ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
二宮の顔を見たとたん、鳩原は堪えきれなくなった涙をポロポロと零しながら肩を震わせて言った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい…」
ひたすら謝る鳩原に対し二宮は呆れてしまった。
ツグミに案内されてこの部屋へ来るまでにアバウトだが鳩原の行動について聞かされていて、人を撃てるようになったことを知った彼は「鳩原も成長したのだな」と感慨深く、密航事件のことを責める気は一切なかった。
それなのにこの反応によって「全然変わっていない」ことがわかってしまった。
別にそれを否定するわけではないが、1年半ぶりに会ってお互いに「元気だったか?」と確認するのが自然の流れだというのに、今まで見せたことがないような泣き顔で謝罪するだけであるから怒りよりも呆れてしまったのだ。
「相変わらずだな、鳩原。おまえが謝罪するのは勝手だが、俺はおまえを責めに来たのではないぞ」
「……」
「俺はあの時に起きた事実が知りたいだけだ。まあ、霧科が仮説を立てていろいろ話してくれて、それがほぼ事実だったらしいがな。だが俺はおまえの口から直接話が聞きたい」
「わかりました…」
鳩原はハンカチで涙を拭うと呼吸を整えてからすべてを正直に告白した。
遠征参加が決まったというのに自分だけ不合格にされてふさぎ込んでいた時、麟児が近付いて来て心の隙間に入り込んだ。
弟を探しに行きたいといってボーダーに入隊してそのチャンスがやっと巡ってきたというのに、あと少しで
そこに麟児から弟の智史を探しに行こうと声をかけられたら冷静な判断などできるはずもなく飛びついてしまうに決まっているのだが、彼女は
そして麟児の連れて来た
この時点で麟児は自分がエクトスから来た
エクトスで麟児はふたりの協力者の男たちを
麟児が探している青葉がヒエムスにいるということで、先にヒエムスへ行ってからレプトへ向かったのだが、レプトに智史はいなかった。
最終的にほぼ自力で三門市に帰還した智史と再会し、これでもう自分がどんな罰を受けてもかまわないと言って口を閉じたのだった。
二宮としてはこれで十分であった。
特に
ボーダーの任務として潜入調査でヒエムスへ行くことは決まっているものの、彼女に聞いたところでほとんど役には立たないとわかっている。
ただ単に彼女がどのような経験をしたのかを本人がどのように語るのかを知りたかっただけで、彼女が暢気に物見遊山で行ったのではなく自分の身に何があってもかまわないから弟を連れ戻したいという一心だったのがわかればそれでいいのだ。
鳩原が懺悔のような告白を終えると、今度は二宮が鳩原のいない二宮隊の推移について話した。
彼女の密航事件の責任をとる形でB級に降格されたがアフトクラトル遠征の後にA級に返り咲いたことと、まだ二宮隊には新たなメンバーを加えずに犬飼と辻と氷見の4人で
そのどちらも鳩原にとっては嬉しくもあり辛くもあった。
後先考えずに愚かな行為に走った自分のことを恨みもせず、今でもチームメイトとして迎える気持ちがあるのだと思うと心の底から嬉しくてすぐにでも戻りたいと思うのだが、それが不可能であり罪滅ぼしができない事実が彼女を打ちのめすのだ。
(せっかく人と撃てるようになってみんなの役に立てるようになったのに、もうあたしの居場所はここにはない。自業自得だし、こうなることはわかっていたけどやっぱり辛いな…)
密航事件のことは公になっていないが、公式に鳩原は隊務規定違反によって除隊という処分を受けたことになっている。
だから今さらどう足掻いても復帰することはできない。
そもそも弟を探すという目的が果たされた以上はボーダーにいる理由はなくなり、自分が二宮隊に未練さえなければ丸く収まることなのだ。
二宮もそのことは十分承知しているから鳩原の復帰は諦めている。
「弟が無事に帰って来たのだ、おまえもボーダーや
「最後まで面倒をかけてすみません」
「気にするな。それにボーダーを辞めても俺や犬飼たちはおまえの友人としてそばにいる。携帯の番号は以前のまま変わってはいない。だから何かあればいつでも俺に連絡をしろ」
「ありがとう…ございます」
「俺はもうこれ以上は何もできないが、霧科の奴が悪いようにはしないはずだ。あいつはおまえのことを友人だと信じていたからあの時はずいぶんと悔しかったらしいぞ。今度はもうあいつを裏切るようなマネはするなよ」
「はい」
「……」
「……」
「…そろそろ時間だな。俺は帰る。犬飼と辻と氷見にも面会できるよう城戸司令に頼んでみるが、あまり期待をしないで待っていろ」
そう言い残して二宮は鳩原の部屋を出た。
ドアが閉まったその直後、鳩原は誰もいない部屋の中で嗚咽するのだった。
◆◆◆
二宮が去ってしばらくすると、B級ランク戦・昼の部を終えたユズルがツグミに連れられて鳩原の部屋を訪問した。
これはツグミが気を利かせて城戸に面会を頼み込んだことで叶ったものである。
城戸はツグミの「鳩原元隊員と絵馬隊員は師弟関係にあり、絵馬隊員の将来を考えるなら会わせるべきである」という進言を認めたのだ。
ユズルは鳩原が
弟を探すために入隊し、人が撃てないというのに
それでやっと遠征部隊に選ばれたと思ったら人を撃てないからと失格になり、
「鳩原先輩、オレ…何も知らなかった。ゴメン」
今さらながらとは思いながらもユズルは自分の無知を恥じて鳩原に謝った。
それに対して鳩原は穏やかな笑みを浮かべながら答える。
「ユズルは全然悪くないよ。悪いのはあたしなんだから。あたしがもっと他人との付き合いが上手くできたら誰かに相談しただろうし、もちろんユズルにも話をしてどうしたらいいのかひとりで悩むなんてことはせずに済んだ。…違う。きっと相談したらおまえは人を撃てないんだから
鳩原は自分でも人が撃てないことで
たとえ
だから何が何でも
「みんなに迷惑や心配をかけてしまったけど、この1年半の
その言葉は単なる負け惜しみや思い違いではなく本心からのものだということがユズルにもわかった。
「鳩原先輩が納得しているのならオレはそれでいい。それに…人が撃てるようになったとしても先輩は戦うことに向いてないから、もうボーダーや
「あたしもそう思う。智史が帰って来てくれたからもうあたしには戦う理由がないもの。それにあたしがボーダーに残りたいと希望したってダメなものはダメ。これでいいんだと思う。…それよりもユズルのことを教えて。今でも影浦隊で頑張ってるんでしょ?」
「うん。ここに来る前にB級ランク戦で戦ってきたんだ。今日は12戦目で、生駒隊と鈴鳴第一との三つ巴で勝ったよ。影浦隊は初戦から1位をキープしている」
少し自慢げに言うと鳩原が微笑んで言った。
「やっぱりすごいね、ユズルは」
「そんなことはないよ。影浦隊が勝てたのはオレだけの力じゃないし。それに師匠が素晴らしい
鳩原は弟子の成長が嬉しくて涙が出そうだがグッと堪えた。
「あたしには何もしてやれないけど、もう大丈夫だね?」
「…うん」
まだ指導してもらいたいという気持ちはあるが、鳩原に心配はかけたくはないものだからユズルは曖昧な返事をするしかなかった。
◆◆◆
ひと通り面会を終えた麟児、鳩原、青葉の3人。
この中で青葉だけは拉致被害者であり、健康に問題がないと判断されたために家族と一緒に帰宅することになった。
ただし智史のケースと同じように
そしてボーダーが手配した家庭教師を家に派遣し、
学力の面で追いつくことができれば中学3年に編入して卒業できるようにしたいと青葉自身が願っているので心配はいらないだろう。
問題を起こした麟児と鳩原についてはまだ自宅に帰ることは叶わず、上層部の会議で処分を決めることになるからあと数日は本部基地に滞在してもらうことになる。
特に麟児の扱いについては非常に難しい。
本人は積極的にボーダーに情報提供する意思があるからそれを利用しない手はないのだが、そうなれば彼に対してそれ相応の「対価」は支払うべきである。
場合によってはボーダーに入隊してもらって今後も継続的に協力をしてもらうという道も選択肢にはあり、
さらには城戸の
しかしひとつだけ問題が生じてしまった。
千佳がボーダーに入隊した理由が兄と友人を探すために
だが麟児と青葉が戻って来たのだから彼女がボーダー隊員を続ける理由がなくなるわけで、彼女が辞めてしまうとこれからの遠征計画を大きく変更しなければならなくなるのだ。
千佳のトリオン能力に頼る部分が大きいから、彼女がいないと遠征艇を元の大きさに戻して少人数での遠征となってしまう。
そうなった場合は計画を変更して行うことになるが、ボーダーとしては彼女を失うのはダメージが大きいとして引き止めることになるだろう。
さらに修が千佳を守るという意味もなくなり、ボーダー隊員を辞めてしまう可能性もある。
もし遊真の身体を元に戻す手段が
修はともかく千佳と遊真が抜けてしまうと
◆◆◆
家族と対面した翌日、鳩原は帰宅を許されてひとりで自宅へと帰って行った。
本来なら記憶封印措置をされてボーダーに関する記憶をすべて失うことになるのだが、今回は特例として記憶はそのままということになっている。
理由は彼女が記憶を保持していてもボーダーにとってマイナスにはならないというものである。
彼女が昨年の5月に除隊された時にはA級隊員であったが、現在はタダの民間人でトリガーも持っていないのだから
B級であっても現役の隊員ならトリガーとセットで価値はあるが、今の鳩原にはそれはないのだから諜報員たちの
さらに鳩原家は智史の件もあって親戚のいる四塚市へ転出することに決まっていて、そうなれば鳩原家の家族は誰にも気付かれずに静かに暮らしていくことができるはずである。
記憶封印措置が行われるほどの重罪を犯したのは事実だが、ボーダーで経験したこと ── 二宮隊のメンバーやユズルたちとの交流 ── は鳩原にとって宝物のようなもので、それを彼女から奪ってしまうことは密航事件の罰としては重すぎるとツグミは進言したのだ。
可能であればボーダー隊員だった頃の記憶はそのままにしてほしいと鳩原が言い、ツグミはその気持ちを尊重したのだった。
上層部メンバーの多数決により1年半前の「隊務規定違反により除隊」がそのまま適用されるものの記憶封印措置は行われないことに決まった。
以前の城戸であったならこのような
そして10月31日の早朝、ゼノンを隊長とした太刀川・風間・二宮・遊真・レプリカの調査隊がヒエムスへと向かって旅立ち、同じ日の昼には鳩原一家が四塚市へと引っ越して行った。
鳩原一家が発つ日はツグミしか知らず、鳩原との面会を許されなかった犬飼、辻、氷見の3人を連れて行き、4人で鳩原の旅立ちを見送ったのだった。
◆◆◆
11月に入ってもまだ麟児の
それよりも優先すべきことがたくさんあって彼のことは後回しにされていたのだが、さすがにいつまでも本部基地の地下にある「独房」に閉じ込めておいては人権問題にも発展しかねない。
彼は捕虜ではないのだし、青葉を連れて帰って来てくれた
修や千佳のいる玉狛支部という案もあったが、そうなると「玉狛支部が
こうして新たなエクトスの
そうなったのもすべては「
こうして「レジデンス弓手町」の住人がひとり増えることになったが、一時的な滞在者を含めれば6ヶ国目の
麟児は原則としてボーダー隊員や市民との接触を避ける
それに世間から隔離された寮内で何があったところでツグミと迅さえ目撃していなければ、住民の
さらに麟児に関することは口外無用であり、修と千佳には玉狛支部のメンバーに対しても絶対に話をしないようにときつく口止めをしていて、このルールを破ったら
さっそく麟児が入寮した翌日に修と千佳が
◆◆◆
上層部メンバーと一部の隊員たちしか知らない事件が次々に起きていた間、一般隊員たちは
B級ランク戦も順調に進んでいて、上位グループの7
スタート時は1位から順に影浦隊、生駒隊、王子隊、東隊、那須隊、弓場隊、鈴鳴第一であったのだが、那須隊の
それが10月のC級隊員昇格試験で出穂がB級に昇格したということで、彼女を新しいメンバーとして加えることになった。
途中での加入は認められているものの、やはり昇格したばかりでまだチームメイトとの連携にも慣れていないためになかなか上位グループには復帰できずにいる。
今期は11月29日が最終ラウンドになるため、那須隊が上位グループに復帰するとしたら来期になりそうだ。
10月26日に行われた昇格試験では
前回の時よりも受験者の数は4割ほど増えており、合格者は54人となり合格率は約45パーセントで前回が約41パーセントであったからわずかだがアップしている。
そして10月で辞めていくC級隊員が約200人出た。
今回で受験資格を失ってしまい除隊が決定してしまった者、2回続けて不合格で自信を失った者、新規で入隊してくる後輩たちと比べて自分がボーダー隊員として相応しくないと気付いた者など、ボーダーを去っていく者が現れるのは仕方がないことだ。
なにしろ19日の入隊式からたった1週間で試験を受けて合格したC級隊員がふたりもいて、才能の差というものを見せ付けられてしまえば自信を失うのも無理はない。
これで入隊してから半年以上経っても正隊員になれなかったC級隊員が全員除隊になったため、C級隊員の数は以前の半分以下にまで減った。
こうしてC級隊員の数が増えすぎてしまった問題は一旦解決したのだが、除隊となった
ボーダーが有事と判断した時に召集に応じて市民の避難誘導等の任務に携わるいわゆる「予備役」である。
もちろん
アフトクラトルによる大侵攻で民間人への被害がなかったのはC級隊員による避難誘導があったからだと上層部も認めており、戦闘員だけでなく民間人を守るための隊員は必要だと考えていたところにツグミが提案をしたという経緯がある。
そこで予備役の隊員たちはシールドのチップがセットされただけのトリガーホルダーの所持が認められることになった。
緊急時以外に使用すれば即刻没収されてしまう厳しい
そして
こうしてボーダーは少しずつだが変化を見せており、三門市民からの期待を一身に受けて隊員・職員たちの士気も高まっていくのであった。