ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
城戸の衝撃的な記者会見から一晩明け、中央紙・地方紙共に第一面には記者会見とボーダー関連の記事が掲載されていた。
三門市内に配布される新聞ならともかく、全国でボーダーのことが報道されたのだからそれだけ大きな関心事であることの証明である。
テレビではニュースだけでなく朝のワイドショーでもさっそく取り上げられていて、軍事関係に詳しいコメンテーターがトリオンやトリガーのことについて勝手な憶測を述べていて、視聴率も通常よりも数パーセント上がったという話だ。
記者会見で城戸が「三門市以外に
三門市民もこれまで謎の多かったボーダーの創設の経緯や
もちろんすべてが納得できてスッキリしたとは言い難いが、それでも旧ボーダーのスポンサーが誰であろうともその人物がいたからこそ今のボーダーがあって、そのおかげで自分たちが
それにもし
そしてその情報を知らないと損をするというのなら絶対に知りたいと思うものだが、特に自分に得がないとわかればそれほど知りたいという気持ちにはならないもので、逆に相手が隠していることを強引に知ろうとすれば災難に見舞われるということを理解しているからバカなことはしない。
したがって市民が知りたいと思っていることをいくつか選んでそれらしい説明をしておけばそれで十分で、それが「真実」でなければいけないというものではない。
真実が必ずしもその人物を幸せにするものではないということは、ツグミの両親の事件を忍田たちが内緒にしていることがいい証拠だ。
仮に彼女が真実を知ってしまったら、その時彼女が忍田や城戸たちをこれまでのように信頼できるのか、またゼノンたちとの友人関係を続けていくことができるかわからない。
だから織羽と美琴は交通事故で死んだという「嘘」で「真実」を隠していることは彼女を騙していることにはなるが、彼女の幸せのためにしたこの判断は正しかったといえよう。
それと同じことで真実を明かせば幸せになれる市民がいるというわけではないのだから、今後市民が不幸な目に遭わないようにするためにも「嘘」は必要なのである。
ボーダー隊員も昨夜の記者会見の様子はテレビで見ているのでそれぞれ思うところがあるはずなのだが、彼らの中でもB級隊員は9月3日から始まったB級ランク戦のことで頭がいっぱいでそれどころではない。
前期の1位と2位が消えて3位の影浦隊、4位の生駒隊、5位の王子隊はそれぞれ1位、2位、3位と繰り上がっており、従来の「1位と2位にA級昇格試験を受ける資格を与える」という
実質A級だった二宮隊が昇格したことでB級上位グループにとっては「目の上のたんこぶ」が1
そしてC級隊員にとっては昇格試験の結果によって除隊処分になるという尻に火がついた状態となっているから、B級隊員の戦い方を学んで役立てようと必死だ。
それに正隊員は城戸の言ったことのいくつかは嘘だと知っているし、
今期は新たに2
上位グループ昼の部には影浦隊、王子隊、東隊の3
そんな様子を横目に、ツグミは城戸の執務室へと向かっていた。
◆◆◆
「ツグミ、わざわざ呼び出してすまない」
城戸がそう言うと、ツグミは首を横に振って答える。
「いいえ、ボーダー隊員の霧科ツグミなら城戸司令の命令には従う義務があります。呼び出されたら場所や時間を問わず馳せ参じますよ。それに城戸さんが霧科ツグミ個人を呼び出したのだとしても、やはり同じようにします。だってわたしのことを昔から可愛がってくれた父親のような人ですから。それでどちらのわたしにご用ですか?」
「両方だ。まず霧科隊員に訊きたいことがある。もちろん昨日の記者会見はテレビで見ていたと思う。どう感じた?」
「これは一市民の視点での感想ですが、これまでボーダー創設の経緯やどのようにして
「近い存在?」
「はい。例えるならこんな感じでしょうか。…街外れの古い洋館に誰かが住んでいるのは知っていてもどんな人が住んでいるのかはわからない。だから人々は魔女だとかマッド・サイエンティストが住んでいるのではないかと勝手に妄想して怯えてしまう。でもある日ずっとカーテンが閉まっていて中が見えなかった部屋のカーテンが開け放たれていて、そこを通りかかると部屋の中が見えて住人が自分たちと同じ普通の人間だったとわかって安心する。人間とは得体の知れないものに怯えるという習性があります。得体の知れないものへの不安の根本的な原因のひとつに五感で確認できないことにあります。昔は夜の暗闇ですらそこに魑魅魍魎が跋扈していて人々に危害を加えると考えて恐れていたそうです。でも正体がわかると必要以上に怯えることはなくなります。昔は病気も鬼や妖怪のせいにされてお祓いをして快癒を願ったというくらいですが、今では原因が何であるかが解明されていて治療方法もわかっていると全然怖くはありません」
「ふむ…」
「これまでのボーダーは部外者に知られたくないものをたくさん抱えていたものですからできるだけ外から見えないようにとずっとカーテンを閉めていました。だから周囲から疑いの目を向けられたり痛くもない腹を探られたりと、お互いにとって良い関係とは言い難いところがありました。ですがボーダー側から市民に近付こうとしてカーテンを開けて怪しいところがないのだと示せば、市民も安心して近付いてくれるというもの。まあかなりの部分で嘘をついているわけですが、その嘘だって誰かを不幸せにするようなものじゃありませんから許される範囲です。むしろその嘘のおかげで市民のボーダーに対する印象は大きく変わったはずです。それに誰だって自分のすべてを他人に見せることはできません。隠しておきたい部分もあります。だからボーダーが組織のすべてを明るみにしないからといって腹を立てるようなことはないでしょう。なにしろ
ツグミが自信満々でそう言うものだから、城戸も安堵したようで肩の力を抜いた。
「おまえがそう言うのならそうなのだろう。私の耳にはまだどのような反響があったのか知らされていなかったものだから少し不安だったのだよ」
「大丈夫です。主演男優賞を贈りたいくらい見事なお芝居でしたよ。まあ、脚本が優れていたという点もありますけど」
ふざけて言うツグミ。
しかし確かに彼女のシナリオには突っ込まれないようにした部分と、あえてマスコミから突っ込ませてから答えるという部分を設けてあった。
完璧な武装で敵の攻撃を一切受け付けないのではなく、攻撃されても上手く回避と防御ができる方がリアルに見えるとしてわざとそうしたのだ。
「成功の鍵は鳩原智史生還のタイミングですね。彼が生還したこととボーダーに友好的な
第一次
例えるなら太平洋戦争で戦ったアメリカ人を恨む日本人が外国人だという理由でイギリス人やフランス人を恨むようなもので理不尽極まりないことである。
本人もそのことは頭でわかっているのだが感情がそれに追いついていかないだけで、きっかけさえあれば心の整理はできるものだ。
そのきっかけとなる出来事をずっと待っていた人もいるだろう。
敵意のない友好的な
そこまで考えていたツグミであるから、彼女の両親の死の真実を知ったところで
城戸や忍田が真実を教えずに嘘をついていたのは彼女の幸せのためであったわけだが、もう真実を受け入れても大丈夫なのではないかと城戸は考えを改めた。
(この子ならきっと大丈夫だろう。勘の良い娘だからもしかしたら気が付いていて黙っているだけかもしれない。親代わりの私としてはいつまでも真実を隠しているのは辛い。今までは自分が嘘をついているという罪の重さとこの子の幸せを天秤にかけて、この子のために私が罪の重さに耐えればいいのだと言い聞かせてきた。たぶん忍田も同じ気持ちだろう。…しかし真実を告げてもこの子は絶望することはないはずだ。むしろ私や忍田の抱えているものに勘付いていて、何も言わずにいてくれているのだとしたらそちらの方がこの子を苦しめることになるのではないか? いずれは真実を話さなければならないというのなら、それが今なのではないだろうか…?)
城戸は真実を告白する機会は今であると判断したが、これは彼ひとりで判断できるものではなく、忍田にも相談して決めようということにして今は何も言わないことにした。
そして霧科ツグミ個人への用件を切り出した。
「ツグミ、昨日の差し入れはとても美味しかった。ありがとう」
「お礼なんていいんですよ。あれだけの大仕事をひとりでやったんですからお疲れになったでしょう。だから昔みたいにお夜食をと思って久しぶりに作ってみました。気に入っていただけたのなら作った甲斐があるというものです。料理というものは食べてくれる人が喜んでくれる顔を想像して作りますから、美味しかったのひと言で十分なんです」
「相変わらずだな。味もあの頃とまったく変わっていなかった」
「リクエストがあればいつでも作りますよ。城戸さんは私の父親のひとりなんですもの、喜んでもらえるならわたしも嬉しいです」
「フッ…結婚もしていない私にこんな立派な娘がいるなんて私は果報者だ」
「サンドウィッチひとつで大げさですね。…でも今回もひとりで黙々と食べていたんですよね? 誰か一緒に食べてくれる人を探そうという気にはならないんですか?」
それは遠回しに「結婚しないのか?」という意味だ。
城戸もツグミの言いたいことがわかり、苦笑しながら答えた。
「ボーダー組織がこれだけ拡大すると私にはおまえだけでなく大勢の子供たちがいるということになる。これからもっと増えるだろう。家族はそれで十分だよ。守ろうとするものが増えればそれだけ大変だということはおまえ自身が一番良く理解しているはずだ」
「そうでしたね。でも気持ちが変わったらいつでも言ってください。応援しますから」
「ああ。…そういえばアフトの『神選び』は昨日だったはずだな?」
「はい。多少のズレはあるかもしれませんが、そろそろ行われている時期ですね。ゼノン隊長とテオ隊員がアフトへ向かっています。結果を聞いて戻って来るのは1週間から10日後くらいになる予定です。彼らが帰還次第ご報告にまいります」
「頼む。アフトの王が誰になるかで
「ハイレインが王になった場合『再侵攻をして徹底的にボーダーを叩いて潰す』か『謝罪をして友好条約を結び、
「それはディルク・エリンの存在か?」
「はい。彼はアフトの人間ですけど、価値観や目指すものはボーダーのそれと近いです。それにベルティストン家以外の3領主にとってハイレインが王になることを快く思ってはいないはずで、国家レベルでの再侵攻をしようとしても無条件で協力してもらえるはずがなく、強権発動となれば国内で反乱が起きるでしょうから、ハイレインは自前の戦力のみで戦うことになる可能性が高いです。ディルクさんの話ではベルティストン家に残っている戦力は全盛期の半分以下ということですから、準備には時間がかかるはずです。…ということで、今は市民救出計画に専念し、さらにキオン・エウクラートンと
「そうだな。その判断はおまえに任せる。唐沢くんにもおまえから依頼されたら協力してやってくれと頼んでおこう」
「ありがとうございます」
「それが私の仕事だ。礼を言われることではない。…これで私の用件は済んだ。おまえはこれからの予定は何かあるのか?」
「B級ランク戦の昼の部で二宮さんが解説をするそうなので、その前に会って少し話をしようと思い13時に二宮隊の隊室で会うことになっています」
「それなら昼飯に付き合え。今日は気分転換に外食をしようと考えていたんだ。和食、洋食、どこでもいいぞ」
「う~ん…では新町の『うお新』に行きましょう。そろそろ秋刀魚のシーズンです。今年の水揚げは上々とのことですから、あの店ならいいものが入荷していると思います」
「いいだろう」
「うお新」とは三門市でも指折りの小料理屋で、昼はリーズナブルな定食屋、夜は少々値段が張るものの美味いものを出す店として人気がある。
ツグミはすぐに「うお新」に電話をし、個室の予約を入れてしまった。
「予約が取れました。11時30分からですのでまだ時間がありますけど、今のうちにタクシーを呼んでおきますか?」
「ああ、頼む」
「わかりました」
その手際の良さに城戸は苦笑する。
(まるで秘書だな。それも有能で、仕事のパートナーとして一緒に働いてくれるととても心強いタイプだ。いつかこの子もボーダーの幹部として働いてくれるのだろうか? …いや、その頃には界境防衛機関ボーダーという組織自体が良い意味で存在を消しているかもしれない。そして
城戸がそんなことを考えている間にツグミはタクシーの予約を終わらせていた。
「城戸司令、11時20分に玄関前に呼びました。ですがまだ15分ほど時間があります。どうしますか?」
「せっかく用事のない時間なんだ、のんびりと歩いて玄関まで行くか?」
「いいですね。城戸司令は常に頭と気は使っていますけど運動不足ですから少しは歩いた方がいいです。ここから玄関までは非常階段を使えばピッタリのタイミングですね。行きましょう」
ツグミと城戸は連れ立って総司令執務室を出て、普段は使わない非常階段を並んで降りて行った。