ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ランバネインとエリン夫妻が歓談しているテーブルに唐沢がやって来た。
「
唐沢がランバネインに訊く。
「ああ。まだ肉しか食っていないが、これまで食べたものとはまったく違うものとしか思えない。おまけにこの酒、この料理に良く合う。さぞかし高級な食材を集めて俺を歓待しようというのだろうな」
「いいえ、そんなことはありません。今日の料理に使用している食材は我々庶民が普段から食べているものがほとんどです」
「普段からこんな美味いものを食べてんのか?」
「もちろん毎日ではありませんが、
「スーパー…マーケット…? ツーハン? サンチョク?」
「スーパーマーケットとは簡単に言うと肉や野菜、また調味料や保存のできる食品などあらゆるものを1ヶ所で購入できる大型店のことです。
「するとあの娘が材料を全部用意したのか?」
「そうです。調理はこの場で行うもの以外は専門の調理人に作ってもらいましたが、あなたの好物の肉料理は自分で仕上げたいと言っていました。そのために昨日はこのホテルの料理人にプロの調理を教わっていましたよ。楽しんでいただけているなら彼女も頑張った甲斐があったというものでしょう」
「そうか…」
「彼女はあなたに
「それは楽しみだ」
「とにかく今夜は料理をご堪能ください。もしよろしければ肉料理だけでなく魚介類や野菜を使った料理もどうぞ。この国では魚を生で食べることもできるんですよ」
「生魚だと!?」
「この国は周囲を海に囲まれている島国ですので昔から肉よりも魚を多く食べています。生では抵抗があるというのなら天麩羅など火を通したものもありますから。ああ、天麩羅とは小麦粉を主体とした衣で包み、油で揚げて調理したものです。これは
すると脇からマーナが皿を出した。
「ランバネイン様、これが天麩羅ですよ。この塩をつけて食べると美味しいです」
小皿の上には海老とイカとキス、そしてサツマイモとナスの天麩羅が載っている。
ランバネインは皿の隅にある塩を付けて海老の天麩羅をひと口食べてみた。
「おう…これはフリットに似ているが、油の質が良いのか軽くて美味い。それに中に入っている具材の旨味も良いがプリプリとした食感も良い。…この塩が旨味を引き出しているようだな。さっき肉を食べた時のものとは違う塩のようだが…」
ランバネインの疑問に唐沢が答えた。
「先ほどのものは岩塩という種類で、海底が地殻変動のため隆起するなどして海水が陸上に閉じ込められたり、砂漠の塩湖で水分蒸発により塩分が濃縮し結晶化したもの。この塩は海水の水分を蒸発させて残った塩分を集めたものです。肉料理には岩塩、魚料理には海塩が合うとされています」
「料理によって使う塩の種類が違うのか? …
感心するランバネイン。
異文化を知るなら「食」から入るのがベストだと考えたツグミの策は間違っていない。
最も身近なものであり、誰であっても美味しいものを食べれば幸せに感じるし、もっと知りたいと思うものである。
そんな唐沢との会話が終わると忍田、林藤、城戸と続けてテーブルに近付いて来てランバネインと話をする。
内容はアフトクラトルのことには一切触れずにいて、特に林藤は料理と酒をどんどん勧めて話が盛り上がり、城戸を呆れさせるほどであった。
そして宴会は2時間ほどでお開きとなり、本館の客室に宿泊する城戸と忍田以外の上層部メンバーとエリン夫妻とヒュースは帰宅した。
ツグミと迅とリヌスとゼノンは別館のスタッフルームに宿泊することになっている。
この部屋は通常別館の客のお世話をするためにホテルの専属スタッフが待機する部屋なのだが、今回はランバネインの正体がバレると取り返しのつかないトラブルとなりかねないのでツグミたちが代わりをすることになったのだ。
といっても特に仕事があるわけでもなく、どちらかといえば監視の意味の方が強い。
あえて言えばこの4人はこれから交代で温泉に入って寛ぐことができるため、彼女たちにとっての「慰安」となる。
◆◆◆
「ツグミ、話したいことがある。30分くらいでいいから時間をくれないか?」
そう言って忍田はツグミを電話で呼び出した。
ランバネインは酔っ払ったことで早々に寝室へ入ってしまったから明日の朝まで彼女は特にこれといってやることはないので、忍田の誘いにすぐ応じた。
ツグミは場所を別館の茶室に指定し、湯を沸かして忍田の到着を待つことにしたのだった。
本館から別館へとやって来た忍田は茶室のにじり口から中へ入る。
「待たせたか?」
「いいえ。お茶の支度をするのにちょうどいい時間でした。さあ、どうぞ。そちらにお座りください」
忍田はツグミの指示に従って正面に正座した。
するとツグミは流麗な仕草で茶を点てる。
それを感心した顔で見ている忍田。
「茶道の作法なんていつ覚えたんだ?」
「大規模侵攻のすぐ後くらいです。唐沢部長の外務・営業の仕事のお手伝いをすることになりましたので、最低限の知識やマナーを覚えました。唐沢部長が知り合いのお茶の先生を紹介してくださって。今のあなたは忍田本部長ではなく真史叔父さんとして来ているのでしょうから、作法など気にせずに寛いでかまいませんよ。楽にしてください。…どうぞ」
ツグミは茶碗を忍田の前に置き、それを手にした忍田は少し迷った末に茶碗を回して口をつけた。
そして飲み干すと、穏やかな顔になって言う。
「そういえば美琴姉さんも茶道を習っていたな…」
「そうらしいですね。だから常に懐紙を持っていて、わたしが小さい時にお菓子を食べては欠片を零すものだから膝の上に懐紙を広げて敷いてくれました。その習慣のせいか、わたしも日常的に懐紙を持ち歩いているんです。さあ、お菓子もどうぞ。これはさっきの会食で出たデザートの残り物ですけど」
そう言って懐紙の上に載せた羊羹を勧めた。
その所作が在りし日の美琴にそっくりで、忍田は
(私の知らないところでツグミは成長している。私に頼らずとも自分の力で、また必要とあれば適任者を見極めて頼る。これでは父親としての役目を果たせていないな。織羽義兄さんや美琴姉さんには申し訳ない。しかしもし私が普通の父親としてこの子を育てていたら、ここまで成長しただろうか? 私が頼りないから自分の力で何とかしようとして今に至るのであれば、これが最適解だったのか?)
迷いを吹っ切るためにツグミと話をしようとしていた忍田だが、さらに迷いを深めてしまったようだ。
それが表情に顕れたのか、ツグミは自分用の茶を点ててひと口飲んでから訊く。
「真史叔父さん、こんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、あえて訊きますね。…わたしは忍田真史の娘として失格ですか?」
「え? 突然何を…? どうしておまえが娘として失格だと考えるんだ?」
「だってわたしは忍田真史の娘よりもボーダー隊員の立場を優先し、そのせいで『一緒に暮らす』という家族としての基本を守ることすらできていません。それに
すると忍田は焦って言い訳のようなことを言い出した。
「いや、おまえのことを娘失格だとか不合格な娘などとは一度も思ったことはない。むしろ私が父親らしいことをしてやれないのに立派に成長したと喜んでいるくらいだ。不合格というのならそれは私の方だ」
「真史叔父さんは父親としての役目は立派に果たしています。実の娘でもないわたしを誰にも真似できないほどの愛で包んでくれて、何不自由なく育ててくれました。そうでなければわたしがこうしてボーダー隊員を続けていられるはずがないんです。わたしはあなたの娘で幸せだと心から思っています。だからこそ大事なことをいつまでも隠していられない。今日はあなたのお話を聞くだけでなく、わたしの話を聞いてもらいたいと思います」
「それなら先におまえの話を聞かせてほしい。たぶんそれで私の迷いが消えるはずだ」
忍田はツグミが自分に隠し事をしているような気がしていた。
それでいて城戸や唐沢たちには相談事を持ちかけていて、自分が頼りにされていないと不安になっていたのだった。
しかしここでツグミ本人が打ち明けてくれるとなれば心のモヤモヤが消え、これからどのように接していけばいいのかわかると信じている。
「わかりました。これから話すことはボーダー本部長として、またわたしの父親としてのふたつの立場で聞いてください。そして最後まで冷静に聞いてください」
「わかった、どんな内容であっても黙って聞くことにしよう」
忍田の力強い言葉に安心し、ツグミは自分がエウクラートンの次期女王候補であることを説明した。
以前に織羽がリベラートの息子であって王家の血筋であることは告げていたものの、女王候補だということは内緒にしていた。
内容が内容だけに隠していたことを叱られるのは覚悟していたのだが、忍田は何も言わなかった。
それはあまりにもショックなことであったため放心状態になってしまったからだ。
アフトクラトルの国王やキオンの総統のように元首には誰でもなることは可能だが、
特にこの役目は女性に適性がある場合が多く、一族の女性が担うことになる。
しかしエウクラートンでは王家の婚姻に厳しいルールがあり、そのせいで現在はツグミ以外に女王になれる適性を持つ者がひとりもいないという状況であった。
仮にツグミの存在がエウクラートン側に知られることがなければ、現女王が倒れた時点で
それだけ重大な立場であったことを知らされたのだから、忍田の反応は無理からぬことである。
もっともそれ以上にショックだったのはこの話を城戸と迅のふたりは知っていたということで、父親である自分が後回しにされたことでひどく落ち込んでしまったのだ。
ツグミが立てた2杯目の茶を飲みながら気持ちを落ち着ける忍田。
その様子をツグミは申し訳なさそうな顔で見ていた。
「もっと早く報告すべきでしたが、これは先送りできる問題であり、それよりも早急にやるべきことがあったためにそちらを優先してしまいました。だからそれについては謝罪します。でも城戸さんとジンさんにだけ話したことについては理由がありますし、真史叔父さんに話さなかったことについては妥当な理由がありますから謝りません」
ハッキリと言うツグミに対し、いつもの忍田なら怒鳴りつけただろうが今日の反応は違っていた。
「それは私が本部長として下すべき判断に対して父親という私情を挟むからか?」
「あ、はい…。自分でもわかっていたんですね?」
驚くツグミに忍田は正直に話した。
「実はさっき風呂に入った時に唐沢さんから言われたんだ」
忍田は唐沢から指摘されたことを説明する。
「おまえが何か隠し事をしているような気がしていたが、それは私が頼りない人間だから相談せず、頼りがいがある城戸さんや唐沢さんにだけ相談するのだと嫉妬さえしてしまったバカな人間だ。だからこれで私は公私混同が激しく、ボーダーにとって必要なことであっても父親としての私情を挟むから、最近では何も相談してもらえなくなったのだとはっきりと理解できた。それにこんな重要なことを相談したくても忙しい私に気を遣ってくれていたのだろ? 今はお互いに市民救出計画のことで全力投球していてプライベートなことで気を散らせたくなかったのだという理由も当然のこと。原因は私が父親として未熟であったためだ。親とは子供のことを守り、慈しみ、大切に育てる存在であり、そのためには子供のすべてを把握していなければダメだと思い込んでいた。しかし子供と言っても一個の人間であり、私とおまえは別人格を持つ人間で、すべてわかり合えるものではないのだとわからずにいた私がバカだったのだ」
「……」
「おまえがエウクラートンの次期女王候補だという事実も受け入れがたいが理解した。しかしそれはおまえが女王になることを認めたということではない。おまえの身体に王家の血が流れているとはいえ、おまえ自身はこちら側の世界で生まれ育ったのだから
「それはわかります。城戸
「それはどういう意味だ?」
「単純なことです。ボーダー本部基地の地下に
「………なるほど、そういうことか!」
「それに現状では不可能なことですけど、三国同盟締結とそれに続く技術支援、
「長く厳しかった旅、か…。言い得て妙だな」
「もちろん旅を続けたいという人が多いならその人たちに任せてしまってもかまわないですけどね。その時のためにもわたしたちは正しく進まねばなりません。後進の育成は大事ですが、彼らのために何を残すかも重要です。それを考えたら忍田本部長及び真史叔父さんへの報告が遅れてしまうことになり、そのせいで真史叔父さんに不要な心配をかけてしまいました。でもすぐに話をしたら絶対にダメだと言ったきりで、その後いくら話をしようとしても聞く耳を持たなかったでしょう。でもこうして先のことを考え計画性を持って行動しているのだと順を追って説明すればわかってもらえます。だから報告するタイミングは間違っていなかったでしょ?」
「そうだな。そして城戸さんが父親として娘を信頼し、おまえもあの人の公私混同しない性格を頼りにしていたことも理解できた。しかしこれもある意味公私混同ではないのか? 自分のためにボーダーを利用しているように思えるが」
「それは公私混同ではなくwin-winの関係と言うんです。ついでにwin-winの関係というと二者の間に成立して双方が満足すれば良いと思いがちですけど、そのために第三者が『lose』になってしまってはダメです。だからわたしは『total win』を目指しています。とても難しいことですけど不可能じゃありませんから」
そう言って微笑むツグミの顔は忍田が今までに見たことがないほど大人びて見えたのだった。
それから1時間ほど父娘としての会話をし、明日からはまたしばらくボーダー本部長と防衛隊員としての関係に徹することを約束した。
ツグミにとって最善の未来のために今最優先ですべきことはアフトクラトルとの関係をこれ以上悪化させないことであり、ハイレインに軍事力による
ランバネインを味方にし、その流れでヴィザをハイレインから引き離すという一見遠回りなやり方だが、これが一番確実で安全な方法であることは明らかだ。
明日はその正念場とも言うべき日であり、朝から大忙しとなるだろう。
忍田もそのことを理解しており、本部長として、同時に父親として「無理をしない程度に好きなようにやれ」とエールを送ると自分の部屋へと戻って行った。