろんツグミもエウクラートンを離れることにためらいを覚えるが、自分の本来の居場所で自分を待っている人がいるとなれば帰りたくなるのが当然で、白峰の判断で帰郷する日を決めることにした。

 

 

 

 

「そうか…明後日には帰ってしまうと言うのか…」

 

女王に帰郷の旨を報告すると、今まで見た中で一番落胆した表情をした。

すまないという気にはなるが、いつまでもエウクラートンに滞在するわけにはいかないのだ。

 

「申し訳ございません。ですが玄界(ミデン)()()わたしを待っている家族がいます。エウクラートンはキオンの周囲を回る軌道を持つ国ですから、キオンが玄界(ミデン)に近付きつつある今、エウクラートンも近付いているということです。あと数ヶ月で簡単に行き来できる距離になりますから、そうしたらまた会いに来ます。最接近する頃にはスカルキ総統とリベラート殿下と城戸司令の三者会談を玄界(ミデン)で開きたいと考えていますから、その前にもう一度わたしはこの国に来るつもりでいます。それまでお元気でいてくださいませ」

 

「仕方がないのう…。しかしまた会えるという希望があれば健康になりたいという気持ちにもなる。最近はそなたが会いに来てくれるものじゃから毎日が楽しいと思えるようになっていた。楽しいという感情は女王になるにあたって必要のないものとして何十年も前に捨ててしまった。それを掘り起こしてくれたそなたには感謝している。ありがとう、ツグミ」

 

「いえ、礼は不要です。女王だとか神官だとかいっても所詮は人間なのです。人としての感情を捨てる必要はありません。嬉しい時に笑ったり悲しい時に涙を流すのは当たり前のことです。自分の心と身体の中にあるものを素直にさらけ出してしまうことは大事なことだとおわかりになったと思います。そもそも女王となった時に人としてのすべてを捨てるなんてバカバカしいことをしなければならないルールがおかしいんです。名前まで捨てさせるなんてわたしなら絶対に我慢できません。名前とはその人物の根源ともいうべきもので、両親から与えられた最初のプレゼントなんですから。…女王陛下は昔どのようなお名前で呼ばれていらしたのですか?」

 

「…エレナ、じゃ」

 

「いいお名前ですね。こんな素敵な名前を何十年もの間誰からも呼ばれていないなんてすごく勿体ないです。なのでわたしに呼ばせてください」

 

そしてツグミは微笑みながら愛おしいという気持ちを込めて言うのだった。

 

「エレナ大叔母さま、わたしはあなたのことが大好きです」

 

すると女王の両目から大粒の涙がポロポロと零れ落ち、膝の上にいくつもの涙の染みを作った。

そんな彼女の身体をツグミはしっかりと抱きしめて言う。

 

「我慢せずに思い切り泣いてかまわないのですよ。人は泣くことで心が元気になるのです。身体も心も健康になって長生きしてください。そうすればいくらでもわたしはあなたに会いに来ることができるのですから」

 

それからしばらくの間女王は子供のように声を上げて泣き、そして疲れ果てたのか眠ってしまっていた。

ツグミはそんな彼女の身体をカウチソファーに横たえさせ、膝掛けを広げて身体を覆ってやる。

 

(自らの心を殺して国民のために尽くす女王という役目は相当に辛いものだったのね…。だから人間らしい感情を捨てることで耐えようってことなんだ。それが何百年も続いていた慣習だからこの人も従うしかなかった。自分が望んで王家に生まれたわけじゃないのに女王になることを強制されて育ち、女王になる時にそれまでの自分をすべて捨てさせられる。そして何十年もこんな薄暗い神殿の中で孤独に生きなきゃならないなんてすごく残酷だわ。わたしだったら絶対に我慢できないわよ!)

 

状況はその国によって違うだろうが、近界(ネイバーフッド)には必ず(マザー)トリガーが存在してそれを操作する人間がいるのは確かだ。

そして誰もが多かれ少なかれ自身の人生を犠牲にしている部分があり、「神」と同じく生きながら死んでいるのも同然という者もいることだろう。

そのことを考えると他人事ではないために憤るツグミだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミはエウクラートンで「自分の小麦畑」を作ろうと考え、そのための準備をしてきた。

玄界(ミデン)で一般に普及している種類の小麦を蒔き、玄界(ミデン)のやり方で育てるというもの。

もちろんエウクラートンにずっと滞在しているのではないから畑の面倒は現地の農民にやってもらうことになるのだが、その指示はツグミが行うのだ。

場所はニネミアの東にある広大な未開発地の草原を10ヘクタールほど耕作してそこに小麦畑を作り、そこで収穫した小麦を使ったパンを作ろうというのである。

エウクラートンと気候が似ている北海道で広く栽培されている品種を栽培する予定である。

通常は秋に播種、翌年の初夏に出穂と開花、そして夏期に収穫する「秋まき小麦」と、春に播種、初夏に出穂と開花、盛夏に収穫する「春まき小麦」のふたつがある。

その「春まき小麦」の種を雪が降る直前に蒔き、雪の下で出芽するとそのままで冬を越し、雪解けと同時に生長を開始。

こうすると出芽から収穫までの生育期間が長くなり一粒一粒が大きく育つとされ、小麦は穂が出てからの雨を嫌うので、初冬の播種によって収穫期が早まり雨に当たる期間が短くなるという利点もあるという。

実際に北海道の一部地域で行われている方法であり、ツグミはそれをエウクラートンで試してみようというのだ。

近界(ネイバーフッド)では主食が小麦であるため、玄界(ミデン)の品質の高い小麦を玄界(ミデン)の栽培方法で収穫できればエウクラートンは農業国としてさらに発展することだろう。

小麦には「赤かび病」という主に開花期に病原菌が感染することで粒が肥大しなくなったり穂全体が枯れたりする病害があり、一部の赤かび病菌が産生するマイコトキシン(かび毒)が食中毒の原因ともなる。

近界(ネイバーフッド)では薬剤を使用する習慣がないので、この赤かび病には苦労させられているらしい。

そこでツグミは適切な薬剤も用意し、必要な時期に散布することも指示しておいた。

こうして収穫された小麦で作ったパンを食べてもらうことで近界民(ネイバー)たちの好みに合うようであれば本格的に導入しようという計画なのである。

近界(ネイバーフッド)で栽培されている小麦はお世辞にも美味しいとは言えないもので、腹を満たせばいいというレベルでしかない。

だから美味しいと思えるパンを食べさせたいという気持ちから実行に移したのだった。

見ず知らずの他人のためではなく、これもまた自分のための行動である。

これをきっかけに玄界(ミデン)の優れた技術を導入しようと考えたならばボーダーと敵対するのは国益に反するとわかるはずで、いずれ(ゲート)を開いてやって来るのは街を破壊し人をさらうトリオン兵ではなく、友好的な人型近界民(ネイバー)だけになることだろう。

これはまだずっと先の未来の話になる。

ボーダーが窓口になる近界(ネイバーフッド)との交流はまだ始まってもいないなのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミがエウクラートンに別れを告げる日がやって来た。

短い滞在期間ではあったが、城戸や忍田たちに自慢できるほどの結果を出すことができ、キオンとエウクラートンがお互いに相手の国を自国にないものを補う上で重要な役割を果たす存在であることを確認したことが最大の収穫だったと言えよう。

女王後継問題についてはまだ正式な「答え」は出ていないものの、これはツグミの想定内のことであるから特に問題にはしていないし、女王の病気もエウクラートンの医師に任せても大丈夫だと白峰は太鼓判を押している。

なによりも女王が慣習を変える勇気を出す気になったことがツグミにとっては想定外の大収穫であった。

理不尽なルールにによって自分で自分の首を絞めるようなことをしていたオーラクル家の人間がそれに気付いて自ら変わろうとする意思がツグミの将来にも大きく影響してくるわけで、女王がそのルールに()()()様子を見せ始めたのだから良い傾向である。

ツグミたちが発つということで女王もわざわざ見送りにまでやって来るくらいだから、女王は神殿から出てはいけないという慣習を打破した証拠なのだ。

まだあまり長い時間日に当たるのは良くないとして、リベラートが女王に日傘を差しかけている。

その女王はというとツグミとの別れが辛いと言ってずっと泣いている。

ツグミから名を呼ばれた時に「泣く」というスイッチが入り、それ以来「泣く」だけでなく「笑う」という感情のスイッチも普通に作動するようになり嬉しい時も悲しい時も感情豊かに反応するようになっていた。

そして今は悲しくて泣いているのだ。

ツグミは女王の涙を自分のハンカチで拭いてやりながら言う。

 

「女王陛下、そんなに泣かないでください。わたしは玄界(ミデン)の家族の元へ帰りますが、エウクラートンの家族のことを忘れたり蔑ろにするようなことは絶対にありません。わたしにとってどちらの家族も大切でかけがえのないものなのですから」

 

「……」

 

「また近いうちに来ます。その時には玄界(ミデン)の甘いものをたくさん持って来ますから楽しみにして待っていてくださいね」

 

ツグミがいくら言っても泣き止まない。

それは子供の頃から女王になるために感情を抑える訓練をさせられていたからで、その反動で感情を爆発させると歯止めが効かなくなってしまうらしい。

そこでツグミは女王の身体をギュッと抱きしめた。

こうすると子供と同じで安心するらしいのだ。

もっともこれは子供に限らず相手が不安そうな時、ハグをするとリラックス効果が得られるため相手の不安を取り除き、安心感を与えることができる。

「大丈夫、心配いらない」という気持ちを人のぬくもりで伝える手段だ。

 

「これが今生の別れではありません。別々の世界にいたふたりがこうして出会えたのですから、これからもっと会えるようになりますよ。それにわたしは自分の役目を果たすために必ずここへ戻って来なければならない立場です。わたしはあなたの生きる希望でありたい。今はいっぱい泣いてかまいませんから、涙が止まったら今度は笑顔でいてください。人というものは笑顔でいられるのは幸せだからで、あなたの笑顔が国民を幸せにするのですよ」

 

ツグミは幼子に言い聞かせるように言葉のひとつひとつを丁寧に発し、肩を震わせてしゃくりあげる女王が泣き止むまでずっと抱きしめてやったのだった。

そして彼女が再び笑顔を取り戻したのを確認すると、ツグミはゆっくりと立ち上がった。

 

「次に来る時には女王陛下にではなくエレナ大叔母さまに会いに来ていいですか?」

 

ツグミの言葉が嬉しいものだから、女王の両目にはまた涙が溢れてきた。

 

「ああ、もちろんじゃとも。楽しみに待っておる」

 

嬉し涙であれば心配はいらないと、ツグミはいよいよ艇に乗り込む。

そしてドアが閉まる瞬間まで出入口のところで見送る女王とリベラートに大きく手を振り、見送る側のふたりも艇が(ゲート)の向こう側に消えるまでずっと手を振り続けていたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミたちは三門市への往路の途中でいくつかの国に立ち寄ってトリオン抽出作業や水の補給などを行う必要がある。

まだボーダー隊員の中で誰も訪れたことのない国を調査する目的もあり、運が良ければ近界民(ネイバー)にさらわれた三門市民の手掛かりが掴めるかもしれないし、鳩原や麟児の行方を知っている人間に会えるかもしれないからだ。

主にリヌスが街へ行って盛り場の客の噂話を聞いたり、ツグミが市場で買い物をしながら店主と世間話をするなどで、有力な情報は得られなかったもののとある国の酒場で面白い話を聞くことができた。

それはガロプラが自国の(マザー)トリガーと巫女をアフトクラトルから奪い返し、ガロプラ国内に駐留していたアフトクラトル兵は自国へ帰ることを拒否して亡命を希望したという内容である。

 

「アフトの兵士たちも重要な任務に失敗してしまったのだから帰国すればどうなるかわかっているはずですからね。国への忠誠心の低いアフトの連中なら亡命を希望するのも無理はない」

 

トリオンの抽出作業をしながらリヌスがツグミに言う。

 

「ええ。ガロプラがこのタイミングで(マザー)トリガーという人質を奪い返したのは正解だわ。アフトが『神選び』で国内が混乱している今しかチャンスはないもの。新しい『神』が誰になるのかはどうでもいいけど、その()()を連れて来た奴が次期国王ってことになるからベルティストン家だけでなく四大領主の残りの3つの家も必死になっている。従属国のひとつで反乱があったところでそれを制圧しに出掛けられる余裕なんてないわ。特にガロプラは主にベルティストン家が支配しているから、ハイレインなんて顔が真っ青になって…いえ、怒りで真っ赤になっているかも。なにしろガロプラに駐留していた兵士は70人くらいだというから、ハイレインはまた戦力を大幅に減らしたってことになるんだもの。でも兵士が亡命したとなるとアフト本国にいる家族が酷い目に遭わされるということも…」

 

「その点についてはあまり気にすることはありませんよ。ガロプラに駐留していた兵士は他所の国からさらってきたトリガー使いと身寄りのない子供を育てて軍人にした使()()()()()()に近い兵士ばかりです」

 

「それって大規模侵攻でさらわれたC級の子たちみたいな…?」

 

「そうです。アフトの軍は基本的に四大領主の私兵で構成されていて、それぞれの家が独自に他国に侵攻して己の戦力を強化していくのです。ベルティストン家は配下の貴族連中に才能のある子供を探させてトリガー使いにする教育を施します。エリン家のヒュースがそのわかりやすい例ですね。中には彼のように優秀なトリガー使いが育ちますが多くは雑魚とも言える平凡な兵士で、そういった(ホーン)トリガーも持たない兵士が従属国へ送られてその国の(マザー)トリガーを奪い返されないようにしているのです。だから亡命兵士の家族のことは心配ご無用。本国に人質はいないのですから」

 

「そうなんですか…」

 

「アフトは四大領主が国内の実権を握ろうとして私兵を増強するために頻繁に他国へ侵攻しているだけで、彼らが一致団結して事に臨むということは滅多にありません。たぶん国の存亡をかけるような大きな戦争になれば権力争いをしている暇などありませんから協力するでしょうが、そうでもなければ手を結ぶことはないですね。だからベルティストン家が玄界(ミデン)に侵攻して子供をさらうという蛮行は他の3つの領主たちは無関心でいて、かなりの収穫があったと知ると苛立っていたことでしょう。でもさらった子供をいとも簡単に奪い返されたことには大喜びしていたと思います」

 

「ああ、それでアフトによる再侵攻の恐れはないと言っていたわけですね」

 

「そうです。あの一件でベルティストン家は相当なダメージを受けています。大量のトリオン兵を投入して得られたのは32人の子供たちで、それも奪い返されてしまったのだから大損しただけ。その上、今回のガロプラの件で70人ものトリガー使いに()()()()()面目を潰されてしまったわけですからアフト国内での力関係は大きく変わることになるでしょう」

 

「これでハイレインは次の『神』を見付けられなかったらおしまいですね。…それにしてもガロプラでの事件がこんな離れた場所でも噂になっているなんて、近界(ネイバーフッド)の情報網ってすごい。これならわたしが(ブラック)トリガーを持っていることもかなり遠くまで届いているでしょうね」

 

「たぶん。ですがあなたが近界(ネイバーフッド)を旅していても危険はありません。あなたの容姿やその他の詳しい情報は伝わっていませんから、あなたが街の中を素顔で歩いていても誰も気付きませんよ。それにあなたから(ブラック)トリガーを奪おうとする輩が現れたら、その時には必ず私があなたを守ります」

 

リヌスの力強い言葉にツグミは困ったような顔で言った。

 

「ありがとうございます。あなたがいるからこうしてわたしは自由に近界(ネイバーフッド)を旅することができる。とても感謝しているんですが、この気持ちを形にしてお返しできないのがもどかしいです」

 

「そんなことは気にしないでください。私は自分の意思で行動しているだけです。誰のためでもなく自分のためなのですから。こうしてふたりで旅ができることなんて役得というものですよ。ゼノン隊長とテオは今回の旅だって自分が行けないことを悔しがっていました。次こそは自分が…と考えているでしょうが、次も私を指名してくださいね」

 

「はい、もちろんです」

 

「さて、ようやくトリオンが満タンになったようです。予定よりも少し遅れていますからすぐに出発してしまいましょう」

 

「じゃあ、艇を飛ばしてから食事にするということで、お互いに自分の仕事に戻りましょうか」

 

リヌスがトリオン抽出機材のスイッチをオフにして艇のエンジンをオンにすると、ブーンという低い音に続いて艇の床から細かな振動が足の裏に伝わってきた。

 

 

 

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