ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
忍田から手渡された資料も参考にして、ツグミは自分の抱いた感想を率直に述べる。
「この訓練はわたしが提案したことなのでこんなことを言うと自画自賛みたいで嫌なんですけど、想定していた以上に効果があったように感じています。やはりA級からC級までを一緒に訓練させたのは正解だったと思います。この資料によると入隊時に登録した
「A級B級の正隊員にとってはどう思う?」
「彼らは自分の腕を磨くことには熱心で、後輩の面倒をみることはあまりありません。後輩に泣きつかれて渋々指導してやったり、知り合いから紹介されたから指導をするというケースはあります。自分と同格か格上の正隊員同士隊員での模擬戦はするんですけど、訓練生たちとの接点はあまりありませんから基本からやり直すようなことは滅多にないです。でも後輩たちと一緒に戦闘訓練をしていて自分を慕って指導をしてくれと頼まれたら嫌だと言えませんし、なによりもこれまで接点のなかった後輩ではなく、何度も味方や敵になって一緒に戦った
「なるほどな…。それで9月以降の訓練についてはどうしたらいいと思う?」
「二学期が始まりますし、B級ランク戦も行われますからB級隊員にとっては非常に多忙になるでしょう。それにA級隊員の一部は遠征のための訓練がメインになりますので、防衛任務のローテーションもB級中心になるのは仕方がありません。そこで合同訓練については回数を減らすこと、またこれまでのような強制をしないルールにすることで続けるしかないですね。学業とB級ランク戦に影響のない日曜日を中心とし、週2回だったものを月2回までに減らすのが限界でしょう」
「やはりそうするしかないだろうな。中止にしてしまえばせっかく訓練生が正隊員と戦う機会を得たというのに、これから入隊する新人にはその恩恵が受けられなくなってしまう。月1-2回でも交流する機会を与えることで訓練生のやる気をアップさせる効果があるのは明らかだ。それでC級の正隊員昇格については何かアイデアはあるか?」
「以前にも言いましたが訓練生同士で戦わせてポイントの奪い合いをしている
「うむ…」
ボーダーの現行システムに対して歯に衣着せぬ物言いができる隊員はツグミくらいなもので、それも旧体制の時代からずっと見てきたからというだけでなく、それが必要なことであると判断をしたなら遠慮せずに城戸や忍田といった上司にでも進言できる勇気があるからだ。
それは非常に頼もしいし、大きな組織になればなるほど必要となる人材である。
旧ボーダー時代からの隊員ならレイジや小南たちもいるが、彼らは戦闘員としては優秀だが
それに
ヒュースを保護したのも迅の
一方、ツグミがゼノン隊の3人を受け入れたのはお互いに腹を割って話しをすれば妥協点が見付かると考えたからで、最初から彼らを利用しようとして篭絡したのではないのだ。
したがって「
忍田もツグミのことを娘だと思うと危険なことはさせたくはないのだが、ボーダー本部長としては彼女の意見に耳を傾けてボーダーのためになるのならやらせるという複雑な気持ちでいた。
だから城戸は自分がツグミの直属の上司となることで忍田を介入させずに直接命令できるようにし、彼女の自由意思に任せることにしたのだった。
いずれは戦闘員ではなく運営側の人間に引っ張り込もうと考えていた城戸だが、エウクラートンの女王後継問題の件もあってそれが難しいと思うようになっていたことをツグミ本人は知らない。
そんなツグミの意見は的を射ていて、忍田もそれを参考にするのは至極当然である。
「わかった。しかしおまえも ──」
「わたしも忙しいのだから無理をするなと言いたいようですけど、わたしは無理なんてしていませんよ。普通の人には大変なことであってもわたしには容易いことで、全然無理なんてしていないんです。毎日10キロのジョギングをしている人間と普段から何も運動をしていない人間がいたとして、前者ならフルマラソンだって不可能ではありませんが、後者であったら絶対に無茶をするなと止めるでしょ? それと同じようなものです。わたしにはいろいろなことを考えることが苦痛ではありませんし、むしろ未来が良いものになるのであれば楽しいとさえ思えます。いくつかの事柄を並行して考えることも難しいとは思いません。だから心配は無用です。それにもし今の心配が父親の娘に対するものだったとしたらそれは迷惑です」
「迷惑って…」
「だってボーダー活動の最中はプライベートを持ち込まないという約束だったはずです。わたしだって目の前にいるのが真史叔父さんだと考えるとすごく申し訳ないと思ってしまいます。父親が娘のことを心配するのは当然だというのに、わたしは親孝行よりもボーダー活動を優先して
忍田は自分がボーダー本部長と父親というふたつの立場で辛いと感じていたが、ツグミもまたボーダー隊員と娘という立場の狭間で胸を痛めていたのだと知った。
(そうだった…。人間は誰でも幸せな未来のために今を生きている。学生だった頃、私は勉強するのが嫌で我慢をしながら通っていた。しかしそれは無駄ではなく、あの時の経験があるからこそ今を生きていられるのだ。過去を思い返すことができるから、やっておいて良かったとか、あの時にやっておくべきだったと判断することができる。しかしツグミは未来を想像して今できることを考えながら行動している。過去の私は自分の未来を想像などできずにいた。だから勉強するのも苦痛で、それが未来への投資になるなんて考えもしなかった。思考の基本が我々と大きく違うから理解し難い部分がある。私にとってボーダーの活動は今現在の
忍田がそんなことを考えている心の中が読めたのか、ツグミは彼女らしい解説をした。
「中島敦の作品に『光と風と夢』というものがあり、その中にわたしの好きな言葉があります。『頭は間違うことがあっても、血は間違わないものであること。
「……」
「ジンさんが確定した未来しか視えなくなったといってもそれは一時的なものかもしれませんし、
「ああ、そうしよう」
忍田の安らかな表情に安心したツグミ。
「じゃあ、いつになるかわからない親孝行の利息分を払いたいと思います。明日はお弁当を作って持って来ますので、ここで一緒にお昼ご飯を食べる…というのはどうでしょう? もちろんダシ巻き玉子も入れますよ」
ツグミが気を遣ってくれていることは十分承知していて、忍田は嬉しそうに微笑みながら言った。
「それは楽しみだ。明日は珍しく会議も面会の予定もない。昼食もここ最近はずっと仕出し弁当や食堂で簡単に済ませてばかりだったから嬉しいよ」
「では明日の一二〇〇時から一三〇〇時までの1時間、忍田本部長のお時間をいただきます」
「この弁当へ父親への差し入れじゃないのか?」
「いいえ。部下から上司への陣中見舞いです。もし娘からの差し入れを期待しているのなら丸一日休暇を取ってからにしてください。その時にもお弁当を作りますから、一緒にどこかへ遊びに行きましょう」
ここでも公私をハッキリさせようというツグミの一貫とした態度に苦笑する忍田だが、それでも満足で十分嬉しかった。
「ところで昨日から気になっていたんだが、おまえの着けているチョーカーの石がサファイアのように見える。そんな大きな石のアクセサリーなんて誰から貰ったんだ?」
白地の布に金色の糸で刺繍したリボンに紺色の石が付いたチョーカー。
このことはまだ忍田には話していなかった。
「これはエウクラートンの王家の人間が身に着ける『トリガー』です」
「トリガーだって?」
「はい。エウクラートンの王家の人間は
ツグミはそう言ってノートPCの画像フォルダ「エウクラートン」に入っている正装した姿でリベラートとふたりで並んで撮影した写真を見せた。
そこに写っている彼女の姿は神々しく、白を基調としたドレスを着ているものだから忍田はそれが花嫁衣裳に見えてしまった。
「この衣裳は女王陛下の若い頃のものなんですけど、このティアラにこれと同じ石が付いているのがわかりますか? このチョーカーはリベラート殿下がわたしの身を案じて急いで作らせたものなんだそうです。これさえあれば交通事故のような不慮の事故や災害で死ぬようなことはありませんから安心してください。…もし
ツグミはすべて「自分のためにやっていること」と言って利己主義者を装っているが、誰かが自分の利益を得るために他人に犠牲を強いるのであればそれを許すことはできないという正義感も持っていて、自分もその例外ではないから自分が幸せを得るために誰かを犠牲にはできないと考える。
誰もが自分と同じように幸せになれる世界を望んでいるから結果的に大勢の人間のために働いているように見えるのだ。
その「誰も」が
城戸や忍田たちが諦めてしまった道をひとりで歩き始めた彼女だったが今では多くの仲間が共に歩いてくれていて、それが彼女の「成長」だと思うと忍田は嬉しいと同時に自分たちの無力さに幻滅してしまう。
(これまで
忍田も全世界の人間の幸せなど望んではいない。
ただ愛娘の夢を叶えてやりたいだけなのだが、それが結果的に三門市民だけでなく
「ツグミ、私はおまえの気持ちを理解したつもりでいた。しかしボーダー本部長の私とおまえの父親としての私で温度差があり、父親としての私が私情を挟むことでおまえに対して無用なストレスを与えてしまっていたようだ。父親なのだから心配するのは当然だ、口うるさく言うのも無理からぬことだと自分を正当化していたが、おまえを信頼してすべてを任せることにした城戸さんの方がずっと父親らしいと感じた。あの人はボーダーの総司令官の立場でボーダーの利益を考えて行動しているようにしか見えないが、心の底ではすべての隊員たちのことを常に気に留めていて彼らの安全を第一に考えている。あの遠征の際に自分の不甲斐なさに深く傷つき、二度と同じ過ちは繰り返さないと決心した姿はおまえのそれと同じだ。すべての隊員の上司であり、同時に父親として毅然と立ち向かうあの人を私は見習うべきだとわかった」
「……」
「おまえがどこで何をしていても私がおまえの父親である事実は変わらない。おまえが私のことを唯一絶対の存在だと考えて愛してくれているのだから、私はおまえを信じて好きにさせてやることでその気持ちに報いるべきだ。今おまえが
そして最後に忍田は言った。
「私はおまえが私の娘となってくれたことを心から感謝している。ありがとう」
その言葉にツグミは目頭が熱くなり、その両目から涙が溢れてきた。
「わたしも忍田真史の娘になれて幸せです」
ツグミと同じく涙ぐむ忍田。
いつか自分の手を離れて迅と手をつないで長い人生と共に歩いて行くことになるだろうが、父と娘であることは永遠に変わらないのだという自信が持てた瞬間だった。