「謝罪」を終えたランバネインは玄界滞在中に利用するの宿泊施設へと向かうことになった。
そこは唐沢の古い友人の経営するホテルで、他の客と接触しないように夏季限定で使用している別館を貸切にしてもらったている。
事情を知っているのは社長だけで、従業員には外国からのVIPだとしか説明はされていないため変装をしてもらう必要があり、応接室に戻ったランバネインはツグミからトリガーを手渡された。
「申し訳ありませんがこれを使ってトリオン体に換装していただきます。この国では頭に角のある『鬼』という妖怪…つまり怪物の存在が伝承として残っています。もしあなたのその姿を一般人が見たら近界民だと知られて騒ぎになるよりもずっと規模の大きい騒動になるでしょう。そうなったらボーダーにとって非常に不都合なものとなります。このトリガーを使えば角のない姿のトリオン体となりますので、一般人の目につくところではこれを常に起動していてください」
「ああ、承知した。俺としても不用意に問題は起こしたくないからな」
ランバネインがトリガーを起動するとその姿は見かけこそそのままではあるが角はなくなっている。
ヒュースの場合と同じで、これなら外国人だと言えば誰も怪しまないだろう。
服装も一般的なものに設定してあり、白の開襟シャツ、グレーのカーディガン、ベージュのチノパン、そしてネイビーのチェスターコートというコーディネートで、本人はこの珍しい玄界の衣装がお気に召したようだ。
「ほう…玄界の人間はこんなものを着てるのか」
「良くお似合いですよ。今日の行事はこれでおしまいですので、この後は宿に行ってお寛ぎください。夕食はボーダーの幹部を交えての会食となります」
「おまえは?」
「わたしの役目はランバネインさんのそばにいて雑務を行うことですから、会食の場にも同席させていただきます。わたしのような庶民が貴族のあなたと一緒に食事をさせていただくなんて恐れ多いことですが」
「そんなこと気にするな。おまえも命令で仕方なくやってんだろ?」
するとツグミは微笑みながら答えた。
「わたしはこの役目を自ら志願しました。だって拗れてしまったボーダーとアフトクラトルの関係を修復するという重要な仕事のお手伝いができるんですもの。だから嫌々ながらやっているのではなく、むしろ近界民のあなたと話をすることでわたしたちが近界民に歩み寄るためには何が必要なのか、またお互いに得になる方法はないだろうかと考える材料を手に入れることができると喜んでいます。玄界ではトリオンに頼らない文明を築き、さらにトリオンの技術や知識も身に付けました。もし近界の国々に玄界の技術や知識を広めることができたなら、不足するトリオンを手に入れるためにわざわざ玄界にやって来て人をさらうようなことをせずに済むはず。そう考えると希望が見えてくるじゃありませか」
「なんとも前向きな性格をしてんな、おまえ。そういうトコ、俺は好きだぜ」
「お褒めいただきありがとうございます。わたしは『過去は変えられないけど未来は自分の力でいくらでも変えることができる』と信じて行動しています。今やれることをやらないでいて後悔するのが一番嫌いで、やらないで後悔するくらいならやれることをやって失敗した方がまだマシだと考えています。わたしはどの国の近界民とも仲良くやっていきたいので、あなたとも仲良くしたいと思っています。玄界にあるアメリカという国の政治家が『理解はあらゆる友情の果実を育てる土壌であるに違いない』という言葉を残しています。人間は自分以外の人間つまり他人を100パーセント理解することは不可能ですが、理解しようとする気持ちは持ち続けたいと思います。それが友情の果実を育てる土壌を耕すこととなり、いつか美味しい果実が実ることになるでしょうから」
ツグミがそう言うとランバネインはニヤリと笑って言う。
「そうやっておまえはキオンの連中も誑し込んだのか? それとも色仕掛けで篭絡したのか?」
するとツグミはムッとした顔で言い返す。
「人聞きの悪いことを言わないでください。キオンの人たちも当初はわたしの前に敵として現れました。わたしがミリアムの黒トリガーを持っているだろうと言って拉致したんです。ですが逆に彼らを捕らえることができ、ボーダーは彼らを捕虜として扱いました。わたしはお世話係をしていたので彼らの事情を知ることができ、どうにかしてお互いに上手くいく方法はないかと考えたんです。その結果、キオンのスカルキ総統とボーダーの行動の目的が同じ方向を向いていることがわかったので協力することにしました。キオンは武力による近界統一ではなく、穏便な手段で平定していきたいので戦争はできるだけ避けたい。ボーダーは近界での戦争がなくなれば玄界への被害が減る。目指すものが同じでしたから手を取り合うことが簡単にできたんです。ハイレイン陛下が武力によって近界を統一しようと考えているならばいずれキオンも戦いは避けられないでしょう。もっとも彼らの方から戦争を仕掛けることは絶対にありませんが。そしてアフトクラトルとキオンが戦うのであれば、ボーダーはキオンを支援することになると思います。ボーダーはハイレイン陛下の考え方には賛同できませんから」
「それは矛盾していないか? 俺と仲良くしたいと言っておきながら、アフトとキオンではキオンの方を選ぶってことは俺たちを敵に回すってことになるだろ」
ランバネインは苛立ったのか声を少々荒げて訊く。
それに対してツグミは平然と答えた。
「矛盾なんてしていませんよ。わたしが近界民と仲良くしたいという気持ちは正直なものです。ですが戦争を望む相手とは考え方が違いますのでお互いに相手の意見に納得できずに関係は破綻するでしょう。ですがあなたやハイレイン陛下がボーダーの言葉に耳を傾けて考え方を改めてくれたなら敵にならずに済みます。アフトクラトルとキオンの確執については長い歴史があるようですから仲良くしろとは言えません。両国が手を結ぶというのは不可能であっても間にボーダーを挟んで良好な関係を築くことは可能です」
「ふむ…」
「ところでなぜ近界の国々は戦争をやめることができないんですか? 玄界の国々でも戦争をやっている国はありますけど、お互いの譲歩できる部分やできない部分をできるだけ話し合いで解決しようと努力はしています。でも近界の国々は話し合いの場を持とうともしないそうじゃありませんか」
ツグミが訊くと、ランバネインは答える。
「近界のすべての国は母トリガーによって形成され、生活のすべてがトリオンに依存するものだ。だからトリオンが大量に必要になる。トリオンってのは人間が作り出すものだから人間が多ければそれだけたくさんのトリオンが生み出されるんだが、なかなか人口は増えない。仮に増えたとしても大勢の国民の生活を維持するために広い国土が必要で、そうなると母トリガーからトリオンを大量に抽出して国土を維持しなければならなくなり、そのせいで母トリガーの寿命は短くなる。手っ取り早いのは他所の国を攻め落として従属させ、そこで生産される食料や奴らのトリオンを吸い上げる。そうすりゃ国力は上がり、軍事力も上がって別の国に侵攻して…を繰り返すんだ」
「今のアフトクラトルの姿ですね。でもキオンはその悪循環を断つ手段を模索し、同じ考え方をするボーダーと共闘することになりました。共闘と言ってもトリオン兵や武器を持ち出すのではなく、戦争を止めよう止めたいという国を一緒に説得して仲間にしていこうという戦いです。これは武器を使う戦いよりもはるかに難しいものだと考えています。それぞれの国にそれぞれの事情があってどのようなことをすればその国にとって最善の道なのか違いますから。そういった点では圧倒的な軍事力を行使して相手を押さえ付けてしまい、無茶苦茶な要求を突きつけて承諾させる方が簡単です。アフトクラトルのように従属国を手下にして第三国に侵攻させ、その上前を手に入れるという手段は楽ですよね。ボーダーはガロプラに本部基地を急襲され、大きな被害を出しました。ボーダーとガロプラには接点などなかったのに、アフトクラトルによって敵同士にさせられてしまいました。あの時は遠征艇を破壊されるというひどい目に遭ったものですから隊員たちは激怒し、一致団結してアフトクラトルへの遠征を最優先としました。そちらの想定よりもだいぶ早く遠征が決行されたのはそのためです」
ハイレイン隊にさらわれたC級隊員を救出すべくアフトクラトルへ遠征が計画されたが、それを邪魔しようとしてガロプラのガトリン隊が三門市へ派遣された。
ガトリンたちは本部基地地下にある遠征艇を破壊するという方法でボーダーの遠征計画を阻止しようと企てたのだが、迅の未来視によって本部基地襲撃は予知されていたのだった。
完璧な布陣で待ちかまえていたA級B級合同部隊が基地の外から攻撃する敵を、そして太刀川たちトップ攻撃手4人が本部基地内に侵入した人型近界民と地下格納庫前で激しい戦いを繰り広げた。
この防衛戦ではボーダーの勝ちとなったことでガトリンたちは結果を出せなかったために帰還することはできず、C級隊員を拉致してなりすまし「玉狛の新人は近界民だ」という噂を流す情報工作によって混乱させようと考えた。
しかしこの作戦も失敗し、結局ガトリンはボーダー側…というよりもツグミの提案した作戦に協力することになり、ハイレインを騙す大芝居を打ったのだった。
ガトリン隊がボーダーの遠征艇を破壊して遠征計画を遅らせることに成功したと嘘の報告をし、ハイレインたちが油断をしている間に遠征を行った。
もしボーダーとガロプラが手を組んだと知られたら怒り狂ったハイレインによってガロプラは従属国からさらに格下げされて、ガトリンたちは奴隷にされたことだろう。
だが知られることはなかったし、ツグミに与えられた「秘策」によってガトリンたちはアフトクラトルのトリガー使いに抑えられていたガロプラの母トリガーの奪還に成功した。
ボーダーの計画した罠にはめられたのだと知っていたら問答無用で前回に何倍もの規模で再侵攻するに決まっているから、このような事実があったことにハイレインはまったく気が付いていないようである。
「あん時は參ったぜ…。さらった雛鳥たちの居場所だけでなく限られた人間しか知らない地下通路のことまで知られてたんだからな」
「ヒュースを捕虜にしましたがアフトクラトルの情報は一切白状しないのでこちらも本当に困りました。でもエネドラの角を移植したラッド、通称エネドラッドはよほどハイレイン陛下に恨みがあるらしく、知っていることは何でもペラペラと喋ってくれました。おかげで誰ひとりとして負傷することもなく全員無事に帰還することができました。エリン家のご家族を誘拐したのはエネドラッドの要求です。ディルクさんが次の神候補だったそうですから、彼がいなくなればハイレイン陛下は困ったことになります。嫌がらせや報復としては最も効果のあるものになったでしょうね」
「ああ。おかげで兄者はミラを犠牲にしなければならなかった」
残念そうな顔をするランバネインにツグミは嫌味っぽく言い返した。
「つまりハイレイン陛下とあなたはボーダーの雨取隊員を捕まえて生贄にできれば万々歳だった…と言いたいのですね? ですがわたしたちにとっては彼女がさらわれなくて本当に良かったと思っています。ですがわたしはミラさんが生贄になったことを喜んでいるわけではありません。ただ無関係な少女があなた方の国のために犠牲にならなかったことを喜んでいるだけです。わたしは誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて望みません。でもこれは不可能なことであり綺麗事にしか聞こえないでしょう。ですが不可能だからと諦めてしまう前に何らかの方法がないかを考えることをわたしはやめたくありません。母トリガーのことだって寿命が尽きる前に代替わりをしなければならないことが近界の理だとしても、寿命を延ばす手段を考えてみることもせずに仕方がないと言うのはその人間の怠慢ではないでしょうか?」
「……」
「わたしひとりがいくら考えて頑張ってみたところで限度というものはあります。玄界の人間のわたしにとって近界のことはわからないことばかりです。でも近界のことなんて異世界なんだから関係ないと無関心でいればそこでおしまい。わたしはそうやって無関心を装うことはできません。だって玄界と近界は違う世界だと言っても繋がってしまっているんですから。近界民と仲良くなっていろいろなことを教えてもらい、知識を増やしていけば近界の理に挑戦できると考えていますので、かつては敵であった近界民とも積極的にお話がしたいと思うんです。わたしがあなたのお世話係に志願したのはそのためなんです」
ツグミの言葉にランバネインは耳を貸す意思があるからこうして彼女の突拍子もない話を黙って聞いてくれている。
これがハイレインのように自分のやり方が正しいと盲信しているのであれば一蹴されてそこでおしまいだ。
ランバネインの態度にツグミは手応えを感じていて、これから行われる会食と明日のイベントの成果では彼を味方にするのも不可能ではないと考えている。
ツグミはベルティストン家の兄弟を仲違いさせるためにランバネインを懐柔しようとしているのではなく、ハイレインの耳に彼女の意思や考え方が届くことを期待しているのだ。
もちろんハイレインが「武力による近界統一」の考え方を捨てないのであれば最終的に敵同士として再び相まみえることになるかもしれないが、その時には彼女と考えを同じくする仲間たちと共に全力で戦うことになるだろう。
「あなたはアフトクラトル政府の名代としてすべてを背負って来ているのですから、あなたの行動や発言がアフトクラトルの意思だと受け取られてしまいます。逆に言うとボーダー隊員であるわたしの態度がボーダーすなわち玄界の意思だと思われてしまいますから、わたしがうっかり粗相や失言をすればこれが玄界と近界の国々との関係を一気に破綻させてしまうかもしれないという重要な役割を自ら志願したのだと胸に刻んでいます。ですがだからといって気張ることなく普段の自分でまいりたいと思います。あなたも謝罪というお役目を無事に終えたのですから、玄界での滞在を楽しんでください」
そう言って微笑むツグミの顔を見て、ランバネインも同様に笑顔になった。
「わかったぜ。俺たちのやったことに対してボーダーが怒るのは当然だよな。しかしこっちが謝罪をしようと言い出して、それを突っぱねずに受け入れてくれた。これが逆の立場だったらアフトは絶対に受け入れることはない。仮に話は聞くとしても代価を要求する。近界では戦争での勝者はあくまでも勝者で敗者の言い分なんて聞く耳持たないし、許しを乞うなら相応の代価を要求してその上で話を聞いてやる。玄界侵攻は明らかな勝敗は決まっていないが、結果はボーダー側に有利なものとなった。そもそも俺たちが仕掛けておきながら叩き返されたのだし、続くアフトでの戦いでもおまえたちは犠牲を出さずに目的を果たした。こっちは散々な目にあったけどな。あれだけのことをしておいて負けた側の俺たちが謝って勘弁してもらおうなんて言い出すのは勝手過ぎるが、兄者は近界統一に向けて障害となるキオンとボーダーが手を組むことを最も恐れているから下げたくない頭を下げることにした。ま、本人じゃなくて俺に代役をさせているんだが、それでもアフトクラトルの国王が正式に謝罪したという形にはなった。そしてボーダーはそれを受け入れてくれて、これでやっと対等に話し合うことができる。俺もわざわざ遠くまでやって来た甲斐があるってもんだ」
「お互いに少しずつでも歩み寄ろうという気持ちがあれば希望が見えてきます。まずはこの後の会食であなたに玄界の文化が優れていて、それを欲しいと思ったら戦争などしなくても手に入る手段があるということを知ってもらいたいと思います。今日の料理は特別豪華なものというわけではなく玄界では庶民であっても口にすることができるものを用意しました。ヒュースとディルクさんはアフトクラトルに関する情報は一切教えてくれなかったんですが、ランバネインさんが来てくれるのだから最上級のおもてなしをしたいと言ってお願いしたら、肉料理とお酒が好物ということだけ教えてくれました。アフトクラトルでは個人の好みまで機密事項なのかしら?」
そう言って軽く首を傾げるツグミ。
少しあざといとは思いながらもこの方がランバネインに受けがいいと判断したのだ。
そしてそれは的中し、彼は楽しそうに大きな声を上げて笑う。
「ハハハ…そんなことはねえさ。ただあいつらはくそ真面目だからこれもアフトに関わることだからと喋らなかったんだろ。ああ、どんな料理が出てくるか楽しみだ」
「それに料理だけではなく他にもあなたが喜びそうなものを用意してあります」
「俺が喜びそうなもの?」
「はい。それは宿泊施設に着いてからのお楽しみです。そろそろ城戸司令たちがここへ来るでしょうから、少々お待ちくださいませ」
それから数分して準備ができた城戸たちがやって来て、タキトゥスの黒トリガーを使用して門が開かれる。
そして一行はその門をくぐって七尾市にある「RESORT HOTEL NANAO」に到着した。