ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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402話

 

 

涼花とその家族はツグミと一緒にレジデンス弓手町へと向かった。

その途中、涼花は自分の生まれ育った家を見たいと言い出し、レジデンス弓手町から徒歩10分ほどの距離にある水戸家に立ち寄ることにした。

かつて涼花と両親と妹の彩花は弓手町に住んでおり、家族揃ってスーパー銭湯へ出かけている時に第一次近界民(ネイバー)侵攻の惨事に見舞われたという。

両親は娘たちをトリオン兵から守ろうとして囮になり、涼花と彩花は後ろ髪引かれる思いで走って逃げたのだが、別のトリオン兵に襲われてその混乱の中で姉妹は離れ離れになってしまった。

そして涼花はトリオン兵に()()()()、気が付いた時にはエクトスにいたというわけである。

だから涼花にとって弓手町は懐かしい場所であり、彼女の実家は被害を免れたことで住人がいないまま5年半の歳月が過ぎていた。

手直しをすれば十分に住める状態だが現在は周辺の住人がすべて引越ししてしまって空き家ばかりになっている。

鉄道路線が別のルートになったために弓手町駅は廃止となり、商店なども移転してしまっていることもあって生活には不便なこの町に住もうとは誰も思わないのだ。

しかし水道や電気などの生活インフラは利用可能であるから不便であっても居住は可能で、実際にツグミや近界民(ネイバー)たちはここで生活をしている。

涼花はこの家に住みたいと考えているようだ。

もっともカルーロとリンダの亡命申請が受理されるかどうかまだわからないため、しばらくはツグミが預かるということになったわけだから、涼花たちが実家で暮らすことができたとしてもまだ先になるだろう。

5年半もの間放置されていたことで荒れ放題になっている庭を見ながら涼花は後悔のため息をついて小さな声で言った。

 

「あの日は学校が休みで、警察官だった父の非番が久しぶりに重なった日だったので家族揃って遊びに出かけたんです。それがあんなことになるなんて夢にも思っていませんでした。こうして無事な家の様子を見ると、疲れている父を温泉施設で労ってやるのではなく家にいて身体を休めてもらっていたら死なないで済んだと思えます。酷い災害でしたから父は非番であっても仕事に向かったかもしれませんけど、少なくとも母は死なずに済んだはず。わたしや妹もさらわれなかったんじゃないかと思うと辛くて悔しくてたまりません」

 

「……」

 

「久しぶりに三門市の様子を見て感じました。あんな悲劇が起きた街だなんて信じられないほど復興していますが、こうしてあの日のままで時間が止まってしまっている場所もあって知らない街に来てしまったみたいな変な感じがします。このままこの街で暮らしていくことができるのか不安で、両親も妹もいないんですから今の家族と一緒にヒエムスに戻って暮らす方がいいかも、って少し思ってしまいました。あれだけ望んでいた帰国なのに…これからどうしたらいいのかわかりません」

 

涼花の気持ちがわからないでもない。

これまでにも智史や青葉のように帰還した拉致被害者はいるが、彼らには迎えてくれる家族がいた。

だから多少の不便はあっても元の生活に戻ることに不安はなく、鳩原一家は三門市を離れて近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)とは無縁の生活をしているし、青葉は普通に生活しながら失われた時間を取り戻す努力をしている。

しかし涼花には三門市に頼る縁者はなく、親戚を頼ろうとしても成人女性が近界民(ネイバー)の夫と娘を連れて世話になるのは心苦しい。

おまけに今はまだカルーロとリンダの亡命が受け入れられるかわからない状態なのだから不安になり、いっそのこと生活が苦しいとしてもヒエムスで元の生活に戻った方がいいと考えてしまうのも無理はないのだ。

そもそもゼノンが独断でこの一家を連れて来たのは近界(ネイバーフッド)における拉致被害者の実態を知ってもらうためであった。

拉致被害者は一部の例外を除いて男性はトリガー使いとして、また女性は現地男性との結婚を目的として売買されている。

男性がトリガー使いとして戦場へ送り込まれていることはボーダーの人間なら想像しやすいが、女性が現地の男性と結婚をさせられて新しい家族との生活があるということはわかりづらい。

上層部のメンバーは30代から40代の男性が多く、単身者なら話は簡単だが既婚者の場合は近界民(ネイバー)の家族を含めての受け入れになるのだということをイメージしにくいために、涼花を家族と一緒に帰国させたのだ。

現地の様子を見てきた調査隊のメンバーが口で説明するよりも理解しやすいのは事実で、城戸たちも三門市民である拉致被害者は受け入れるのが当然で行政の協力があればそう難しくはないと考えていた。

しかし結婚をして家族がいる市民を受け入れるということは、その近界民(ネイバー)である家族も一緒に受け入れるということになる。

そうなると三門市としても受け入れを渋る可能性は高い。

そんな現実を突き付けるためにゼノンは上層部の判断を仰がずにすべて自分の責任だということにして本人だけでなく家族の同行を依頼した。

仮にボーダーが「拉致被害者及びその家族の亡命希望近界民(ネイバー)は可能な限り受け入れる」としても、三門市としては「敵性近界民(ネイバー)ではないといっても市民感情を考えると難しい」となる。

そしてゼノンの思惑どおりになり、城戸たちは亡命を希望する近界民(ネイバー)の対応について頭を抱えてしまったのだった。

 

ツグミは涼花の顔を見ながら思った。

 

(亡命したいという近界民(ネイバー)の気持ちはわからないでもない。エウクラートンのような農業国ですら機械化されてはいないし労働力が足りないから作付面積当たりの収穫量が低く生産性が悪い。十分な収穫ができない上に農産物は貴重な輸出品だから国内に残るのは国民がギリギリ生きていくことのできるだけの量しかない。それでは庶民階級は十分に食べることはできないし、将来の労働力となる子供は栄養不足や未熟な医療体制によって幼くして命を失う。それにエネルギーはトリオンに依存しているからトリオンが欲しいとなると他国から奪おうとして、そのためにトリオン兵や武器(トリガー)に貴重なトリオンを注ぎ込む。そうなればますます日常生活に必要なトリオンが足りなくなって、苦しむのは庶民たちとなる。そんな負のスパイラルに陥っている近界民(ネイバー)玄界(ミデン)の話を聞けば亡命したいと考えるのは当然。もちろんこちら側の世界だって戦争はあるし、身分や階級といったものはないけど貧困で苦しむ人はいる。でも戦争を回避する努力はしているし、社会福祉制度もある程度は整っているからマシというもの。近界(ネイバーフッド)の国々にだってそういった制度があって誰もが生活に困窮しないのであれば故郷を捨てて慣れない土地で暮らそうだなんて思わないわよ。だから近界民(ネイバー)の亡命者を受け入れるよりも、彼らが故郷を捨てずに済む手段を講じるべき。そのためにキオンの力を借りて平和的な方法で近界(ネイバーフッド)を平定し、戦争なんかしなくても、トリオンに依存しなくても豊かな暮らしができるということを知らしめることによって三門市民は安心して生活できるようになる。攻めて来た近界民(ネイバー)と戦って排除するというこれまでのボーダーのやり方でも市民の生活を守ることはできるけど、アフトのような国がなくならない限りボーダーも戦力増強に努めなければならない。本部基地の地下にある(マザー)トリガーの寿命が尽きた時にどうするつもり?…ってことになる。いくら国土の維持にトリオンを使わないといっても巨大な本部基地の維持や遠征に行くたびに遠征艇のエネルギーとして大量のトリオンを使用しているんだからいつかは寿命が来る。その時に近界民(ネイバー)のようにトリオン能力の高い人を神と称して生贄にするのかしら? そんなことになる前にトリオンを使わないで済むようにしなければいけないわよ)

 

すると涼花が何かを思い出したらしくツグミに声をかけた。

 

「ツグミさん、もう少しだけ時間をください。家の中を確認しておきたいんです」

 

「ええ、どうぞ。ごゆっくり」

 

すると涼花は首にかけていた鍵 ── お守りと称して常に身に付けていた ── を手にして玄関ドアを開けてひとりで中へ入って行く。

そして20分くらいしてからひと目でハンドメイドとわかるトートバックを手に戻って来た。

 

「もういいんですか?」

 

「はい、どうしてもこれだけは持ち出したいと思って」

 

涼花はバッグの中身をツグミに見せる。

そこに入っていたのはA4サイズのアルバムが2冊と銀行の通帳と印鑑、そして家の権利書と登記簿謄本だった。

 

「家の中に入ってみると想像どおりでした。テレビや冷蔵庫やパソコンといった少し値の張る家電は全部盗まれていました。表から見ると何もなかったようですけど、裏口のドアが壊されていてそこから運び出されたようです。それはそうですよね、5年半も無人の家だったんですから。だけどこれは無事でした。父は自分の書斎の本棚の後ろ側に隠し金庫を作って貴重品を入れていたので盗まれずに済んだようです。暗証番号もわたしと妹の誕生日でしたから見付かっても開けられなかったでしょう。アルバムはわたしの部屋の引き出しにそのまま入っていました。泥棒にとってわたしたち家族のアルバムなんて何の価値もないでしょうから。そしてこのバッグは母がわたしの小学校入学の時にお道具箱を入れるために作ってくれたものなんですよ」

 

涼花はそう言ってやっと笑顔を見せてくれた。

 

弓手町の住民たちの多くは直接被害を受けていなくてもすぐ近くで大きな被害が出ていて警戒区域となってしまい民間人は立ち入り禁止になっているのだから安全な場所に引っ越してしまいたいと思うのは無理もない。

だから第一次近界民(ネイバー)侵攻の直後にほとんどの住民は引っ越してしまった。

その後もこのエリアの人口は少しずつ減っていき、現在ではツグミたちしか住んでいない。

水戸家のように外出してその出先で家族全員が死亡または近界民(ネイバー)に拉致されたことで誰も帰宅しなかった家もあり、その場合は外出した時のままになっていて、無人になった街に忍び込んだ空き巣 ── いわゆる火事場泥棒の被害を受けてしまった。

涼花の父親は警察官だったことで防犯意識が高く、そのおかげで水戸家の財産は守られたのだ。

もっとも土地と家屋の価値は近界民(ネイバー)のせいで半減してしまっているが、預金の方は姉妹が三門市で慎ましく暮らしていくのに十分な金額のようである。

 

「明日もう一度ここに来ていいですか? 服とか靴など使えるものはありますから持ち出したいですし、少し掃除もしたいですから」

 

涼花たちの処遇が決まるまで何日かかるのかわからないが、その間ずっと寮の部屋に押し込められていては気分が滅入るだろうし、何かやることがあった方が精神衛生上芳しい。

下手に街の中に出てトラブルに遭遇して警察の厄介になるようであればボーダーにとって面倒事になるが、この無人の弓手町であればその手の心配は要らない。

 

「かまいませんよ。ただし条件があります。わたしとジンさんはボーダーの仕事で忙しいですので付き添いはできません。ですが慣れない場所で何かトラブルがあっても困りますので、護衛…ということはありませんがこちらで選んだ付き添い人を同伴させます。よろしいですか?」

 

「…はい」

 

付き添い人だと言っても実はお目付け役なのだろうと涼花は考えたが、自分に後ろ暗いところはないので同意した。

ひとまず「貴重品」だけを持って涼花たちは想い出がたくさん残されている実家を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の夜はゼノンの帰還祝いと新しい入居者の歓迎会が行われた。

全9室のこの寮の部屋は常に8室が使用中で、1室をミーティングルームとして使用している。

しかしガロプラのガトリンたちやエクトスの麟児、アフトクラトルのセリウスなど様々な国の近界民(ネイバー)たちの宿泊場所にもなっていた。

アフトクラトル遠征の成功や三門市民救出計画の草案作成などボーダーの活動に大きく影響していることはボーダー内でも上層部や限られたごく一部の隊員たちしか知らない。

そしてツグミたちの功績が大きいと城戸が認めているからこそ、ここに住む近界民(ネイバー)たちの生活費がボーダーの「機密費」から出ているのだ。

城戸はツグミに自分名義のクレジットカードを渡して彼女の判断で自由に使えるようになっていて、祝い事や新しい入居者の歓迎会の費用もここから出している。

といっても使い放題だからと豪華なパーティーをするのではなく、お好み焼きや手巻き寿司などの一般家庭の内輪のパーティーレベルである。

それでも近界民(ネイバー)たちにとっては故郷では食べたことのない珍しい料理が食べきれないほどたくさん出てくるので驚く。

特に海鮮や肉料理は庶民階級にとって贅沢な料理であり、カルーロとリンダは生まれて初めて食べる寿司のネタを驚愕の眼差しで見つめていたくらいだ。

なにしろ海のない国は多く、冷蔵庫のような保存装置などないから生の魚を食べる習慣はない。

したがってマグロやタイ、イカやエビなど食べるどころか見たこともない生き物だ。

初めはそんな得体の知れない生モノを食べようなどとは思わなかったカルーロとリンダは涼花に勧められてようやく口に入れた。

生モノは不評であったが、イカ・エビ・タコの入ったお好み焼きは気に入ったようでおかわりをしたくらいだ。

近界民(ネイバー)たちは例外なく玄界(ミデン)の食文化には感動し、身分の格差がなく誰でも自分の好きなものを自由に手に入れることができることを知ると驚く。

夏にしか採れない野菜や果物が冬の食卓に上るなんて想像もできないようで、スーパーマーケット等のあらゆる食材が1ヶ所で購入できる大型の店舗があるといってもすぐには信じてもらえない。

他にもスイッチひとつですぐにお湯が出る給湯器や冷えてしまった料理も電子レンジでホカホカになることにも驚く。

そして一番のカルチャーショックはトイレであった。

もちろん近界(ネイバーフッド)の国々にもトイレという設備はあるが、こちら側の世界の100年くらい昔のレベルでしかない。

そんな近界民(ネイバー)が温水便座とトイレットペーパー使ったのだからショックを受けるに決まっている。

近界民(ネイバー)たちの技術は戦争のためのものであり、人間が生活していく上で便利だと思われるようなものには向けられていないために人々は不便を強いられてしまう。

だから玄界(ミデン)にあるものがすべて素晴らしいものに思えてきて、それまでの近界(ネイバーフッド)での生活がいかに貧しくて哀れなものであったかを思い知らされる。

貴族のディルクですら身分の差がなく誰もが自分の判断で生きていくことのできる玄界(ミデン)の人間を羨ましいと思うくらいだ。

子供たちは基本的な教育を与えられ、その中で自分が将来どのような生き方をするのかを自由に決められる。

しかし近界(ネイバーフッド)の子供は生まれた身分によって一生その階級に縛られてしまう。

ヒュースのように庶民階級の子供であっても「トリオン能力」を見出されてトリガー使いになったという例はいくつもあるが、それはつまり「トリオン第一主義」の社会だからで、トリオンが少ないと一生社会の底辺で細々と暮らしていくしかないのだ。

逆にレクスの場合は貴族の子供でありトリオン能力が高いために本人の意思に関わらずトリガー使いになるしか道はない。

三門市で半年暮らしている彼は幼いながらも自分なりの考え方や価値観を見付けていて、エリン家の領民だけでなくアフトクラトルの国民が等しく平和で幸せな毎日を過ごすことができるようにしたいと言っている。

そのために必要なものが何なのかを自分で考え、そのために今できることをしようと必死に勉強をしていて、最近になって将来は医師になりたいと言い出した。

病気になっても症状が軽いうちに治療すれば死なずに済む子供が大勢いるのだから、医師に治療してもらって命を永らえることができればその子供の数だけ可能性が増えて世界は変わるとレクスは考えているのだ。

人間は単なるトリオン生産装置でトリオンが欲しいなら他国から奪うという考え方を持つ指導者の下では人間は家畜と同じで、家畜の側にされる庶民たちにとっては悲劇でしかない。

レクスはそういった大人たちの姿を見ていて、近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)と比べて優れているのはトリオン関係の技術のみで、それ以外はすべて劣っていて誇れるものはひとつもないと断言した。

それは幼い子供が今の大人たちに「ダメ出し」をしたようなもので、話を聞いたディルクとマーナは息子の成長を喜ぶと同時に自分たちの不甲斐なさを痛感したのだった。

そんな実年齢よりもはるかに大人びたレクスは新しい環境に馴染めないリンダの良き先輩として面倒をみてやっている。

リンダは初めこそ物怖じしていたがすぐにレクスに懐いた。

お互いにきょうだいのいないひとりっ子だから兄と妹の感覚でいるようだ。

料理の食材のひとつひとつを説明し、魚介類については図鑑を見せながらその生態についても嬉々として語っていて、涼花とカルーロの夫婦も娘たちの姿を微笑ましく見つめていた。

ひとまず涼花たち家族は先輩近界民(ネイバー)に歓迎され、しばらくの間だけだが滞在することに不安はなくなったことで、ツグミもひと安心である。

 

 

 

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