ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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388話

 

 

本部基地の会議室では城戸たち上層部メンバーとツグミ、迅、そして遊真が神妙な面持ちで顔を合わせている。

なにしろエクトスが隊商国家として名を馳せ、国が率先して人身売買にも手を貸しているという話であったために調査へ向かわせていた。

ところが第一次近界民(ネイバー)侵攻で拉致された市民からの証言で、国名は判明しなかったが人身売買をしている国に連れ去られたことが確定し、これでますますエクトスが怪しいということになっていたのだから、遊真の報告は非常に重要なものとなる。

 

「空閑隊員、この度の調査遠征の報告をしてくれ」

 

城戸の正面の席に座っていた遊真はすっと立ち上がった。

 

「おれは報告とかそういった難しいことは苦手なんで、おれの優秀な相棒が説明をしてくれる」

 

そう言って指輪からレプリカを登場させると、その場にいた上層部メンバーは声を上げて驚いた。

大規模侵攻で破壊されてしまったことと、アフトクラトルに運ばれてしまった半身を遠征の際に取り戻したことは知っていたが、ボーダーの技術レベルでは修理どころか解析すらできずにいたのだから、完全体で復活したのを見れば驚くに決まっている。

レプリカは遊真の隣でフワフワと浮かびながら言った。

 

〔はじめまして…ではないようだが、改めて挨拶させてもらおう。私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ。アフトクラトルとの戦闘の最中に破壊されてしまったが、この度修理を済ませ復活を果たした。しかしユーマと共に三門市へ来た時からの記憶が消失してしまっているため、あなた方とは初対面…ということになる〕

 

レプリカの言葉をフォローするように遊真が言う。

 

「レプリカはトロポイという国の技術によって造られたらしくて、エクトスへ行く途中で()()そのトロポイに寄港したものだから()()()()修理をお願いした。それで修理し終わってから一緒にエクトスへ行ったからおれよりもレプリカに話してもらった方がわかりやすいと思う」

 

「わかった。レプリカ()()()()、エクトスについて話をしてくれ」

 

〔了解だ。ではまずエクトスの国の基本から説明しよう〕

 

レプリカは惑星配置図と現地で撮影した映像を表示し、()()()見聞きしたことを正確に説明した。

その内容は「エクトスが第一次近界民(ネイバー)侵攻の犯人」であるという確証は得られなかったものの、限りなく黒に近い灰色であることは明らかになったのだが、それ以上に()()()()()()()重要な情報があった。

エクトスの国民はエウクラートンと同様に限りなく日本人に近い顔立ちをしているということである。

欧米人的な顔のアフトクラトルやキオンの人間を何人も見ているために近界民(ネイバー)=外国人顔というイメージがあるが、エウクラートン出身のオリバは日本人とほぼ同じ顔をしていたから三門市での生活にもすぐに溶け込めたのだし、ツグミも父親が日本人だと信じ込んでいたくらいだ。

そしてこの情報が彼女に「雨取麟児=第一次近界民(ネイバー)侵攻の国から送り込まれた諜報員説」の裏付けになる。

麟児が何年もの間ずっと三門市民として過ごしていられたのは、彼が日本人として違和感のない顔立ちをしていたからで、ヒュースのような明らかに外国人顔をしていたなら雨取家の一員として生活できるはずがないのだ。

もちろんエクトス以外の国の人間が変装用トリガーで日本人顔に変装していたとも考えられるが、長期間にわたって変装しているのは無理があるから地顔であろう。

 

(これでますます麟児さんが近界民(ネイバー)…それもエクトスの人間であった可能性が高くなった。そして第一次侵攻の加害国であることはまず間違いなさそう。さすがにレプリカであっても敵の本拠地に潜入して確証を得ることはできなかったみたいけど、今の時点ではこれだけの情報があれば十分。それに市民がエクトスにいるわけじゃなくていろいろな国に売られてしまっているはずだから、エクトスに行ってもそこで救出作戦を行うことにはならない。むしろ拉致った人をどの国へ売り払っているのかをエクトスに行って調べ、売られた先の国をひとつひとつ探していくしかない。アフト遠征よりも手間はかかるし時間も果てしなくかかるだろう。それになによりも売られた先の国がそう簡単に返してくれるはずがないから最悪の場合は戦闘によって奪い返すしかなく、遠征も長期にわたるものになる。これでますます近界民(ネイバー)の協力者が重要だってことになるわね)

 

鳩原智史の帰還や城戸の記者会見で三門市民はボーダーの活動に注目している。

そして城戸がボーダーに協力的であり、市民に敵意を持たない近界民(ネイバー)であれば受け入れる旨を発表し、市民の近界民(ネイバー)に向ける目や考え方が以前よりも変わってきているのは確かだ。

だからこれからボーダーが行う市民救出計画に協力してくれる近界民(ネイバー)の存在が明らかになったとしても排斥を訴えるような市民が現れる可能性は低い。

いたとしてもそれは少数で、市民の多くは「近界民(ネイバー)だろうが誰だろうが、家族や友人を救出する手助けをしてくれるならかまわない」という考えであるから、これからはボーダーと近界民(ネイバー)の協力関係をトップ・シークレットにしなくても済むはずだ。

そうすればボーダーが持っているはずのない近界(ネイバーフッド)の情報を公開したとしても「メノエイデスのウェルス」から手に入れたと言えば誰もが納得するし、新たに「キオンのゼノン、リヌス、テオ」が加わったとしても歓迎されることはあっても非難されることはないだろう。

 

(問題はわたしがどのタイミングで麟児さんについての仮説を城戸司令に報告するか…なのよね。わたしと二宮さんが未だに鳩原さんの事件のことを調べていることは報告して許してもらったけど、第一次侵攻に直接関わりのある『仮説』をいつまでも内緒にはしておけない。この状況だとエクトス一本に絞って計画を進めることになるだろうから、早めに報告しておいた方がいいかもね)

 

 

レプリカによるエクトスの報告が終了した。

通常ならこれで遊真とレプリカはお役御免となり、引き続き上層部メンバーの会議になるのだが、鬼怒田のひと言で流れが変わった。

もっともこれはツグミたちの想定内のことで、遊真とレプリカもこうなることを覚悟していた。

 

「空閑、おまえにはまだ聞きたいことがある。その自律型トリオン兵を造ったというトロポイのことを聞かせろ。ボーダーではこれまでトリオン兵を採用したことはないが、状況によっては隊員たちの支援に使いたい。できればトロポイへ技術者(エンジニア)を留学させたいと思っておる」

 

すると遊真は慌てずに返事をした。

 

「おれに訊かれても何も答えられない。おれがトロポイでレプリカを修理してもらったというのはレプリカから聞いた話で、おれ自身は何も知らないんだ」

 

「なんだと!?」

 

目を釣り上げる鬼怒田にレプリカが言った。

 

〔キヌタ本部長、それに関しても私が答えよう〕

 

レプリカはツグミの書いたシナリオをさもそれが事実であるかのように淡々と説明した。

自国のトリガー技術を他国に人間にそう簡単に教えることがないことは鬼怒田も理解できるし、それが類を見ない自律型トリオン兵ともなればトップ・シークレットとなるのは当然だ。

それを有吾という玄界(ミデン)の人間に教えたのは彼のトロポイに対する貢献度が高かったということで、それについては彼の人柄やトリガー使いとしての能力を良く知る城戸たちは納得できる。

完成品を与えたのではなく作成技術から教えたのはレプリカが故障した時に修理ができるようにという意味で、実際に遊真の幼い頃に小さな故障をして有吾自身が修理をしていた。

だからこの一件について絶対に口外しないことを有吾に約束させて、彼は息子の遊真にすら話すことなく他界している。

しかし遊真が()()()トロポイにたどり着いて、レプリカが破損した事情を知ると修理は承知したが機密漏洩を防ぐために記憶を消すことを条件としたということも当然の流れだと誰もが想像できる。

そしてレプリカが「トロポイに関することは自律型トリオン兵の技術だけでなくすべてのことに対してノー・コメントである」と断言したものだから、それ以上の追求はなかった。

修理された際に「有吾の息子のために役立つことであればトロポイの国益に反しない限りボーダーに協力してもかまわない」というプログラミングがされたことも話したものだから鬼怒田も納得するしかなかったのだった。

 

 

 

 

そして遊真とレプリカは会議室を出て行き、ドアが閉まると城戸はツグミに尋ねた。

 

「ツグミ、おまえは空閑たちの()()についてどう思う?」

 

「証言? 報告、ではないんですか?」

 

「どちらでもかまわない。とにかく彼らの言葉を信じても良いのかどうかという意味だ」

 

「それって…つまり彼らが嘘をついているのではないかと疑っているということですか?」

 

「そう考えてもらってもかまわない」

 

「そうですか…。わかりました。そもそも人が嘘をつく時、その理由のほとんどは嘘をつくことで自分が得をするとか相手に不利益を与えるためで、意味のないことで嘘をつくことは虚言癖のある人間でなければ滅多にありません。空閑隊員やレプリカ特別顧問が嘘をついて何か得するとは思えませんし、ボーダーに不利益を与えたいという理由もないのですから嘘をつく必要はなく、そのすべてが真実かどうかはわかりませんが少なくともボーダーに被害を与えるような嘘はないと思います。それに嘘をつくのではなく真実を話していないと言った方が正確かもしれませんね。でもデマ情報でボーダーを混乱させるよりは何も言わないでいてくれる方がマシですから、これ以上の追求は不要でしょう。それに周囲の人間に対して心配をかけたくないとか、本当のことを言えば苦しんだり悲しんだりするからという理由の()()()嘘もあります。わたし個人としては彼らが嘘をついていたとしてもそれを信じて受け入れることにします」

 

「なるほど。おまえの考え方は良くわかった。つまり嘘をついていたとしても彼らのことを信用しろという意見なのだな?」

 

「『しろ』ではなく『してください』というお願いです。城戸司令に命令するなんて一介の防衛隊員にはできませんよ」

 

「たとえ嘘をつくことがあっても…か?」

 

「そういうことです」

 

ツグミがそう断言すると、城戸はフッと笑みを意味ありげな浮かべて言った。

 

「良くわかった。ではおまえはもう下がっていい」

 

「わかりました。では、のちほど」

 

ツグミはそう言ってひとりで会議室を出て行く。

そんな彼女の後ろ姿を見送り、迅は彼女と城戸の間に見えないが紛うことなく強い絆が結ばれていることに気が付いた。

 

(やっぱ城戸さんがツグミの両親の事件のことを正直に話したから、ツグミの城戸さんへの信頼度が増したのか?)

 

迅の推測どおり城戸が事件の真相を正直に話したことは大きく影響しているが、城戸はツグミのサンドウィッチの件が殊のほか嬉しくてそのことで城戸のツグミに対する好感度と信頼度が増したのだった。

だから城戸はツグミにあのような質問をし、ツグミもその意図がわかったものだから正直に答えたまでである。

ツグミが城戸に夜食を差し入れしたのは特に深い意味はなく、単に大変な仕事をやり終えた「お疲れさま」の意味であった。

しかし城戸にとっては()が自分のために料理を作ってくれたことと、旧ボーダー時代の幸せな頃を思い出させてくれた彼女の優しさに心が揺さぶられたのだ。

 

(城戸さんの願いが叶うためにはツグミが変わらなければならないという未来は視えていたが、こういう意味だったのか…)

 

ツグミは遠征先の国でひとりの近界民(ネイバー)と出会ったことで隊務規定違反を犯し、その結果玉狛支部という居心地の良い「家」でぬるま湯に浸かった状態で2年近く過ごしてしまっていた。

それはそれで彼女にとって幸せな状態ではあったが、この先に出会う近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)の国との戦いの中でボーダーは変革を求められていて、そのキーパーソンである彼女には今の「自分の小さな世界」から脱してもらわなければならなかったのだ。

そのために迅は修と遊真を玉狛支部に引き入れることでツグミに刺激を与え、彼らと関わらせることによって自分の居場所であった玉狛支部を自ら出て行くことを促した。

玉狛支部のメンバーを家族と称し、彼らから不要とされることを心の底から恐れていたツグミは近界民(ネイバー)絡みの様々な出来事によって窮地に立たされる。

一時は心を病んだり、近界民(ネイバー)にさらわれるなど数々の()()が彼女を襲ったがそれらを乗り越えた結果、彼女は弱い自分が逃げ込む先であった玉狛支部を強くなった自分が堂々と帰ることのできる場所という認識に変えることができたのだった。

その心の強さが自信となり、城戸に対しても物怖じせずに自分の考え方や目指すものを言えるようになったことで、城戸もツグミを単なる親近界民(ネイバー)ではなく、織羽と有吾の理想と同じものを目指しながら未来を語る一人前の人間として認めるようになった。

そしてツグミが玉狛支部に転属となったきっかけのウェルスがボーダーにとって良き隣人(ネイバー)として城戸の前に現れたものだから、城戸はツグミがこれまでにいくつも蒔いてきた「種」が芽を出し、成長して花開こうとしていることを実感したに違いない。

こうして近界民(ネイバー)は敵だといって憎んでいた城戸の気持ちに変化をもたらした。

城戸の願いは彼自身の気持ちが変わらなければ叶わないものであり、これで大きく一歩を踏み出したといった感がある。

しかし迅にはまだ城戸の未来は視えていない。

まだ未来が確定していないというだけで、少なくとも悪い未来になることも視えていないのだから希望はある。

 

(城戸さん、あの時はみんなが傷ついていて、何が正しいのか間違っているのか全然わからない状態だったから、あんたの心を誰も救うことはできなかったのは仕方がない。でもこうしてツグミがあんたに手を伸ばし、あんたもその手を掴んだ。もうこれで心配はいらないな)

 

迅がそんなことを考えていると城戸が声をかけた。

 

「迅、何か視えたのか?」

 

「あ? 何で今そんなことを訊くんですか?」

 

「ツグミの後ろ姿を見てニヤニヤしていたからだ」

 

「これで最善の未来に一歩近付いたかな、って思ったもんだからつい、ね」

 

「やっぱり何か視えたんだな? 言ってみろ」

 

「いや、近界民(ネイバー)をあれだけ敵視していた城戸さんが近界民(ネイバー)の手を借りてボーダーの運営をしているんだからずいぶん変わったなーってね。城戸派と忍田派、そして玉狛支部って周囲からは派閥を作って対立しているように見えただろうけど、目指すものはみんな同じ。ただやり方が違っていただけだと旧ボーダー時代からいる人間なら理解している。誰だってあんな経験をすれば今まで築き上げてきたものが正しかったのか間違っていたのかわからなくなるし、近界民(ネイバー)に対する感情もいろいろだ。あれからもうすぐ6年になるけど、大勢の仲間を失った事実は変わらないし、人はそれぞれだから未だに近界民(ネイバー)を許せないと思う奴もいれば憎しみ合う必要なんてないと考える奴もいる」

 

「……」

 

「城戸さんだって100パーセント近界民(ネイバー)が憎いというんじゃなくて何パーセントかは許す気持ちがあるだろうし、玉狛の連中だって100パーセント近界民(ネイバー)と仲良くしようではなく何パーセントかは絶対に許せないという部分がある。ツグミはそういった何パーセントかの部分に妥協点を見付けるのが得意だ。相手の事情を理解してどこまでが許されるのかそうでないのか、双方win-winになる手段を一緒に考えるということをしてここまでやって来た。それは近界民(ネイバー)に対しても同じで、特に奴らの場合は俺たちよりも複雑な事情があるから難しいというのになんだかんだで納得させちゃうんだな、これが。ツグミは想像力がたくましいからいろんな状況を想像でき、頭がいいからいろんな知恵を絞って解決策を生み出せる。だけど一番大切なのは相手の気持ちを推し量り寄り添ってやる気持ちで、それができるから敵国の軍人であろうとも心を開いて友人と呼べる関係になれるんだ。あいつは全部自分のためにやっているのだと利己主義者を自称しているが、それが真実であっても俺には周りの人間に気を遣わせたくなくてわざとそんなフリをしているように思えるんですよ。あいつは誰よりも自分を大切にしていて、それ以上に周囲の人間を大切にしている。城戸さんもあいつの影響を受けて変わったんじゃないな」

 

迅は自分の思ったことを正直に言っただけなのだが、城戸は図星を指されて面食らったようで少々怒ったように言う。

 

「そういうことを訊いているのではない。…まあいい、ともかく悪い未来は視えていないと言うならそれで十分だ。これからエクトスを目的とした本格的な調査隊を向かわせることになるわけだが、その障害となるものがなければいい。迅、おまえも退席してよろしい」

 

「了解」

 

迅はおどけて敬礼すると会議室を出て行く。

そして廊下に出たところでふと気が付いた。

 

(そういえば…城戸さんにはまだ話してなかったっけ。確定した未来しか視えなくなったおかげでいろいろ悩まされることはなくなったが、未来が視えたってことはそれが確定していることだという意味になる。悪い未来が視えた時は恐ろしいが、今のところこれといったものは視えずにいるのはツグミのおかげかな? あいつが玉狛のB級隊員のままでいたら組織を変えたり導いたりすることは不可能だった。でも大規模侵攻とB級ランク戦での戦いでA級レベルの隊員であることを知らしめた。だから古株の隊員はもちろんのこと、あいつのことを知らなかった比較的新しい隊員たちからも信頼を得られる。ボーダー隊員なら強いことが尊敬の対象になり、一目置かれることになるもんな。上層部のメンバーからは例の隊務規定違反で信頼を失ってしまったが、今ではあいつの言葉と行動がボーダーを動かすほどになった。やっぱ城戸さんの信頼を取り戻したことが大きいんだろうな)

 

確定した未来しか視えないというのは選択肢がなくなって悩みは減っただろうが、その分不安が増したはずだ。

しかしツグミの「人の意思が介入して変わる未来であれば、ひとりひとりが『今日よりも良い明日』を願って努力して叶えようとすれば良い方へと変わるとわたしは信じています」という言葉が彼の救いとなっている。

三門市民の人生を彼ひとりが背負い込む必要はなく、すべての人間が少しずつ分け合って責任を持てばいいだけことなのだ。

そう考えると迅は気持ちが楽になった。

 

(城戸さんもツグミが寄り添ってくれるようになって、やっと家族の温かさを思い出したのかもしれないな)

 

城戸にとっても家族とはかけがえのない大切なもので、6年前の遠征でボーダーの仲間たちという家族を失ってしまい彼は心に大きな空洞ができてしまった。

さらにボーダーの総司令官という立場が彼を孤独にし、考え方の違いが他人との溝をさらに深くする。

一時はツグミも意見の違いから対立して距離を置いてしまったが、彼女の心の変化が彼女自身を大きく変え、そして城戸をも変えていった。

まだ確定した未来は視えないが、迅には()()()()()()最善の未来がまた一歩近付いたような気がしていた。

 

寄り添ってくれる人間がいて、自分を理解して支えてくれるという自信は孤独と不安を解消する。

それは城戸も同じで、家族同様の仲間を大勢失った時に顔に負った大きな傷のように心に大きな傷ができてしまった。

それを癒す方法を知らず、周りの人間も彼が哀しみを怒りに変えて近界民(ネイバー)に向ける気持ちがわかるから、その気持ちを肯定しないが強く否定もせずにいて、近界民(ネイバー)に対する考え方の違いによって「城戸派」などという近界民(ネイバー)敵視政策の旗頭となってしまった。

彼は近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の良好な関係を目指すための組織としてボーダーを設立したというのに、()()()に彼は180度方向転換をして近界民(ネイバー)を憎しみの対象へと変えてしまう。

近界民(ネイバー)を100パーセント憎むことができたなら苦しむことはなかったのだが、心の奥底に「近界民(ネイバー)との融和」の気持ちがずっとくすぶり続けていたものだからふたつの相反する感情の板挟みになっていたのだった。

自分ひとりではどうしたら良いのかわからずとも、家族や友人のひと言が解決することは多い。

しかし城戸には相談できる家族も友人もいなかった。

周囲の人間がすべて城戸に対して冷淡であったわけではない。

ただ非常にデリケートな問題であるために誰もが腫れ物に触れるかのように接し、彼に寄り添うことができなかっただけなのだ。

そのうちにお互いの心に距離ができてしまい、城戸はますます孤独になっていく。

部下や近界民(ネイバー)を憎む同じ気持ちを抱く人間はいても彼に心安らげる場所を与えてくれる者は誰もおらず、毎晩夜遅くに帰宅する真っ暗な実家同様に誰も彼のことを暖かく迎えてくれる者はいなかった。

そこにツグミが手を差し伸べ、城戸はそれを掴んだのだった。

ツグミにとって城戸は家族であり、城戸にとって失われたと思われていた家族は手を伸ばせばすぐ届く場所にいたのである。

もちろん忍田や林藤も手を伸ばせば握り返してくれる家族ではあったが、彼らが手を伸ばしてはいなかったために城戸は手を伸ばすのを躊躇っていたのではないだろうか。

自分から手を伸ばすのも他人へ手を差し伸べるのもなかなか勇気がいるものだ。

相手から拒否されてしまえば自分が傷付くし、特に助けを求めている者側にとっては相手に拒否されたら絶望的になってしまう。

ツグミと城戸は似ている部分がある。

誰よりも家族のことを大切にしていて、その家族とは血のつながりではなく互いを慈しむ絆だという考えを持っているから旧ボーダーの仲間たちは全員が家族という認識であった。

家族だから自分のことを理解して支えてくれるものだと考えているからこそ、家族は最後の砦のようなもので彼らに見捨てられたらそこで自分はおしまいだと思ってしまい、助けを求める手を伸ばすという()()()()は避けてしまう。

かつてツグミは家族に嫌われたくないと考えて彼らが期待する以上の結果を出そうとして人一倍努力をし、自分で自分を追い詰めるようなことをしてしまった。

しかし彼女は様々な経験を経て自分にかけた「呪縛」から解放され、彼女なりの真理に達した。

 

わたしは自分のために生きるのであって、他人のために生きているのではない。

誰かの期待に応えるために生きるのではなく、わたしのことを他人がどう思うかなんて気にすることはない。

そして誰もわたしの期待に応えるため生きているのではないのだから、わたしが他人の行動によって一喜一憂するのはバカバカしい。

わたしはわたしで、他人は他人。

他人がわたしのことをどう感じるかは相手の気持ち次第だけど、わたしの行動のひとつひとつが彼らに影響を与えているのは確かなこと。

だから嫌われるのを恐れて自分を偽るようなことをするわたしよりも、自分に正直で自信を持って生きているわたしのことを好きになってもらいたい。

 

そう考えることで嫌われることを恐れなくなり、助力が必要なら遠慮せずに頼み、誰かが助けを求めているのなら積極的に協力するようになった。

以前なら「そんなことをすれば嫌われるかもしれない」と考えて躊躇するようなことであってもできるようになったのは、仮に相手に嫌われても「それはその人の感情であって自分ではどうすることもできない」のだから仕方がないと考えられるようになったからである。

 

城戸が現在の立場と自分の感情の間で悩み苦しんでいることを察し、城戸に拒否されたとしても何もしないでいるよりはマシと考えて自分から手を伸ばした。

もしこの手を城戸が無視したとしても、ツグミには後悔はなかっただろう。

それに彼女は城戸のことを救おうなどとはおこがましいと考えていて、ただ城戸が少しでも旧ボーダー時代の楽しかった記憶を取り戻してくれたらいいと思っている程度だった。

例のサンドウィッチの差し入れもそのひとつであり、それが城戸にとって非常に嬉しいことだったようで、結果的にツグミが想像していた以上に効果があっただけである。

迅でなくてもツグミと城戸関係が良好なものであるとわかり、忍田や唐沢たちも微笑ましいという顔でふたりのやりとりを見ていたくらいだ。

このふたりがかつては対立する関係にあったとは思えないほど親しげな雰囲気を醸し出していて、それがボーダーにとっても良い影響を与えるだろうとその場にいた誰もが確信していた。

 

 

 

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