ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミと迅は寮へは直接帰らずに三門市内の繁華街でタクシーを降りて街を散策していた。
当初の彼女の計画とは大きく違うものになったが、誕生日に迅と一緒の時間を過ごすという点では予定どおりである。
あとひと月でクリスマスだということもあり、商店街のイルミネーションや街を歩く人々の笑顔はキラキラとしていて、1月に起きたアフトクラトルによる大侵攻もボーダーのおかげで市民や市街地にはほとんど被害はなく、
第一次
それがボーダーの活躍の結果であるのは確かなのだが、送り込まれたトリオン兵や侵攻してくる
本来ならこのふたつの世界は隔絶されたものであったはずなのだが、
それを再び完全に閉じてしまうこともひとつの手段である。
しかしそれに至る道がどれほど困難であろうとも互いに行き来しながら良い交流をするというボーダー創設理念を叶える道をツグミは諦めずにいた。
1年前なら手がかりさえも見付けられなかったことだが、修と遊真の出会いから始まる一連の
だから彼女の目には街の様子が例年よりも明るく見えて、恋人の迅と一緒に歩いていることもあってとても楽しそうだ。
迅も幸せそうな顔で微笑んでいるツグミを見ると胸の中がポカポカと暖かくなってくるのを感じていた。
(去年の俺は
迅は心の中でそう呟いただけなのだが、隣を歩いていたツグミが何かに気付いたのか声をかけてきた。
「ジンさん、今日の城戸司令は昔の城戸さんの頃を思い出させるようないい笑顔をしていましたね。ボーダーの総司令と警察の幹部が旧知の仲だと知られたら双方にとって都合が悪い。わたしの両親の事件が
「うん…」
「でも緒方さんのことを紹介されなくてもボーダー上層部と警察幹部に太いパイプがあるってわかっていましたよ。そうでなければこれまでの
「たしかに…」
「今日、緒方さんに引き合わせてもらった良かったって思ってます。ボーダー創設の理念を理解してくれている外部の人間がいて積極的に協力…とまでは言わなくても手を貸してくれる人がいることでとても心強いですし、いずれあの人の力が公式に必要になってくるはず。これも城戸司令や唐沢部長からのプレゼントだと考えるとこのタイミングであったことも頷けます。さすがにあの人たちはわたしの喜ぶポイントを熟知していますね、フフッ」
「それもあるだろうけど、今日の会食は城戸さんたちがおまえをダシにして同窓会を開いたとも言えなくない。俺はそう思うんだが」
「でもそれでもいいんじゃないですか? わたしは美味しい食事をご馳走になり、城戸司令たちと緒方さんは市長の主催したパーティーで
そして最後に言った。
「城戸司令が
ツグミの言葉には聞く者にそうだと思わせる説得力がある。
迅も城戸がかつて自分たちを家族だと言って温かく包み込んでくれた頃の彼に戻ってくれることを願っていて、その手応えを感じていた。
(城戸さんのことはもう心配しなくても大丈夫だな。だけどまだ視えないってことはいくつもの外的要因が関わってくるって証拠。つまりツグミの進む先はまだ困難の連続ってことだ。そんなこいつのために俺は何ができるんだろう…?)
迅はふとそんなことを考えたが、すぐに自分がバカだということに気付いた。
(こいつが望むことはひとつしかないじゃないか。一番単純で一番効果がある上に俺自身が望んでいること。そんなことも考えないとわからないなんてダメだな、俺って)
そして周りに人がいないことを確認すると無言でツグミの手を握る。
「ジンさん…?」
「どうせ誰も見てないんだから恥ずかしいなんて言うなよ」
そう言う迅の顔はほんのり赤みを帯びている。
「そうですね、誰も見ていないんだからこんなことをしても大丈夫ですね」
ツグミはそう言って迅の手を解くと彼の腕にしがみついた。
「この方がジンさんの温もりだけじゃなくて恋人同士っぽくて幸せだなぁって感じます。去年の誕生日の真史叔父さんとのバイクデートは楽しかったですけど、今年こうしてあなたとふたりでいられる方が楽しいと思えるのは、やっぱりわたしが少しだけ大人になったからなんでしょうね」
忍田が聞けば哀しむだろうセリフだが17歳の少女なら当然のことであって、父親なら娘の成長を喜ぶべきである。
しかしツグミにとって忍田は「世界で一番大好きな人」であることは間違いなく、これだけは一生変わることはないだろう。
そのことをわかっている迅にとっては複雑な気持ちではあるが、自分がツグミにとってのオンリー・ワン「世界で唯一愛している人」であることは自負している。
それでも確認をしないとその自信も揺らいでしまうのは、ツグミが迅と一緒にいたいと願いながらも未来の自分のために今を頑張っていて、その結果置いてけぼりになってしまうからだ。
「ツグミ、こんなことを言うとおまえに叱られるかもしれないが、俺は弱い人間だからこうして確認をしないと不安になるんだ」
「ジンさん…?」
迅の真剣な目が冗談を言っているのではないことを証明しており、ツグミは迅の腕に絡めていた手を離して正面に立った。
「これまで俺はいくつもの未来の可能性を視ることで、その中から最善だと思われる選択をしてきた。だけど最近は不確定な未来は視えず、確定した未来しか視えなくなってきている。その証拠に街の中を歩いていて市民の姿を見ていても彼らの未来は何ひとつ視えない。これだけだと
「……」
「俺にはまだおまえとハッピーエンドになる未来は視えていない。それはいくつもの不確定要素があって、それらをすべてクリアしなければたどり着けないゴールだからだ。俺に何ができるのかと考えても一緒にいることくらいしか思い浮かばない。それなのにおまえはボーダーのことで走り回っていてなかなかふたりの時間を作ることができずにいる。俺はおまえのやろうとしていることに対して他に何かできることはないんだろうか? そしてこんなことを考える不甲斐ない俺のことをおまえが見捨てないという保証がない。だから俺はおまえの口から大丈夫だという言葉が聞きたいんだ」
迅の言葉にツグミはムッとした顔で答えた。
「そんな覇気のないジンさんじゃ見捨てたくなりますよ。確定した未来が視えないから不安だなんて何をバカなことを言うんですか? 普通の人は未来のことなんてどうなるかわからないものなんです。これまで視えていたものが視えなくなるのはたしかに不安かもしれませんけど、本来誰にもわからなかったことを前もって視えてしまっていたからこそあなたはとても苦しんでいたんじゃありませんか? もちろんあなたの
「……」
「わたしはあなたが確定した未来しか視えなくなったことで安心しています。だっていくつもある選択肢の中から最適解を選ばなければならないっていう義務がなくなったんですから。
「……」
「さっき『わたしが大丈夫って言うだけで解決するような単純ことなんですか?』って訊きましたけどそのとおり単純なことで、そのひと言があれば不安は解消するんですよね。だから今言いますからちゃんと聞いていてください」
ツグミはそう言うとひとつ深呼吸をしてからゆっくりと語りかけるように言う。
「わたしはジンさんと一緒に笑顔でいられる未来に向かって自分の信じる道を歩んでいます。あなたがわたしのために何かしたいと思うのなら、迷うことがあっても悩んだり苦しんだりしないでほしいです。わたしにだけなら弱みを見せてもかまいません。わたしたちは比翼の鳥で、お互いに相手がいなければ飛ぶことさえできないんです。あなたが嬉しいとわたしも嬉しくなりますし、あなたが辛いとわたしも辛くなります。だからあなたがいつも自信を持って堂々としていれば、わたしも同じように自信を持って堂々とすることができます。…大丈夫ですよ。わたしはどんなことがあってもあなたと人生を共にするって決めているんですから」
「ツグミ…」
「ただし常に一緒にいたいと願っても不可能です。物理的な距離を常にゼロにしようとするのはどんな人であっても無理ですし、そんなことをしようとすれば単なるバカップルにしか見えません。でも心の距離ならいつでもゼロにできます。ジンさんが三門市にいてわたしが
迅はツグミがずっと大人の考えを持っていて、自分がまだガキであったと思い知らされた。
「俺を追いかけていたおまえがいつの間にか俺の前を歩くほど成長していたんだな…」
ふとそんな感想を漏らした迅にツグミが言う。
「前を歩いているつもりはないですよ。いつでも隣を歩きたいと思っているんですから。でもあなたにそう思われてしまうのなら、わたしはもう少しだけ歩みを遅くした方がいいですか?」
「いや、そういう意味じゃない。それに俺がおまえに追いつく努力をしなければいけないんだ。おまえはそのままでいい」
「そうですか? …でも成長したのは精神的な面だけでなく肉体的な面でもちゃんと成長しているんですよ。身長だって去年よりも2センチ伸びてますし、ボディだっていくらかメリハリがでてきています。ジンさんが触りたくなるようなお尻にもなっているはずですよ。触ってみます?」
ツグミはふざけて迅に背を向けて尻を突き出した。
「ば~か。こういうのは触ってくれと言われて触るんじゃなくて、相手が油断している時にちょっかいを出すから面白いんだよ。…と言うのは嘘だ。おまえに対しては真摯な態度で接したい」
「……」
「おまえがもう子供じゃないってことは十分わかっている。だからこそ忍田さんとの約束はきっちりと守ってけじめをつけるつもりなんだ。つまり今の状態でおまえに触れたら歯止めが効かなくというか…俺が理性を保つためにはここは我慢しなきゃってことさ。言っておくがおまえは十分に魅力がある。むしろすぐにでも抱きしめてしまいたいくらいだ。だから勘違いしないでくれよ」
「わかりました。つまりここまでが限度ってことですね」
そう言ってツグミは再び迅の腕にしがみついた。
「あ、ああ…」
迅はそう言って顔を背けた。
なにしろツグミは腕に抱きついているだけの感覚だが、迅としては彼女に胸を腕に押し付けられているようなもので、一度意識してしまうと頭の中がえっちな妄想でいっぱいになってしまうのだ。
ただ迅が尻フェチであり胸フェチではなかったことが辛うじて彼の理性を押し留めている。
そんな迅の葛藤も知らず、ツグミは彼とのゼロ距離を寮までずっと楽しんでいた。