ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミは睡眠以外の空いている時間をすべて女王のために費やしていた。
彼女はエウクラートンに到着してすぐに女王のいる神殿へ向かったが、女王は彼女の顔を見たとたんに腰掛けていた椅子から立ち上がった。
前回の訪問では介助なしに立つことはできなかったというのに、今ではひとりで立ち上がることができるようになっていたのだ。
感激のあまりツグミの方へ近寄ろうとするのだが、さすがに歩行まではできないようで、一歩前へ出ようとして足を踏み出すがバランスを崩してしまう。
ツグミは駆け寄って女王の身体を支えてゆっくりと椅子に座らせると優しく諭した。
「お元気になられた姿を見せたいという気持ちはわかりますが無理をしてはいけません。それにわたしにはあなたが真面目に医師の指示に従って治療に専念してきたことはわかっていますから。前にお会いした時よりもお肌にハリが出てきていますし、体重も少し増えたようですね。そしてなによりも声が弾んでいて、お化粧までしているくらいですから活力が戻りつつあるということは良くわかります。せっかく頑張ってここまで積み重ねてきたものをうっかりで台無しにしてしまっては目も当てられません。わたしもあまり長居はできませんが、滞在中はできるだけおそばにおりますのでわたしを頼ってください」
ツグミの言葉に女王は涙を浮かべた。
そんなこともあって、ツグミは女王の健康には親しい者とのコミュニケーションが一番効果があると考えて可能な限り一緒にいることにしたのだ。
女王はツグミのことを知りたがり、ツグミは三門市での日常についていろいろ話をしたのだが、その中でも特にキオンやアフトクラトルの一度は敵にもなった
また観光という概念もないから他国を訪問しようと考える者も現れないため、大多数の
おまけに女王は生まれてから一度も首都ニネミアの外に出たことがないというから、ツグミが話す外の世界のあらゆるものが珍しくて興味深いものとなる。
自分が女王に就任してからの年月を振り返れば、若くて自由を謳歌しているように見える彼女に一国の王という重責を強いることは罪のような気さえしてきてしまったのだ。
生まれついて女王になるようずっと教育されて、それが当然だと考えていた自分でさえ孤独で寂しい思いをしたのだから、これまで大勢の友人や家族に囲まれて自分のやりたいことをしていた少女には辛すぎる。
初めのうちは楽しそうにツグミの話を聞いていた女王は次第に胸が苦しくなっていき、顔からは笑みが消えてしまっていた。
その様子に気付いたツグミが女王に訊く。
「ご気分が優れないのであればわたしは下がります。少し身体を横にしてお休みになった方がよろしいのではありませんか?」
「いや、そうではない。…ただそなたの今の暮らしがとても満ち足りていて幸せそうに思えたもので、この国のためにその身を捧げよなどと言えなくなってしまったのじゃ。他に女王となる資格のある者がいない以上はそなたになってもらうしかないのじゃが、そのためには今の暮らしを捨てさせることにもなる。そなたにとっては
するとツグミが困ったような顔で答えた。
「女王陛下が自分の辿って来た道をわたしに強いるのが申し訳ないという気持ちは理解できます。同じような寂しい思いをさせたくはないというお優しい気持ちも良くわかります。ですが新しい
「……」
「それに以前にもお話したように、わたしは女王になることを拒んではおりません。それが必要なことであれば受け入れる覚悟はあります。ですが今の王家の規則にはいくつも妥当ではないと思われる点があり、そこを改善しないうちは納得できませんので絶対に女王にはなりません。わたしはエウクラートンだけでなく
「……」
「『女王は神格であって人間ではないから、女王に就任する前に結婚して次期女王となる女児を産んでから女王の座に就かなければならない』とか『王族の人間は配偶者の身体に問題があって子供ができないとしても離婚や再婚ができない』とか、そんなことを言っているから今のような事態になったのではありませんか? たしかに女王陛下はその規則に従って女児を出産してから女王になりましたが、後にその子が死んでしまったから次期女王候補者を失ったのです。再び子供を産むことができたらその子が後継者になれたはずなのに夫君もお亡くなりになってしまい、女王は人間ではないからといって
「……」
「だからわたしはこの国の規則を変えることに決めたのです。
「……」
「それに女王を神格とするからバカバカしいことになるのです。神だから神殿の中にいて外には出られないとか、世話をする最小限の人間としか接することができないなんて規則になってしまうのではありませんか? これが『女王も人間である』という考えになれば、あなたは神殿の外に出ても、誰かと会って話をすることも自由にできるようになります。別に俗世の人間と交流があるからという理由で
ツグミにも女王が悪いのではないとわかってはいるが、責め立てるような言い方をせざるをえない。
なにしろエウクラートンでは女王が最高権力者であり、彼女のひと言で国会の決議であってもひっくり返るくらいなのだから、彼女が現状を変えようとする意思と勇気があればここまで追い詰められるようなことはなかったのだ。
仮にツグミが彼女の立場であったならただ黙って何もせず心身共に病んでしまうようなことはありえず、状況が悪化する前に何らかの対処をしていたことだろう。
だからこそ歯がゆいというか、苛立ってしまうためについ言葉が強くなってしまう。
何も言い返さずにじっと黙って聞いている女王からは自らが不幸を招いてしまった原因であり、責められても仕方がないのだという様子が見受けられた。
「これまでの慣習を変えることは簡単なことではありませんが、わたしにとっては自分の人生がかかっている大事なことですからわたしは必ず変えてみせます。まあ、わたしはこのエウクラートンの生まれではないのでこの慣習を不自然なものと感じ、受け入れられないから言えることなのでしょうけど。…今ならまだ間に合います。あなたの行動ひとつでエウクラートンの将来は大きく変えることができる。そんな立場にあるのですから、今すぐにでも考えてみてください。先ほどわたしを女王にするのは忍びないとおっしゃってくださったお気持ちが本物であることはわかります。それならわたしと一緒にこの国を変えましょう。誰かひとりにすべてを押し付けるのではなく、国民ひとりひとりが公平に立場に見合った役割を持つ国にしましょう」
女王は生まれた瞬間に人生を決められていて、それを不満に思うことはあっても当然のことなのだからと受け入れてしまっていた。
それは周囲の大人たちから植え付けられた間違った「真理」で、彼女が幼かったこともあって仕方がなかったことだと言えば否定できない。
しかしこの危機的状況に陥ってなお慣習を改める様子のない
自分の将来のこともあってツグミは必死になってエウクラートンを変えようとしている。
この「改革」が成功すればエウクラートンの女王継承問題だけでなく
各国の歴史や文化を尊重しつつも、
それが
その彼女が幸福だと考える未来は誰にでも理解できる「家族や友人に囲まれて穏やかな日々を過ごす」という単純なものであり、彼女は自分だけでなく周囲の人間にも同じように幸せになってもらいたいと願っているから彼女には多くの
女王もまたツグミの正直で迷いのない言葉に心を動かされ、自分が女王の
◆◆◆
既得権益を持つ者はすぐに「前例がない」という言葉を持ち出して、新しいことを始めようとする者の前に高い壁となって立ち塞がるものだ。
いや、既得権益を持つ者だけでなく成功するかどうかわからないことに挑戦するのは誰でも尻込みするが、それをツグミは「怠惰」だと言う。
これまでどおりにしておけば良いことはないが悪いこともないという現状を容認してしまい、変化を求める者に対して障害となる。
たしかに新しいことに挑戦して成功するとは限らず、失敗した時のことを考えればこのままでいいと考えてしまうのは無理もないのだが、単純に何もしないのが一番楽だからだ。
エウクラートンにおいてはこれまで何百年も続いてきた慣習に対し、王族は「当然のこと」、領主たちは「既得権益を守るため」、下層階級の人間は「どうせ何も変わらない」「特に悪いことがなければ黙って従っている方が楽」といった考えでいるために皆が「現状維持」を望んでいる。
もちろんこれはエウクラートン国民が望んでいるのだから外部の人間が口を挟むものではないのだが、ツグミとしては自分が女王に祭り上げられそうになっているのだから当事者として意見を言うのは当然だし、女王という最高権力者になるのだからその力を利用しない手はないと考える。
女王にはならないと言えば簡単に片付いてしまうものだが、何もせずにエウクラートン国民を苦しめるのは彼女の性に合わない。
最後までジタバタ足掻いてダメなら諦めもするが、何もしないで見過ごすとなれば後悔するのは間違いないのだからやれるだけやろうというのが彼女の覚悟であった。
「前例がないのならわたしが前例を作ってやる!」というのが彼女の信条なのだから。
そんなツグミの気持ちは彼女に近い者たちから次第に伝播していく。
もっとも彼女が次期女王候補という事実が後押しとなっているが、それ以上に彼女の前向きな姿勢に魅力を感じて期待をしたくなるのだ。
リベラートは自分の孫娘であり、それが愛しいミリアムと自分の息子オリバの娘だから無条件に味方になる。
女王は自分の孤独を癒してくれただけでなく、残り少ない人生であっても自分の好きなように生きてもかまわないのだと言ってくれたのだから、今度は自分が彼女の力になってあげたいと思う。
そうなるとエウクラートンでの障害となるのは領主たちなのだが、彼らにとってツグミは敵側の人間ではない。
領主たちは自分の領地に戻れば一番の権力者であり、規則も彼らが決められることになっている。
年貢については領民から徴収した分と国に納める分の差が自身の収入となるため、領民から法外な量の年貢を要求すれば領主自身は豊かになるが、領民が疲弊して生活が苦しくなって別の土地に逃げ出したり死んでしまったりするために無理はできない。
したがってどの領主も領民を生かさず殺さずの状態にしていて、それが何百年も続いてきたから領民たちも自らの出自を呪うばかりであった。
この状態は領主にとって悪くはないから変化を望まないでいるし、むしろ何らかの変化が生じて今の生活を失うことにでもなれば目も当てられない。
だからツグミの改革案は彼らに受け入れられないのだが、やり方によっては彼らにとっても充分にメリットがある。
そうやって領民の支持を得ることで政治体制を民主制に移行したとしても、領民たちから選挙で選ばれた領主が国会議員となって結果は今と変わらない。
もちろんこれまでのような世襲制ではないからロクでもない領地経営をしていれば支持を失ってしまうが、そうなりたくない領主は領民に対して尊敬に値する人間を
そしてそれが上っ面だけであっても領民の暮らしが楽になるのなら結果オーライで充分なのだ。
議会の2日目、議員の4分の3の賛成でボーダーが提示した同盟締結の条件を受け入れることに決定した。
ツグミを敵に回してはいけないことが理解できたことと、現在の立場を維持する方法があるとわかれば彼女を利用しようとするのは自然な流れだ。
こうなるようにツグミはアメとムチを上手く使用していて、今回も海千山千の男たちを手玉に取ることに成功したのだった。
ただし100パーセント納得したというわけではなく、エウクラートン側からもいくつか条件を出されていた。
もちろんこれもツグミの想定内のことであり、キオンから出されるであろう同様の条件を含めて再考することになる。
この再考するという点がポイントで、ボーダー側が一方的に押し付けた条件ではなく、自国の状況を鑑みた内容を提示して当事者間で認め合うことが重要なのだ。
ツグミはこの同盟の大原則として「相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉」を謳っており、この絶対に譲れない原則はエウクラートンがキオンと同等の力を持つために絶対的に必要であった。
現在のエウクラートンはキオンの従属国ではないものの現状はそれに近いものがあって、キオンの食料のほとんどがエウクラートン産のものであり、キオン国民の胃袋を満たすためにエウクラートン国民は貧しい食生活を強いられている。
これではアフトクラトルとガロプラのようなハッキリとした主従関係ではないが、対等な関係であるともいえない。
それではいけないと考えて、ツグミはエウクラートンを含めた3国間での同盟を決めた。
軍事大国であろうと農業を主軸とした小国であろうと対等な関係であると定めれば、キオンがエウクラートンに無茶な要求はできなくなるのだ。
この同盟が成功すれば
メノエイデスのような中立国やアフトクラトル等の大国に従属させられている国は数多くあり、現状を打破しようと考えれば彼らが自ら行動を開始することだろう。
その中に第一次
ボーダー上層部の同盟締結に関わる会議でツグミはプレゼンをしていた。
机上の空論と言われたが「やってみなければわからないし、失敗したところで現状から悪化するのではないからやる価値はある」と言い返している。
三門市民救出計画はツグミの同盟締結の案件と並行して進んでおり、戦闘に及ぶことになった場合を想定して隊員たちの戦闘訓練は続けられているのだが、戦わずに済むのならその方が良いに決まっている。
それに若者を異世界の
こうしてエウクラートンでの仕事をひとまず終えて、休む間もなくツグミはキオンへと発った。