ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「生贄」を「神」と呼ぶことからも申し訳ないという気持ちと、神として敬うことで国の安寧を願ったことからそういう習慣になったのではないかとツグミは考えている。
また「神」と呼ばれたところで所詮元は人間であるから寿命というものがあり、その寿命が尽きる日は必ずやって来る。
それを放置していれば
多くの国では
それは王家という特権階級を得た一族に対して国民が「非人道的な行為を彼らに押し付けて、自分たちは手を汚さない」で済むよう慣習化したシステムであった。
エウクラートンの例を見ればわかるが、王家の人間は単に楽をしてのんびり生きられるのではなく、国民の命を守るために誰でも持っている「自由」を失う。
さらに「神」の寿命が尽きようとしているのであれば「生贄」となる人間を探すことを強いられる。
国内で最もトリオン能力の高い人物を探し出し、その人物を説得してその身を捧げてもらうことになるのだが、それは容易なものではない。
アフトクラトルのように他国からさらって来て問答無用で「生贄」にするという国もあるが、それではその人物を手に入れるまでの過程で大量のトリオンを消費し、多くの人的資源を失うことにもなりかねない。
実際、ハイレインは三門市民に狙いをつけて襲撃してきたが損得を考えると大幅に損をしただけで終わっている。
他国からさらうというのはハイリスクな行為であるから、多くの国は自国の国民の中から探すことになる。
アフトクラトルは「神の国」と呼ばれるように、「神」となる人間を厳選して国力を高めてきたからそれがハイリスクな行為であってもハイリターンであるから行われている。
さらにこの国は王の一族と
だから四大領主の当主は必死になる。
ハイレインも自分が王になるためにはあらゆる手段を講じていて、弟のランバネインですらあからさまに渋い顔をするほどであった。
◆
「神選び」は当日の朝に四大領主がそれぞれひとりずつ選んだ
神官は完全に中立の立場であり、個人が特定できないように男女とも同じ黒い服を着させられ、頭から黒い袋 ── 覆面を被せられた状態になっている4人の候補者の中から選ぶために不正は行われない。
候補者は自分が生贄にされるのだから断固拒否するのだが、親きょうだいを人質に取られていたり、薬物によって自我を失っているなどして神殿に連れて来られた時点で騒ぎが起きることはなくなっていて儀式は淡々と進んでいく。
選ぶ基準は単に「トリオン能力が最も高い」というもので、4人の候補者のトリオン能力を測って一番高かった者を「神」とし、その決定した時点で残りの3人は解放される。
そして神官によって「生贄」は神殿の正面玄関に連れて来られ、神殿前の広場で待っている関係者や一般国民の前で覆面を外されて初めて誰なのかが明らかにされるのだ。
神殿前の広場には千人以上の人間が集まっていて、
そんな
なにしろ4つの家の勢力バランスは現王家のコヴェリ家が頭ひとつ抜けている状態で、他の3つはほぼ横並びであった。
しかしベルティストン家が
だから一発逆転のために最終手段を講じている。
現国王と3人の当主たちにとって誰が新しい「神」になるのかによって自分と一族の命運がかかっているのだから、特等席でこの
儀式は神殿の奥深くで行われ、神官以外の人間がその様子を見ることはできない神聖なものとされていて、現国王といえども「結果」しか知ることはできない。
その儀式は淡々と進んでおり、神官は4人の候補者のトリオン量を計測してその中で最も高い数値を出したひとりを選んだ。
続いて選ばれた候補者をお披露目するのだが、ここで新しい「神」は人間ではなくなったために自身の足で歩かせるわけにもいかないとして、神官の一族の男たち4人が担ぐ「輿」に乗せられる。
待機していた男たちは新しい「神」を担いで大勢の国民が見守る神殿の正面玄関へと向かって厳かに進んで行った。
そして輿に乗せられた「神」が現れると観衆はざわめきたち、神官の手によって覆面が外されたとたんに地を揺るがすような大歓声が上がる。
その瞬間、現国王とふたりの領主は絶望的な顔になって肩をがっくりと落としてしまったが、ただひとりハイレインだけは右手の拳を固く握って天に向けてそれを高く振り上げたのだった。
覆面を外されたその若い女性は精気のない虚ろな目をしており、明らかに薬物で自我を失った状態でいることがわかる。
丸みを帯びたショートボブの髪は鈍い赤紫色をしていて、額の両端から黒曜石のような角が生えている。
かつては
ハイレインはミラと数日前に結婚をしたのだが、婚礼の儀式は内輪だけで行われたため公にはなっていない。
そもそも彼女がハイレインの企みに気付いて逃げ出さないように引き止めておくだけの手段であったため、この婚姻は無効とすることを前提で行われた茶番劇にすぎなかったのだ。
ハイレインは彼女を自分の城に住まわせることで食事に薬物を混ぜて食べさせてトリオン量を人工的に増やす細工をしただけでなく、それによって自我をだんだん失っていき、無気力になるという副作用があることも利用していた。
ハイレインは結婚を餌にして彼女を引き止め、違和感なく薬物を投与して自分に都合の良い「人形」を作り上げたのだ。
その技術の応用で角付きであるミラに対して投薬を行うことでトリオン器官の一時的な強化 ── ドーピングを行ったのであった。
当初はトリガー使いとしての能力をさらに高めるためののもであったが、副作用で兵士として使い物にならなくなるということが判明したので使用は中止されていた。
しかし彼女はもう二度と
彼女にはもう自我というものはないから「神」となって苦しむこともなく、ある意味これはハイレインによる優しさであったかもしれない。
「神選び」の儀式はこれでおしまいではない。
新しい「神」のお披露目を終えたのだから、このまま輿に乗った状態で再び神殿の奥深くまで戻って行き、二度と彼女が姿を見せることはない。
彼女も二度と日の目を見ることはなく、寿命が尽きるまで
続いて大勢の観衆の前で国王の交代が行われる。
悔しそうな顔のコヴェリ王は自分の戴いている王冠を外し、ハイレインの頭に載せる。
観衆の拍手の中、新たなアフトクラトルの王が誕生した瞬間であった。
これでアフトクラトルはハイレインが元首となり、彼は国政のすべてを掌中に収めたのだ。
アフトクラトルの国民は誰が国王になったとしても国土が復活して普通に生活できるようになるのならかまわないのだが、アフトクラトルの従属国やボーダーにとっては無視できない状況となってしまった。
ハイレインが武力によって世界を平定することを目的としている以上、
そして平和的な国々の連帯を目指すキオンとの対立は火を見るよりも明らかだ。
もちろんそうなればボーダーも無関係ではいられなくなる。
そもそもボーダーによって二度も屈辱を味わったハイレインが報復をせずにいるはずがなく、今度はベルティストン家だけの侵攻ではなくアフトクラトルという国を挙げての大侵攻となるかもしれない。
この広場で状況を見守っていたエリン家の執事・セリウスはこの情報を一刻も早くディルクに知らせようと領地に戻るために早馬を走らせた。
国王となったハイレインの最初の仕事は
ハイレインは神殿の最深部に足を運び、
それは神官か王家の人間しか目にすることのないものであるから当然なのだが、そのキューブが一辺5センチくらいの非常に小さいものであったからだ。
今にも消えてしまいそうなほど放つ光も弱く、これがアフトクラトルの現実なのだと知って恐れ慄いた。
すでに到着している「
そしてハイレインが神官のいる操作パネルの場所に着くと、神官はスイッチを入れた。
すると
続いて神官はその満タンになったエネルギータンクから国土の維持に必要なトリオンを抽出する。
太陽を蘇らせて大地を照らし、雨を降らせて土を潤すことになり、風が吹いてありとあらゆる生命に復活を与えるようになるには数日はかかるだろうが、間違いなくアフトクラトルは力強く復活していくのだ。
◆◆◆
「神選び」から数日のうちに前王とその一族は自分の領地へと戻って行き、首都の巨大な城の主はハイレインとなる。
ランバネインはもちろんのこと、ヴィザやその他のトリガー使いや一般兵士たちをいち早く首都に集めて城を警護させた。
なぜならこの国王の交代の直後はまだ様々な面で混乱しているため、クーデターが起きやすい時期なのである。
コヴェリ家当主が他の領主たちと手を結んでクーデターを起こす可能性がゼロではない以上は警戒するのは当然なのだ。
新しい「神」を見付けた者が国王となることは不変のルールではあるが、その後に国王が代わることは過去にもあった。
だから王となっても安心してはいられないため、まずは他国を制圧するより先に自分を守るために武力を強化しなければならない。
ボーダーのC級隊員を拉致したのも王になるためではなく、王になってから必要な戦力として育てる計画であったのだ。
もしハイレインの計画が100%成功していたならば、大規模侵攻でさらった千佳を「神」に据え、C級たちは即戦力となるトリガー使いに育て上げていて、ランバネイン、ヴィザ、ミラ、ヒュース、ディルクといった優秀なトリガー使いが自分のそばに付き従っていて喜びを分かち合っていたことだろう。
しかし現実には彼のそばにはランバネインとヴィザしかおらず、
巨大な城の最上階にある国王の私室のベランダに立ち、ハイレインは
まだ薄暗くて足元の街並みしか見えないが、そのうちに首都の城郭都市内だけでなく十数キロ先の街まで見えるようになるだろう。
(俺の覇道は始まったばかりだ。多くの犠牲を払ったが、この先何倍何十倍もの犠牲が生じるのは覚悟の上。いくつもの屍を乗り越えてきた身だ、今さら引き返すことなどできようものか。…しかしこうして王となってみると無性に孤独だと感じてしまう。ランバネインは何も文句を言わず俺に付き従ってくれているが、心の中では俺のやり方に納得がいかないのだろうな。あいつだけは最後まで俺のそばにいてほしい。家臣ではなくたったひとりの肉親として…)
柄にもなく感傷的になってしまったハイレイン。
アフトクラトルの王になるという目的を果たしたものの、ここから先が長く険しい道のりである。
それを前にして押し殺していた人としての感情が思い出したかのように浮かび上がってきたのは無理もない。
彼も人の子で人を慈しむ心や悼む心を持っていたが、それが覇道のためには不要…というよりも自分の心を守るために封印してしまったのだった。
ミラを騙して生贄にしてしまったことは彼にとっても最後まで避けたい手段であったから、さすがに彼でも心を痛めてしまうということなのだ。
そして慰めてくれる者がそこにいないとなれば孤独感に苛まれてしまう。
ハイレインはランバネインのことを肉親とか弟という意識が強いが、ランバネインにとってのハイレインは兄であることは間違いないがそれ以上に「主君」としての意識があり、単純に兄弟であったら殴り合いの喧嘩をしてでも語り合おうとするだろうが、相手が主君であれば文句があっても従うしかない。
それがハイレインにとって良いことなのか悪いことなのかは誰にもわからないが、少なくとも兄弟が兄弟としてぶつかり合えない状況は悲しいものではないだろうか。
(アフトクラトル国民の頂点に立ったために俺はいろいろなものを失った。ならば
たったひとりの強者の意思ですべての人間が動けば争いはなくなる。
そうすれば誰も死なずに済む安らかな世界になるはずだというのがハイレインの思想だが、たしかに絶対的な力によって誰も逆らえない状態にすれば戦争のない世界にはなるだろう。
しかしそれが幸せな世界になるとは限らず、武力を持たない一市民の小さな力でも数万数十万と集まれば
もっとも現在の最悪の状況から救い出してくれた新しい王に逆らうアフトクラトル国民はおらず、彼らの不満が高まることがなければ内戦は起きないだろうし、他国への侵略行為も「
ハイレインは四大領主の制度自体も廃止して一強独裁を狙っているからベルティストン王家vs3領主という内戦が起きることも考えられるため、アフトクラトルの未来はまだ視えない。
◆◆◆
「神選び」の結果を知るためにゼノンとテオがアフトクラトルへと向かうと申し出た。
本当ならツグミが自ら行って確認したいと言うのだが他にやるべきことが山積みのため、ここは素直に彼らに任せることにした。
エリン家の屋敷に「神選び」当日までに到着するようにしておけば、首都に行って結果を見届けた屋敷の使用人が戻って来るのを余裕で待つことができるということで、タイミングを見計らって三門市を経ったのだった。
ゼノンとテオが帰還したのは9月19日で、ハイレインが王になったことをディルクたちに伝えた。
それについてはある程度は覚悟していたことでそれほど驚きはしなかったのだが、生贄となったのがミラであったことにはかなり驚いていた。
彼女は
この話をツグミも一緒に聞いていて、アフトクラトルの再侵攻の可能性とその時期について改めて考えることにした。
(ハイレインの人間性を考えると大きく分けてふたつ。プライドの高いあの男が二度の敗北に甘んじているはずがなく、今度は国を挙げてボーダーを徹底的に潰そうとするだろう。他の3領主が素直に従うとは思えないけど、ボーダーをこのままにしておけば将来都合が悪くなるのだから今のうちに叩いておこうという理由で再侵攻をする考えるのは自明の理。それに
(そしてもうひとつ。キオンがボーダーと手を結んだのは
ツグミはハイレインの行動が「再侵攻をして徹底的にボーダーを叩いて潰す」と「謝罪をしてキオンよりも先に友好条約を結ぶ」のどちらかになるという結論を出した。
当然のことだがツグミは後者、つまりキオンとの関係を破棄して先にアフトクラトルと手を結ぶということは100パーセントしたくない。
そんなことをすればこれまでのキオンによる恩を仇で返すことになるわけで、真田信繁の「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」という言葉にあるように、人からの恩義を忘れて私欲をむさぼるような奴は人とは言えないのだ。
アフトクラトル遠征というボーダー初の本格的な敵地での戦闘を行って全員が無事に帰還でき、さらわれたC級隊員たちもひとりも欠けることなく救出できたのはゼノン隊の協力あってのものである。
ハイレインがどんなに平身低頭して謝罪しても、アフトクラトルの国王となった彼の「武力による
しかしアフトクラトルとの縁はエリン家の家族によって強く結ばれているので、ハイレインの方から歩み寄って折衷案を見付け出すことができれば敵対せずに済ませる道も残っている。
そして「神選び」によってハイレインが王になったことで、エリン家の家族とヒュースの帰国はもうしばらく先となることが決まったのだった。