ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
午後6時からランバネインを交えての会食が始まった。
定員の関係からボーダー上層部の城戸、忍田、鬼怒田、根付、林藤、唐沢、そしてディルクとマーナを呼び寄せ、主賓であるランバネインの合計9人が参加する。
ツグミ、迅、ゼノン、リヌス、ヒュースはホテル側のスタッフに別館から出て行ってもらったために厨房で調理した料理の配膳等の作業を行うことになっている。
ここはかつて娯楽室だった広さが約50平方メートルのフローリングの部屋で、通常はビリヤード台やカードゲームを楽しむための卓などが置かれているのだが、今回はダイニングルームとして使用している。
本来なら12畳の畳敷きの広間での食事になるのだが今回は事情があって特別仕様なのだ。
長方形の会場の上座にはコの字型にテーブルが置かれいて、ガスコンロの上に大鍋が載せられているものがふたつ、鉄板がひとつセッティングされている。
鍋の一方はすでに調理済のものが保温状態になっていて、もうひとつの鍋には昆布ダシが入っていて加熱されている。
鉄板にはまだ何も載せられていないがいつでも調理できるように準備はできているらしい。
そこにリヌスとヒュースが待機している。
司会進行はツグミの役目であり、9人のゲストに向かって挨拶をした。
「みなさま、お待たせいたしました。本日の会食の趣旨は
すると迅とゼノンがスパークリングワインの栓を抜き、9つのグラスに注ぐとゲストに配る。
その後にツグミたちスタッフ5人は同様のグラスにノンアルコールのシードルを注いだものを手にした。
「ここで城戸司令から乾杯のご挨拶をいただきたいと思います」
城戸がツグミからマイクを受け取って挨拶をする。
「ご指名を賜りました、城戸でございます。このように
「乾杯」
グラスを掲げて乾杯する習慣は
このホテルでは宿泊客の夕食は高級懐石料理もしくはフレンチのコース料理のどちらかを選んでそれぞれのレストランへ行って食べることになっているのだが、別館の客だけは別館専用の厨房で調理された料理が提供される。
だから客の好みに応じてどんなリクエストにも応じられる専属料理人がいて、その腕前は超一流だ。
この会食のメニューはツグミと唐沢で考えたもので、メニューの一覧を見た料理人は目を丸くしたがさすがはプロで、リクエストに100パーセント応えてくれたのだった。
テーブルには人数分の小分けされた料理の皿が並べられていて、刺身や天麩羅など好きなものを選べるようになっているのだが、メインの料理は「肉」である。
それは家畜を育てるためには大量の牧草や穀物が必要となるため、畜産は非常にコストのかかる産業となっていて、乳製品や卵など生活に欠かせないものはともかく食肉用の家畜を育てる余裕はない。
それでも一部の貴族など金持ち用には高級食材としての牛や豚などを飼育しているが、つい数ヶ月前まで
今では新しい「神」によって
そんなアフトクラトルの人間であるランバネインに「
それをきっかけにして彼が
もっともランバネインの好物が肉料理であることから肉料理メインにしたのだが、彼女が想像していた以上に彼の
主食はパンやオートミールで、上流階級の貴族や裕福な家庭では上等の小麦を使ったパンを食べることはできるが、庶民階級では品質の悪い小麦に大麦を混ぜた粉や大麦のみによって作られた黒っぽいパンしか食べられない。
大麦を粥状にしたオートミールを主食にする人も多くいて、そんな主食を補うものとして肉を食べるのだが、ここでも身分の差は大きい。
貴族や裕福な家庭では牛、羊、鹿、鶏肉などのローストやシチュー、鶏の丸焼きなどがよく食べられていたが、庶民階級以下の民草にとって肉はご馳走である。
それも塩漬けや燻製など長期保存ができるように加工されたものが多く、たまに森に狩りへ行って熊や鹿などの野生動物を手に入れた時くらいしか新鮮な肉を食べることはできない。
魚介類となると海のない国が多いためにリーベリーのような海洋国家なら頻繁に食用とされるものの、他の国では塩漬けや燻製、干物にされたニシン、タラ、サーモンなどを輸入することが多い。
また河川や湖沼で獲ったコイ、マス、パーチなどの淡水魚を食用としており、養殖を行って他国へ輸出している国もあるそうだ。
したがって生の魚介類をふんだんに使用した料理が並ぶなど
ランバネインは鉄板で地元のブランド牛を焼いているツグミのところへと真っ先にやって来た。
「焼き加減はいかがしますか?」
「焼き加減って、中までしっかりと火を通さなければ腹を壊すだろ? 少しくらい腐っていてもしっかり焼いてあれば大丈夫だ」
そして食中毒が細菌やウィルスによって引き起こされることを知らないため、何かあった場合は毒を盛られたか食材が腐っていたのだと考える。
この腐る、つまり腐敗も細菌類の作用によってタンパク質が分解して人体に有害な物質が発生することをいうのだが、この微生物の存在を知らないから原因もわかっていない。
ガロプラでガトリオンたちが起こした蜂起も料理にウェルシュ菌を混入したことで成功させたものだが、そんな細菌の存在を知らない
「たしかに十分に火を通せば安心ですけど、
「いや、おまえの言うことを信用しておまえのお勧めの焼き具合で頼もう」
「はい、承知しました」
ツグミは慣れた手つきで肉を焼き始めた。
ランバネインの来訪が決まると彼女はこのホテルの調理人から肉料理に関するレクチャーを受け、前日は料理の仕込みや下ごしらえを手伝っている。
だから板場で言う「焼方」を任されたのだ。
もちろんプロの手並みとまではいかないが、客に出しても大丈夫とお墨付きはもらっている。
さすがに刺身などを担当する「刺し場」や揚げ物を担当する「揚げ場」はそこまで手が回らないのでプロに頼んだのだった。
「ほう…なかなか手際がいいな。ベルティストン家の料理人よりも腕が良さそうだ」
「お世辞は好きじゃありません。でもこれを食べて美味しいと思ったら、その時に褒めてください。わたしの腕じゃなくて、この食材の素晴らしさを。…さあ、どうぞ」
ツグミはミディアムレアに焼き上がった「A3ランクの黒毛和牛サーロインステーキ」を一口サイズに切り分けた皿をランバネインに手渡した。
「まずは塩だけで食べてみてください。これはフランスという国の『ゲランドの塩』といって、和牛ステーキには良く合う塩なんです」
皿の端に盛った塩を少し付けてから口に肉を入れたランバネインは驚きのあまり目を大きく見開いて固まってしまう。
そして数秒後、口をもぐもぐさせて肉を飲み込むとツグミに向かって信じられないという顔で訊いた。
「これは本当に牛の肉なのか!?」
「はい。あなたが信じられないのはきっとこれまで食べたことのある牛肉は赤身の部分が多くて脂肪分が少ない肉なんでしょうね。
「いや、あまりの美味さに驚いただけだ。俺がこれまで食べた肉とはまったく違うもので、これはこれで気に入った」
「それでしたらまだたくさんありますのでお召し上がりください。今度はこのソースをかけて食べてみてください」
そう言ってツグミが取り出したのは市販の業務用ステーキソースで、醤油ベースのタレに刻みタマネギを炒めたものを加えた1000ミリリットルで600円というスーパーマーケットで普通に販売されているものだ。
ツグミに促されてソースをかけてから肉を口に入れるランバネイン。
今度も想定外だという反応が見られた。
「これも美味いぞ。このソースだがおまえが作ったのか?」
「いいえ。これは
「ほう…。
「ステーキをお気に召したようですが、他にもいろいろな肉料理を揃えておりますので、そちらもご賞味ください」
ツグミは自分のいる場所の右手にある大鍋を指して言う。
「あの鍋にはきりたんぽ鍋、その横にある少し小さい鉄鍋にはしゃぶしゃぶ用のダシが入っています」
「きりたんぽ? しゃぶしゃぶ?」
ランバネインには聞いたことのないメニューなので疑問符付きである。
「どちらもこの国の料理で、庶民でも普通に食しています。まずはきりたんぽをお試しください。…ヒュース、お願いします」
ツグミは鍋の番をしているヒュースに声をかけると、面倒くさそうな顔で彼は一人前を用意した。
「どうぞ」
ぶっきらぼうに椀をランバネインに手渡すヒュース。
やはり大規模侵攻の際の仕打ちについてまだ根に持っているようである。
椀の中には比内地鶏、長ネギ、里芋、舞茸、ごぼう、セリ、そしてきりたんぽが湯気に包まれている。
ランバネインはまず汁をひと口飲んでみると、これまで経験したことのない味と香りが口いっぱいに広がった。
「美味い!」
続いて鶏肉を食べて満足気な笑みを浮かべる。
「こんな美味い鶏肉を食べたのは初めてだ。柔らかくて、それでいて歯応えもある」
「
「つまり若鶏を使っているのか…。道理で美味いわけだ。それになんとも贅沢だな」
「
ツグミはリヌスが番をしている鍋の前にランバネインを連れて行くと、テーブルの上に並べられている豚の薄切り肉を菜箸で挟み、それを煮立っている鍋にくぐらせた。
続いてポン酢の入っている椀に入れ、鍋の中の白菜や水菜も入れて一緒に食べて見せる。
「豚肉はきちんと火を通さないと食中毒の原因になりますが、これはご覧のように薄切りですのでさっと湯通しするだけで大丈夫です。これはご自分でやってみてください。箸を使うのは難しいようですからトングを使うといいですよ」
ランバネインはトングで豚肉を挟むとツグミがやったように鍋に入れ、数回揺らして火を通すと自分の椀に入れる。
そして野菜も入れて食べた。
「うん、この酸味のあるソースがさっぱりしていていいな。脂の多い肉でもこうして脂を落として食べると胸焼けしないで済みそうだ。これなら何杯でもいけるぞ」
「こちらも好みに合ったようですね。まだたくさんありますので、席に着いてごゆっくりとお楽しみください。料理についてわからないことがありましたらわたしに何でも訊いてください。わかる範囲でご説明します」
「ああ。じゃあ、さっきの肉をもう2-3人前焼いてくれ」
「はい、承知しました」
ツグミは鉄板のある場所に戻り、ランバネインはきりたんぽ鍋をおかわりしてテーブルの席に着く。
そこにディルクとマーナがやって来て3人で話を始めた。
「ランバネイン様、ベルティストン家当主へのご就任、おめでとうございます。遅くなりましたがお祝い申し上げます」
ディルクが祝いの言葉をかけるとランバネインは機嫌がますます良くなる。
「ああ、兄者の面倒事を引き受けた代価だがな」
「それでもベルティストン家の当主であることに変わりはありません。今後はあなたへの忠誠を誓います」
「頼むぞ、ディルク・エリン」
すると今度はマーナが日本酒をランバネインに勧める。
「ランバネイン様、きりたんぽ鍋にはこちらのお酒が良く合うそうです。どうぞ」
ランバネインにぐい呑を持たせ、マーナがそこに日本酒を注いだ。
そして珍しいものを見るようにぐい呑の中を覗く。
「ずいぶんと透き通った酒だな。まるで水のようだ。しかし良い香りがする。これは何でできているのか知っているか?」
「米でございます。この国では主食とする米を使って酒を造る習慣があるようです。それだけ米がたくさん収穫できるということで、食文化に関しては
「ほう…」
マーナの説明を聞くと、ランバネインはひと口含んで味と香りを楽しむように舌で転がしながら飲んだ。
「これは…! なんともキリッとしていて清々しい。たしかにこの味なら鍋にも合いそうだ」
「しゃぶしゃぶにも良く合いますよ。わたしたちも普段からこのお酒を飲んだりこういった料理を食べております」
「それはずいぶん恵まれた生活をしているようだが、
ランバネインが声を潜めて訊くと、ディルクが首を横に振って同様に小声で答えた。
「そんなことは一切ございません。ボーダーの人たちは連れ去られたトリガー使いの子供たちを救出すべく情報収集をしたのですが、ヒュースがまったく口を割ろうとはしなかったためにエネドラの角をラッドに移植し、彼から情報を得たのだそうです。その見返りにエネドラはハイレイン陛下への嫌がらせとして私と家族を拉致するようボーダーに指示したということで、ボーダーの人たちはエリン家に対し何の恨みもありませんから、むしろ申し訳ないということで生活の面倒はすべてみてくれましたし、こちらの希望もできるかぎり叶えてくれました。おかげで非常に快適な生活を送ることができました」
「じゃあ、不便はしていなかったんだな? それを聞いて安心したぜ。正直言って俺は兄者の考えややっていることに反対だった。だが当主の命令は絶対だから従ってきたが、そのおかげで散々な目に遭ってきた。兄者も王になるために多くの犠牲を払ってきたことは承知していて、それについては後悔していることもあるらしい。それでも目的…
「そうだったんですか…。私もランバネイン様が自ら好んで当主になりたいと言い出すはずもなくおかしいと思ったんです。私もハイレイン陛下の
「ボーダーは兄者の考え方よりもスカルキ総統のやり方に賛同して味方につけたようだからな。キオンとボーダーが組んで敵となれば不利なんてもんじゃないぞ」
「そのとおりです。ただしアフト側が戦いを望まない限り戦争にはならないでしょう。それはアフトの軍事力に敵わないと考えているのではありません。
「……」
ランバネインの顔が青くなった。
彼は強い者と戦うことが大好きだが、その相手を殺したいのではない。
単純に自分の力と相手の力をぶつけ合って、相手を上回りたいというだけである。
だから戦争に参加するのも支配範囲を広げたいというハイレインと違い、敵となる強いトリガー使いと戦いたいからで、人が死ぬようなことはけっして望んではいない。
トリオン体で戦う
それなのに
「アフトは
「兄者を説得できないとアフトが滅びる可能性もあるということか…。俺もトリガーで勝負できない戦争はゴメンだ」
「
「なるほどな。兄者さえ考え方を変えればいいということか。しかしキオンのスカルキ総統はどう考えているんだろうか?」
「それなら問題はないようです。ツグミの話ですとキオンはアフトが足並みを揃えると約束するのであればもはや敵ではないと考えているらしいですから。以前にツグミがキオンへ行った際、彼女はスカルキ総統に大層気に入られたようです。ゼノン隊の3人もスカルキ総統の
「なんとなくわかる気がする。ツグミの言動には惹かれるものがある。もっともそれと同じくらい
「私たちもこちらへ来てから彼女にはいろいろな経験をさせてもらいました。捕虜ではなく客人なのだから
ディルクの話を聞いていたランバネインは
そして特段の根拠はないものの知りたいと思えばツグミが何でも教えてくれるという確信があり、ハイレインの命令ではなく自分自身の意思でボーダーとの良好な関係を築きたいと思うのだった。