ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「ところで須坂氏と会って話をしたのだろ?」
城戸が報告書を引き出しに入れながらツグミに訊いた。
「はい。あの人は自分のやっていることを狡いと言って気が咎めている様子でした。ですがあの人の今の状態を考えれば無理もなく、唐沢部長の判断は正しかったと思います。ボーダーには拉致被害者を救出する責任がありますが、待っている家族に対するケアも必要だと考えていました。でも具体的に何ができるというものでもなく、彼らにとって一番嬉しいのは家族が無事に帰って来てくれることですから、救出計画を可能な限り早く実行してひとりでも多くの市民を帰国させなければなりません」
「ああ、そうだ。さっきの会議でも第1回の遠征をどのタイミングで行うかが議題に上がったが、やはり同盟締結の情報を
「上手くいけばキオンだけでなくアフトの名前も借りることができるかもしれませんから、ハイレイン陛下に対しての接待には入念に計画を立てています。ランバネインさんから食べ物の好みを聞き出しましたし、どんなものに興味を抱くのかも詳しく教えてもらったので成功率はだいぶ高まっています。明日、早速ホテルの支配人との打ち合わせをすることになり、唐沢部長と一緒に行くことに決まりました」
「帰国して休む間も与えずに悪いな」
城戸は申し訳なさそうな顔をして言うが、ツグミは首を横に振る。
「いいえ、気にしないでください。わたしは平気ですし、何よりも楽しいんです。だって一般の防衛隊員だったらできないことも今のわたしなら何でもできるんですから。ミリアムの
「楽しい?」
「はい。…父や有吾さんが
そう言ってツグミは微笑む。
「わたしが言うのはおかしいですが、誰でも若い頃は未来が無限に広がっていて何でもできると信じて全力で走り、そしてある時に現実の厳しさに直面して諦めてしまったり、諦めきれずにジタバタしたり、人によってはそれに気付く前に人生を終えてしまう。残酷ですけど、実際にはそうなんじゃありませんか?」
「ああ。…なあ、ツグミ、私の昔話を少しだけ聞いてくれるか?」
「はい」
ツグミがそう答えると、城戸は昔のことを思い出したのか遠い目をしてわずかに微笑んだ。
「たしかに私たちは20代前半で大人というには未熟でバカな若者だった。何の根拠もなく明日は今日よりも楽しいことがあるなどと考え、同じ未来を目指す仲間がそばにいたから何をやっても楽しいし大変だとは思わなかった。一晩眠れば疲れも吹き飛び、次の日にはまた全力で自分の信じた
「……」
「しかし楽しい日々など長く続くものではない。当時高校生だった忍田や林藤はまだしも私と最上、織羽と有吾はもう立派な大人で、いつまでもヤンチャをしていられる年齢ではなくなっていた。織羽は美琴と結婚しておまえが生まれたものだから家庭を守ることが最優先事項となっていたし、有吾は頻繁に
「……」
「成人であったから充分に大人といえる年齢だったが、精神的に子供から大人になったと感じたのはこの時だった。それからしばらくして織羽が逝き、有吾は
「はい。とても哀しいことでした。家族同様の隊員たちが犠牲となり、それだけでも哀しいのに城戸司令はあれから全然笑わなくなってしまいました。いつも朗らかに笑っていたあなたから笑顔が失せてしまい、わたしはそのことも辛くて哀しかったです」
「悪かったな、ツグミ。しかし私自身どうしようもなかったのだよ。…そして私はボーダーの最高司令官として
「大人とは不自由でつまらないものなんですか…」
ツグミはそう呟くと黙って何か考え込んでしまったものだから、城戸はそれ以上何も言わずに彼女が口を開くのを待つことにした。
そして答えのようなものを見付けたらしく、城戸に向かって言った。
「城戸司令のお話を聞いていて、わたしはこんな考えに至りました。わたしの話も聞いていただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
「ありがとうございます。…子供っていろいろなものに対してそれぞれたくさんの選択肢を持っていて、毎日選択の繰り返しをしているんです。何でもできると思い込んでいる可能性の塊のようなもので、どれを選んだとしても後悔している暇もなく次の選択肢が目の前に現れてとても忙しい。それが成長するに連れて選択肢は狭まってしまう。なぜなら自分の限界を知ってしまうから。いいえ、本当は限界なんてなくて、本人が自分はここまでと思い込むことで自ら限界を作ってしまうだけなんですけど。努力するよりも自分で限界を作ってそこまでだと決めてしまう方が楽ですから。それで自ら選択肢を減らしていることに気付かず、そのうちにやりたいと思うことが選択肢の中から消えていって、ひとつだけ残ったものを自分のやるべきことだと勘違いしてしまう。大人なんだからいつまでも子供のようにはいられないと自分に言い聞かせて」
「……」
「城戸司令は人とはその時と状況によって大切なものが変わり、やりたいこととやるべきことが異なるものだと理解して後者を選ばざるをえないと言いますが、本当にそうなんでしょうか? 父はボーダーの活動よりも家庭を優先したということですが、ボーダーの活動を放棄したのではないなら単純にやりたいことの割合が変わっただけだとわたしは思うんです。結婚前はボーダー活動に10割費やすことができたとしても、家族ができたら家族を無視してこれまでのようにボーダー活動10割というわけにはいきません。家族7割ボーダー3割といった感じで振り分けなければ身体を壊してしまいます。それに家族を大事にすることは
「……」
「城戸司令はいつまでも子供のように自由に生きられないと悟ったと言いましたが、子供は自由なのではなく選択肢をたくさん持っているからそう見えるだけで、大人が不自由に思えるのは自分で自分の限界を定めてしまって選択肢を減らしてしまうから。なのでわたしは城戸司令のお話しを聞いていて、自分で自分の可能性を狭めることなく、子供のようにたくさんの選択肢の中から自分のやりたいことを選べる大人になりたい。やるべきことを義務のように考えてしまうとつまらないものに感じるので、自分にしかできない特権なんだと思いたい。もしかしたら父も母と娘のわたしを守ることを義務ではなく権利、自分にだけ与えられた特権だったと考えていたかもしれません」
「…!」
人は何かをやろうとしている時にそれを「義務」と考えるか「権利」と考えるかで本人のモチベーションが大きく変わるものだ。
「権利」と言うと大げさだが「義務」の対義語であり、「義務=従うべきもの」「権利=自分の意思によって自由に行うことができるもの」とすると、ツグミにとって
形式的はボーダー最高司令官である城戸の命令だが、ツグミが自分のやりたいことを彼にプレゼンして採用されたものばかりであるから、事実上は自分の意思によって自由に行うことができるもの、つまり「権利」を得たとしてやる気が出るのは当然であり、多少の苦労も平気だと感じてしまう。
だからツグミに対して城戸や忍田が申し訳ないと考えること自体無意味で、本人にとってはすべてが自分の目指す最善の未来の布石であって自分でやりたいという気持ちになるのだから、彼女が自分の手に余る事態になって助けを求めてきた時に援助しようという心構えでいることだけで充分なのだ。
城戸は自分の娘同然に考えているツグミの思想や精神的な面の成長っぷりに驚くと同時に嬉しくなった。
(殺伐とした世界に身を置きながらも健康的な感覚の持ち主に成長したものだ。普通の子供と違う個性的な考え方を持っているが、そのおかげで
「城戸司令…いえ、城戸さんにお願いがあるんですが、言うだけ言ってみてもいいですか?」
ツグミが真剣な目で真っ直ぐに城戸の目を見て言う。
「何だ? 遠慮なく言ってみろ」
「じゃあ、言いますね。今回の三国同盟の締結が無事に終わったら、
「エウクラートンの女王に? その言い方だとボーダーの幹部ではなく、おまえの父親代わりの人間という意味で会ってほしいということか?」
「そうです。リベラート殿下にはここで会うことはできますが、女王陛下は
現在のエウクラートンの位置なら10日ほどあれば往復は可能で、このタイミングを逃すとボーダーの幹部ふたりが長期にわたって不在という面倒なことになる。
それに会って話をしたいと考えていたのは事実だから、ツグミの申し出を断る理由はない。
「いいだろう。同盟締結が無事に済んでリベラート殿下が帰国する際に一緒に行くことができるように調整することにする」
「ありがとうございます」
「礼を言われるまでもない。むしろおまえが私のことを父親として認めてくれていることが嬉しいよ」
「だって城戸さんは真史叔父さんとふたり合わせてひとりの父親みたいなものですから」
「ふたり合わせてひとりの父親?」
「真史叔父さんは剣の師匠としては厳しいですけど、普通の父親としては親バカと言っていいほどわたしに甘いんです。心配性だし、わたしがボーダー活動を続けている姿を見て自分のせいでわたしをこんな過酷な世界に引っ張り込んでしまったと言って詫びたりします。わたしのことをとても大切にしてくれますが、それは自分の課された責任であって保護しなければならない対象と見ているからで、嬉しいですけどちょっと
「ふむ…そういうものなのか」
「そうです。おふたりのどちらが欠けても今のわたしには育っていません。もちろん林藤さんも父親の内のひとりですが、今回はお留守番していただきます」
「それは当然だな。本部司令と本部長のふたりが同時に留守をするとなれば、短期とはいえ後を任せられるのはあの男しかいない」
「では、わたしの計画が順調に進んで28日に無事に調印式が済みましたら、30日には出発できると思いますので承知しておいてください」
「ああ、わかった」
◆
ツグミが執務室を去ると、城戸は椅子に深く腰掛けて目を瞑った。
そして今は亡き旧友に語りかける。
(織羽…おまえ自身も会ったことのないリベラート殿下と面会するだけでなく、私はおまえの生まれ故郷へと行くことになる。おまえが自慢をしていた豊穣の大地をこの目で見るのは楽しみだ。今は春真っ盛りらしいから、秋に蒔いた小麦が芽吹いている頃だろうか?)
城戸の瞼の裏には果てしなく続く畑と青い空が広がっている。
(生前おまえは美琴やツグミを連れて自分の故郷を見せたいと言っていたがそれは叶わなかった。しかしツグミは自分自身の力でエウクラートンの大地に立ち、私と忍田を連れて行くと言っている。あの小さかったツグミがだぞ。育てたのは忍田だが、それでもあの子は私のことも父親だと認めてくれている。嬉しいじゃないか。おまえの分も見守ってやろうとして、本当に見守っているだけだったというのに私がいなければ今の自分には育っていないとまで言い切った。おまえの娘は私にとっても自慢の娘だ。もっともおまえにしか自慢できないがな)
とある事情で家庭を持つことができなかった城戸だが、旧ボーダー時代からたくさんの仲間に囲まれており、なおかつ子供世代の隊員が何人もいたことで寂しいとは感じることはなかった。
しかし戦いの中に身を置き、その戦いに子供たちを送り込まなければならないという現実に胸を痛めていた城戸。
それが仲間の半数を失うという悲劇に見舞われ、さらにその半数以上が10代の子供であったことから彼の中に辛うじて残っていたボーダー創設時の
本当ならこんな殺伐として哀しい場所であれば逃げ出してしまいたいほど辛かったはずだが、彼がボーダーに残ったのは単に生き残りの中で最年長者が自分であったからというだけで、それから6年以上も責任を果たすために最高司令官の椅子に座り続けていて、彼の顔に刻まれた傷よりも今でも癒えない心の傷の方がはるかに深くて哀しいものとなっていた。
(私も早く楽になりたい。あの子のおかげで
記憶の中の織羽が微笑んだものだから、城戸も目を瞑ったままで微笑んだのだった。