ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
マスコミ関係者から城戸司令への質問の時間となった。
ここからが勝負どころだが、城戸の心の中はさざ波ひとつない海のように凪いでいて、どんな質問であっても上手くあしらうことができるという自信があった。
(ここからが正念場だ。せっかくツグミが書いてくれたシナリオを私の態度や言葉で台無しにしてしまっては申し訳ない。市民のボーダーへの信頼を失い、ここまで築き上げたものをぶち壊しにしてしまうのも私の演技次第。…しかし重大な役目を負っているというのに意外と不安も緊張もない。不思議なものだ)
城戸は舞台上でマスコミ関係者約100人の視線を一身に浴びているが、その何百何千倍もの視聴者も彼の一挙一動を見守っている。
大袈裟ではなく彼の発言がボーダーの命運を握っているのだ。
そして三門市民の将来にも大きく影響することになるわけで、視聴者は手に汗握っていることだろう。
城戸は記者たちの質問に対し、ひとつひとつ答えていった。
「三門新聞の鏑木です。第一次侵攻の後たった半年で大規模な基地を建設したわけですが、その資金源はどこから出ているのか教えてください」
「先ほどお話したK氏はOのことをいたく気に入っており、彼の身元引受人となってくれました。K氏は14年ほど前に亡くなり、身寄りのいなかったK氏の財産はOが相続しましたが、そのOもまた自分に何かがあった場合のことを考えていて、私とMと忍田と林藤の4人に遺贈するという公正証書を残していました。金額につきましてはお答えできませんが、我々4人が一生かかっても稼ぐことができないほどの金額であるとだけ申し上げておきます。そして全員一致で全額を銀行に預け、その利息で自警団の運営を続けることになりました。また第一次侵攻を経て組織を拡大する際にその原資をすべて注ぎ込みました。もちろんそれだけで足りるはずはありませんから、K氏の知り合いを頼って資金援助をしてもらいました」
「毎朝新報の大岡です。第一次侵攻時、ボーダーが所持していたトリガーの数はM氏がどこからか持って来た十数個だけだったはずです。M氏以外はトリガーの秘密を知らなかったはずですが、どうやって数を増やしたんですか?」
「それについては最重要機密事項ですのでお話できません。ですがそれだと引き下がってはくれないでしょうからきっかけとなった出来事についてはお話しましょう。第一次侵攻後、現在の本部基地周辺は特に激しい戦闘が繰り広げられましたから、本部基地を建設する際に大量の瓦礫とトリオン兵の残骸を撤去する必要に迫られました。そしてそのトリオン兵の残骸を調べましたところ構成元素がトリガーと同じものだと判明し、その残骸を特別な処理をしてトリガー作成に転用することになりました。材料は大量にありましたから、トリガー作成には十分でした」
「三門ケーブルテレビの山下です。城戸司令は方針を
「そのような可能性は万にひとつもないでしょうが、もしそのようなことがあれば
「『ボーダー・タイムズ』編集部の日下です。これはボーダーの活動とは直接関係ないことなのですが質問させてください。さっきの話の中で我々と
「ボーダーの活動に影響のない範囲であれば情報提供をすることはやぶさかではありません。…いえ、むしろ専門家の方にもっと詳しく調べてもらい、我々と
日本人の記者だけでなく外国人の記者からも手が挙がった。
「オーバーシーズ・ニュースチャンネルのベイカーです。ネイバーはミカド市にしか現れないということですが、国内の他の街や海外のどこかの国にネイバーが現れる可能性はないのでしょうか?」
「今のところ三門市以外での出現の報告はありません。また三門市内でも東三門のボーダー本部基地周辺の立入禁止エリアのみに出現するように
こうした質問が城戸にぶつけられたが、それを彼はすべて上手く答えたことでトラブルは起きずに済んだ。
以前の記者会見ではボーダーに対して悪意ある質問が上がることも多かったのだが、これまでのボーダーの活動に一定以上の効果が見られて市民の支持率が上がったものだから、ボーダーを批判することで自社のイメージを損ねると判断したからであろう。
以前ならボーダーに不満を持っている者やボーダーに対して憎しみをぶつけることでしか悲しみから逃れることのできなかった者の声が多かったものの、アフトクラトルによって送り込まれた大量のトリオン兵を殲滅し、民間人への被害をゼロに抑えた「成果」は評価されてしかるべきである。
そしてさらわれたC級隊員を救出する際には遠征部隊の被害はゼロで、第一次
少々謎の部分が残っていたとしてもやることをやってくれさえすれば、そんなものは黙って見逃してやってもいいだろうという風潮が高まってきていた。
したがってマスコミ関係者もボーダー支持に傾いたのである。
それもすべては日頃の真摯な活動の結果であり、市民のために仲間と自分の力を信じて戦う若き
(私は若きボーダー隊員たち、そして職員や
◆◆◆
記者会見は約1時間で終わり、城戸は局内の控え室に戻った。
(さすがに疲れたな…)
つい先日、43歳になったことを思い出して年月の流れを再確認していた。
(私が織羽と有吾に出会ったのが22歳の時。人生のほぼ半分がボーダーと共にあったということか。これが長いのか短いのかはわからないが、少なくとも私はこれからもボーダーと関わって生きていくだろう。苦しいことは多かったが、楽しく充実した日々であったことも間違いない。そして
畳敷きのフロアに寝転がってそんなことを考えている城戸に来客があった。
「城戸さ~ん、お届けものです」
ドアの向こう側から若い女性の声がして、城戸がドアを開けると局のADの女性が紙袋を抱えて立っていた。
「記者会見が始まる前にボーダーの霧科ツグミという女の子からこれを預かりました。記者会見が終わって休憩している時に渡してくださいって頼まれたので。どうぞ」
「あ、ああ…。ありがとう」
城戸は紙袋を受け取るとドアを閉めて、テーブルの上に紙袋を置いた。
(ツグミが何を私に…?)
紙袋の中には保冷バッグが入っており、その上にはメッセージカードが載せられている。
カードには「お疲れさまでした。夜食にどうぞ」と書かれていて、保冷バッグを開けると保冷剤の冷気が溢れ、その下にはきゅうりとハムのサンドウィッチがラップに包まれて入っていた。
(私の好物を覚えていたのだな…)
旧ボーダー時代、前線で戦うことのできなかった幼いツグミは仲間の役に立とうとして必死になって料理を覚え、各人の好みを調べては夜遅くまで働いている者がいると差し入れをしたものだった。
城戸の部屋に遅くまで明かりが灯っているとツグミがきゅうりとハムのサンドウィッチを作り、ブラックコーヒーと一緒に持って来てくれた。
しかしボーダーの組織が大きくなるとこうして夜食を差し入れしてくれる者はおらず、基地内のコンビニで買ったものを執務室へ持ち帰って食べるということになる。
深夜の静まり返った本部基地内をひとりで歩き、出来合いのサンドウィッチやおにぎりを食べるのは辛くはないが寂しかったのは事実で、その度に旧ボーダー時代の楽しかったことを思い出していたのだった。
久しぶりの差し入れに城戸は自分がまだ大事にされているのだと感じ、つい目頭が熱くなってしまった。
「城戸司令、いらっしゃいますか?」
城戸が感慨にふけっていると別の来客があった。
その来客とは唐沢で、彼もまた紙袋を携えていた。
「このすぐ近くの小料理屋で人と会っていましてね、記者会見が終わったようなので差し入れを持って様子を見に来たんです」
唐沢は
そして持っていた紙袋をテーブルに置くが、
「ファンからの差し入れですか? 城戸司令も隅に置けないですね」
冗談半分で唐沢が言うと、城戸が嬉しそうな顔で答える。
「ツグミの差し入れだよ。あの子は私の好物を覚えていてくれて、記者会見の始まる前にここに届けておいてくれたようだ」
「だとしたらこれは必要ないですかね?」
唐沢がそう言って紙袋の中から取り出したのはテイクアウト用のプラスチックの器に入ったおにぎりと香の物である。
ひと仕事終えて小腹を空かしているであろう城戸に小料理屋で作ってもらってわざわざ持って来てくれたのだ。
城戸は唐沢の差し入れを受け取って礼を言う。
「唐沢くん、ありがとう。これは明日の朝に茶漬けにでもしていただくことにするよ」
「そうですか。…それにしてもツグミくんの細やかな気遣いは相変わらずですね。大人たち…特にオジサンたちに気に入られるわけですよ」
「ああ。…ところできみがここに来たのは差し入れだけが目的ではないのだろ?」
「まあ、特に急ぎというのではないのですが…少々。城戸司令はタクシーでしょ? 家まで送りますよ」
「そのために酒は飲んでいないようだから、その気持ちを無碍にはできないな。頼む」
「了解です」
城戸と唐沢は一緒にテレビ局を出ると、近くのコインパーキングに停めてあった唐沢の車に乗り込んだ。
◆
「じっくりと拝見させてもらいましたが、なかなか堂に入った演技でしたね。事実を知っているおれですらあなたの言葉がすべて真実なのではないかと思ってしまったくらいです。事実と虚構を上手く織り交ぜた見事なシナリオと、あなたの演技があってこその大成功です」
「大成功だといえる根拠は?」
「勘です。…ってそれじゃ根拠とはいえませんね。ですがあなた自身がマスコミ連中を前にして
「フッ…。それで外務・営業部長としての今後の課題は?」
「これで入隊希望者がまた増えるでしょうし、遠征計画も本格的に動くことになるわけですから、新たなスポンサーを探さなければなりませんね。いえ、これは面倒だとか言うのではなく、得意分野ですからいくらでもかまいません。ただしトリガーが武器や兵器として非常に有効なもので、さらにその先進国に協力者がいるとわかったのですからボーダーはますます強大な力を持つことになり、それに比例して危険視されることにもなります。なにしろ現在の戦力でも十分にクーデターを起こすことは可能です。トリオン体に換装してしまえば自衛隊の装備など怖くはなく、少数であっても
「34歳のきみがオジサンだというなら、43歳の私などジジイだな」
「そういう意味で言ったのではありません。ですがたしかに若い頃のように無茶はできなくなりました。現在の地位を守るために心にもないことを言い、やりたくないことでもしなければならない。自分がやりたいと思うことを自由にやることができるのは若い時だけで、歳を取ると手に入れるものがあると同時に捨てなければならないものがある。若い時は何でもできると思って少々のバカは平気でやったものです。しかし今となってはそうもいかない。だからツグミくんのように自分の信念のままに生きられるのが羨ましいのでしょうね」
唐沢がしみじみと言うものだから、城戸も正直な気持ちを吐露してしまった。
「たしかに私も若い頃には無茶もやった。ただ若いというだけで何でもできると勘違いし、今となっては若気の至りと恥じるようなことをしてきた。歳を取るにつれて思慮分別を身に付け、こんなことをすれば周囲の目がどうだとか気にして自制するようになる。そんなことでできることがどんどん少なくなっていき、いつの間にか何もできなくなっていた。しかし若い頃にはできなかったことが歳を取ることでできるようになることもある。ツグミのような若者には無尽蔵のバイタリティはあるがそれを発揮できる場は少ない。ならば私のような大人が年を経て手に入れた力を使って用意してやるべきではないかね、唐沢くん?」
「そうですね。そういえば若い頃は大人が羨ましいと思ったことがありますね。タバコや酒もそうですが大人にならないとできないことがあり、早く大人になりたいと考えて格好だけでも大人ぶってみたことも否定できません。要するに無いものねだりなんですよね。若さと引き換えに手に入れたような現在の立場や力を最大限に利用して若者にやりたいことをさせてやるのが大人の努め…ですか」
「そういうことになる。唐沢くんにはこれからも面倒をかけることになるがよろしく頼む」
「いえいえ、それがおれの仕事ですから。…それとご相談したいことがあるんですけどいいでしょうか?」
「相談?」
唐沢が城戸に相談というケースは非常に珍しく、城戸は運転席の唐沢の顔を見た。
「実は現在ツグミくんが行っているキオンとエウクラートンの2ヶ国との交渉の件なんですが、彼女ひとりに任せるのではなくおれも同伴して相手との交渉を行いたいと考えているんです。ああ、もちろん彼女の手腕に不安があるわけではありません。彼女だからこそできたことですからその点は問題ないのですが、別の人間の視点でものを見るということも必要なのではないかと。彼女はまだ大人の汚い部分を知りません。それに比べて相手は軍事大国の元首や王族で、そういった百戦錬磨の大人たちを相手にしているのですから、彼女の身に何かあれば取り返しのつかないことにもなりかねません。外務・営業部長としても見逃すことができず、こうしてご相談をしたまでです」
城戸はこの話を聞いて、唐沢がボーダーの利害だけでなくツグミのことを本気で心配しているのだとわかってわずかに微笑んだ。
「きみの気持ちは非常に嬉しい。ツグミのことを心配してくれるのはありがたいが、もうしばらくはあの子に任せておこう。いずれ本人から手を貸してほしいと言ってくるだろうから、その時にはぜひとも助けてやってくれ」
「いずれ…ですか?」
「ああ。あの子もバカではないから自分の領分というものを知っている。あの子ができるのは大人たちを交渉の場に引っ張り出すところまでで、そこから先は我々の仕事だとわきまえている。キオンやエウクラートンだってあの子が必死になってそれぞれの代表者が
「まあ、城戸司令がそうおっしゃるのなら彼女が頼ってくるのを待ちます」
「そうしてくれ。それまできみには
「任せてください。…っと、たしかここでしたよね?」
唐沢はこぢんまりとした古い木造家屋の前で車を止めた。
「ああ。ありがとう、唐沢くん」
「いえ、礼には及びません。それにあなたとゆっくり話ができてよかったですから」
「では、明日」
「おやすみなさい」
唐沢が車を走らせて角を曲がるところまで見送ったところで城戸は家の門を開けた。
門柱に「城戸」と書かれた表札があるものの、ここがボーダー最高司令官の住まいだとは誰も気付かないくらい質素で人の生活の気配がない。
庭も荒れ果てていて、長い間手入れをされていないのがわかる。
帰って来ても寝るだけであり、彼の帰りを待つ家族もいないのだから、自然とそうなってしまうのだろう。
ここは彼の実家で、彼が高校生の頃に父親が亡くなり母親とふたり暮らしだったが、第一次
それをきっかけにして玉狛にある旧ボーダー本部の一室で暮らしていたのだが、新本部基地への移転の際に
上着のポケットから鍵を取り出して扉を開けると、誰もいない真っ暗な家の中に向かって声をかけた。
「…ただいま」