ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミたちがエウクラートンに到着した翌日、リベラートによって緊急招集された臨時議会が開かれ、ツグミは内容の説明のために議会へと呼ばれた。
ボーダー側で用意した同盟締結のための条件は
たとえば「人権」という言葉は詳しいことはわからずとも誰でも聞いたことはあるのだが、
「近代憲法の不可欠の原理」として「生まれながらにして当然に人間としての権利を有する」というごく当たり前な考え方であるが
それが長い歴史の中で「人間は人間らしく生きるための権利を生まれながらに持っている」という考え方を持つに至り、現在では人種や性別、宗教、政治上その他の意見、社会的出身などのいかなる事由による差別を受けることはないと国際的に承認されている。
しかし
おまけに国会議員となっている人間は選挙で選ばれたのではなく世襲制の領主であるから、支配する側の人間である彼らが人権というものを認めてしまうと自らの存在意義を見失ってしまうことになるというもの。
だから議場内ではツグミの説明を聞くと明らかに納得できないという顔の議員たちがざわめき始めた。
(これくらいは想定済みよ。
ツグミは数十人の大人たちの非難をするような視線に臆せずに話を続けた。
「みなさんが
そう言うとツグミはこれ以上ないという笑顔で言い放った。
「ではわたしが女王に即位したら、みなさんの支配者として命じることにしましょうか」
「……」
議場内は一瞬静まり返り、ツグミの言葉の意味を理解した者から順に顔面蒼白になったり、頭を抱えて机に突っ伏したり、言葉を失って固まってしまうなど壇上にいる彼女からみると滑稽な反応をしてしまう。
議員たちが自分の既得権益を守るための根拠としている「身分」と「権力」がツグミによって利用されてしまうというのだから慌てもするだろう。
エウクラートンでは女王を頂点とした封建制を基本としていて、女王の意思が国の意思となるのだ。
封建制とは君主の家来である諸侯たちが君主に与えられた土地を領有してその土地の人民を統治する社会・政治制度であり、諸侯たちは領有統治権の代わりに君主に対して貢納や軍事奉仕などといった臣従が義務付けられている。
その
そうなると当然女王も平民も人としては同じということになるが、
身分の差はなくなっても女王はこれまでどおりに国民から必要とされる存在であり続けるだろう。
結果的にこの議場にいる議員たちが既得権益を失うことになり、それとは逆に領民たちがいくつかの権利を与えられることになる。
現在の女王の年齢と健康状態を考慮するとツグミが女王に就任するのはそう遠くない未来であることは誰もが承知していて、彼女の心証を害することは身の破滅であると理解できたものだから、議員たちはいつの間にか借りてきた猫のようにおとなしくなってしまったのだった。
彼らはツグミが唯一の女王後継者であることは認識しているが、彼女が積極的に女王になろうとは微塵も思っていないことを知らない。
だからこの「女王に即位うんぬん」の言葉はハッタリであり、それがバレたらこの手段も効果はないのだが、この様子なら大丈夫だろうとツグミは手応えを感じていた。
しかしこのままでは彼女の理想とする世界とは違うものとなってしまうため、議員たちに納得してもらう説明を続けることにした。
「ここにいらっしゃる議員のみなさんはこの場にいれば王家の臣下ですが、地元に帰れば領主という権力者になります。ですがそれは領主の嫡男として生まれたから今の地位を
「……」
「みなさんが領内では好き勝手やっていらっしゃる…などとわたしは考えておりません。リベラート殿下の耳に入ってくる情報によるとどの領地でも特段の問題は生じていないようで、この封建制というシステムが上手く作用しているということがわかります。ですからわたしも現状を否定しているのではありません。ですがみなさんが良き領主でいるのは自分の立場を守るためですか? それとも領民たちを自分の家族のように大切に考えているからですか? …まあ、先ほどの反応を見ると前者なのだろうなと思ってしまいます。だって貴族である自分と領民が平等であるなどと認めたくないという感じでしたもの」
「……」
「これまで何百年も続いてきた価値観を否定して新たなものをすぐに受け入れるなんて無理なことはわかっています。戸惑うのは当然です。ですが頭から否定するのではなくこういった考え方があり、それが
そんな不安を掻き立てる言い方をするツグミ。
もちろんそれだけでは終わらせるはずがない。
「みなさんは何を不安に感じているのですか? もし民主制という政治システムを導入したとしても国会議員は選挙、民意で選ばれるシステムですから
他人事のように言うが、将来女王となるツグミからそんなことを言われたら「領民から慕われる良き領主」でいなければならないと考えるのは当然だ。
権力によって弱者を支配している領主たちがだ、それ以上の権力者 ── 女王から支配されている事実があり、ある意味中間管理職的な位置関係になる。
領民に対して高圧的な態度で接すればおとなしくさせることはできるだろうが、いずれは領民も我慢ができなくなって
そうなった場合、領主やその家族が命を狙われる恐れがあり、その事実を女王に知られてしまえば領地の管理には不適格だとして領主を解任させられてしまうことも考えられる。
賢い人間なら既得権益を守ろうとして現状維持を望むことですべてを失う可能性があると理解し、領民に対して良き領主となって信頼を得ることで今の立場を維持した方が
ツグミは別に民主制を広めたいわけではなく、生まれついた貴族だという立場にあぐらを掻いている領主たちに「そんな考え方でいると自ら身を滅ぼすことになりかねない」とお灸をすえたのである。
もちろん彼女にとって領主たちがどうなろうとも関心はないのだが、愚かな領主のせいで苦労する罪のない領民たちのことを思うとこの機会に説明しておくべきだと判断したのだ。
そして
「人は生まれながらにして平等である」という考え方が即近代化につながるわけではないが、ごく一部の特権階級の支配する世界では市井に埋もれた才能を見付けることはできず、せっかくの才能も見出されないままで消えていくようであれば進歩は望めない。
議員たちに考える時間を与えるために一旦休憩とし、1時間後に議会を再開することになった。
ツグミが次期女王候補なのは揺るぎない事実である。
封建制の象徴ともいうべき存在である彼女を敵に回したら身の破滅となることを理解したものだから、議員たちは積極的に彼女の言葉に耳を傾け議会の後半はスムーズに進んでいった。
◆◆◆
議会での手応えを感じながら、ツグミはリベラートと共に政庁内の廊下を歩いていた。
「ツグミ、おまえの『わたしが女王に即位したら、みなさんの支配者として命じることにしましょうか』というひと言がだいぶ効いたらしいな。あの時の議員たちの顔は真っ青になっていたぞ。私はおまえの本心を知っているから動揺はしなかったが、彼らは事情を知らない。だからおまえの機嫌を損ねないようおとなしくなっていた」
「わたしが女王にならないと言えば困るのは彼らですからね。それに
前回の訪問でトリオン以外のエネルギーの重要性を教えられたことで
「理由はともかく後半の説明はわたしの言葉にきちんと耳を傾けてくれたようで安心しました。ボーダーが進める同盟においては国の規模や軍事力などに関係なくどの国も対等な立場で対話をすることを基本とし、お互いに必要なものがあれば可能な限り便宜を図ることや、同盟国が非同盟国との戦争に巻き込まれそうになった場合はいち早く駆け付けて
「わかった。…オリバはかつてエウクラートンの守護者として命懸けで戦ってくれた。そしてそれだけではなく20年の歳月を経て、こうして新しい守護者となるおまえをこの世に送り出してくれた。そのオリバが私の息子だとはなんと誇らしいことか…。ところが私自身はこの国に対して何もできずにいた。それがずっと心の重荷にもなっていたのだが、おまえが私に会いに来てくれたことで私が果たした役目を教えてもらうことができた。私は祖国の守護者の父であり、祖父であったのだ。それこそが私がこの世に生まれた意味であったのだと知ってとても気持ちが楽になった。だからおまえにはこの国の女王になってもらいたいという気持ちと、そんなしがらみとは無縁の自由な世界に生きてもらいたいという気持ちの板挟みになっている状態だ」
「殿下…」
「おまえは正しいと思えることを自分で判断し、自らの意思で行動する力を持っている。だから私はおまえに強要はしない。おまえがしたいようにすればいい。なにしろおまえには女王がいなくても問題のない国にする策があるのだから、おまえが成果を出して見せれば国民は納得するだろう。女王陛下もおまえの幸福を願っているのだから、無理強いはせずにおまえの意思に任せるはずだ。そのために時間がかかってもかまわないから女王陛下と話をしてきなさい」
「はい、わかりました。では、行ってまいります」
ツグミは自分の進む先にたくさんの障害があることを承知していたが、それ以上に期待をしてくれている人や協力してくれる人が大勢いることも知っている。
それはこれまでの彼女の行動の結果によるものであり、彼女が「守りたい、大切にしたい」と思えるものが増えたからだ。
1年前にはその存在すら知らなかった国の
なにしろ彼女の行動にはしっかりとした1本の信念があるものの、彼女を取り巻く環境が大きく変わってしまったことで分岐点が無限に増えてしまい「実現する可能性の高い未来」が深い霧の向こう側に隠れてしまったのだ。
そしてツグミ自身は霧の向こう側に必ずあると信じている「自分の理想の未来」のために迷うことなくしっかりとした足取りで前に進んでいる。
だから周囲の人間は彼女の目指す先に自分たちにとっても幸福になれる未来があるのだと信じて彼女を応援したくなるのだろう。
リベラートは孫娘の後ろ姿を見ながら心の中で呟いた。
(ミリアム…私はツグミに昔のきみの面影を重ねてしまう。姿だけでなく生き様が似ているからなのだろうな。自分の信念というものをしっかり持っていて、その信念を曲げるようなことは頑として聞き入れない。かと思うと他人の心情や立場をきちんと踏まえた上で譲歩し、いつの間にか反対していた者を自分の懐に取り込んでしまっている。そんなところも良く似ているな。しかしあの子はきみよりもはるかに理性的だ。私ときみは許されない恋をしてしまい、そのせいできみとオリバを不幸にしてしまった。王族の私にはきみを幸せにする力がなかったというのに、その場の感情に流されてしまった。もしツグミがきみと同じ立場であったら違う道を進んだと思うのだ。あの子にはジンという恋人がいるのを知っているだろうが、彼がエウクラートンの皇太子であの子が庶民の娘だったとしたら私たちのような悲劇にはしなかっただろう。あの子なら王家の規則に反することをするのではなく、規則が現状にそぐわないのならそれを正してからと言って衝動的な恋をせずに周りの人間を説得して規則を変え、そして誰からも祝福される結婚を目指しただろうな。だからこそ女王後継問題についても現状にそぐわない規則だから変えるのだと言っていて、そのために奔走している。だからまだ女王になるともならないとも断言はしていないのだ。現状のままであれば彼女は首を縦に振らないが、規則を変えた後ならきっとこの国を救ってくれる。きみもそう思うだろ? だから私はあの子のためにできる限りのことをしてやるつもりだよ)
リベラートはミリアムとオリバの分までツグミを幸せにしてやろうと改めて心に決めたのだった。