「ハイレイン陛下からのご質問がないようですので、これで会見はおしまいにしてわたしは退室させてもらってよろしいでしょうか? わたしの方から事務的なお話を一方的にしただけで、陛下からお返事だけでなくお話を何も聞かせていただけなくてとても残念です。昨年の侵攻で一度は相対したという縁もありますから、個人的なお話でもできればと期待していたんです。あの時は敵同士であり、陛下は自分の利益のため、わたしは自分の守るべきもののために全力で戦い、中途半端な終わり方をしてしまったために、もう一度お会いして一対一で戦いたいと思っておりました。戦うといっても武器を使って戦うのではなく、知略を戦わせるんです。もちろんわたしごときが陛下に敵うはずがありませんが、強い者と戦いたいという欲求は誰にでもあるかと思います。この機会に陛下はアフトクラトル、そしてわたしは近界と玄界をどのような世界にしたいのかを思う存分話すことができたら楽しいだろうと思っていたのですが、陛下がそのようなご様子でしたら引き下がるしかありませんものね」
ツグミは残念そうに言うと立ち上がった。
「それでは失礼させて ──」
「待て。訊きたいことならある」
顔を上げたハイレインに呼び止められ、ツグミはソファに座り直す。
「今おまえは俺と知略で戦いたいと言ったな?」
「はい。武器を使う戦いではその武器の性能によって有利不利があります。ですが知略ですと武器となるのは本人のここだけなので公平な戦いができますから」
そう言ってツグミは自分の頭を指さした。
するとハイレインは悲壮感漂っていた表情を和らげて「フッ」と鼻で笑う。
「今のおまえはボーダーの特使ではなく、ひとりの人間として俺と話をしたいと言うのか?」
「はい、そうです。わたしの特使としての務めは終わりましたから」
「ならば俺も王という立場ではなく、ひとりの人間として話をしたい。かまわぬだろ?」
「もちろんです。…ああ、だからわたしのことを『貴女』ではなく『おまえ』とくだけた呼び方で呼ぶようになったんですね。わたしは全然かまいません。その代わりと言ってはなんですが、もしわたしが国王に対して不敬な発言をしたとしても怒らないでください。もちろん気を付けますけど、お互いに腹を割って話すとなると多少は…ね」
ツグミはそう言って意味深に笑う。
「よかろう。…さっき俺が知りたいことがあればおまえにに与えられた権限の範囲内で答えると言っていたが、それは国王でない俺でも有効か?」
「はい。わたし個人のことについてでもかまいません。もちろん全部はお教えできませんけど『この人なら信頼できるから話してもいいかな』という気にさせることができたなら、いろいろな情報が得られると思いますよ。現にランバネインさんやヴィザさんにもいろいろお話ししましたから」
「フン、その腹の座った態度は気に入った。ランバネインがおまえのことをやたらと褒めていたが、その理由もなんとなくわかる気がする」
「ランバネインさんがどのように話したのかは知りませんが、ご自分の目と耳で確認なされば納得できるはずです」
自信満々のツグミにハイレインも戦意が掻き立てられたようである。
もしここでツグミが何も言わずに退室してしまったらハイレインは無様な敗北を受け入れるしかなかっただろう。
しかし最後に自分がボーダーの特使ではなく、また王ではないハイレインと話がしたかったとツグミが言い出したことが閉じかけていた門が再び大きく開いた。
ハイレインにはツグミの態度に「未練」を感じ取り、まだ反撃のチャンスがあると判断したことで「Round2」に期待をしたのだ。
◆
改めて会談を続けることにしたツグミとハイレイン。
ランバネインとヴィザはそれぞれ「ツグミがこのまま会見を終わらせるはずがない。まだ何かやるだろう」と考えていて、まさにそのとおりになったものだから心の中でニヤついていた。
ランバネインはハイレインの萎れた姿を情けないと思いながらもただひとりの肉親として見捨てることはできず、むしろこんな情けない兄の姿をいつまでも晒してはおけないと感じていた。
万が一ツグミが本気で帰ろうとしたのなら無理矢理にでも引き止めて、自分が玄界で経験したように異なる価値観のものを受け入れることの大切さをハイレインにも教えてくれと彼女に頼み込むつもりでいた。
でもその心配も不要だとわかり、自分も楽しもうと会話に加わる意思を見せる。
「兄者、俺もいいかな?」
「ああ、いいとも」
いつものハイレインであればプライベート以外の場で「陛下」ではなく「兄者」と言えば叱責しただろうが、今の自分が王ではないと宣言したばかりであるから咎めることはない。
続いてヴィザも静かに微笑みながら言う。
「では私もご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。ヴィザ翁もどうぞ」
これまで控えの立場からずっと傍観者でいたふたりも加わり、4人でも歓談 ── いや、そうなるかどうかはハイレイン次第 ── が始まった。
「訊きたいことは山ほどあるが、まずなぜおまえのような小娘がボーダーの代表として俺に会いに来たのかが知りたい。おまえが組織の中でどのような立ち位置にあるの知らぬが、近界民との交渉役として派遣されるくらいだ、タダの兵士ではなかろう」
ハイレインはいつものペースを取り戻したようで、物理的にも精神的にも上から目線でツグミに訊いた。
「わたしは…たしかにタダの兵士ではないですね。現ボーダー隊員の中では古株ですし、その分経験は積んでいますからアフトクラトルの黒トリガー使い相手に五分の戦いをお見せすることもできました。ですがそれだけでこれまで経験したことのない近界民との外交を任せてもらえるものではありません。なぜわたしが一任されているのか、それは…」
「……」
「単純に言い出したのがわたしで、わたし以外にやってくれる人がいない面倒な仕事で、そしてわたしにしかできない大事な役目だからです」
身も蓋もないことを言うものだから、ハイレインだけでなくランバネインとヴィザも唖然としてしまう。
「ボーダーは界境防衛機関として玄界へやって来る敵を倒して民間人を守る組織ですから、原則として近界への進出は行いません。ですが近界民のトリガー技術がなければ戦うことができませんので、小規模な遠征を行って現地の近界民と取引をしたり、場合によっては敵として立ちはだかった近界民を倒して武器を奪うなどして戦力を増強してきました。かつては3つの国と同盟関係にありましたが現在では解消されています。近界民同士の戦争に巻き込まれ、当時の隊員の半数を失うことになりましたから。それ以降は特に親しくしている国などなく、こちらから近界へ進出する気もありませんので、ボーダーは小規模な遠征は続けながらも既存の技術を独自に進化させてきたのです。悪意ある近界民から同胞を守るために」
「それでどうしてキオンと協力関係に? まさかキオン側からボーダーに声をかけたとは思えませんが」
ヴィザがツグミに訊いた。
「はい。ボーダーとキオンにこれまで接点はありませんでした。ですがキオンの諜報員がとある黒トリガーを探して玄界へ潜入し、彼らとわたしが遭遇したことでボーダーの対近界民の姿勢も変わることとなりました」
「なるほど、あなたからお預かりしたふたつの武器、ひとつがあのミリアムの黒トリガーなのですね」
「そうです。あれはわたしにとって非常に縁のあるもので、適合者はわたし以外には誰ひとりとしていない特別なものです。わたしもそんなものがボーダーに保管されていたなどまったく知りませんでしたが、その元になった女性の話や、それがなぜ玄界に持ち込まれたのかなど説明を聞いて納得した上でわたしは所有することを決めたのです。ミリアムの黒トリガーはミリアムという女性の魂であり、彼女の遺志を継ぐことができるのはわたししかいません。彼女は祖国と愛する人たちを守るために敵を殲滅するという恐ろしい武器に身を変えましたが、わたしにはその気持ちが痛いほどわかります」
「……」
「こうしてボーダーはキオンという大国との接点ができてしまいましたから、これを利用しない手はないと考えてわたしがいろいろと動いたことで同盟締結にまで運ぶことができました。さすがに何をどのようにしたのかなどのご説明できませんけど。ただひとつ言えるのはわたしひとりでは何もできず、多くの協力者がいてくれたということです。その協力者の中にはかつて敵としてボーダーの前に立ち塞がった人もいます。わたしがやったのは相手に自分の考えや気持ちを説明して、それを理解してもらうことだけです。そして理解してくれた友人がわたしにために動いてくれて、その結果がアフトクラトル国王との謁見を可能にしてくれました」
ツグミがそう言ってランバネインに微笑むと、彼はニヤリと笑って答えた。
「つまり俺のことを友人とまで言うのか。悪い気分じゃねぇな。むしろ玄界で大暴れした俺を友人だと言えるその肝っ玉に感服した。俺もおまえのことを友人…違うな、親友? いや、そんなありきたりな言い方じゃねぇ、もっとこう…しっくりとくる言葉が思い浮かばねえ。玄界には他に言い方はねぇのか?」
「親友という意味のくだけた言い方ですと『マブダチ』という言葉があります。『マブ』は真実の、『ダチ』は友という意味になります」
「そうか! じゃあ俺たちはマブダチってことか!?」
「ええ、まあ…ちょっと違いますがだいたい合ってます。…とにかくこうして一緒に戦ってくれる仲間を増やしていき、ボーダー内部では上層部の人たちを説得するために策を弄しました。その手段は『あなたにとって利益となることですよ』と心から説明をすることと、実際にその利益となることを証明して見せたことで信頼という最も強力な武器を手に入れることができたんです。ボーダー最高司令官は近界民と手を組むなどありえないという反近界民思想の持ち主でしたし、他にもボーダーは玄界防衛の組織なのだから敵が来たら迎え撃つだけで充分だという考えを持つ人もいました。でもわたしはこれまでに積み上げてきた結果を示し、わたしに任せてくれたら絶対に成功させると信じ込ませることができ、ひとつの成功を次の成功に結び付けてきたんです。さっき言った言葉の意味がおわかりになりましたか?」
ハイレインに問うように言うツグミ。
その表情はディルクやヒュースに向けるものと変わらず、その人の心を掴む微笑みはハイレインにも効果はあったようだ。
「おまえの最大の武器は敵も味方も関係なく誰であっても分け隔てなく受け入れることのできる器の大きさと、未知のものに対して物怖じしない図太い根性にあるようだな。そうでなければこの俺に会おうという気になるはずがない。なかなか面白い奴だ」
「お褒めに預かり光栄です。キオンのスカルキ総統もこんなわたしのことが気に入ったらしく、おかげでボーダーに協力をしてくれるようになってくれました。キオンの協力のおかげでボーダーはとある国の近界民にさらわれた訓練生32人を無事に取り戻し、過去にエクトスによってさらわれた400人以上の市民を捜索する手段を得ました。ならばそれに見合うだけのお返しはしなければいけません。スカルキ総統だって無償で協力する気はなく、その見返りを求めていることは断言しています。彼は玄界の文化や技術を取り入れたいと考えていて、ボーダー側も可能な限り援助をする約束をしています。お互いに得になる方法は案外いくらでもあるものですよ。ですからアフトクラトルが同盟に加わってくれるなら、キオン同様に求めているものをお譲りし、ボーダーも同等の協力をお願いするつもりでいます」
「我々に何を提供できると言うのだ? いや、キオンは玄界に何を要求しているのか教えてくれ」
「ええ、いいですよ。キオンは雪原の大国とも呼ばれる冬の期間が長い国ですから農作物がなかなか育ちません。そこで玄界で普及しているハウス栽培の技術と寒冷地でも育つ種苗の提供。さらにトリオンに代わるエネルギー技術。具体的に言うと太陽光や風力などの自然に存在するものを利用して発電をすることによって、これまでトリオンで賄っていたものと置き換え、母トリガーから抽出するトリオンの量を減らすことができるという技術です」
ツグミの説明にランバネインが割って入ってきた。
「兄者、玄界では夜でも昼間みたいに明るくて、数十人から数百人の人間が一度に移動できる乗り物もあって、街中はまるで祭りの日のように大勢の人間で溢れ返っている。それができるのはトリオンとは違った動力源があるからだ。もしこれらをトリオンで賄おうとしたら神の寿命は十年にも満たないかもしれない。キオンの奴らがボーダーと手を組みたがるのはトリオン依存ではない文化に魅力を感じ、玄界に攻め込むよりも楽に手に入れられると考えたからだろう。キオンの戦力があれば玄界を制圧することも不可能ではないが、そんなことをするよりもボーダーに恩を売って穏便な手段で手に入れた方が後々面倒はない。それでもって玄界の技術をいくつかの従属国に譲ることによって、それを知った他の国が自らキオンの傘下に入ろうと言い出してくるのは明らかだ。なあ、ツグミ、おまえはそう考えてんだろ?」
「はい。スカルキ総統も近界の平定を考えています。ですが彼はアフトクラトルと同じ軍事大国の一兵士でありながら武力による支配を否定し、まだ20代だというのに国のトップの座に就きました。ああ、これはハイレイン陛下も同じですね。…で、彼がなぜ武力による支配を否定したのか。それは自分が軍人になったのは同胞を守るためであり、それ以外に理由はないというのに国の意思などというもので他国に侵攻してそこに住む者たちの平和な日常を破壊しなければならないことに嫌気がさしたからなのだそうです。自分が家族と一緒に穏やかな毎日を過ごしたいと思うように、自分が侵攻した国にも同じように考える人間が大勢いると想像し、彼は自分が罪深いことをしているのだと気が付いたんです」
「……」
「ですがキオンという国は長い間ずっと軍事力によって他国を制圧して従属させるという『強者による支配』で勢力を拡大してきた国ですから、その国是ともいうべき思想に真っ向から対立することになりました。どのような手段を講じたのかは教えてもらえませんでしたが、同志を増やしていって当時の政権をひっくり返したということです。そのような過去があるので彼は武力行使を否定したやり方で近界の平定を目指したのですが、これまでのキオンのやり方を知っている国は警戒します。だからなかなか進まないんです。そして勝手に『キオンを怒らせたらすぐに侵攻してくる』と誤解し、対等な外交もままならない。そこでその勘違いを利用していくつかの国を傘下に加えましたが、特ににその国に対して内政干渉はしません。そしてそんな彼の前にわたしが現れたことで状況は大きく動き出しました」
ハイレインはテスタが武力行使はせず、その圧倒的な軍事力を示すことで戦意を喪失させ、戦闘状態になる前に相手を跪かせているのだと考えていた。
しかしそれはテスタの望むやり方ではなく、相手の勘違いを利用してきただけなのだと教えられて自分と同じ立場のテスタのことを少しだけだが身近に感じたのだった。
(あの男も近界の平定を目指している。それも俺と同じ軍事大国の元首だが、やり方はまったく逆だ。強者が弱者を支配するこの世界で軍事力という最も効果のある手段を放棄したあの男はあえて困難な道を選び、遠く離れた玄界に同志を見付けて信念を貫こうとしているらしい。ところが俺は相手国を徹底的に叩きのめして絶対に反乱などさせないようにしなければならないと考えている。あのガロプラが蜂起し、母トリガーを奪い返すなど想像もしていなかったが現実には起きてしまった。やはり俺は徹底的に相手の戦力と戦意を喪失させなければ安心できない。人間は保身のために人を裏切るし、平気で嘘をつく。あの男は不安になることはないのだろうか? 自分を騙そうとする人間、寝首を掻こうとするする人間、そして今までずっと信頼してきたのに突然手のひらを返したかのように裏切る人間。俺の周りにはそんな人間が何人もいるというのに、あの男にはそんな敵はいないのか?)
それまでずっと憎むべきライバル国の元首だと考えてきたテスタのことが妙に気になってきてしまったハイレイン。
(俺はこれまであの男個人のことを何も知らず、キオンの元首だというだけで倒さなければならない存在だと考えていた。だがこうしてあの男の人柄や考え方の断片を知っただけでこうも自分自身の気持ちが変わるものとは不思議なものだ。…しかし俺はそう甘くない。力こそすべて。弱者は強者によって何もかも奪われてしまうことが当然のこの世界において、強者でなければ生き残ることはできない。自分が正しいと思うことであっても俺自身が弱者であったら誰も俺の声に耳を貸すことはなく、俺が強者だからこそ嫌々ながらであっても従うというもの。ならば俺は常に強者であらねばならぬ)
そこまで考えてふと思った。
(はたして俺は強者なのだろうか? アフトクラトルの王となった今、俺は近界で最も強大な力を有する人間のはずだが、その俺は目の前にいる玄界の小娘相手に敗北感を抱いてしまった。やろうと思えばここで拘束して殺すことなどいとも簡単にできるというのに、それができないのはこの娘の背後にボーダーだけでなくキオンが控えているから。…いや、そうではない。この娘はボーダーという組織に属していることを武器にしているのではなく、自分自身の揺るぎない信念を持ち、言葉という手段で臆することなく相手にぶつかっていく。それだけなのに力を持つ人間が次々と味方になっていくことで、この娘が力を持つのだと錯覚させているだけ。しかしボーダーの幹部を説得し、キオンの最高権力者を味方にする人間としての魅力。それこそがこの娘の持つ最高の武器であり、強者たらしめているのだ)
ハイレインがそんなことを考えている間にもツグミの話は進んでいった。