ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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370話

 

 

「前にも連れて行きたいところがあると言ってボーダーの慰霊碑のある公園へ行きましたよね。今日はどこへ連れて行ってくれるんですか?」

 

助手席に腰掛けているツグミが運転中の迅に訊く。

 

「それは行ってみてのお楽しみ。きっとおまえなら喜ぶ場所のはずだぞ」

 

「もったいぶっていないで教えてくれてもいいのに。…このまま行くと三門市を出るみたい。遠出するんですか?」

 

「いや、目的地はここからだと30分もかからない。五島市にある巴川にかかっている巴大橋のすぐ近くだ」

 

「五島市の巴川? 何でそんなところにわたしを連れて行きたいんですか?」

 

「行けばわかるって。…それよりも俺とふたりきりの時にしか話せないことがあるだろ?」

 

「どういう意味ですか?」

 

迅は意味深な目でちらりとツグミの顔を見てから視線を戻す。

 

白峰医師(ドクター)は年齢的にもおまえに手を出すようなことはないだろうが、もうひとりの男がおまえに対して良からぬことを…」

 

と、そこまで言って口を噤んでしまった。

最後まで言うには抵抗があるのだろう。

その様子を見ていたツグミはムッとした顔で言い返した。

 

「ジンさんが何を言いたいのかは良くわかります。だけどそれってわたしのことを信用していないのか、それともリヌスさんを疑っているのかわかりませけど、少なくともイヤらしい想像をしているのは確かですね。ジンさんのスケベ」

 

「す、スケベって…。俺は別にそこまでは ──」

 

「否定しなくてもいいですよ。わたしはキオンへ行った6日間、リヌスさんとふたりきりになる機会は何度もありました。そもそも艇の中は密室で、ふたりの間に何があっても誰にもわかりませんよね~」

 

わざと挑発するように言うツグミ。

その言葉を聞いていた迅は平静を装うが、ハンドルを握る手に力が入ったことに気付かないツグミではない。

 

「知りたいのなら正直に教えてあげます。結論から言うとリヌスさんとはこれまでよりもずっと強い絆を結びました」

 

「!?」

 

迅の表情が険しくなり、明らかに苛立っているのがわかる。

 

「そんな顔しないでください。あなたが考えているようなことはまったくなかったんですから。そんな状態で運転されるのは困りますから、どこか車を停められる場所まで行ってください。そこでお話します」

 

「わかった」

 

 

迅は車を走らせて市境を越えて五島市へ入り、巴川の親水公園の駐車場に車を停めた。

20台ほど停められる駐車場はほぼ満車ではあるが、人はまったくいない。

ここなら誰にも邪魔されずに話ができそうだ。

 

「さあ、話してもらおうか。事の次第によってはタダでは済まないからな。もちろん隠しごともダメだ」

 

「わかっています」

 

ツグミは自分に後ろめたいものがないから隠すことなく事実を話した。

それを迅は黙って最後まで聞いていて、話が終わると彼女の身体をぎゅっと抱きしめたのだった。

 

「ツグミ、おまえの気持ちは良くわかった。俺としてはあまり気分のいいもんじゃないが、これがおまえのできる精一杯のリヌス(あいつ)への誠意ってことなんだから、俺はもうおまえたちのことで疑ったりヤキモチを焼いたりはしない。…と言いたいところだが、俺は人間として未熟で手に入れたものは絶対に離したくないって欲張りだから、いくらおまえのことを信じていてもおまえがあいつとばかり近界(ネイバーフッド)は行くのを黙って見ているのは悔しいし腹立たしいと感じてしまうんだ。おまえの自由を束縛したくはないが、こうして抱きしめていないと不安になってしまう俺の気持ちもわかってほしい」

 

「ええ、もちろんわかっています。立場が逆だったらわたしだってあなたのことを信じていても不安になってしまうと思いますから。あなたのことだから魅力的な女性がいたらすぐにお尻を触るんじゃないかとか、相手の女性があなたに好意を寄せているなら一度くらいは…っていう気になるかもしれないと疑ってしまうでしょう。今回の渡航だってあなたの気持ちがわかっていても他に手段がなくて仕方がないんだと自分に言い聞かせていました。だってわたしがいない間に浮気することだって可能なんですから。仮にそうなったとしたらそれはわたしに非があります。あなたのことを不安にさせたり他の女性に目移りしてしまうのはわたしにあなたを引きつけておく力がないという証拠なんですもの」

 

「……」

 

「わたしはジンさんのことが大好きだからあなたに疑われるのは嫌だし信じてもらえないのはすごく辛い。あなたと一緒に幸せになりたいからという理由で行動していて、そのせいでこんな気持ちになるのは本末転倒だけど、でもだからといってわたしは近界(ネイバーフッド)へ行くことをやめません。自分だけが幸せになれる世界は本当の意味で幸せな世界ではないと思うから」

 

「……」

 

「リヌスさんはとっても優しくて素敵な男性です。彼がわたしのことを異性として好きだという気持ちを知った時に嬉しいと感じました。もしわたしとあなたが今でも妹と兄の関係でいたなら彼のことを異性として好きになっていたと思います。だけど彼はわたしの魂の片割れではありませんから、好きになったとしてもやっぱりあなたを想う気持ちの方が強くて彼とは結ばれることはないでしょう。彼の気持ちをわかっていながらそれに応えられないという申し訳ない気持ちを抱き、彼もまた報われない気持ちを抱いたままで苦しんでいて、このままではふたりとも…いえ、あなたも含めて3人全員が不幸になるだけだとわかってわたしは覚悟を決めました。リヌスさんのことを傷付けることになってしまっても、これ以上苦しめることにはならないと信じて彼にひとつの提案をしました」

 

「……」

 

「彼はわたしの想像していた以上の男性でした。だって『あなたの気持ちには応えられないけどそばにいてほしい』って無茶苦茶なことをお願いしたのに怒るどころか納得してくれたんですよ。もし彼が何らかの交換条件を言いだしたら、それがあなたに対しての裏切りになるとしても甘んじて受け入れようという覚悟でいたんです。それなのに彼はわたしの自分勝手な言い分を承諾してくれました。彼だって健康な青年なんですから性欲はあると思います。でも現在の状況では性欲を発散する行為もままならない。そんな状態で好きな女性とふたりきりになっても抱きしめるどころか手を握ろうともしないのは、わたしのジンさんへの気持ちを知っていて、わたしのことを本気で愛してくれているからこそ耐えてくれていると思うんです。もしわたしが彼に抱いてくれと言っても彼の方から拒絶するでしょう。…いえ、わたしのことを軽蔑して二度と口を利いてもくれなくなると思います。わたしの心の中にあなたがいることを知っているわけですから、『心は与えられないけど体は好きにしてかまわない』と彼のことを哀れんで性欲を満たすことで許してくれと言っているようなものです。それは彼のプライドをズタズタにしてしまう行為で、単にごめんなさいと言うよりも彼を傷付ける。彼の純粋な愛情を…心を殺してしまうことになるんです」

 

「……」

 

「リヌスさんは納得してくれたと言いましたが、それはわたしがそう思い込んでいるだけで彼は納得できていないかもしれません。でも彼はわたしのそばにいることを選びました。スカルキ総統は本人が望むなら現在の任を解いて本国勤務に変更してもいいと言ってくれたそうですけど、彼は自分の意思でわたしの仕事を手伝うのだと決めたんです。いくら待っていてくれてもわたしの気持ちは変わらないと言ったんですけど、彼は微笑みながら答えました。『他人から見てバカバカしいとか不憫だと思われてもかまわない。これが自分の愛の貫き方なのだ』と。まるで中世の騎士が貴婦人に対して捧げた愛の形みたいで、わたしはそれに相応しい女性になりたいと心から思いました」

 

「……」

 

「これはわたしの一方的な言い分であなたにとっては納得できない部分もあるかと思います。無理に理解してくれとは言えません。あなたに嫌われてしまっても仕方がないし、あなたがわたしのことを見限ったとしても腹を立てる資格なんてありません。でもあなたのことが大好きな気持ちは変わらない。だからあなたが別の女性のことを愛したのなら、あなたの幸せを祈るだけです」

 

そう言って目を伏せるツグミ。

しかしそれは一瞬のことで、キッと迅の顔を見て言った。

 

「…なんて言うと思ったら大間違いです!」

 

「え!?」

 

「わたしは自分が幸せになりたいからそのために行動しているのであって、隣にジンさんのいない人生なんて考えられません。あなたが他の女性と結婚するなんて想像もしたくないし幸せを祈るなんて絶対にありえません。わたしはエゴイストなんです。でもだからといって心が離れていってしまったあなたにしがみついて無理矢理に引き止めるような無様なことはしません。わたしにはあなたを引き止めるために自分の信念を曲げるようなことはできないからです。ならばどうするか? それは決まっています。わたしはこれまでどおりに自分の正義を貫くだけです。わたしは自分のやっていることにやましい部分はありません。もちろん調略とかイカサマとか人を騙すようなこともしますが、それは敵味方双方の犠牲を最小限に食い止めるためのことで、わたしはそれを必要悪だと考えていますから良心の呵責など感じません。あなたはただわたしのやっていることを遠くから見ているだけで結構です。そのうちに最前列で見たいと思うようになるはずで、わたしと一緒にいることが他の女性と付き合う平凡な幸せよりも充実した人生を送ることができるようになるとわかれば自ら寄り添ってくることでしょう」

 

ポカンとした表情で見下ろしている迅に対しツグミは挑戦的に言う。

 

「わたしには自分の5年後10年後の姿が視えていて、わたしの隣には必ずあなたがいます。だって魂の片割れという存在はこの世界にたったひとりしか存在せず、どんなに遠く離れていたとしても強く惹かれ合うものですから。わたしは自分で切り開いた道をあなたとふたりで並んで歩いている未来を信じて今を生きています。わたしに視える未来はあなたの未来視(サイドエフェクト)とは違って自分の願望そのものですが、だからこそ叶えたいという力が強く働いて必ず実現させるんです。…さあ、これが迅悠一の愛した霧科ツグミという人間です。あなたの魂の片割れとして申し分のないキャラクターだと思いませんか?」

 

一方的に自分の言いたいことを言うツグミだが、その論理が彼女らしいものだから迅は自分の嫉妬や不安が愚かしく思えてきた。

 

(こいつはいつでも俺の悩みや不安を一刀両断にしてくれる。こいつの理論が正しいとか間違っているとかそんなものは関係なく、俺がひとりでは得られないもの、俺が望むものを与えてくれるからひとり占めして甘えたくなってしまうんだ。だから俺はこいつのことを…)

 

迅はツグミの問いに答えることなく自分の唇を彼女のそれに押し当てた。

ふたつに分かれてしまった魂を再びひとつにするには情を交わすしかないが、今はキスが限界である。

ツグミも迅の背中に腕を回して抱きしめ、口の中に割って入ってきた舌に自分の舌を絡めるようにして「答え」を受け止めた。

長い間会えなかった心の空白を埋めようとして強く抱き合い、言葉を交わさずとも密着することでお互いの気持ちを雄弁に語るのだった。

 

 

 

 

「ツグミ、ここから歩いて行くぞ」

 

迅はそう言って車を降り、ツグミの手を握って歩き出した。

行き先はここから徒歩で10分ほどの距離にある巴大橋で、そこにツグミに見せたいものがあるらしい。

そのうちに橋の上に大勢の人が集まって川の中を覗いている光景がツグミの視界に入ってきた。

 

「あそこで大勢の人が何か見ているみたい。ジンさんが見せたいものってそれですか?」

 

「まあな。たぶんおまえのことだから大喜びで感動するにちがいない。と言うか、おまえが喜ぶ未来が視えたからな」

 

「川の中にわたしの喜ぶもの…?」

 

「さすがのおまえの能力でもこれは想定できないだろうな。見たらきっと驚くぞ」

 

「じゃあ、早く行きましょう!」

 

ツグミは迅の手を引っ張って走り出した。

 

橋の上には人が群がっていて川の中を覗き込むことができそうにないので、土手の上を少し下流に向かったところまで歩いて行く。

土手の上にも大勢の人間が双眼鏡を使って何かを見ている。

どうやら観衆が注目しているのは広い中洲の一角で、灰褐色の物体がそこに転がっていた。

迅はそこまでしか見えないが、ツグミにはその物体が何であるかハッキリと見えている。

 

「あ…アザラシ…? それもあの柄はゴマフアザラシ。何でこんなところにアザラシがいるの!?」

 

中洲ではゴマフアザラシの幼体が寝転がって日向ぼっこをしていた。

普通の人間には()()()()()くらいにしか見えない小さなものであってもツグミの目には双眼鏡を使っているかのように表情や細部まで良く見えるのだ。

人が大勢いるが幅が250メートルほどある川の中央の中洲であるから誰も近付くことはできず、もし船が近付こうとすれば水に潜って逃げられるために人間を敵として認識していない余裕を見せている。

 

「4日くらい前のニュースで知ったんだ。野生のアザラシがこの川にいるって。モフモフ好きのおまえが喜ぶ未来は未来視(サイドエフェクト)なんて使わなくても視えたからな。おまえの目なら双眼鏡なしでも良く見えるだろ?」

 

「ええ、すっごく可愛いです。ジンさん、連れて来てくれてどうもありがとうございました」

 

「他人行儀な礼なんていらねぇよ。それより何でこんなトコにいるんだろな?」

 

「たまにはあるみたいですよ。何年か前には別の川にアザラシがやって来て人気者になったというニュースをテレビで見たことがあります。タマちゃんとかナカちゃんとか。…そうなるとあのコは巴川のトモちゃんですね」

 

満面の笑みで迅に言うツグミ。

しかしすぐにアザラシの方へ視線を向けてしまい、それから30分以上もずっとキラキラとした目で一点を凝視していた。

もし水上バイクに乗った馬鹿な若者が中洲に近付かなければもっと長い時間見ていることができただろう。

アザラシは驚いて川に飛び込んでしまい、その後はどこかに行ってしまったらしくいくら待っても姿を現すことはなかった。

必死になって川面を見つめるツグミも1時間ほどで諦め、来た時と同じように迅と手をつないで土手を歩いて帰って行ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の夕食はツグミたちの帰還のお祝いパーティーとなり、マーナが中心となって料理を作ってくれた。

久しぶりに全員が揃った賑やかな食卓となったのだが残念なことに忍田は残業で間に合わず、寮にやって来たのは9時を過ぎていた。

そこでツグミが夜食を作り、忍田が食べてしまうと迅を呼んで3人だけで大事な話をすることになった。

 

ツグミは自分がエウクラートンの次期女王候補…と言うよりも他に女王となれる人間がいないのでその役目を自分が引き受けることにしたと報告する。

迅は予め聞かされていたのでさほど驚きはしなかったのだが、忍田にとっては寝耳に水であり、自分に何の相談もなく勝手に決めてしまったことに対して怒りと哀しみの感情が湧き上がってきた。

しかし激情にかられてツグミのことを叱るようなことはなかった。

それは彼女が自分に余計な心労を与えたくないという気遣いであることを理解していたし、なによりもその話を聞けば感情的になって絶対に反対するだろうと自分でもわかっていたからだ。

事後報告になってしまったのは彼女が悪いのではなく、冷静になって相談に乗ることのできない自分に非があるのだと忍田は考えたから叱るようなことはできなかったのだ。

とはいえ言いたいことは山ほどある。

特に迅の態度を見ていれば彼はツグミからこの件を事前に聞かされていたことはわかることで、自分よりも迅のことを信頼しているのだと思うと寂しくなってしまう。

幼い頃にはツグミの心の中は忍田の占める割合が大部分だったというのに、それが今では迅の割合が大きくなり、さらにボーダーや近界(ネイバーフッド)のことまで抱えるようになったものだからますます父親としての自分が必要とされていないと感じてしまうのは無理もない。

 

そんな忍田の気持ちがわからないツグミではないが、自分の信念を貫くために話を続けた。

 

「エウクラートンの女王後継問題については現女王の健康問題が改善される目処がついたので直近の問題ではなくなりました。もっとも他に女王候補者がわたししかいないのですからいずれは女王に座に就くことになります。でもこれはエウクラートンに住む人たちの問題であり、彼らがわたしを必要としない、つまり女王の存在を必要としない(マザー)トリガーの運用をする気になればわたしは女王にならずに済むんです。もし女王が退位を申し出るのが3年後になるのなら、その3年間の中でわたしは自分にできることを全力でやるつもりです。すべてはわたしがこの街で家族や友人に囲まれて安らかな日々を送るため。エウクラートンの女王になるとかならないとかは手段や経過であり、それが目的だとか結果ではないんです。それは理解してください。そしてわたしにとって世界で一番好きな人は真史叔父さんであり、それだけは永遠に変わることはありません」

 

これまでに何度も繰り返し聞かされてきた「世界で一番好きな人は真史叔父さん」という言葉。

忍田はこの言葉を聞くたびに父親として最高の称賛を受けているとして嬉しかったのだが、そんな世界で一番な自分でもツグミにとって真の一番は自分自身であり、すべては自分の幸せのために生きている。

そのために他の家族や友人の存在が重要で、自分のために他者を必要としているのだと思い知らされる。

別にそれが嫌なのではなく彼女の大切なものの中に含まれているというだけで十分満足しているのだが、同時に言いようのない不安が脳裏を横切ってしまうのだ。

 

(昔はこの子の世界は狭くて、私や迅、城戸さんや林藤たちが自分の周りにいるだけで幸せだと感じていた。それが成長するにつれてこの子の世界は広がっていき、それと比例するように大切なものが増えていった。今ではその大切なものが近界(ネイバーフッド)にまで及んでいる。自分の手の届く範囲内の幸せなどと言っていながら、その手が無限に伸びていき、ひとりでは抱えきれないほどのものを抱き込もうとしている。それがこの子の身を滅ぼしてしまうかもしれない。いつか私の父親としての役目を終える時がやって来るのは間違いないし、それがそう遠くない未来であることも覚悟はしている。しかしその前に…)

 

忍田が不安で心細くなっていた時だった。

迅が忍田に声をかけた。

 

「忍田さん、ツグミは俺たちの手の届かないところへは行きませんよ。俺の未来視(サイドエフェクト)がそう言っています。これはツグミにしか話していない秘密なんですけど、忍田さんには言っておきます。俺のこの能力なんですけど、最近は確定した未来しか視えなくなってしまったんです」

 

「なんだって!?」

 

迅の未来視(サイドエフェクト)はボーダーの活動に不可欠な能力で、それが「確定した未来」しか視えなくなったとなればそれが不都合なものであっても変えることができないということになる。

ボーダーの作戦本部長として、また今後行われる遠征の現場責任者として迅の能力を頼りにしていたのだから驚きを隠せない。

 

「俺はこれが能力の質が変化したのか、もしくは能力の低下かと考えて不安になりました。だってこの力を頼りにしている人間からすれば役立たずになってしまうということですから。だけどツグミは俺がひとりで悩んでいたことをいとも簡単に解決して俺を安心させてくれたんです。これまでの確定した未来と確定していない未来は両方とも視えていたのはいくつもの不確定な要素が絡み合っていたからで、確定していない未来が複数視えるのは当然だと言いました。でも最近になって視えた『アフト遠征は誰も死なないで成功する』とかツグミがエウクラートンへ行くことも『無事に帰って来る』という選択の余地のない確定した未来だけしか視えないのは自分がそうなるように行動したからなのだと。こいつは自分の力で未来が変わってしまう要素を介入させないから確定した未来しか視えないのだと断言したんですよ。本来ならこいつがエウクラートンで女王となって自分自身の幸せを失う未来とか、エウクラートンが滅びる未来、キオンによって支配される未来なんてものがいくつかあって俺にはそれらが視えるはずなのに、このどれもが100%ありえないことだから視えない。だからこいつが無事に帰還するという確定した未来しか視えなかったということなのだと。俺はこいつの理論が正しいのか間違っているのかなんてわかりません。だけどこいつがそう言うんだから間違いないだろうって思えてくる」

 

「……」

 

「それにこいつは俺のこの能力がなくなった方がいいって言いました。視たくもない未来を強制的に視せられてしまい、その中から最適だと思われるものを選ばなければならない『義務』を課せられてしまっていることと、その結果がどんなものであろうとも自責の念に苛まれてしまい、苦しい思いをしている俺の姿を見るのはすごく辛いから視えなくなってしまえばいい、と。ボーダーや三門市民のためには必要な力であっても、自分自身が苦しむ力であればない方がいいと言って俺を救ってくれました。人間はどんな奴でも()()()()()()最善の未来にしたいと考えて日々過ごしている。最善の未来というほどではなくても、明日は今日よりもっと良い日になればいいという気持ちでいるのは確かで、人の意思が介入して変わる未来であればひとりひとりが『今日よりも良い明日』を願って努力して叶えようとすれば良い方へと変わるとこいつは信じています。未来が視えなくなると不便なことになるだろうが、だったらそのマイナスを他のみんなで補えばいい。近いうちに敵の大規模な侵攻があるという未来が視えたから準備をするというのではなく、敵がいつ攻め込んできてもいいように日頃から対応できるように準備しておけばいい。ガロプラによる襲撃の時のように敵が本部基地に侵入して来るかもしれないと想定して防衛体制を整えておく。どんな強敵がやって来ても対処できるように隊員個人の戦闘レベルを上げておく。そうすれば俺の未来視(サイドエフェクト)がなくなっても最悪の未来は回避できるはずだというのがこいつの論理です。俺にとってこいつの言葉は不安を勇気に変えるものとなりました。視えなくなった不確定な未来を憂うよりも視えないことが当たり前の人間となって個人の努力によって最善の未来へ向かって進んでいこうと思えるようになったんです。あなたの娘は俺なんかよりもずっと未来を視る力を持っていて、間違っても俺たちを苦しめたり悲しませたりすることはないと信じています。だってこいつは忍田真史が手塩に育てた最高の娘じゃありませんか。こいつのことを信じてあげてください」

 

「ああ…」

 

「少なくともこいつが俺たちの前から消えてしまう未来が視えないということは、それは確定した未来ではないからです。女王になることがイコール俺たちの手の届かない場所に行ってしまうということではないし、また女王になるかどうかもまだわからないというのに今からその時のことを考えて顔を真っ青にするなんてくだらないですよ。俺たちにできることはこいつが自由に行動できるようにしてやること。そうすればこいつ自身がこいつにとって最善の未来を勝ち取って帰ってくるようになるんですから」

 

迅の説得により忍田はツグミの今後の計画にも耳を傾けることになり、不安は消えないまでも彼女のことを信じて見守ることに決めた。

ボーダー本部長と父親というふたつの立場を両立させなければならない彼にとってはこれからも相反する二択から答えを迫られることもあるだろうが、どちらもツグミを「信じる」ことで乗り越えるしかないだろう。

それよりも迅の未来視(サイドエフェクト)の方が気になる。

そこでこの「秘密」は城戸にも話さずに自分の胸に収めておくことにしたのだった。

 

 

 

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