ハイレインが玄界を訪問してもいいと気持ちに変化が生じたことで、今回の訪問によるツグミの役目は終えたことになる。
しかし本人が玄界へ行く意思を示しても国王である彼がそう簡単に外国訪問などできるものではない。
そうなると一時的に国王代理を任命してその人物にアフトクラトルの全権を預ける必要に迫られ、ランバネインが任命された。
王家となったベルティストン本家にはハイレイン本人しかいないため、分家の当主であるランバネインに任せるのが無難であるからだ。
当人は面倒くさいと嫌がっているものの、対外的にもヴィザやディルクという家臣を国王代理にはできないのでこれは仕方がないことなのである。
そして護衛役としてヴィザが同行することとなり、この訪問は国王として正式なものであるため、ハイレインの国王として初の外国訪問は玄界ということになる。
それは近界の軍事大国であるアフトクラトルが玄界のことをそれだけ重要視しているという意味となり、それはアフトクラトル国内だけでなく近界の国々にも多大な影響を与えることになるのだ。
ただしハイレインが玄界に侵攻して痛い目を見たことは周知の事実であるから、口さがない連中は彼のことを「恥知らず」とか「厚顔無恥」などとバッシングするだろうが、それは本人も承知している。
ハイレインにとって自分のプライドを傷付けられるマイナスの部分よりもテスタと話をすることによるプラスの点がはるかに大きいと考えていて、事情を知らない赤の他人に誹謗中傷されたところで実害はない、言いたい奴には言わせておけばいいというツグミと同じような考え方をするようになったのは、明らかに彼女の影響を大きく受けている証拠だ。
ハイレインの武力によって近界を平定しようという考え方を改めさせることはできなかったが、敵だと考えている人間と対話をしたいという気にさせた点ではこの会見は大成功である。
そして彼を玄界まで引っ張り出すことができさえすれば、後はツグミがテスタとリベラートのふたりと協力して同盟に加わることによるメリットがデメリットをはるかに凌駕することを理解させるだけだ。
玄界の文化に触れた近界民は例外なく「近界ではトリオン技術を除くあらゆるものが玄界よりも遅れている」と感じる。
特に生活水準があまりにも違いすぎて、庶民階級はもちろんのことディルクやランバネインといった貴族階級の人間ですら自分たちが玄界の庶民よりもはるかに劣る生活を送っていることにショックを受けるのは無理もない。
キオンがボーダーと同盟を結ぶことによってキオン国民は玄界の進んだ文化の恩恵を受けることになり、それを羨ましいと思う国がキオンの傘下に入りたいと申し出てくるのはまず間違いない。
自国だけ豊かになればいいとか、相手に見返りを求める「取引」であったらツグミのテスタに対する態度は違っていたかもしれない。
彼がキオン国民のために最善を尽くすことは当然のことだが、キオンに助けを求める国にも分け隔てなく与えようという器の大きな人間であると知り、彼が近界を統一するのであれば理想的な解決策となると信じたツグミ。
もしハイレインが考え方を改めてテスタと同調し、平和的な手段を講じた彼らふたりの力で近界をまとめることができるのならそれこそが最善の方法となり、ボーダーと玄界にとって憂いがなくなるはずなのだ。
◆◆◆
ハイレインとの会見を終えたツグミは休む間もなくその日のうちに三門市への帰還の途についた。
なにしろ一刻も早く帰国してやらなければならないことが山積みになっていて、半日でも1時間でもいいから早く帰りたいのだから役目を終えたならすぐに帰るのは当然である。
かつてボーダーは3つの近界の国と同盟を結んでいた。
しかしそれは正式なものではなく単に協力関係にあったというレベルのものであり、特にボーダー側はトリガーの技術が欲しいために不公平な条件を無理やりのまされて結ばれたものであった。
そして同盟国のひとつが第三国から大規模な侵攻を受けて戦力を必要とし、19人の隊員が加勢するために遠征を行ったが生還できたのはわずか9人。
当時の隊員の半数を失ったために残りふたつの国との関係も途絶えることになった。
このような悲劇を二度と繰り返さないようにするためにはボーダーに不利なものとならないよう、そしてどの国にとっても不公平にならない条件で同盟を結ばなければいけない。
そもそも近界には対等な立場で手を結ぶという考え方自体がなく、強者に都合の良い条件を弱者に強制するという不公平なものばかりである。
そして城戸たちボーダー上層部は近界民と再び手を結ぶことなど微塵も考えていなかったから、提案者であるツグミは自ら先頭に立って走り回ることになった。
ボーダーが旗振り役になることで以前のような不利な条件をのまされることを回避し、さらに近界民に「国際協力」という意識を根付かせることができるはずである。
ツグミの外交担当としての役目は順調に進んでいるが、玄界側の交渉窓口である唐沢の方はいくつかの壁にぶち当たっていた。
なにしろボーダーが近界民を人間だと確認したのは約8ヶ月前のことだと「公表」している。
そんな敵であった近界民と文化交流を始めるなど誰も想像もできず、また近界民に対して理解のある人物だとしても時期尚早だと考えるはずだ。
事情を知っているボーダーの中にも近界民と交流することに反対、また積極的に交流する理由はないと否定的な隊員は多い。
その状況で動かざるをえない唐沢の負担が大きくなるのは当然だ。
それでも彼や裏の世界に通じていた故霧科文蔵の人脈を利用することで様々な分野において協力者を獲得し、キオンが最も欲している自然エネルギー発電システムの技術提供には目処がついていた。
ところが玄界の技術者を近界へ送り出すことは現状では不可能であるから、近界民を留学させてまずは使用方法を学ばせることから始めなければならない。
玄界から運んだ機材を組み立てて運用できる人材の育成からとなると途方もない時間がかかるだろうが、一朝一夕にできることではないことなど承知の上だ。
ただ一日でも早く行動を開始すればそれだけ早く結果が出るとなればやりたいと思うもの。
ツグミは唐沢に無理を承知でお願いをし、唐沢もまた難しいミッションだとわかっていて引き受けていた。
近界民を外国人留学生として受け入れるとしても、玄界の文明の利器に触れたことのない彼らにはそこから学ばせなければ怪しまれることになるため、一定期間ボーダーで預かって日常生活に慣れさせる必要がある。
そこはいつものようにレジデンス弓手町に住まわせてツグミが面倒を見る予定で、S級隊員であり城戸直属の隊員であることによって通常の任務に就かなくて良いという彼女の立場がここでも大いに役立つことになる。
ツグミが何度も近界へ行っていることはボーダー関係者の多くが知っており、以前は「暗躍と言えば迅」であったが今ではツグミが代わって暗躍をしていると噂されていた。
なにしろアフトクラトル遠征では別働隊として先発して内通者と情報収集をし、本隊が到着してすぐに作戦決行できるようお膳立てをし、本隊の作戦成功に大きく貢献した。
また彼女がキオンの諜報員と行動を共にしていて、第一次近界民侵攻による拉致被害者の救出作戦にも関わっていることを知っている人間は多いが、誰も彼女がどこで何をしているのかまったく知らずにいる。
もし彼女が今でもB級隊員であったら通常の防衛任務もせずにコソコソ動いている姿を見て、それが城戸の指示であっても納得できない隊員が出ただろうが、S級であることでこれといった問題は生じていない。
彼女がミリアムの黒トリガーを所持してS級隊員になった時、このような未来を視ていたわけではないのだが、あの時の決断が良い方向へと彼女を導いている。
ハイレインとアフトクラトルが玄界にとって二度と脅威にならないだけでなく味方にすることができれば、ボーダーの役割の内のひとつ ── 近界民にさらわれた市民の救出 ── が危険なく行われることを保証することになり、ボーダー隊員を含めた三門市民が命の危険に晒されることもなくなるのだ。
拉致被害者を無事に帰国させることは急を要する命題である。
例えば玄界では簡単に完治する病気であっても近界の医療技術では原因すらわからないで適切な治療を受けられないことは多い。
トリオンを使った様々な技術は軍事方面には発達したが、国民の生活を豊かにする点ではまったく進んでいない。
ビタミンB1不足による脚気など玄界では原因がわかっているから治療方法もわかっているというのに、近界民にはビタミンという栄養素の概念すらないから治療方法などわかるはずもないのだ。
だからそういった医療技術が未発達なせいで助かる命も助からないという悲劇が日常茶飯事であるから、三門市でさらわれた市民もそんな些細なことで命を落とすことにもなりかねない。
また第一次近界民侵攻の被害者である鳩原智史や水戸涼花のように人生を大きく狂わされてしまった人たちも早く帰国させればそれだけ早く彼らの望む人生を再出発することができるようになるというもの。
近界の戦争とは直接関係のないボーダーであっても救出計画を実行している途中で戦闘に巻き込まれる恐れがあり、そこで新たな犠牲が生じる可能性を鑑みればキオンとアフトクラトルが争わないというだけでもリスクは軽減する。
またボーダーの背後にキオンとアフトクラトルがいると知れば市民の返還にも有利に働くことだろうと考え、ツグミはアフトクラトルを取り込むという無謀な挑戦に挑んだのだ。
現在ボーダー本部ではA級隊員による遠征のための特別訓練が行われており、防衛任務において彼らの穴を埋めるためにB級隊員が頑張ってくれている。
C級隊員も以前のように暢気に部活気分でいると除隊させられるという意識があって訓練に励んでおり、ひとつの目標に向かって全員が全力を出しているように見える。
アフトクラトルによる大規模侵攻をきっかけとしてボーダーは大きく変化したとツグミは感じていた。
それまでは小規模な遠征を行って近界民から新しい武器を手に入れるという程度のほぼ受身の態度でいたが、大規模侵攻によって初めて組織的な防衛戦を行い、大きな犠牲と被害は出たものの得るものも多かった。
さらにゼノン隊によるミリアムの黒トリガー強奪未遂事件を経て彼らを味方にし、キオンのテスタとの接点を得ることができたことで近界における二大軍事大国の一方を仲間に引き入れることに成功。
キオンの力を利用してアフトクラトルさえ仲間にすることもあと一歩で達成というところまでやってきた。
そして何よりも大きな変化は3つの派閥に分かれていたボーダーがひとつにまとまったという点である。
近界民は殲滅すべしとの反近界民思想を掲げていた城戸も隊員たちから新たな犠牲を出さずに済むのであれば良しと城戸は方針転換を受け入れた。
城戸の心境の変化は近界民を憎む隊員たちにとって「裏切り」にも思えるものだが、個人的な感情と三門市民の利益のどちらを優先すべきかを考えれば後者であることは間違いないと頭では理解している。
そんな心の迷いや揺れを払拭するには何か別のものに全力を投じることで、一時的にせよ忘れることで落ち着きを取り戻そうとした結果が「市民救出計画」に積極的に参加することであった。
人それぞれに理由や目的など異なっているもののひとつにまとまっているのは非常に喜ばしい。
この良好な流れを止めることを良しとせず、ツグミはキオン、エウクラートン、アフトクラトルでの滞在をギリギリまで切り詰め、そのおかげで15日の朝に三門市へ無事帰還した。
そのまま本部基地へと向かい、城戸たち上層部メンバーが出勤してくるまで自分の作戦室で仮眠を取ったのだった。
◆◆◆
城戸が定時で出勤すると上層部メンバーは緊急招集され、9時30分からツグミの報告会及び会議が開始された。
遠征艇の中で仕上げた報告書、テスタとリベラートのふたりからの親書と要求リストは人数分コピーされていて、それぞれの手元にある。
それを各人がひと通り読み、その内容について質疑応答をするというもので、真っ先に手が挙がったのが忍田であった。
「この報告書によるとキオンとエウクラートンはここに書かれている条件を追加してほしいとのことだが、これは元々こちら側が提示していたものと同じではないか。なぜおまえはあえて削除し、改めて先方から要求したような形にしたんだ?」
「それはすべての条項をボーダー側で決めてしまうのではなく、いくつかの部分は近界民である彼らの意思を反映しているという形にしたんです。これから他の近界の国々もこの同盟に加わりたいと申し出てくるでしょうが、彼らにも希望があればわたしたちは邪険にせず吸い上げ、その上で正しく判断して納得をしてから加入をしてもらいます。その方が民主的じゃありませんか? 結果は重要ですが、それに至る過程にも意味はありますからね」
ツグミはそう言って忍田に微笑んだ。
続いて根付が手を挙げる。
「同盟締結は既定路線であり、形だけの会議の後に調印式ということになっている。この報告書によるとキオンからはスカルキ総統と護衛役のコンプソス総司令。エウクラートンからはリベラート皇太子と護衛役のリヌス大尉。さらにオブザーバーとしてメノエイデスのフーガ外相と護衛役のウェルス少尉にアフトクラトルのハイレイン王と護衛役のヴィザ。これだけの近界民が一堂に会するわけだから、このことが外部に漏れでもしたら大変なことになるぞ。特にアフトクラトルのふたりは先の大規模侵攻で三門市に大きな被害を与えた張本人の黒トリガー。今さら言うのも何だが、これは非常に危険なのではないかね?」
「根付さんが心配するのはもっともです。ですがその点はぬかりありません。まずリヌス大尉を含めすべてのトリガー使いからは黒トリガーだけでなくノーマルトリガーも一時的にお預かりすることになっています。それが玄界の地に立つための条件として、彼らには全員納得していただきました。武器がなければ不安だというような臆病者はいませんし、何よりわたしのことを信頼してくれている証拠です。ですから信頼には信頼で応えなければなりません。大勢の近界民がやって来て、そのうちのふたりがボーダーと戦った黒トリガーとなれば心配になるのは無理もありません。ですから彼らの行動範囲を制限して、民間人に姿を見られるリスクは極力減らします。問題は隊員や職員の中から外部に情報を漏らす人が出るかもしれないということ。もちろん故意に情報漏洩するのではなく、うっかり喋ってしまうというものですが、こちらはわたしの手には負えません。わたしはわたしにできることはきちんとやりますから、そちらでも無用なトラブルが発生しないようお願いします」
「それはわかっている。もちろん箝口令を敷いており、万が一の場合には記憶処理をした後に除隊処分だと言い含めてあるから今のところ問題は起きていない。今後も徹底し、無事に調印を済ませるまではきちんと監視するつもりだ」
「では心配いりませんね。…他に何かありますか?」
そう言ってツグミが見回すと、城戸が静かに口を開いた。
「どうやってあの男を引っ張り出した?」
「あの男」とはもちろんハイレインのことである。
「彼もわたしたちと同じ不完全な人間で、心の中に多くの不安を抱いています。少年時代には周囲からの期待と常に強者でなければいけないというプレッシャーによって自分で自分を追い詰めるようなことをしていて、国王になったのも周りの有力貴族たちより強者でいないといつ潰されるかわからないという不安が原動力となっています。さらに軍事大国の国王になって近界を自分の力で統一することでやっと強者の頂点に立つことができたのだと自らに言い聞かせて、こうでもしないと安心して生きていけないという普通の臆病者ですから、彼は自分が一番恐れる軍事力によって他者を圧倒するという道を選んだのだと推測できます。それがわかれば別に難しいことではありません。別に強者にならなくてもかまわない。強者に見える者であって必ずしも強者とは限らない。むしろ弱者のように思える人間にこそ強者の魂が宿っていることもある。そういったことを匂わせで、彼と立場が似て非なるスカルキ総統に興味を持たせることで対話がしてみたいと思うようさせました。現在の国王という立場での初の外国訪問先が以前に侵攻して屈辱を受けた玄界となれば事情を知らない連中からは誹謗中傷されるでしょうが、あのプライドの高い人間がそれに勝るメリットがあると考えたからこそ三門市を公式訪問するというのですから、こちらは過去の確執に目をつぶってアフトクラトルの国賓を精一杯おもてなししましょう」
ツグミの報告が終わると、続いて同盟締結関連のプロジェクトの最終確認の会議へと移った。
近界民側の参加者が確定し、彼らの滞在期間を5日間と見積もって前回利用した「RESORT HOTEL NANAO」の本館を全館貸切にし、ホテルのスタッフには外国要人の非公式会議を行うという嘘の設定 ──外国要人という点ではあながち間違ってはいないが ── で外部から完全に遮断する必要があると説明することになっている。
期間中はボーダー側も城戸、忍田、唐沢の3人と、ゼノン隊の3人、そしてツグミと迅がホテルに滞在することを基本とする。
近界の要人を招くのだから初めてのことが多いが、近界を複数回訪問して彼らの習慣や好みを把握しているツグミが総責任者となることは全員一致で決まっている。
要人たちの世話はツグミの指示でホテルのスタッフが行うも、直接彼らが接触しないように配慮する計画である。
詳細は唐沢とツグミがホテルへと赴いて支配人と料理部門及び宿泊担当の責任者と話を詰めることになっていて、逐次城戸に報告することとなった。
当日まで正味10日しかないため、ツグミは会議が終わるとすぐに会議室を出て行った。