ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
本部基地の会議室では城戸たち上層部メンバーとツグミ、迅、そして遊真が神妙な面持ちで顔を合わせている。
なにしろエクトスが隊商国家として名を馳せ、国が率先して人身売買にも手を貸しているという話であったために調査へ向かわせていた。
ところが第一次
「空閑隊員、この度の調査遠征の報告をしてくれ」
城戸の正面の席に座っていた遊真はすっと立ち上がった。
「おれは報告とかそういった難しいことは苦手なんで、おれの優秀な相棒が説明をしてくれる」
そう言って指輪からレプリカを登場させると、その場にいた上層部メンバーは声を上げて驚いた。
大規模侵攻で破壊されてしまったことと、アフトクラトルに運ばれてしまった半身を遠征の際に取り戻したことは知っていたが、ボーダーの技術レベルでは修理どころか解析すらできずにいたのだから、完全体で復活したのを見れば驚くに決まっている。
レプリカは遊真の隣でフワフワと浮かびながら言った。
〔はじめまして…ではないようだが、改めて挨拶させてもらおう。私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ。アフトクラトルとの戦闘の最中に破壊されてしまったが、この度修理を済ませ復活を果たした。しかしユーマと共に三門市へ来た時からの記憶が消失してしまっているため、あなた方とは初対面…ということになる〕
レプリカの言葉をフォローするように遊真が言う。
「レプリカはトロポイという国の技術によって造られたらしくて、エクトスへ行く途中で
「わかった。レプリカ
〔了解だ。ではまずエクトスの国の基本から説明しよう〕
レプリカは惑星配置図と現地で撮影した映像を表示し、
その内容は「エクトスが第一次
エクトスの国民はエウクラートンと同様に限りなく日本人に近い顔立ちをしているということである。
欧米人的な顔のアフトクラトルやキオンの人間を何人も見ているために
そしてこの情報が彼女に「雨取麟児=第一次
麟児が何年もの間ずっと三門市民として過ごしていられたのは、彼が日本人として違和感のない顔立ちをしていたからで、ヒュースのような明らかに外国人顔をしていたなら雨取家の一員として生活できるはずがないのだ。
もちろんエクトス以外の国の人間が変装用トリガーで日本人顔に変装していたとも考えられるが、長期間にわたって変装しているのは無理があるから地顔であろう。
(これでますます麟児さんが
鳩原智史の帰還や城戸の記者会見で三門市民はボーダーの活動に注目している。
そして城戸がボーダーに協力的であり、市民に敵意を持たない
だからこれからボーダーが行う市民救出計画に協力してくれる
いたとしてもそれは少数で、市民の多くは「
そうすればボーダーが持っているはずのない
(問題はわたしがどのタイミングで麟児さんについての仮説を城戸司令に報告するか…なのよね。わたしと二宮さんが未だに鳩原さんの事件のことを調べていることは報告して許してもらったけど、第一次侵攻に直接関わりのある『仮説』をいつまでも内緒にはしておけない。この状況だとエクトス一本に絞って計画を進めることになるだろうから、早めに報告しておいた方がいいかもね)
レプリカによるエクトスの報告が終了した。
通常ならこれで遊真とレプリカはお役御免となり、引き続き上層部メンバーの会議になるのだが、鬼怒田のひと言で流れが変わった。
もっともこれはツグミたちの想定内のことで、遊真とレプリカもこうなることを覚悟していた。
「空閑、おまえにはまだ聞きたいことがある。その自律型トリオン兵を造ったというトロポイのことを聞かせろ。ボーダーではこれまでトリオン兵を採用したことはないが、状況によっては隊員たちの支援に使いたい。できればトロポイへ
すると遊真は慌てずに返事をした。
「おれに訊かれても何も答えられない。おれがトロポイでレプリカを修理してもらったというのはレプリカから聞いた話で、おれ自身は何も知らないんだ」
「なんだと!?」
目を釣り上げる鬼怒田にレプリカが言った。
〔キヌタ本部長、それに関しても私が答えよう〕
レプリカはツグミの書いたシナリオをさもそれが事実であるかのように淡々と説明した。
自国のトリガー技術を他国に人間にそう簡単に教えることがないことは鬼怒田も理解できるし、それが類を見ない自律型トリオン兵ともなればトップ・シークレットとなるのは当然だ。
それを有吾という
完成品を与えたのではなく作成技術から教えたのはレプリカが故障した時に修理ができるようにという意味で、実際に遊真の幼い頃に小さな故障をして有吾自身が修理をしていた。
だからこの一件について絶対に口外しないことを有吾に約束させて、彼は息子の遊真にすら話すことなく他界している。
しかし遊真が
そしてレプリカが「トロポイに関することは自律型トリオン兵の技術だけでなくすべてのことに対してノー・コメントである」と断言したものだから、それ以上の追求はなかった。
修理された際に「有吾の息子のために役立つことであればトロポイの国益に反しない限りボーダーに協力してもかまわない」というプログラミングがされたことも話したものだから鬼怒田も納得するしかなかったのだった。
◆
そして遊真とレプリカは会議室を出て行き、ドアが閉まると城戸はツグミに尋ねた。
「ツグミ、おまえは空閑たちの
「証言? 報告、ではないんですか?」
「どちらでもかまわない。とにかく彼らの言葉を信じても良いのかどうかという意味だ」
「それって…つまり彼らが嘘をついているのではないかと疑っているということですか?」
「そう考えてもらってもかまわない」
「そうですか…。わかりました。そもそも人が嘘をつく時、その理由のほとんどは嘘をつくことで自分が得をするとか相手に不利益を与えるためで、意味のないことで嘘をつくことは虚言癖のある人間でなければ滅多にありません。空閑隊員やレプリカ特別顧問が嘘をついて何か得するとは思えませんし、ボーダーに不利益を与えたいという理由もないのですから嘘をつく必要はなく、そのすべてが真実かどうかはわかりませんが少なくともボーダーに被害を与えるような嘘はないと思います。それに嘘をつくのではなく真実を話していないと言った方が正確かもしれませんね。でもデマ情報でボーダーを混乱させるよりは何も言わないでいてくれる方がマシですから、これ以上の追求は不要でしょう。それに周囲の人間に対して心配をかけたくないとか、本当のことを言えば苦しんだり悲しんだりするからという理由の
「なるほど。おまえの考え方は良くわかった。つまり嘘をついていたとしても彼らのことを信用しろという意見なのだな?」
「『しろ』ではなく『してください』というお願いです。城戸司令に命令するなんて一介の防衛隊員にはできませんよ」
「たとえ嘘をつくことがあっても…か?」
「そういうことです」
ツグミがそう断言すると、城戸はフッと笑みを意味ありげな浮かべて言った。
「良くわかった。ではおまえはもう下がっていい」
「わかりました。では、のちほど」
ツグミはそう言ってひとりで会議室を出て行く。
そんな彼女の後ろ姿を見送り、迅は彼女と城戸の間に見えないが紛うことなく強い絆が結ばれていることに気が付いた。
(やっぱ城戸さんがツグミの両親の事件のことを正直に話したから、ツグミの城戸さんへの信頼度が増したのか?)
迅の推測どおり城戸が事件の真相を正直に話したことは大きく影響しているが、城戸はツグミのサンドウィッチの件が殊のほか嬉しくてそのことで城戸のツグミに対する好感度と信頼度が増したのだった。
だから城戸はツグミにあのような質問をし、ツグミもその意図がわかったものだから正直に答えたまでである。
ツグミが城戸に夜食を差し入れしたのは特に深い意味はなく、単に大変な仕事をやり終えた「お疲れさま」の意味であった。
しかし城戸にとっては
(城戸さんの願いが叶うためにはツグミが変わらなければならないという未来は視えていたが、こういう意味だったのか…)
ツグミは遠征先の国でひとりの
それはそれで彼女にとって幸せな状態ではあったが、この先に出会う
そのために迅は修と遊真を玉狛支部に引き入れることでツグミに刺激を与え、彼らと関わらせることによって自分の居場所であった玉狛支部を自ら出て行くことを促した。
玉狛支部のメンバーを家族と称し、彼らから不要とされることを心の底から恐れていたツグミは
一時は心を病んだり、
その心の強さが自信となり、城戸に対しても物怖じせずに自分の考え方や目指すものを言えるようになったことで、城戸もツグミを単なる親
そしてツグミが玉狛支部に転属となったきっかけのウェルスがボーダーにとって良き
こうして
城戸の願いは彼自身の気持ちが変わらなければ叶わないものであり、これで大きく一歩を踏み出したといった感がある。
しかし迅にはまだ城戸の未来は視えていない。
まだ未来が確定していないというだけで、少なくとも悪い未来になることも視えていないのだから希望はある。
(城戸さん、あの時はみんなが傷ついていて、何が正しいのか間違っているのか全然わからない状態だったから、あんたの心を誰も救うことはできなかったのは仕方がない。でもこうしてツグミがあんたに手を伸ばし、あんたもその手を掴んだ。もうこれで心配はいらないな)
迅がそんなことを考えていると城戸が声をかけた。
「迅、何か視えたのか?」
「あ? 何で今そんなことを訊くんですか?」
「ツグミの後ろ姿を見てニヤニヤしていたからだ」
「これで最善の未来に一歩近付いたかな、って思ったもんだからつい、ね」
「やっぱり何か視えたんだな? 言ってみろ」
「いや、
「……」
「城戸さんだって100パーセント
迅は自分の思ったことを正直に言っただけなのだが、城戸は図星を指されて面食らったようで少々怒ったように言う。
「そういうことを訊いているのではない。…まあいい、ともかく悪い未来は視えていないと言うならそれで十分だ。これからエクトスを目的とした本格的な調査隊を向かわせることになるわけだが、その障害となるものがなければいい。迅、おまえも退席してよろしい」
「了解」
迅はおどけて敬礼すると会議室を出て行く。
そして廊下に出たところでふと気が付いた。
(そういえば…城戸さんにはまだ話してなかったっけ。確定した未来しか視えなくなったおかげでいろいろ悩まされることはなくなったが、未来が視えたってことはそれが確定していることだという意味になる。悪い未来が視えた時は恐ろしいが、今のところこれといったものは視えずにいるのはツグミのおかげかな? あいつが玉狛のB級隊員のままでいたら組織を変えたり導いたりすることは不可能だった。でも大規模侵攻とB級ランク戦での戦いでA級レベルの隊員であることを知らしめた。だから古株の隊員はもちろんのこと、あいつのことを知らなかった比較的新しい隊員たちからも信頼を得られる。ボーダー隊員なら強いことが尊敬の対象になり、一目置かれることになるもんな。上層部のメンバーからは例の隊務規定違反で信頼を失ってしまったが、今ではあいつの言葉と行動がボーダーを動かすほどになった。やっぱ城戸さんの信頼を取り戻したことが大きいんだろうな)
確定した未来しか視えないというのは選択肢がなくなって悩みは減っただろうが、その分不安が増したはずだ。
しかしツグミの「人の意思が介入して変わる未来であれば、ひとりひとりが『今日よりも良い明日』を願って努力して叶えようとすれば良い方へと変わるとわたしは信じています」という言葉が彼の救いとなっている。
三門市民の人生を彼ひとりが背負い込む必要はなく、すべての人間が少しずつ分け合って責任を持てばいいだけことなのだ。
そう考えると迅は気持ちが楽になった。
(城戸さんもツグミが寄り添ってくれるようになって、やっと家族の温かさを思い出したのかもしれないな)
城戸にとっても家族とはかけがえのない大切なもので、6年前の遠征でボーダーの仲間たちという家族を失ってしまい彼は心に大きな空洞ができてしまった。
さらにボーダーの総司令官という立場が彼を孤独にし、考え方の違いが他人との溝をさらに深くする。
一時はツグミも意見の違いから対立して距離を置いてしまったが、彼女の心の変化が彼女自身を大きく変え、そして城戸をも変えていった。
まだ確定した未来は視えないが、迅には
寄り添ってくれる人間がいて、自分を理解して支えてくれるという自信は孤独と不安を解消する。
それは城戸も同じで、家族同様の仲間を大勢失った時に顔に負った大きな傷のように心に大きな傷ができてしまった。
それを癒す方法を知らず、周りの人間も彼が哀しみを怒りに変えて
彼は
自分ひとりではどうしたら良いのかわからずとも、家族や友人のひと言が解決することは多い。
しかし城戸には相談できる家族も友人もいなかった。
周囲の人間がすべて城戸に対して冷淡であったわけではない。
ただ非常にデリケートな問題であるために誰もが腫れ物に触れるかのように接し、彼に寄り添うことができなかっただけなのだ。
そのうちにお互いの心に距離ができてしまい、城戸はますます孤独になっていく。
部下や
そこにツグミが手を差し伸べ、城戸はそれを掴んだのだった。
ツグミにとって城戸は家族であり、城戸にとって失われたと思われていた家族は手を伸ばせばすぐ届く場所にいたのである。
もちろん忍田や林藤も手を伸ばせば握り返してくれる家族ではあったが、彼らが手を伸ばしてはいなかったために城戸は手を伸ばすのを躊躇っていたのではないだろうか。
自分から手を伸ばすのも他人へ手を差し伸べるのもなかなか勇気がいるものだ。
相手から拒否されてしまえば自分が傷付くし、特に助けを求めている者側にとっては相手に拒否されたら絶望的になってしまう。
ツグミと城戸は似ている部分がある。
誰よりも家族のことを大切にしていて、その家族とは血のつながりではなく互いを慈しむ絆だという考えを持っているから旧ボーダーの仲間たちは全員が家族という認識であった。
家族だから自分のことを理解して支えてくれるものだと考えているからこそ、家族は最後の砦のようなもので彼らに見捨てられたらそこで自分はおしまいだと思ってしまい、助けを求める手を伸ばすという
かつてツグミは家族に嫌われたくないと考えて彼らが期待する以上の結果を出そうとして人一倍努力をし、自分で自分を追い詰めるようなことをしてしまった。
しかし彼女は様々な経験を経て自分にかけた「呪縛」から解放され、彼女なりの真理に達した。
わたしは自分のために生きるのであって、他人のために生きているのではない。
誰かの期待に応えるために生きるのではなく、わたしのことを他人がどう思うかなんて気にすることはない。
そして誰もわたしの期待に応えるため生きているのではないのだから、わたしが他人の行動によって一喜一憂するのはバカバカしい。
わたしはわたしで、他人は他人。
他人がわたしのことをどう感じるかは相手の気持ち次第だけど、わたしの行動のひとつひとつが彼らに影響を与えているのは確かなこと。
だから嫌われるのを恐れて自分を偽るようなことをするわたしよりも、自分に正直で自信を持って生きているわたしのことを好きになってもらいたい。
そう考えることで嫌われることを恐れなくなり、助力が必要なら遠慮せずに頼み、誰かが助けを求めているのなら積極的に協力するようになった。
以前なら「そんなことをすれば嫌われるかもしれない」と考えて躊躇するようなことであってもできるようになったのは、仮に相手に嫌われても「それはその人の感情であって自分ではどうすることもできない」のだから仕方がないと考えられるようになったからである。
城戸が現在の立場と自分の感情の間で悩み苦しんでいることを察し、城戸に拒否されたとしても何もしないでいるよりはマシと考えて自分から手を伸ばした。
もしこの手を城戸が無視したとしても、ツグミには後悔はなかっただろう。
それに彼女は城戸のことを救おうなどとはおこがましいと考えていて、ただ城戸が少しでも旧ボーダー時代の楽しかった記憶を取り戻してくれたらいいと思っている程度だった。
例のサンドウィッチの差し入れもそのひとつであり、それが城戸にとって非常に嬉しいことだったようで、結果的にツグミが想像していた以上に効果があっただけである。
迅でなくてもツグミと城戸関係が良好なものであるとわかり、忍田や唐沢たちも微笑ましいという顔でふたりのやりとりを見ていたくらいだ。
このふたりがかつては対立する関係にあったとは思えないほど親しげな雰囲気を醸し出していて、それがボーダーにとっても良い影響を与えるだろうとその場にいた誰もが確信していた。