ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
翌日、ツグミは千佳と会う約束をしていて、午前中に雨取家を訪問した。
この時間なら両親がおらず、千佳とふたりきりで話ができるからだ。
前日にツグミから連絡があって「麟児のことで話がある」と言われたら千佳も断るわけにもいかず、むしろ悪い情報であっても知りたいと思うのは当然であるからツグミの訪問を歓迎した。
ツグミは千佳の部屋に通され、遠回しな言い方をせずに直球で訊いた。
「チカちゃん、昨日の電話でも言ったけど、麟児さんのことで訊きたいことがあるの。あなたにとって不都合な真実が掘り起こされるかもしれないことだけど正直に答えてもらいたい」
「はい」
「麟児さんってあなたのお兄さんってことだけど、わたしはもしかしたら彼が
「兄さんが
千佳はツグミの暴言に興奮して立ち上がって叫んだ。
「そうね、あなたはそう思いたいし、それが事実であればその方がいい。でもこの仮説もまったく根拠のないものではないのよ。だから彼があなたのお兄さんであることが間違いない証拠が欲しいの。それであなたの話を聞きに来たってわけ。だからそう興奮しないで落ち着いてわたしの話をきいてちょうだい」
「…はい」
千佳は姿勢を正してツグミの顔を真っ直ぐ見た。
「じゃあ、あなたと麟児さんの昔話を聞かせてちょうだい。できることならあなたが小学生の頃の思い出話がいいわね。アルバムがあればそれを見ながら家族旅行とかの話をしてもらいたいんだけど」
「わかりました」
そう言って千佳は本棚に収めてあったアルバムを手にするとそれを机の上に置いて開いた。
そしてページをめくるのだが、彼女が生まれてから現在までの写真が収められているというのに麟児の写っているものはない。
生まれてすぐのお宮参り、七五三、小学校の入学式と卒業式、中学校の入学式と人生の節目となるイベントの写真は両親と千佳の3人で写っているのだが、そのどこにも麟児の姿はないのだ。
また家族旅行にも何度か行っているようだが、その写真の多くは父親が撮影したものらしく母親と千佳が写っているものばかりで、雨取家とは両親と千佳の3人家族であるかのように思える。
しかし千佳はそれをおかしいと思いたくないのか、その疑問を打ち消すようなことを言う。
「兄は写真が嫌いなんです。だからわたしと両親で写っている写真は兄が撮影したもので、だから写っていないのは当然なんです」
そう言いながらも本人も少しはおかしいと思っているようだ。
「じゃあ、写真嫌いだということにしておくけど、麟児さんのお宮参りの時などまだすごく小さい時の写真ならあるんじゃないかな? それがあったら見たいんだけど」
「兄の部屋を探してきます」
そう言って千佳は自室を出て隣の麟児の部屋へと行くのだが、10分15分と経ってもなかなか戻っては来ない。
そこでツグミは麟児の部屋を覗いてみた。
「チカちゃん、アルバムが見付からないの?」
声をかけると千佳は青ざめた表情で答えた。
「はい。でもおかしいんです。この部屋は兄が失踪した時のままになっていて、月に1回か2回掃除をするために入ることはあっても物を捨てたり動かしたりはしていません。今日初めてクローゼットを覗いたんですが中には服が1枚もなく、机の上にある大学の教科書やノートは開いたこともないような新品ばかりが並んでいることに気付きました。そしてここにはアルバムがありません。兄は自分が写真に写るのが嫌いですから、家族の写真を見るのも嫌いで自分用のアルバムはなかったのかもしれません。なので両親のアルバムを持って来ます。それになら兄の小さい頃の写真があるはずです」
千佳はそう言い残してリビングに置いてある家族全員の写真の収められているアルバムを取りに行った。
そして数分で自室に戻って来たのだが、その顔はさっきよりも青ざめていて元気がないというよりも恐怖に引きつっているようにも見える。
「ツグミさん、わたし…怖くなってきました。これ以上あなたの話を聞くとこれまでの自分が壊れてしまいそうで、ものすごく不安なんです。でも真実から目を背けてはいけないとも思って、逃げないで最後まで真実を探ろうと思います」
麟児のことを信じたい気持ちが大きいのは彼のことを大切に思っているからというだけではなく、自分の過去が虚構の上に成り立っていると知ることが恐ろしいからだ。
それでも千佳は真実から逃げないという勇気を出すことができるようになったのは、人を
千佳が持って来たアルバムには雨取家の歴史がすべて収められていた。
彼女の両親の結婚式の写真から始まり、新婚旅行先での風景、以前に住んでいた東三門の中心地 ── 現在は警戒区域内となっていて民間人は立ち入り禁止となっている ── の家の近所の公園で撮った夫婦の仲睦まじい姿などが数十枚ある。
そして次は千佳が生まれた日の写真で、産院の病室で母親が彼女を抱き抱えているものだ。
さらに千佳の幼い頃の写真が続くのだが、やはりここにも麟児が生まれてから現在までの写真が1枚もない。
いくら写真嫌いであっても乳児や幼児の時から写真を嫌う子供であったとは思えない。
それに雨取夫妻にとっては初めての子供なのだからとても嬉しかったはずで、幼い頃の写真が1枚もないというのは異質な感じがする。
しかしツグミの仮説が正しいのであれば子供時代の写真がないのは当然なのだ。
「だけど小さい時に兄と一緒にキャンプをしたり海水浴に行った記憶はあります。兄が写っている写真はないですけど、わたしが覚えているんですから ──」
「でも麟児さんならできるんじゃない?」
「!」
千佳は思い当たる節があるのか目を大きく見開いた。
他人を上手く誘導して自分の思い通りに動かすことができる麟児の姿を見たことのある彼女なら無理もない。
「彼がどんな手段を使って人を思い通りに動かすのかはわからないけど、仮に相手を洗脳して都合の良い記憶を植え付けて従わせることができるのだとしたらどう? たとえばあなたのアルバムにあった海水浴の写真だけど、これはあなたとご両親の3人
「……」
「わたしは彼が
「…それでも写真がないというだけでは兄が
「ええ、もちろん。そこであなたにお願いしたいことがあるの。彼の住民票の写しを請求してもらいたい。彼は行方不明になってはいるけど法的な手続きはしていないからまだこの家に住んでいるということになっている。請求は本人でなくても同一世帯員として住民票に記載されているあなたなら申請できるわ。もし彼の住民登録があれば問題はないけど、そうでなかったら彼には住民票がない人間、つまり
「そうすると兄の住民票の写しを取り寄せることができたら、雨取麟児はわたしの兄であると認められるということですね?」
「そのとおり。あなたもこんなモヤモヤとした気持ちは早くスッキリさせてしまいたいでしょ?」
「はい。これから一緒に市役所へ行ってもらえますか?」
「もちろん」
千佳はこれまで逃げることで自分の身を守ってきたが、逃げるだけでは何も解決しないことを悟って積極的に行動するようになっていた。
麟児の疑惑も早く晴らしてしまいたいという気持ちがあると同時に自分の中にある兄を疑う気持ちをぬぐい去ってしまいたいのだ。
ツグミと千佳は一緒に市役所の市民課の窓口へ行き、千佳が申請書に必要事項を書き込んで提出をした。
しかし市役所職員からは「該当する人物は登録されていません」と言われ、申請書類も返されてしまったのだった。
これで雨取麟児という人物は三門市民として住民登録されていなかったことは明らかになり、千佳の胸の中の麟児の存在がますますあやふやなものとなっていく。
「これで彼が三門市に住民登録されていないということはわかったけど、他の市町村で住民登録されている可能性もまだ残っている。ついでにこの足で図書館へ行って彼の中学と高校の卒業アルバムを調べてみましょう。あそこには市内全域の公立高校の卒業アルバムが収められているそうだから」
「はい」
ツグミと千佳は市役所の敷地内にある市立図書館へと向かった。
そして該当する年度の中学と高校の卒業アルバムを調べ、念のためにその前後の年度と他の学校のものも調べたのだが麟児の写真はどこにもなかった。
「いくら写真嫌いでも卒業アルバムにすら写真がないというのはありえないわ。したがって彼は今調べた範囲では中学と高校を卒業していないことになる。こうなると限りなく黒に近い灰色ってことになるわね」
「……」
「さっき麟児さんの部屋のクローゼットには服が1枚もなかったと言ったわね? あれって自分が姿を消す時に雨取麟児という人間がそこにいた証拠となるものを残したくなかったからじゃないのかな。たとえば髪の毛とか体液などからDNAを調べれば雨取家の家族とは血のつながりがないことがバレちゃうから。教科書が新品状態だったのは実際には学校に通っていないからで、住民登録されていない人間じゃ高校や大学の受験も不可能。でもあなたたち家族には学校へ通っていたと思わせるために教科書やノートを机の上に置いておいた。学校へ通っていると思わせて、その間に三門市内で情報収集をしていたと考えるのが自然ね。実際にあなた自身が彼の授業風景を見たわけじゃないから、彼の言葉を信じていた。疑う理由なんてないもの。そうでしょ?」
「はい。…でももし兄が
「う~ん…それについても仮説はあるんだけど、こっちは証拠がまったくなくて彼の心の中を想像するしかないのよね。それでもよければ話してあげる」
「お願いします」
千佳の心の半分以上が「兄は
「わかった。あくまでも仮説だということで聞いてね。…今から少なくとも6年前から5年半くらい前のどこかで
「……」
「そして本国に情報を送り続け、侵攻が行われることに決まった。それがあの第一次
「情が移る…ですか?」
「ええ。彼が第一次侵攻のために潜入した諜報員ならとっくに帰国していたでしょう。でもその後4年近くもこちら側の世界にいた。もしかしたら帰国して新しい任務に就くよりもあなたの兄でいることの方がいいと判断して帰国しなかったんじゃないかって思うの。あなたが
「それならなぜあんな形で
「そこまではわたしにもわからないけど、何らかの理由があって帰国しなければならない事態となったんじゃないかしら。…たとえばアフトの大規模な侵攻が行われることをいち早く察してあなたを守る手段を手に入れるために帰国した、とか。
「……」
「もし麟児さんが
「はい、わかりました」
ツグミと千佳は図書館の玄関で別れ、ツグミは一度寮に戻ってからボーダー本部基地へと向かった。