ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミには緒方策之助と名乗った男性は城戸とほぼ同年齢に見えた。
そして「
そんなアンバランスなキャラクター性に惹かれたツグミだが、なによりも織羽の友人だと名乗ったことで話をしたいと思ったのだ。
「このタイミングで父のご友人という方がいらしたのは誰かさんによるお膳立てだとわかっていますし、わたしもぜひお話をしたいです」
「では、まいりましょう。誰にも邪魔されない場所を用意してあります」
緒方は自分の乗ってきた黒い高級車へとツグミを案内すると、運転手が恭しくドアを開けてくれた。
「ツグミさんはこちらへ。正宗たちは唐沢くんの車でついて来てください」
(正宗? 城戸司令のことを下の名前で呼ぶ人に初めて会った…)
緒方のさりげない言葉からツグミはいくつかの推測ができた。
(お父さんの友人ってことだけど、城戸司令や唐沢部長への呼び方や態度からこのふたりにとっても友人とか先輩後輩的な関係がありそう。そうなるとボーダー創設にも関係しているのかもしれない。説明会でも遠目にわたしを見ていただけで、トリオン体のことに無関心だったというよりすでに知っているからあえて積極的に触ったり質問をしなかったんじゃないかな。まだ情報が少ないから断定はできないけど妥当な線だと思う。とにかくどこへ連れて行くつもりなのかしら?)
◆
車は蓮乃部市街地を抜けて郊外の山の中腹にあるオーベルジュの前に停車した。
外国のレストランやホテルを格付けしたガイドブックで昨年1つ星を獲得したと紹介された店であり、ツグミもその名前だけは知っていた。
(ここって超有名なオーベルジュじゃないの! たしか予約は夜の部は1日1組しか受け付けていなくて、半年先まで予約で埋まっているって噂の…)
玄関前で建物を見上げるツグミ。
そのうちに唐沢の車も追いつき、全員で揃って店の中に入って行く。
築150年の古民家を移築した建物で、地元の野菜をメインで使用した創作フレンチ懐石料理を提供するこのオーベルジュは比較的リーズナブルでドレスコードもないから若い女性に人気があるという。
ツグミもその評判は耳にしていたが自分がその店に来ることはないと考えていた。
「ツグミさん、食事は午後6時から始める予定ですので、それまでこちらでお話をしましょう」
緒方は慣れた様子でツグミたちを中央に大きな囲炉裏のある10畳ほどの広さの部屋へと案内し、下座にはツグミと迅が並んで座り、上座には緒方、残りの席に城戸と唐沢という位置で座った。
そして改めて緒方が自らについて話し始める。
「私は県警本部長を勤めています。あなたのお父上やここにいる正宗…いや城戸司令や最上宗一氏とは年齢が近いこともあって親しい間柄にあり、忍田本部長、林藤支部長たちとかつて同じグループに所属していました。ボーダーとは直接関係していませんが、外部の人間として少々協力をさせてもらっています」
「なるほど…。ボーダーという組織だけでは
「いや、それほどではありませんよ。むしろあなたのような若いお嬢さんが警察の階級のことを知っている方が驚きです」
「それはわたしがいろいろなことに興味を持ち、調べることが多いからです。以前に警察組織の改革を扱った内容のテレビドラマを見て、いくつもの難しい単語が出てきたので調べたんです。その中で階級と職務について知りました。警視長はキャリアだと22年目以降に成績優秀者から順次昇任するそうですけど、道府県警の本部長となるとさらにその上の警視監という警察官でも40人くらいしかいない超エリートだということですから、緒方さんはさぞかし努力をしたんでしょうね」
「私の家は代々警察官の家系ですから、父や祖父の後ろ姿を見て育ちましたので自分も当たり前のように警察官への道へと進むと決めていました。私自身は市民の安全を守るためには彼らと同じ目線で仕事をしたいと考えていたのでノンキャリでもいいと考えていましたが、ある事件がきっかけとなって警察組織で権力を持つことが必須となり、当時大学生だった私は城戸司令たちと別の道を歩くことになったんですよ」
緒方は城戸と最上の同級生で、ボーダーの元になった剣術のサークルメンバーのひとりであった。
だから城戸のことを名前で呼ぶのも特に不思議はなく、城戸も彼のことを「策之助」と名前で呼んでいるという。
そこで文蔵と当時三門署の署長であった緒方の父親が様々な根回しをして受け入れることが可能となり、霧科織羽としての新たな人生を歩み出すことができたのだった。
ここで
さらに警察という組織の中で「力」がなければ城戸たちの支援ができないと考え、国家公務員試験を受けて「キャリア」としての道を進むことになる。
その結果が現在の県警本部長という役職で、三門市内での
しかしボーダーと警察幹部の間に深いつながりがあることが公になるとどちらにとっても都合が悪く、個人的な付き合いは最低限にして城戸や忍田たちが緒方と顔を会わせるのは文蔵の誕生パーティーの共通の招待客としてのみにした。
だからそのパーティーに出席していたツグミのことを知っていたのは当然で、また織羽たちと直接会話をすることを避けていたためにツグミは緒方の間に直接の交流はなかった。
ツグミが昔に会ったことがある気がすると感じたのは勘違いではなかったのである。
文蔵の死後はパーティーというきっかけもなくなり、用事がある時に電話やメールで連絡をするだけとなっていた。
そして話は織羽と美琴の「事件」に及び、当時三門警察署の署長になったばかりの緒方が
こうして民間人では手の付けようのないことを警察の人間として何度も密かに処理してくれたからこそ今のボーダーが存在しているのだと言えるわけで、緒方が影の功労者であることは間違いない。
城戸がボーダーの創設から現在に至るまでの話をする時に緒方のことが登場しないのはこうした理由があったからなのだとツグミは理解した。
そしてなぜ今のタイミングで緒方に引き合わせたのか…
それはツグミが両親の死の真相を正しく伝えられて、それを自分自身で納得できたことによって事件に関わった緒方の存在を明かしても大丈夫だと城戸や忍田が判断したからである。
織羽や城戸たちの若い頃を知っているとなれば話をしてみたいと思うもので、それがボーダーの恩人ともなればなおさらのこと。
ツグミは積極的に質問をし、緒方はそれに丁寧に答えてくれた。
緒方と城戸たちボーダー組は歩む道は違っても目指すものは同じで、とても心強い味方がいてくれたことを知ってまた一歩自分の目指す未来に近付いた気がしたのだった。
◆
それから1時間ほど緒方や城戸の若かりし頃の話や緒方の目から見た織羽の話などを聞いた。
それはツグミにとって初めて聞くことばかりであるから、父親の姿がより鮮明に浮かび上がってきて楽しくてたまらない。
(ここで初めて聞いたお父さんのこと、ミリアムさんだけでなくリベラート殿下にも今度会ったらお話してあげよう。親子の名乗りもできずに親よりも先に死んでしまった親不孝な息子だけど、リベラート殿下ならきっと喜んで聞いてくれるはずだもの)
そんなことを考えながら大人たちの会話を聞いていると店主から準備ができたと呼ばれてダイニングルームへと全員で移動をした。
案内された部屋はかつてこの古民家の客間であったらしく、広い座敷は畳の上にテーブルが置かれたダイニングルームになっていて7人分の席が用意されているのだが、そのうちふたり分の席にはすでに客が座ってツグミたちの到着を待っていたようだ。
「忍田本部長、林藤支部長、どうしてここにいるんですか?」
驚くツグミに忍田が答えた。
「今日はおまえの誕生日で、それを祝いたい大人たちが集まったのだよ。おまえも自分の誕生日を祝ってくれる家族や仲間を大切に想いながらも例の一件でトラウマになっていたがそれも克服できたようだし、織羽義兄さんたちの真実も受け入れられたようだから緒方さんを含めて祝おうと城戸さんが言い出したことだ」
「城戸さんが…」
ツグミは城戸の顔を見た。
「誕生日を祝いたいという気持ちはもちろんだが、日頃の働きに対しての感謝の気持ちも含まれている。ボーダーの総司令として一隊員にこのようなことをする前例はないが、前例がないからやってはいけないということにはならない。それに私はおまえのことを実の娘のように大事に思っていて、林藤や緒方も同じ気持ちで、唐沢くんもおまえのことを心強い同志として期待をしている。その気持ちを受け取ってほしい」
城戸の言葉に忍田たちは大きく頷く。
そして忍田が続けて言った。
「おまえは今の自分があるのは過去の経験の積み重ねで、辛い経験だって考えようによっては人生の糧に変えることだってできる。それが楽しくて幸せな経験ならもっと素敵な未来の自分になれるはずだと言っていた。だから私もおまえに楽しくて幸せな経験をたくさん与えたい。以前のおまえは他人から祝ってもらうのが苦手だったが、様々な経験を経た今はもう平気なはずだろ?」
「ええ…。あれからそろそろ6年になりますね。今日までたくさんの経験を積み、あの頃の大嫌いだった弱い自分さえも愛しいと思えるようになりました。わたしはもう大切な人を喪いたくはない。ボーダー隊員ですから
ツグミは過去の経験から家族や仲間を失う恐怖を味わっている。
迅やレイジのように遠征先で命を落とした仲間の姿を直に見ているわけではないが、自分ひとりだけ留守番をさせられたことで「自分が未熟なせいで仲間のために役に立てなかった」という深い傷を
たしかに事実はその通りなのだが、当時11歳になったばかりの少女であり、迅が彼女を連れて行けば必ず死ぬという未来を視てしまったからこそ遠征に参加させなかったわけで、もしその時に彼女を遠征先で喪うことにでもなれば残された者たちには別の未来が待っていたであろう。
忍田は城戸以上に
もしかしたら遊真とボーダーは敵対する関係になっていたかもしれないし、アフトクラトルによる侵攻の際には別の結果となったかもしれないのだ。
そういった点で彼女を遠征に参加させなかったのは正しい判断であったといえよう。
しかし自分の誕生を祝うパーティーの直後に仲間が帰らぬ人となってしまったという事実が長い間トラウマとなって彼女を苦しめていた。
毎年誕生日がくるたびに遠征に行って命を失った仲間たちのことが思い出され、記憶の奥底に封印してしまうこともできたが、それをしてしまうと彼らのことを忘れて自分だけが生きていることを罪だと感じてしまう。
だから家族や仲間たちが祝ってくれる気持ちは嬉しいのだが単にひとつ年を取るだけのことに対して能天気にパーティーなどしてはいけないと自分に言い聞かせ、それをわずかではあるが贖罪としていたのだった。
去年の誕生日まではそのように考えていたツグミであったが、自分で過去の自分を許すことができたのは彼女が強くなったからである。
そんな彼女の心の成長をそばで見守っていた城戸や忍田たちは今こそ彼女を祝ってやりたいと考え、わざわざ彼女の誕生日に緒方を引き合わせてこうのような会食の場を設けたのだった。
そして迅の様子を見ると彼もまたこのサプライズの
本来ならボーダー関係者と警察幹部が密会のようなことをしてはマズイのだが、ここなら部外者に見付かることもない。
だから城戸たちと緒方が数年ぶりに顔を合わすことも可能となったのだった。
会食は和やかな雰囲気の中で進み、2時間ほどで
普段は会食の場でアルコールを飲まない城戸ですら上機嫌で酒を飲み、旧友との昔話に花を咲かせていて、ここ数年見たこともなかった朗らかな表情を見せてくれた。
それこそが厳しい仮面の下に隠した彼の素顔であり、ボーダーが新体制になってから入隊した隊員たちがこの場にいたら別人だと思うに違いない。
それだけあの遠征は城戸にとって人生を狂わせるほどの悲劇であり、その前後で城戸の内面や外見は大きく変わってしまったのだ。
でも
そんな城戸の楽しそうな姿を見てツグミはそれこそが城戸からの誕生日のプレゼントであると感じて嬉しく感じていた。
(城戸司令…ううん、城戸さんが昔の城戸さんに戻ってくれることがなによりも嬉しい。哀しい過去は変えられないけどそれを上回る楽しいことや幸せなことで満ち溢れた未来にできればそれで上書きすることもできる。最上さんたちのことを忘れてしまうなんてひどいことはできないけど、それをずっと引きずって今を生きている残された人たちが辛い想いをする必要なんてない。6年もずっと哀しんで苦しんでいた城戸さんたちはもう解放されてもいいんだ。過去に囚われていて現在を苦しんでいる人に明るい未来なんて来るはずないもの。たぶん城戸
17歳の誕生日に自分にそう言い聞かせることができたツグミであった。