ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「ところでさっきの質問の答えだが、その前に俺がツグミと出会った時のことを話したい」
ハイレインはそう前置きをしてから昔を懐かしむような目で話を始めた。
「俺の前に現れたツグミは見た目こそタダの小娘だが、イルガーを1発の砲撃で墜とすほどのトリオン量とラービットの懐に飛び込んでゼロ距離攻撃をいとも容易く行う度胸と技術があった。大胆かつ精緻で隙のない攻撃を見せた彼女を部下としてアフトへ連れ帰りたいと考えて
「でもあの時点でヴィザさんは負けてしまいましたし、ランバネインさんはトリオン体を破壊されてしまって戦闘不可。エネドラは死亡していて、ヒュースは足止めされていたので援軍は望めなかったはずですよ。それに仮にわたしと戦って勝ったとしても金の雛鳥は手に入りませんでした。だってわたしが持っていたトリオンキューブは偽物だったんですから」
「どういうことだ? もうひとりの少年兵の持っていた方が偽物だったのではないのか?」
「いいえ。どちらも偽物だったんです。最初にあなたへ無駄に攻撃をしてたくさんのトリオンキューブが地面に転がった時に自律型トリオン兵が適当なものをふたつ拾っておいて、それをわたしと後輩の男の子がずっと抱えていただけ。あの状態では戦闘力とトリオン能力が彼よりも優れているわたしが持っている方を本物だと思うはずなので、その裏をかいてみました。本物は安全な場所に隠しておいて、後で無事に回収しました」
ツグミが種明かしをすると、ハイレインは渋い顔をした。
「俺は騙されていたのか…」
「だって
「ああ、それはわかっている。今さらおまえに文句を言ったところで意味はない。しかしまんまと騙されたな。あの状態では芝居だと気付けなくとも仕方がない。こちらも必死だったからな」
「戦争なんですからどちらも命懸けですよ。お互いさまです」
そう言ってツグミは微笑んだ。
「俺は遠征艇が自動発進して
「褒めてもらえるのは嬉しいですけど、わたしは誰かのために戦うというのは嫌いなんです。これまで戦ってきたのはすべて自分自身のため。誰かに命じられたのではなく自分の意思で戦うので、わたしがアフトのために戦うなんてことは絶対にありえません。ただしあなたの命令に従って戦うことの延長線上にわたし自身の願いが叶うという確信があるのなら別ですけど」
「フン、そんなことを言っていられるのも無事だったからだぞ。実際に捕虜になってしまえば自分の意思など脆く崩れ去る。おまえみたいな小娘では俺たちの拷問に1日も耐えられなかっただろう」
ハイレインはわざと脅かすように言うが、ツグミには効果などない。
「だからアフトはボーダーに負けてしまったんですよ」
「どういう意味だ?」
「拷問などという古臭い乱暴な手段では人の心は変わりません。特に強い信念の持ち主でしたらたとえ命を奪われるとしても自分の矜持は捨てませんから、結局どちらにとっても残念な結果にしかならないんです。わたしのことを小娘などと言いますが、自分の部下にしたいと思うほどわたしのことを評価していたことになります。でもそれは逆に言えば拷問程度で敵に寝返るような人間をあなたは部下にしたいと考えたということになるのではありませんか? 少なくともヒュースは頑としてアフトの情報どころか自分のことについてもなかなか口を割ろうとはしませんでした。早いうちに役に立たないとわかり、あなたに異常なほどの恨みを持つエネドラから情報を得ることにしたんです」
「……」
「キオンがボーダーに協力してくれたのは単にキオンがアフトと対立する国であり、アフトの弱体化を狙っていたという理由ではありません」
「その理由については私が話したい。いいだろ、ツグミ?」
それまで黙ってツグミたちの話を聞いていただけのテスタが口を挟んだ。
「はい、もちろんです」
ツグミからバトンを受け取ったテスタがハイレインの顔を見て言う。
「これはきみも耳にしていることかもしれないが、改めて話そう。…キオンは20年以上前にエウクラートンへ侵攻し、その時にミリアムの
「……」
「通常なら捕虜になった兵士は拷問によって自白を強要されるものだが、ゼノンたちは拷問を受けるどころか客人待遇を受けたそうだ。食事も食べたいものがあればツグミが可能な限り作ってくれたそうだし、なによりも彼女はゼノンたちのことを友人と呼んでくれたと言っていた。自分を乱暴な手段で捕えて
「……」
「もしボーダーがゼノンたちを拷問して
テスタはそう言ってからハイレインの顔をキッと睨みつけるような真剣な目つきをして続けた。
「きみは拷問を受けて身も心もボロボロになって、そんなことをした連中の言いなりになって戦うことができるかい? 私ならそんなことはできないし、たぶん誇り高いきみも同じはずだ。ならばツグミの言っていることが理解できると思う。暴力によって人の命を奪うことはできても、人の心は暴力で変えることはできない。人は人の気持ちで変わるんだよ。私は
「…それはもっともな意見だ。
ハイレインが苦しそうな顔で言うものだから、ツグミは気になって声をかけてしまった。
「ひとりで胸の中に抱え込んでいるといつか耐え切れなくなって身を滅ぼすことになりますよ。もちろん他人には言えない深刻なことなんででしょうけど、あなたにはあなたのことを大切に思う家族や仲間がいるということを忘れないでください。あなたに何かあれば哀しむ人がいて、単に新しい国王を立てれば良いという話ではないはずです。あなたは貴族の当主だから、国王だから強くなければいけないと思い込み、唯一の家族である弟にすら弱みを見せられない。それはたぶん弱みを見せたら負けた気になるからではないでしょうか?」
「…!」
ハイレインはツグミの顔を驚いたように見る。
「わたしはあなたが完璧主義者なのではないかと推測します。完璧主義者、すなわち万全を期すために努力を惜しまず、自ら高い目標を定めて達成することを良しとするために失敗は絶対に許せない。だから非常に優秀で立派な人間だと周囲の人々の目には映ります。そうなると他人からの評価を気にするようになり、うっかり弱みを見せてしまえばその評価が下がってしまうと考えて怯えて弱みを誰にも見せられなくなる。さっき弟にすら弱みを見せられないと言いましたが、むしろ完璧な兄である自分を慕う弟だからこそ無様な姿は見せたくない。弱い自分を見たランバネインさんが軽蔑するのではないかと思うと恐ろしい。たったひとりの家族をこんなことで失いたくはない。だから無理をする。自分ひとりで悩みや苦しみを抱え込んでしまう。でもそれってランバネインさんのことを信頼していないからではありませんか?」
「何を根拠にそんなことを言う?」
「家族というものは人間関係の中で一番厄介なものだとわたしは考えています。血のつながりがあるというだけで親子とかきょうだいとか絶対に変更できない関係性が生まれてしまい、ひと度問題が発生してしまうと他人同士のつながりよりも解決が難しいものとなります。特にきょうだい間では周囲の大人たちによって年長の子供は年少の子供よりも優れていないといけないと
「……」
「あなたの場合は幼い頃に母親を亡くし、父親からは次期当主となるべく厳しい教育を与えられ、その期待に応えようと必死になってきたのだと思います。弟のランバネインさんは嫡男のあなたと違って自由奔放に育てられ、それをあなたは憎々しいと同時に羨ましいと感じていた。ランバネインさんは何か困ったことがあるとすぐにあなたを頼る。あなたは彼に頼られることが嬉しい反面、なぜ自分ばかりがこんなに苦しんでいるのに誰も助けてくれないのだとイライラすることもあるでしょう。もしあなたが自分の悩みを彼に相談したとしましょう。すると彼のあなたに対する尊敬や信頼が失われてしまうとあなたは恐れてのではないかとわたしは思います。完璧だった仮面が剥がれて素顔が見えてしまうことでランバネインさんはガッカリする。そうさせないためにも我慢して仮面を被り続けなければならない。わたしにはきょうだいがいませんし女なので兄と弟の関係を偉そうに言う資格はないですが、おふたりの話を聞いているうちにわかったことがあります。それはランバネインさんはあなたが弱くて頼りない兄であっても落胆したり嫌いになるようなことは絶対にありえない、ということです」
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「だってランバネインさんが
「……」
「わたしがアフトの王城であなたとお会いした時、ランバネインさんは自分の正直な気持ちを吐き出してくれました。彼はあなたのことが大好きで子供の頃から憧れて尊敬もしていた。唯一の肉親だからすごく大切にしたい。でも今のあなたのことは好きではない。自分に都合が悪い人間がいればすぐに排除し、そんなことばかりしていたから信頼できる人間がいなくなってしまった。王になってからはいつも何かに怯えているようでカッコ悪い。自分はベルティストン当主だから家臣とその家族と領民たちの生活を守る義務はあるけど、王と王家のために捨てる命は持っていない…って、国王の前では絶対に言えないようなことでしたが、あなたのことを兄として信頼しているから言えたことだと思うんです。あの時、あなたが冷静さを失ってランバネインさんとの兄弟の縁を切ってしまったら取り返しのつかないことになっていたでしょうね。わたしはあの時のランバネインさんは勇気があってカッコイイと思いました。彼が心の底からあなたのことを愛していて、苦悩しているあなたのために役立つのなら自分が憎まれ役になってもかまわないというように見え、だからこそあなたも
ツグミの言葉は「説教」で、ハイレインにとって最も嫌うものであった。
自分のやっていることが常に正しいと信じ他人の言葉に耳を傾けようとしなかった彼だが、ツグミの言葉を拒絶することはなく素直に聞き入れることができたのは、その言葉の中に相手の心情を理解して寄り添ってくれている優しさが感じられるからだ。
ハイレインは周囲の期待に応えるためには自分を甘やかしてはいけないと常に生き方を律して無理をしてきたことと、自分が誰よりも臆病で期待を裏切るようなことをすれば自分自身を全否定されて生きる資格さえ失うのではないかといつも怯えていることを子供の頃から認識していた。
だからその弱さを赤の他人であるツグミに見破られてしまい本来なら自我崩壊してしまう状況だが、彼女は弱いことは悪ではなくむしろ人間らしくて好ましいと肯定してくれたことで自分を偽らない「ありのまま」でいることが大事なのだと気付かされたのだった。
そんなハイレインの頬を伝って涙の雫がテーブルの上に落ちた。
強者でなければいけないという強迫観念に駆られていた彼にとって涙とは弱者の証とも言うべきもので、他人どころか家族にすら見せなかったものである。
それをツグミやテスタの前で見せてしまったのだから、それだけ彼の心は弱っていたということだろう。
ツグミはすっと立ち上がるとハイレインのそばにしゃがみ、自分のハンカチで彼の涙を拭ってやる。
「ここであったことは3人だけの秘密ということになっていますが、それでも差支えがあるというのであれば無理強いはしません。そしてあなたに話したいという気持ちがあるのなら何でも聞きます。そして夢だったということにして忘れることにしましょう。それなら安心して話せるんじゃありませんか? テスタさんもそうは思いませんか?」
ツグミがテスタに同意を求めると、彼は頷いて言った。
「ああ。人を信じるということはとても難しいし、裏切られた時のことを考えると怖くなる。でも端から裏切られることを恐れて誰も信じられなくなるよりも、信じて裏切られる方がまだマシだって思う。なにしろここにいる3人はトリガーを持たない生身の状態だ。そうなると体力的にツグミは一番弱い立場となり、私やきみが不埒な気持ちを抱いていかがわしいことをしようと思えば簡単なこと。それでも彼女がここにいるのは私たちがそんなことをするはずがないと信じてくれているからで、そうなればその信頼に応えなければいけないと身を律することができるというものだ。ゼノン隊の3人が彼女を拉致して遠征艇に連れ込んだ時、ツグミは彼らの懐に自ら飛び込んで安全を確保した。元々女性を敬い大切にする習慣があるキオンの人間だったこともあるが、彼女はこうすればゼノンたちが絶対に自分に危害を加えないと信じていたからだ。場合によっては危険な賭けになるが、自分から相手のことを信用すれば相手もやたらなことはできない。信頼には信頼で応えようという気にもなる。きみがどんなことを告白しようとも私も彼女同様に何でも聞こう。忘れてほしいというのなら忘れる。正体を失うほど酒を飲めば酔っ払って前夜の記憶なんて曖昧になるどころか一切覚えていないからな」
そんなテスタの言葉にツグミが言い返す。
「あんまり飲んじゃダメですよ、明日は大切な同盟締結の式典があるんですから」
「あ、ハハハ…それはそうだった。
「もう…」
頭を掻きながらヘラヘラ笑うテスタに対して、ツグミは頬を膨らませてムッとする。
そんなふたりの漫才のようなやり取りも場を和ますための芝居だと気付いたハイレインがその気遣いに応えるように口を開いた。
「おまえたちにとってはつまらない話だろうが、ぜひ聞いてほしい。私を迷いの沼から救い出してくれ」