ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
城戸との面会を終えたツグミが自分の隊室へ行こうとして廊下を歩いていると向かい側から二宮がひとりで歩いて来た。
「こんにちは、二宮さん。お久しぶりです」
ツグミの方から笑顔で挨拶をすると、二宮はいつものクールな表情を崩さないもののフレンドリーな態度で声をかけてきた。
「ああ、久しぶりだな。おまえのことだからまたこっそりと
「こっそりとは失礼な。ちゃんと城戸司令からの直々の命令で重大な役目を果たすために行ったんです。他の人には内緒にしておいてください。二宮さんだから教えたんですから」
わざと怒ったフリをしてツグミは言う。
「それで城戸司令に報告に来たのか?」
「はい。…申し訳ないですが二宮さんには報告できるような情報は入手できず、お土産も買ってきてはいません」
「そんなものは端から期待していない」
「ですよね。でももしお時間があったらふたりだけで少しお話をしたいんですけど、いかがでしょうか?」
ツグミの方から話がしたいと言うのだからくだらないバカ話ではないことは二宮にもすぐわかる。
そして
「いいだろう」
「じゃあ、わたしの隊室までおいでください。お菓子はないですがお茶くらいはお出しできます」
ツグミは二宮と一緒に隊室へと向かった。
◆
「これから話すことは二宮さんだから打ち明けるのであり、誰にも言わないと信じています」
ツグミはそう前置きしてから話を始めた。
「ボーダーがアフト遠征の前からキオンの諜報員の協力を得ていて、わたしが彼らと行動を共にしていることはすでにご存じですよね。遠征に参加したメンバーなら皆知っていることですから」
「ああ」
「今回の旅もその諜報員のひとりと一緒にキオンまで行ってきて、その途中でいくつかの国に寄って情報収集
「気付いたこと?」
「これもまだ上層部メンバーしか知らないことですが、ガロプラでは以前に本部基地を襲撃したガトリン隊を中心として本国の
「それで?」
「各国の諜報員が敵国だけでなく中立の立場の国にも派遣されていて、そこで得た情報も軍事活動で有益なものは極秘事項として口外しないですが、そうでないくだらない情報は市中に広まっています。たぶん帰国した際に酒場などに集まって仲間内で情報交換をして、それをそばで聞いていた一般人が面白おかしく広めているのだと思います。そこでの話が全部が真実だとは言いませんが、かなりの部分で信じてもいいレベルの情報が飛び交っていると判断しました」
「……」
「わたしが言いたいのは
「……」
「今から5年前の第一次
「わかることとは?」
「なぜ三門市が
「ああ」
「これはわたしの推測でしかありませんが、もしそうだとしたら納得できる部分がいくつかあるものですから
「雨取麟児が
二宮はそう言いながらもツグミの話を聞こうとして身を乗り出してきた。
「突飛な話だとは承知していますけど、まったく根拠のない話ではありません。…雨取麟児という人間の情報は少ないです。雨取家の長男で、チカちゃんのお兄さん。三門市立第一高等学校を卒業した後に三門市立大学に入学した。これは彼女から聞いた情報ですが、本当にそうだったのかを疑ってみるとわかることがあります」
「何がわかったと言うんだ?」
「彼が他人を従わせる能力を持っているならいろいろと説明できるんです。まず彼がどこかの国の
「たしかに他所から来た単身者だと怪しむだろうが、周囲の目から見て幸せそうな普通の家族であれば疑うことはない」
「雨取家のことはチカちゃんから話を聞いています。両親はふたりとも三門市出身者で、結婚をしてしばらくは東三門地区にある賃貸マンションで生活をしていたようですが、約5年半前に現在の場所に戸建を購入して引っ越してきました。そしてその半年後に第一次侵攻が起きます。当日は日曜日で、雨取一家は全員で旅行に出かけていたおかげで難を免れたそうです。でもそれが偶然ではなく、三門市が襲撃されることがわかっていたために避難をしていたと考えられなくもありません」
「つまりおまえは
「まだ証拠はありませんが、可能性は高いと考えています」
「しかし周囲からまったく疑われず市民生活に馴染んでいたようだぞ」
「それは彼に他人を従わせる能力があれば説明できます。たとえばそれが洗脳という手段であったなら、人の記憶を操ることで偽の家族として雨取家に入り込んでしまえば後は簡単です。人間が生活をしていく上での基本となるものは戸籍ですけど、
以前に千佳は二宮の質問に対して断言した。
「兄にならそういうことができます」と。
密航事件の首謀者が麟児であると妹の千佳が断言したのだから信頼性は高い。
他人を上手く誘導して思いどおりに動かすことができる能力を「洗脳」と仮定すれば、雨取家の家族を洗脳して自分をその一員と認めさせ、そうやって市民のひとりになりすませば情報収集は容易い。
「しかしその可能性は高いといっても雨取麟児が
「たしかにそのとおりですが、そう仮定することで説明できることがあると言いましたよね。今からその話をします。…わたしは彼と直接会ったことはありませんのでチカちゃんやオサムくんから聞いた話になりますが、彼は家族を大切にする優しい男性だということです。
「…!」
二宮にはここでツグミの言いたいことがわかった。
戸籍がなければ試験を受けることすらできない。
入隊試験を受験する際には住民票や学生であれば成績証明書など公的な証明書類が必要となるが、麟児にはそれを偽造する手段はないのだ。
それに学校と違って集団の中に紛れ込むことは
「そして何らかの理由があって帰国しなければならない事情ができて少々乱暴な手段であってもやるしかなかったのであれば、あのような事件を起こしてしまったことにも納得がいくんです。自分の艇があればそれを使うでしょうけど、それがなければ別の手段を考えます。自分がボーダー隊員になることはできなくても、隊員を仲間に引き入れて必要な情報や物を手に入れることは可能。そうやって接点のあった鳩原さんを操ってトリガーを盗ませたのではないでしょうか?」
「……」
「今話したことはすべてわたしの妄想と言っていいものです。本来なら確認をとって証拠を提示してから相談すべきことなんですけど、二宮さんには話しておこうと思って。わたしは雨取家の家族と顔見知りですから彼の過去について調べてみます。結果がわかり次第ご連絡しますね」
「わかった。俺の方も何かわかったらすぐに知らせる」
「ありがとうございます」
「いや、礼には及ばん。俺以外に鳩原のことを心配してくれているのはおまえくらいだからな」
「あの密航事件に関してはわたしにも少なからず責任はあります。それに彼女が悪質な
ツグミがそう言うと、二宮はフッと微笑んだ。
それは余程心を許した人間にしか見せない表情で、二宮隊のメンバーですらしばらくは見ていない自然な笑みであった。
「おまえが
「はい、心得ておきます」
「では、もう1杯紅茶をくれ。おまえの淹れる紅茶は昔から美味いからな。…それにしても東さんの元で互いに競っていた頃を思い出すと愉快で今でも笑いを堪えることができないことが多い」
「わたしもあの頃のことはしっかりと覚えていますよ。わたしのことを小馬鹿にして喧嘩になり、模擬戦でわたしがあなたを倒したことでやっと認めてもらえたことも今にしてみればいい思い出です」
二宮が東にスカウトされて東隊の一員として迎えられた時、高校生だった二宮は中学生のツグミのことを舐めてかかっていた。
そこでツグミは模擬戦で実力を見せ付け、二宮を力で屈服させたのだった。
才能のある人間を好む彼らしく、以降は自分と拮抗する戦闘能力を持つツグミのことを良い意味でのライバルとして認めており、B級ランク戦で戦えなかったことを心の中では残念がっているほどだ。
ツグミは紅茶のおかわりを二宮に渡すとそれを美味しそうに飲み干した。
「面白い話を聞かせてもらった上に美味しい紅茶をご馳走になった。ありがとう、霧科」
「いえ、どういたしまして。わたしのこんな戯言に付き合ってくださるのは二宮さんだけですから。お忙しいとことを引き止めてすみませんでした」
ツグミは隊室の外まで出て二宮を見送る。
「相変わらず律儀だな、おまえは。玉狛でも同じように玄関まで見送ってくれた」
「当然です。尊敬する方に対しては誰であっても同じように接しますから」
そこでふたりは別れ、ツグミは本部基地内のコンビニへ行って昼食用のサンドウィッチを購入して再び隊室へ戻った。
そして食事をしながら『第2案』の作成に取り掛かる。
寮に帰ってからでもかまわないのだが、午後から忍田と本部基地内で会う約束になっているため、それまで時間潰しにとちょうど良かったのだ。
◆◆◆
ポジション別合同訓練は日・木が
しかしこれは8月末までの暫定で、9月になれば学生は新学期が始まり、B級ランク戦もルールを一部変更して再開されることになっているので、ひとまず今月いっぱいでおしまいとなる。
その結果によっては合同訓練の回数と曜日を変更してB級ランク戦と並行して行うとか、B級隊員は希望者のみの参加にするかなど変更をすることになるだろう。
そこで提案者のツグミの意見を参考にしたいということで、忍田は合同訓練の様子を見てもらおうと前日に約束していたのだった。
そしてツグミの隊室で忍田と落ち合うと、その足で
「昨日の今日ですまないな、ツグミ。しかし来月からの訓練内容を検討するには残り時間がないのだ」
「気にしないでください。提案したのはわたしなんですから、最後まで責任を取らなければなりません。それにどれくらいの仕上がりなのかずっと気になっていましたからちょうどいいです」
「そう言ってくれると助かる。しかしなぜ隊室にいたんだ?」
「城戸司令との面会で午前中に
「昨日出されたものがもうできたのか?」
「ええ、まだアバウトなものですけど。わたしが有人機での
普通の人間なら難しい課題を与えられて頭を悩ませているであろうというのに、ツグミはそれをゲームかパズルでもやっているように楽しげな表情で嬉々と語っている。
その様子を見て忍田は彼女の顔と十数年前の織羽の未来を語る顔がそっくりであることに気付いた。
誰もが無理だと初めから諦めるようなことでも「山に登る時はその山が高ければ高いほど登りきった時の喜びは大きく、誰も見たことのない広い世界を見ることができる」と言って挑戦し続ける姿はかつての織羽のものと同じなのだ。
(誰よりも平穏な日常を望んでいるのだからボーダーなど辞めてしまい普通の少女として生きていけばいいものの、そんな他力本願な幸福など無用とばかりに背を向けて自力で勝ち取ろうとする。強く生きてほしいと願ったが、ここまで強くならなくても良かったのがな…。しかしこの子が平凡な少女としての道を選んでいたら、今のボーダーはありえない。これ以上この子に負担をかけることなくボーダーの運営を続けなければいけないのだが、こうして今もこの子の力を借りようとしているのだから不甲斐ない大人だな、私は)
忍田は反省しながら無言で廊下を歩くのだった。