ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
11月24日、ツグミは17歳の誕生日を忍田家の自室で迎えた。
前夜にセリウスを見送った後、忍田と共に実家へ帰って来てそのまま泊まっていたのだ。
当初の予定では有給休暇を取った忍田と一緒に毎年恒例のバイクデートをするはずだったのだが、午後から唐沢に依頼されたパーティーに出席することになったために中止となっている。
そこで特別なことは何もしない普通の日を過ごすことにして、朝の稽古の後には朝食の準備をし、忍田を起こしてから一緒に食事をする。
その後は部屋の掃除と忍田の衣類の洗濯、そして一緒に商店街で買い物をした。
それだけで正午となり、急いで昼食を済ますと前日に用意をしておいたトリガーを起動して唐沢の迎えを待っている。
そんなツグミの姿を見ていた忍田は申し訳なさそうな顔で言った。
「ツグミ、おまえにはすまないと思っている。せっかくの誕生日だというのにボーダーの仕事をさせてしまうとは父親として情けない。おまけに私がおまえに何かしてやらなければいけないというのに私の世話をさせてしまった。先月の私の誕生日には前日から準備をしてたくさんの料理で祝ってくれたというのに、私はおまえに何もしてやれない」
するとツグミが口を尖らせて答えた。
「何を言っているんですか!? わたしは真史叔父さんと一緒にいる時間というプレゼントを貰ったんですからそれで十分満足なんですよ。大好きな人がわたしの作った料理を美味しそうに食べてくれて『ありがとう』って言ってもらえたら最高の贈り物じゃないですか。叔父さんは毎年この日だけはどんなに忙しくてもわざわざ有給を取ってくれて、わたしはその気持ちが嬉しいんです。普通の父娘らしいことをしたいと思うわたしの気持ちに応えてくれているんですから、申し訳ないなんて気持ちになることはありませんよ。それに午後のパーティーだってわたしが自分の判断で出席を決めたわけで強いられたのではありませんから。むしろ勝手に予定を変更してしまったわたしが謝罪すべきもの。だからお互い様です」
「ツグミ…」
「それに18歳の誕生日にはまたこうしてふたりで一緒にいられるように今を努力しているんです。だからきっと来年はもっと素敵な日になると思います。形に残るプレゼントも嬉しいですけど、いざという時に持って行くことができないこともあります。でも心と記憶の中に残るものなら死ぬまでここにずっと持っていることができますよ」
そう言ってツグミは自分の胸に手を当てた。
「幸いわたしは他の人よりも記憶力が高くてどんなことでも整理して覚えておくことができます。今の自分があるのは過去の経験の積み重ねで、辛い経験だって考えようによっては人生の糧に変えることだってできます。それが楽しくて幸せな経験ならもっと素敵な未来の自分になれるはずで、こうして一緒にいて会話したこともすべてわたしは忘れません」
仲間内でのパーティーを嫌うツグミは毎年忍田とふたりで過ごすことを恒例行事としていたから、「一番大切な日を真史叔父さんと一緒にいたい」という健気な気持ちが忍田はたまらなく嬉しい。
しかし迅という恋人ができて父娘の時間がますます減ると思うと寂しかったのだが、それは自分だけでツグミの方がずっと大人らしい考え方をしていたことを知り、恥ずかしいとも感じていた。
そしてツグミの「想い出のすべてが蓄積されて、それがより良い未来のために生かされている」という言葉に胸を打たれて涙が出そうなのを堪えていたのだった。
そして約束の時間になると唐沢が迎えに来て、彼は忍田に頭を下げてから自分の車にツグミを乗せるとボーダー本部基地へ向かい、そこで城戸を乗せてから3人で蓮乃部市へと向かった。
◆◆◆
蓮乃部国際ホテルの2階にあるバンケットルームでは十数人の客が歓談をしていた。
客の多くが中高年のオジサンたちであるから、話題の中心は健康やゴルフなどの趣味の話である。
このパーティーの開催の趣旨は懇親会であり、普段はなかなか一堂に会することのないメンバーが集まって「世間話」をする…というのは表向きで、今回の集まりはボーダーが三門市民救出計画を実行するにあたっての資金集めのためであった。
本来ならこうした場面では嵐山隊の隊員たちが出席してPRをするのだが、この場に嵐山隊はいない。
つまりオフィシャルなボーダーの説明会ではないということである。
これは地元名士の懇親会であり、ボーダーや
場所も三門市内ではなく蓮乃部市にしたのもそれが理由である。
ボーダーの3人が客となっているのは主催者である三門市長が知人を招待したことになっているからで、市長は来年行われる市長選で再選を狙っており、ボーダーの市民救出計画に積極的に協力して市民の支持率を上げようという魂胆があった。
ボーダーがひとりでもふたりでも市民の救出に成功すれば、ボーダーの活動に尽力した現職市長に再選を期待する有権者が増えると企んでいるのだ。
城戸もそんな市長を利用するつもりでおり、また客の多くが対外的なイメージアップと自らの懐を温めることに必死な人間である。
ツグミはそんな大人たちの事情を理解しており、彼女もそういった「力を持つ者」を味方に付けて自らの願う未来を掴みとろうとしているのだから同じ穴のムジナといったところか。
もっともツグミは可愛らしい仔狸で、城戸や唐沢を含めた大人たちは古狸だが。
パーティーの時間は2時間だが、前半の1時間は単なる「前座」であり、ツグミは出席したVIPたちと名刺交換をして顔と名前を知ってもらった。
そもそも彼女は
ツグミも嵐山隊と同じくらい有名人で、客たちは次々に彼女に握手を求めてきた。
すでに顔見知りの市長やボーダーのスポンサーの須坂会長、小笠原社長などを除く二十数名と挨拶をしているうちに1時間が経ってしまった。
そして後半の1時間は1階にある会議室に移動して「本来の目的」を行うことになっている。
内容が内容だけに関係者以外立入禁止とし、ホテルの従業員ですら会議室に近付くことも禁じられていて、周囲から完全に隔離された状態での説明会が始まった。
「みなさまの貴重なお時間を頂いていることですので、早速始めたいと思います」
唐沢がそう言うと下手に控えていたツグミが室内の照明スイッチをオフにする。
そして正面スクリーンに惑星配置図の映像が投影された。
すると客たちから歓声や驚きの声が上がり、中には良く見ようとして立ち上がる者もいる。
「これは
唐沢はそう説明をするが、投影されている映像は実際に持っているゼノンとレプリカから得られた情報の半分以上が
つまり全部の情報を明らかにはしないスタンスのようだ。
「この中で我々が遠征で行った国はまだメノエイデス、アフトクラトルの2ヶ国だけですが、現在調査隊を別の2ヶ国へ送り出しています。その調査隊は
広報番組で三門市民救出計画の一部は公にされているものの、まだ知らされていないことの方が多い。
この会議室に集うメンバーも三門市の関係者やスポンサーとはいえ知らされていることは一般市民とほとんど同じレベルである。
もちろん多額の援助をしてもらうのだからその企業が欲している情報の一部は個別に教えているが、こうして一堂に会して説明会を行うのは今回が初めてで、それだけボーダーが多くの賛同者と資金の援助を求めているという証拠だ。
ただし公にできないことは優良なスポンサーであっても
唐沢は続けた。
「未知の異世界へ若者を送り込んで危険な任務を行わせるわけですが、それが可能となるのはトリオン体というトリオンによる攻撃以外ではダメージをほとんど受けない身体に換装して戦うことと、トリオン体が破壊されてしまった時には直ちに安全な場所へと避難できる
唐沢の言葉が終わるとツグミは照明スイッチをオンにして会議室を明るくすると、舞台中央に進み出た。
「彼女はこのホテルに到着する前からトリオン体に換装しています。先ほどのパーティー会場では彼女と握手をした方もいらっしゃるでしょうが生身だと信じていたはずです。それほどリアルに生身の身体を再現していますので見た目ではわからないでしょう。ですから実際にトリオン体というものがどのようなものかご紹介しましょう」
唐沢はそう言いながら舞台の隅の置いてあった木製のバットをしっかりと握ると、中央に立たせたツグミの頭めがけて振り下ろした。
何が起きるのか見入っていた観衆は思わず目を閉じたり顔を背けてしまう。
しかしトリオン体のツグミには物理的攻撃など効き目はなく、ケロっとした顔で微動だにせず立っていた。
「このように生身であれば致命傷を負うような衝撃であっても一切受け付けずにいます。さらにこのようなことをしても大丈夫です」
上着のポケットから取り出した護身用の小型スタンガンをツグミの首元に当てて電流を流し、さらに催涙スプレーを噴射するが彼女は全く動じない。
その様子を見て驚く者もいれば納得顔で頷いている者もいる。
何しろ1月の大規模侵攻では第一次
その被害を最小限に食い止めたのはボーダーの若き戦士たちと彼らを支える
しかしデモンストレーションはこれでおしまいではなかった。
突然派手な音を立てて会議室のドアが開き、覆面をしたいかにも怪しげな人物が乱入する。
そして目的がツグミを襲撃することだとばかりに手にしていた日本刀を抜くと無言で斬りかかったのだった。
これはツグミと唐沢の打ち合わせにもないもので、彼女の目にはその日本刀がトリガーであることはひと目でわかったので咄嗟に叫んだ。
「シールド!」
ツグミのシールドは侵入者の
侵入者も同様に構えるが、殺気をまったく感じさせず余裕たっぷりの様子なのがツグミには良くわかった。
(なんだ…唐沢部長も人が悪い。わたしに内緒でサプライズ演出をしようとしたみたいだけど、覆面とか変装をしてもトリオン体だってことはバレバレ。それにその太刀筋を見て誰なのかわからないはずがないじゃない。わたしの目にはしっかりと生身じゃないことが見えているんですよ~)
しかしせっかく唐沢がセッティングした舞台なのだからと、ツグミは騙されたフリをして叫ぶ。
「トリガーを使うとは…貴様、
「……」
侵入者は黙ったままでゆっくりと間合いを詰める。
言葉を発すれば誰なのかすぐにわかってしまうということなのだろうが、ツグミにはすでに誰なのかがわかっている。
(スコーピオンに持ち替えて何年も経つけど、旧ボーダー時代からずっと弧月を使い続けていたんだから顔なんか見えなくてもジンさんだってすぐにわかるわよ。それに城戸司令や唐沢部長がこんな茶番をジンさん以外の人に手伝わせるわけないもの。…さて、派手な演出をすることで場を盛り上げようというのかもしれないけど、こんな狭い場所で本気を出したら周囲への被害は甚大。どうするのがベストかな?)
ツグミはいくつかの情報を元に一瞬で「正答」を導き出した。
彼女は弧月を大きく振り上げて上段の構えに直すと、侵入者は弧月を鞘に戻した。
(ああ、ちゃんとわかってくれているみたい。それなら続けるわよ!)
間合いを詰めるためにツグミは一気に飛び出した。
一方、侵入者はさっとしゃがみ込んで抜刀し、ツグミの弧月の切っ先が侵入者に触れる前に彼女の右脇腹から左肩に向けて斬り上げ、一刀でトリオン供給機関を破壊せしめたのだった。
次の瞬間、ツグミのトリオン体は消滅して会議室の中から姿が消えてしまった。
その様子を見物していた客たちは驚いて呆気にとられてしまうが、庭に面した会議室の窓をコンコンと叩くツグミの姿を見てさらに驚いた。
そして彼女がドアを開いて中へと入って舞台の上に戻って来ると、唐沢が説明をする。
「トリオン体での戦闘において今のように戦闘体を破壊されてしまうと自動的に
すると覆面の侵入者はおもむろにその覆面とマントを外して素顔を晒した。
客のほとんどが彼のことを知っていたものだから、ツグミへの襲撃が演出であったことを知ったのだった。
「驚かせて申し訳ありません。俺は迅悠一、ご存知のようにボーダー隊員です。俺が霧科隊員のトリオン体を破壊してしまいましたので、これからは俺が彼女の代役を勤めます。というのもトリオン体は一度破壊されてしまうと復元させるのに時間がかかります。この時間というのは個人のトリオン量に大きく関係しており、彼女の場合は再び戦闘に耐えうるトリオン体を復元させるには24時間以上かかります。よってトリオン体での戦闘と
迅が大げさなポーズを共に大きくため息をついた。
続いて唐沢がフォローするように説明する。
「現場で戦う彼らを技術面で支援するために
ここからは客たちがツグミと迅の周りに集まって
もちろん公にしてはいけないこと、この場だけの話に留めるのであれば話してもかまわないことなど「情報公開のレベル」には十分に留意している。
説明できることは正直に、そして隠すべきことは上手く誤魔化しながら話したことで参加した客たちはふたりの説明にほぼ満足してボーダーへの援助に対して意欲的な反応を示したのだった。
なにしろトリオン技術に関してはボーダーが独占している状態で、もしその技術を自分の企業が優先的に利用できるかもしれないとなれば積極的に
実際にとある大学の附属病院と直属の研究施設がボーダーと共同で医療面での有効利用を研究しており、那須がその被験者として入隊している。
トリオン体の可能性は幅広い分野で役に立つものであり、この場にも警察・消防・自衛隊などの幹部に人脈がある企業の代表や国政に影響力を持つ元大臣たちもいて熱心にツグミと迅の話を聞いていた。
もっとも彼らも正義や公共のためと言いながらも実は自分の利益のためというのが本音であり、ツグミ自身が他人を犠牲にしないという原則を守った上での利己主義者だからこうした大人たちの行動には目を瞑っている。
それにこの場にいる人間は城戸と唐沢が厳選した
万が一トリオン技術を軍事利用しようと考える不届きな人間が紛れ込んでいたとしても
こういう時に「裏社会」に繋がりのある人物がいるのは非常に便利だ。
それにツグミの祖父の霧科文蔵の影響力は死後10年以上経ってもまだ続いていて、表だけでなく裏の世界の人間にも
昔
彼らにとってボーダーとは「霧科文蔵が全面的に支援した組織」で、城戸による記者会見で匿名にしていた文蔵の名も一部の関係者にはバレバレであり、霧科の姓を持つツグミのことも孫であることは知る人ぞ知るものとなっている。
ツグミと文蔵の間に血のつながりはないが彼らはそんなことは知らないし、もしバレたとしても義理人情の世界で生きている人間たちにとっては血よりも仁義の結び付きの方が重要だと考える節があるから関係ない。
しかしこの場にかつて文蔵が幼いツグミを可愛がっていて、その様子を良く知っている者がいた。
その人物こそ唐沢がツグミに会わせたかった相手で、このパーティーへの出席を促したのはそのためであった。
(あの人…まだ名刺交換していなかったっけ。どこの誰なのか知らないけど、なんとなくずっと昔に会ったことがある気がする。あの雰囲気だとあの人はわたしのことを良く知っているっぽい。年齢は40歳半ばってカンジだからお父さんの知り合いの人かも?)
そんなことを考えているうちに説明会は終了の時間となってしまった。
客たちはそれぞれ会議室を出て行き、最後に城戸と唐沢が出て、そのあとをツグミと迅が追う形で廊下を歩いて行く。
「さっきの様子だとおまえは初めから俺だってわかっていたみたいだな?」
迅が訊くとツグミは当然という顔で答えた。
「ジンさんとは何年も一緒に戦っているんですよ、その動きで誰なのかくらいわかります。それよりもわたしが上段の構えをした時にわたしの考えをすぐに理解して逆袈裟斬りをしてくれたジンさんはさすがだと思いました」
「おまえが上段の構えをするってことは滅多にないからな。何か考えがあってのことだと思ったんだ。アレ、太刀川さんとトリガーを使って初めてガチ勝負をした時にあの人が弧月を振り上げて斬りかかった逆パターンだろ? だから俺はおまえがやったように一刀両断したんだ」
「ええ。観客には茶番に見えないように
「つまり唐沢さんはおまえがこの計画の意図を汲み取ってくれるという自信があって、おまえはその期待に応えたってことか。もし俺がおまえの誘いに乗らずにいたらどうするつもりだったんだ?」
「その時は
「なるほど。だけどよくあの短時間でそこまで考えて行動できるよな…」
感心したといった口ぶりで言う迅にツグミが言い返す。
「当たり前のことじゃないですか?
ツグミの言うように戦場では一瞬の判断ミスが命取りになることは多い。
防衛隊員は日々の鍛錬を怠らず、これまでの経験値から
だから彼らにとって一番の「悪」は停滞することであり、身体も頭も何もせずにいれば衰えるだけで、いざという時にそのツケを払うのは自分自身である。
現在行われている三門市民救出計画に参加するA級隊員の訓練では原則として
潜入調査でヒエムスへ赴いた調査隊もあと10日から2週間もすれば帰還する予定であるから、来年早々には第一次市民救出遠征隊が出発するだろう。
それを可能とするためにこのタイミングで厳選されたごく一部の民間人にのみトリオン体の秘密が公開されたのであり、既存のスポンサーたちには若い隊員たちを送り出すことに十分な安全を確保していることとそれでも絶対に安全を保証できないことを説明し、トリオン体の可能性を明かすことで新たなスポンサーの獲得を狙っている。
その点ではこのパーティーを装った説明会はほぼ成功であったようで、日頃の努力を欠かさない隊員たちの
「
そんな会話をしながらホテルの裏口へ着いたツグミと迅。
そしてドアを開けるとそこには城戸と唐沢の他にもうひとりの男性が立っていた。
説明会の時に少し離れた場所からツグミの様子を見つめていた男性で、優しい笑みでツグミに自己紹介をした。
「私は緒方策之助(おがたさくのすけ)。あなたのお父さんの霧科織羽くんの友人です。もしよろしかったら少しだけあなたの時間をもらえませんか?」