ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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435話

 

 

食事を終えたツグミは忍田に送ってもらって寮に戻るとすぐに迅の携帯電話にメッセージを入れた。

 

「寮に戻りました。明日一〇〇〇時に本部基地へ出頭するまでフリータイム。いつでも連絡待ってます」

 

すると1分もしないうちに返信が来る。

 

「今から行く」

 

携帯を握りしめてツグミからの連絡をずっと待っていた迅の姿が目に見えるようで、ツグミは微笑んだ。

 

(ジンさんたら…。でもすごく嬉しい)

 

ニヤニヤしながら昼間のうちにできなかった洗濯をするツグミ。

全自動洗濯機の中に約10日分の下着や衣類を放り込むとスイッチをONにする。

トリオン体でいる時間を増やすことで生身の状態の時間を減らし、それによって洗濯物を減らしたために20日間の半分で済んでいる。

遠征艇に洗濯機を載せることはできても水が貴重なために事実上洗濯は不可能なのだ。

近界(ネイバーフッド)の国々では上水道が普及しておらず、ほとんどが井戸水や川の水を汲んで運ばなければならない。

したがってボーダーの遠征隊も都市部から離れた場所に(ゲート)を開き、半日から1日かけてトリオン補給、飲料水やシャワー等に使う水を汲むといった作業を行う。

このインターバルタイムが遠征では重要で、参加隊員の休養も兼ねているために短縮することもできない。

そのために遠征を行う場合は目的地の軌道を正確に把握して航行計画を立てなければならず、第1回の市民救出遠征は調査隊が訪れていて現地の案内人もいるヒエムスと決まっている。

まだ遠征決行の時期や誰が参加するのかなど具体的に決まっていないが、少なくとも3月までには行いたいというのが上層部の希望であった。

なにしろ修が記者会見の場で遠征計画を暴露してしまったために、城戸が第一次近界民(ネイバー)侵攻でさらわれた400人の市民の救出計画を進めていると発表せざるをえなくなり、それからまもなく1年が経とうとしていて、アフトクラトルにさらわれたC級奪還作戦成功からも半年以上が経っている。

そろそろ次の話をしなければスポンサーと市民に対してボーダーの「本気度」が伝わらないだろうから、上層部が一刻も早く第1回の市民救出遠征を成功させたいと思うのは無理もない。

ここでボーダーがキオンを協力者として遠征を行うことを近界(ネイバーフッド)に広く知らしめれば無用な戦闘には発展しにくくなり、これにアフトクラトルが味方として加わってくれたなら、このふたつの軍事大国と同盟を組んでいるボーダーに一目置くはず。

ツグミが同盟締結に必死になるのはそれが理由である。

 

(ヒエムスでの救出計画が成功すればそれが次の成功へのステップになる。逆に失敗すればそれでケチが付いて2回目以降の計画が上手くいかないなんてことも多いから慎重に事を進めなければいけない。この遠征では目的地が比較的近いからチカちゃんを機関員として連れて行く必要はなくて、玉狛第2はB級ランク戦に専念できるという点では良かったと思う。目的地が遠くなるとどうしてもチカちゃんのトリオン頼りになるから、いくら麟児さんがいてもオサムくんが一緒に行きたがる。ユーマくんの身体のことがあるから近界(ネイバーフッド)へ行っていろんな情報を得たいという気持ちはわからないでもないけど、まだ彼には早い。せめて来季のB級ランク戦で上位3位までに入ってトリガーを改造してもらってからよね)

 

 

そんなことを考えてながらランドリールームを出ると、玄関のドアを開ける音が聞こえた。

玄関はオートロック式になっていて、登録されたトリガーをかざすことにより開閉するシステムであるから、ドアを開けられる人間は限られている。

ゼノンとテオはすでに自分の部屋で休んでいるし、リヌスはまだエウクラートンにいる。

そうなると該当者は迅だけであるから、ドアを開けた人物は迅以外にありえない。

ツグミは思わず駆け出してしまい、玄関ホールにいた迅が彼女の姿が見付けると声をかけた。

 

「おかえり、ツグミ」

 

「ただいま、ジンさん」

 

ツグミはそのまま走って嬉しさのあまり迅に抱きついてしまう。

 

「少し痩せたみたいだな。近界(ネイバーフッド)で無理をしたんだろ?」

 

「そんなことはないです。真史叔父さんもそうだけど、みんな心配しすぎです。無理をして倒れるようなバカなことは二度としませんって約束したじゃないですか」

 

「それはそうだが…ほら、ここなんてこんなに細くなってるぞ」

 

迅はそう言ってツグミのウエストに手を回す。

 

「まあ、多少は変化もしますよ。3週間近く糧食(レーション)みたいな保存食での生活だったんですから。だけど痩せたというほどじゃないです」

 

「う~ん、たしかにここはたっぷり肉がついているもんな」

 

迅の手はさらに下へ移動して彼女の尻を撫でていた。

 

「フフッ、くすぐったいです。だけどたっぷり肉がついているなんて失礼な言い方ですね。無断でお尻を触ったことよりもその暴言が許せません」

 

「じゃあ、こうして尻を触ることはOKなんだな?」

 

「わたしのことを大人だと認めてくれたということで許します。…ひとまずわたしの部屋に行ってゆっくりと話をしましょう」

 

ツグミは迅の腕に自分の腕を絡め、並んで自室へと歩いて行った。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミはキオン、エウクラートン、そしてアフトクラトルであったことを城戸に提出した報告書並みに詳しく話した。

彼女がキオンではサーヴァと模擬戦をし、エウクラートンでは次期女王候補という立場を利用して議員たちを()()したことを聞くと、迅は複雑な表情をして言った。

 

「相変わらず()()に持ち込むのが得意だな。たしかに特権階級の貴族連中に対してはおまえが『強者』であることを示すのが手っ取り早いが、一歩間違えたら取り返しがつかないことになるだろ? いくら勝算があるといっても無茶しすぎだ」

 

「だってゆっくりと説得している時間はないんですもの。強者が弱者を支配するという(ことわり)を絶対だと考えている連中に聞く耳持たせるにはわたしが強者側で彼らが弱者側で()あることを示すのが一番。それぞれ2日で結論が出るくらいですから、手段はともかく大成功でした」

 

「…まあ、結果オーライだし、おまえに怪我がなかったからいい、か」

 

「トリオン体で戦うんだから怪我なんかしませんよ。サーヴァさんとの模擬戦はガチ対決だったので、すごく楽しかったです」

 

迅は呆れたような顔で、やれやれと言いたげな感じで頭を掻いた。

 

「しかし単身でハイレインの城に乗り込むなんて無謀だぞ」

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず…ですよ。それにハイレインはバカではなく彼は彼なりの手段で近界(ネイバーフッド)を平定しようとしているだけなので、こちらの話を聞く耳を持ってくれさえすれば攻略はそう難しくありません。それにキオンという近界(ネイバーフッド)の軍事大国の総統が同じような軍事大国の国王の自分とは正反対の道を進んでいることに興味を持ったみたいで、同盟締結式典に彼を引っ張り出すことに成功したというわけです」

 

「これも結果オーライであったからいいが、もし捕らえられてしまっていたらどうするつもりだ?」

 

「その時にはわたしの服に付けたビーコンで位置を確定したゼノン隊長が(ゲート)を開いて救出してくれる手筈になっていました。武器(トリガー)を使った戦いでは勝ち目はありませんが、ここを使った戦いにはちょっと自信があるんです」

 

そう言ってツグミは自分の頭を指さした。

それは彼女の思い上がりではなく、実際にガロプラのガトリンと取引をしてハイレインを欺いたり、ボーダー本部基地内の情報収集のために潜入させた超小型ラッドに偽の情報を持って帰らせたり、ディルクと内通して協力関係を結ぶなどハイレインの知らないところで彼女は()()している。

それまでに結果を出しているからこそ、城戸たちが彼女の行動を認めているのだし、一般隊員にはありえない()()を与えてられているのだ。

 

「最近のジンさんは確定した未来しか視えなくなっているから不安なのはわかります。もし悪い未来が視えてしまったら、それを回避することはできないってことになりますからね。でもわたしは自分にとって都合の良い未来を自力で引き寄せるし、悪い未来を力技で捻じ曲げる覚悟でいるのでわたしに関する未来は不確定要素が多すぎて視えなくなっているんですよ。すべての可能性のある未来が視えてしまったら、ジンさんの頭はパンクしちゃいます。だから自己防衛ってカンジで確定した未来しか視えなくなったのだとわたしは思います。そういうことですから、わたしのことを信じて待っていてくださいな」

 

そう言われてしまうと迅には言い返す言葉がない。

 

「それからお礼が遅くなりましたが、留守中のレクスくんのこと、どうもありがとうございました」

 

ツグミが正座をしてお辞儀をするものだから、迅は戸惑ってしまった。

 

「いや、玉狛ではゆりさんとレイジさんがいろいろやってくれたから、礼を言われるようなことを俺は何もしていないんだ。他にも宇佐美や陽太郎が遊び相手になってくれたし、メガネくんたちも暇があれば勉強をみてくれた。レクスも掃除や料理の手伝いをするし、いい子にしていたからもうしばらく玉狛で預かることになっている。忍田さんから聞いているよな?」

 

「ええ。同盟締結の件が済むまではわたしもそっちに専念しなければならないので、レクスくんのお世話は大変だろうって」

 

「今月いっぱいは俺も玉狛で過ごすから、しばらくは寂しいだろうが我慢してくれ」

 

「わかっています。ゼノン隊長とテオくんも三門市での暮らしに馴染んでいますからわたしが同行しなくても普通にスーパーで買い物ができますし、調理だって慣れたもんです。わたしは自分のペースで行動させてもらえるので助かってます」

 

「俺の手伝いが必要ならいつでも遠慮なく言えよ。城戸さんの指示で俺は自己判断で行動できるようになっているから」

 

「じゃあ、唐沢部長に同行する時以外はジンさんに運転手をお願いします。近界民(ネイバー)のみなさんは七尾のホテルに滞在することになっているので、ホテルの支配人や料理部門のチーフと打ち合わせをしなければなりません。今回は5人もVIPがいらっしゃるので、やっぱりプロにお任せするしかないですからね」

 

前回はランバネインひとりだけであったから彼の世話はボーダー側の人間だけでできたが、今回はいくらゼノン隊の3人が手伝ってくれるとしても人手不足だ。

だからと言って他の隊員や職員を動員することもできず、ホテルのスタッフにお願いするしかない。

もちろん近界民(ネイバー)であることは秘密で、某国のVIPが集まってお忍びの会合を行うとホテル側には説明してある。

 

「ツグミ、おまえって最近はずっと近界民(ネイバー)たちとの外交ばかりやっていて、本来のボーダー隊員としての任務はもう何ヶ月やってないんだ?」

 

「アフト遠征からずっとなんで7ヶ月くらいじゃないかしら。S級になってからは市内巡回の当番から外されてるし、近界(ネイバーフッド)へ行ったり、逆に近界(ネイバーフッド)からやって来る近界民(ネイバー)や行方不明になっていた市民の帰国が続きましたからね。彼らの対応は誰にでもできるというものじゃないですし、わたしが責任を持って引き受けないと口だけの人間になっちゃいますから。それに武器(トリガー)を使って侵略者と戦うことばかりがボーダーの仕事じゃありません」

 

「それはそうだが、腕を鈍らせるなよ。…あ、キオンの伝説のトリガー使いとの模擬戦が引き分けだったっけな」

 

「ええ、心配ご無用です。近界(ネイバーフッド)では自分の身は自分で守るのが鉄則ですから、どんなに忙しくても毎日の稽古は欠かすことはありませんよ」

 

ツグミは何度も近界(ネイバーフッド)を往復していて、その際できる限り治安の良い国を選んで経由地としているのだが、経路上どうしても避けられない国がある。

それが紛争地であることは特に珍しいことではなく、戦場から離れた場所に艇を停めて火の粉が降りかからないようにしていたのだが、一度だけ戦闘に巻き込まれてしまった。

軍を脱走した兵士が彼女たちの前に現れ、兵士を追いかけて来た小隊と遭遇。

敵軍の工作員と間違われてしまい、おまけにキオンの艇であったものだからツグミとゼノン隊の3人は現地のトリガー使い十数人と交戦することになった。

幸い全員がノーマルトリガーであったから大事には至らず、相手を全員戦闘不能状態にしてから事情を説明して敵ではないことをわかったもらったのだった。

メノエイデスでツグミがウェルスと出会った時も同じように敵側の人間だと勘違いされたことが原因で、そういったトラブルは特別なことではないためにボーダーは遠征 ── 近界(ネイバーフッド)へ行くための条件に「(ブラック)トリガーに対抗できる」という項目があるのだ。

相手が誰であっても戦闘で負けてしまえばそこで捕虜となり、計画が台無しになるだけでなく三門市に帰還できなくなるのだから近界(ネイバーフッド)を旅することは常に命懸けである。

したがってツグミは稽古を欠かさず、時間とトリオンに余裕があればリヌスやテオを相手に模擬戦も行っていた。

ちなみにツグミとゼノン隊が戦闘に巻き込まれた事件は城戸に提出された報告書には記載されていない。

正直に報告すれば城戸や忍田が心配するからである。

 

「とにかくここまでは計画どおりに進んでいるので、最後までこの調子でいきたいと思ってます。ジンさんには()()とは違うことをお願いしていますが、どうかわたしに力を貸してください」

 

頭を深々と下げるツグミに迅が声をかける。

 

「言われるまでもないさ。おまえがやろうとしていること手伝うのは当然だろ? そしてそれが俺の幸せな未来に続くとなればなおさらだ。ただ、俺はあんまり頭が良くないからおまえの考えや何をやっているのかを説明してもらわないと理解できないところがある。だから何でも話してくれ。俺たちの間に遠慮なんていらないからな」

 

「嬉しい…」

 

「……!」

 

目を潤ませたツグミが顔を上げて愛おしげに見つめるものだから、迅は理性のタガが外れそうになる。

しかしここで前後の見境なく感情のままに突っ走ってしまえば最悪の未来が確定してしまうことになると瞬時に理解し、かろうじて抱きしめるだけに留めた。

 

「フッ…あんまり男を惑わすような顔をするなよ。おまえは無意識なんだろうが、そんな顔をされたら思わず押し倒したくなるじゃないか」

 

「押し倒すって…。でも気を付けます。真史叔父さんを哀しませたくないですからね。いくらジンさんのことが世界で一番大好きな男性であっても、真史叔父さんを超えることは絶対にできないんですから、ここはあなたに我慢してもらうしかありません。でもあと3年、20歳までという約束ですからあっという間ですよ」

 

「たしかにあっという間だろうな…。それに近界(ネイバーフッド)が落ち着けば、三門市防衛も今までよりずっと楽になる。俺たちが幸せだと思える日常は俺たちでつくるしかない。そしておまえがいれば3年の内に拉致された市民の救出も無事に終えることも夢じゃない。アフトのハイレインを三門市(ここ)に引っ張り出すことはできたんだから、あとは奴の愚かな考え方を改めさせれば近界(ネイバーフッド)で起きる戦争の大半をなくすことができるんじゃないかな」

 

「そこまではできなくても近界民(ネイバー)たちに慣習というものを見直しさせ、トリオンに依存した文明から脱してもらうことで『必要なら他人から奪えばいい』という考え方を改めるようになれば平和への道を歩むことになるでしょう。誰だって家族や友人といった親しい人たちと一緒に話しをして、美味しいものを食べて、衣食住が満たされたら幸せだって思えるものです。もちろん人間の欲は限りないですからいつまで経っても満足できない人はいるでしょうけど、奪わなくても手に入れられる手段さえあれば国同士の争いには発展しないはず。といっても玄界(ミデン)…こちら側の世界でも争いは絶えないんですけどね」

 

ツグミが言うように玄界(ミデン)の歴史において戦争というものがなくなった時期など一度もない。

どこかで必ず戦争 ── 国対国の戦いが起きていて、古代から現代へと文明は発達して、発達と共に簡単に大勢の人間を殺せる武器や兵器が次々に開発されていく。

現代ではスイッチひとつで地球上の人間を何十回も滅亡させることができるほどたくさんの核兵器が存在し、それを外交の切り札として使用している国はいくつもある。

だから近界(ネイバーフッド)での戦争を減らすことはできてもゼロにはできない上に、下手に核兵器を持ち込んでしまえば取り返しのつかないことになることも彼女は理解している。

 

近界(ネイバーフッド)での戦争は基本的にトリオン体で戦うから死者は出にくい。でもだからといって死者が出ないわけではなく、誰かが死ねばその家族や友人が悲しむことは明らかだ。それに犠牲者 ── 死者はいなくても被害を受ける被害者と呼べる人は必ず生まれてしまう。街を破壊されて家を失ったり、収穫間際の畑を荒らされて1年間の労働が無に帰してしまったり、家族が生き延びても財産を失ってバラバラになってしまうこともある。それに戦争なんてものは大衆が望んでいるものではなく一部の権力者や戦争によって儲かる人間が()()()()()()()()()始めることが多い。…でも戦争によって発達した技術が別の分野で役立っている点も認めざるをえない。電子レンジだって便利な電化製品だけど、元は戦争で使用するレーダーの実験中にマイクロ波を調理に応用したら食べ物を温めることができると考えて開発されたもの。人間が生きていく上でそんな技術はなくてもかまわないというレベルのもので、あれば便利だからと利用している。だから戦争を肯定しないまでも完全否定はできないんだ。事実、わたしだってそうだもの。すべては仕方がないという言葉で片付けられてしまう)

 

ツグミは迅の腕の中で思う。

 

(仕方がない…って言葉は嫌い。それって諦めの言葉にしか聞こえないから。嫌いだけど日常の中には溢れている。それだけ世の中には何とかする方法や手段がないくてどうにもならないことや、救いようがないことがいっぱいあるってこと。でも本当にそうなのかな…? 自分ひとりではダメでも誰かと一緒ならできるかもしれないのに。今はダメでも将来は叶うかもしれないのに…)

 

ツグミは理想主義者であるが現実主義者でもある。

「理想主義」と「現実主義」という言葉は対義語として扱われているが、両立しないということはない。

「理想主義」という言葉は「それは理想論にすぎない」というように否定的な意味で使われることがあり、理想を言うだけで実行が伴わなければ()()()のいい加減な人間として見向きもされなくなる。

しかし「理想主義」の本来の意味は理想を実現することを諦めないことで、理想や目標を実現するために具体的な努力をし続ける態度のことを言う。

そのためにはまず現実を直視しなければいけない。

一方「現実主義」という言葉には「現実はこうだから仕方がない」と現状を諦めているように思える部分があるが、現実を良く分析して理想を実現するための具体的方策を考えたり実行していく態度のことをいうのが本来の意味である。

だから彼女が理想主義者であり、かつ現実主義者であることに矛盾はないのだ。

100年前には誰もが不可能だと考えていたことが現代では実現していることなどいくらでもある。

 

ツグミが20歳になるまで約3年。

その間に彼女の願いがすべて叶うはずはないのだが、少なくとも第一次近界民(ネイバー)侵攻でさらわれた市民の多くが帰国できるだろうし、玄界(ミデン)に侵攻しても無駄で、むしろ玄界(ミデン)の文化を取り入れることで生活が豊かになると知った近界民(ネイバー)たちはトリオン兵を送り込むのではなく、対話をする意思のある人間を派遣するようになるだろう。

 

近界民(ネイバー)との対話 ── それは旧ボーダー時代に一度は手に入れかけたものの()()悲劇によって断たれてしまった希望。

有吾と織羽が願い、その「夢」に城戸や最上たちが賛同して創設されたボーダーは「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織」であったはずだが、当時の玄界(ミデン)には近界民(ネイバー)たちと対等に交渉できる()()がなかった。

そのせいで不利な条件を突き付けられても承諾するしかなかった()()()()()()()は相当なものであったはずだ。

そして隊員の半数を失う悲劇に見舞われ、残された大人たちは若くして散っていった子供たちへの罪の意識に苛まれた。

同時に残された子供たちに対して、彼らに任せることしかできない自分たちの不甲斐なさを悔いたのだった。

過ぎ去ってしまった過去を振り返って「あの時もしこうしていたら?」などと考えるのは無意味だが、もしツグミがもう少し成長していて城戸たちに意見できて自ら行動できる立場であったなら状況は今と大きく変わっていたかもしれない。

相手が近界民(ネイバー)であっても同じ人間なのだから、まずは対等な交渉ができるような手段を模索しただろう。

そして玄界(ミデン)では当たり前のように存在するものでも近界(ネイバーフッド)にはない物や技術を()()して、武器(トリガー)関連の技術を()()しようとしたはずだ。

そうすれば一方的にボーダー側が損をする取引にはならなかっただろう。

 

今、ツグミは自身の努力の積み重ねによって自分の願いを叶えるための力を手に入れ、現実を直視しながらも理想を実現するために奔走している。

彼女の行動に賛同して協力する者は多いが彼女を否定する者も少なからずいる。

それは自分が持っていない行動力や諦めないという根性を持っている彼女に憧れる者がいて、同時に彼女の持つ()()が眩しくて目を背けたくなる者がいるからだ。

これからの彼女の「敵」は武器(トリガー)を振りかざして襲ってくる者ではなく、従来からの伝統や習慣、制度や考え方に固執して変革を望まない者たちとなるであろう。

それは近界民(ネイバー)とは限らず、「安定を求める」という本能を持つすべての人間に当てはまる。

保守的な人間は現状に満足していないとしてもこれ以上悪くなるよりはマシと考えて停滞を生み出す原因となり、近界(ネイバーフッド)では上級国民はもとより庶民階級の人間も現状を甘んじて受け入れていた。

近界民(ネイバー)たちがそれでかまわないと言うのであれば彼らに好きなようにさせておけばいいとツグミは考えるのだが、そのせいで玄界(ミデン)へとやって来て一方的な略奪や殺害を行う連中を放ってはおけない。

これまで誰もが「現実はこうだから仕方がない」と諦めて「これ以上悪くなるよりはマシ」と現状維持に留めていたことに対し、「それは理想論にすぎない」と否定されても「現実を良く分析して理想を実現するための具体的方策を考えたり実行していく」ことを自らの正義とした彼女の「戦い」なのである。

 

(こうしてジンさんの温もりを感じていると不安は全然感じない。この人さえいてくれたら怖いものなんて何ひとつないと思わせてくれる安心感があって、この人と一緒に幸せな人生を送れるんだったら今はどんなに大変でも頑張れるよ。…ありがとう、ジンさん)

 

迅の手が自分のお尻に伸びていても不快に感じず、それすら幸せだと思うツグミであった。

 

 

 

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