ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ハイレインの「迷いの沼から救い出してくれ」という言葉から、ツグミが考えている以上に彼が深刻な悩みを抱えているのだと察した。
(この分だとランバネインさんにも話していないことよね。そんなディープな話をする気になったってことはわたしたちのことを信頼してくれているってことになる。ゼノン隊長たちと同じく出会いこそ敵同士だったけど、今はこうしてこたつで膝を突き合わせているんだもの、もう敵でも赤の他人でもない。だったら過去の因縁なんて捨ててちゃんと話を聞き、この人のためにできることがあるなら何でもしてあげよう)
自分とは縁のない人間のことについては無関心なツグミだが、こうしてきっかけがどんなものであれ縁を結んでしまうと仲間や友人として真剣に力になろうとする。
特に普段は強い姿しか見せない人間が弱っているのを見ると放っておけなくなり、得意の料理で癒してしまうのはヒュースやゼノン隊の例で明らかだ。
こうすると
どう切り出そうかと悩んでいるハイレインは湯呑茶碗のお茶を飲み干し、ツグミにおかわりを求めたタイミングでやっと話し始めた。
「俺は今まで自分の行動に迷いはなかった。すべてがベルティストン家の当主になるため、戦争に勝つため、敵対する貴族どもを排除するため、そして国王になるため…。それは俺がハイレイン・ベルティストンだからで、常に俺は強者として足を止めることはなかった。しかし国王になることが最終目的ではなく、国王というアフト最大の権力は目的を達するための
「……」
「…と言うとおまえたちは滑稽に思うだろうな。しかし俺は今でも
子供の時にどのような環境で育ったかによってその後の人生は大きく変わる。
ツグミがボーダーとは一切無縁の場所で両親と一緒に暮らしていたら
ハイレインも貴族の嫡男ではなく庶民の家に生まれていたら権力を欲することはなかっただろう。
小動物を可愛がる心優しい青年になっていた未来もありえたのだ。
ハイレインの話は続いた。
「当主となった俺は軍備を整え、
「
ツグミの問いにハイレインは答える。
「もちろんそれも考えたさ。しかし『神選び』までまだ時間はあり、他の国から別の候補者をさらってくる計画もあったからな。それにおまえたちが雛鳥を奪い返しにやって来る可能性もあったことから、ディルクを拘束するのはギリギリまで待つことにした。そのせいで貴重な『神候補』をおまえたちに連れ去られてしまうことになるとは想定外だった。…いや、
「それはあなたの勝手な思い込みでしたね。
「つまり勝敗は気持ちの強さでボーダーが優ったということか」
ハイレインの言葉にツグミは首を横に振る。
「いいえ。…わたしにはものすごく強いけど頭の悪い弟弟子がいます。彼が戦闘において勝負を決めるものは気持ちの強さではなく戦力・戦術、あとは運だと言い切ったことがあります。わたしも同意見です。たしかに戦力が拮抗していてどちらが勝ってもおかしくない戦いなら気持ちの強さは影響するでしょうけど、本拠地の有利があって戦力でもボーダー隊員を圧倒的に上回るハイレイン隊に正面からぶつかって気持ちの強さだけで勝てるはずがありません。ですがボーダーのアフト遠征はどんなことがあっても絶対に負けることができない勝負で、だからこそ念入りに事前調査をしてどんな状況にも対応できるように準備をする。あなたの
「そんなことはない! …俺が
「だからミラさんを『神』にしたんですね?」
ツグミは遠慮なく厳しいことを言う。
ハイレインの表情を見ていて、彼がずっと抱え込んでいるものの正体が「ミラを生贄にしたことに対する自責の念」であると考えたのだ。
そしてそれは正解で、ハイレインの表情が苦痛に歪んだ。
「おまえは何もかも見通しているのだな…。しかしなぜそう思ったのだ?」
「アフトの王城で会った時にランバネインさんからミラさんがすべてを承知の上で生贄になったという話を聞いて、あなたはショックを受けていたじゃありませんか。あなたは彼女に知られないようにずっと騙していたというのに、彼女はあなたの企みを知っても逃げなかった。あなたのためなら犠牲になってかまわないという献身的な態度にあなたは自分の罪の重さを思い知ったのだと感じました。誰かひとりの人間を犠牲にしなければならないとすれば自分からできるだけ関係性の薄い者、つまり赤の他人で心を痛めることがない人物にしたい。でもそれが中途半端なトリオン能力者ではあなたが王になれないから、
「……」
「図星、ですか? でも彼女のおかげであなたはアフト国王になれたのですから、彼女に感謝することはあっても悔やむことはないでしょう。それなのにあなたはなぜそんなに苦しんでいるんですか?」
ハイレインの心の傷を抉るようなことをするツグミ。
しかし彼女は無意味に他人を傷つけるようなことはしないので、これも意図があってのことである。
「…アフトを発つ前日のことだ、ランバネインが1通の手紙を俺に手渡した。それはベルティストン家の屋敷のミラが使っていた部屋の引き出しに入っていたもので、俺に宛てた遺言のようなものだった」
「遺言?」
「ああ。その手紙には自分が利用されているだけだと知りつつも俺のことを愛しているから最後まで寄り添うのだと書かれていた。俺はミラが当主夫人になりたいからランバネインではなく俺と結婚したがっているのだと思い込んでいた。そもそもミラはベルティストン家配下の田舎領主の娘で、いわゆる政略結婚というものだから俺にはあいつに対する愛情など欠片もなかった。それなのにそんなあいつの一途な想いが込められた手紙を読んでしまったら、俺は…いくら俺でも罪の意識に苛まれる。俺は何ということをしてしまったのだ。もしあいつの気持ちを知っていたら俺はあいつを生贄になどしなかった」
「本当ですか? 他に候補者がいないからこそ彼女を犠牲にした。どんなことをしてでも王になりたいからとやむを得ない、心の底ですまないと詫びながら彼女を騙して、その結果あなたは国王になった。今さら後悔したところで意味はありません」
「そんなことはわかっている。しかし俺のために身を捧げてくれた女の想いに触れて心が痛むのは当然だろ?」
「でもそうやっていつまでも悔やんでいることはできないでしょ?」
「…それはそうだが、俺だって人の心を持っている。それにこの先もっと多くの犠牲を強いることになるのだと覚悟はしているが、今はまだ無理だ。時間が経てば少しずつでもこの心の傷も癒えていくだろうが、俺が立ち止まることでもっと多くの犠牲が生じると思うと自分でもどうしたら良いのかわからない。おまえに俺の気持ちの何がわかると言うんだ!?」
ハイレインが振り上げた拳を思い切りテーブルの上に叩きつけた。
しかしツグミは平然としている。
「わたしにはあなたの気持ちよりもミラさんの気持ちの方が理解できます。女性として、そしてひとりの男性のことを本気で愛しているという点では立場が同じですから彼女がなぜこんな手紙を書き残したのかなんとなくわかるんです」
するとハイレインの表情は豹変し、縋り付くような目でツグミを見て言った。
「ならば教えてくれ! ミラはどうして自ら生贄になろうとしたんだ? 単に俺のことが好きだというだけであのような過酷な道を選ぶはずがない。それにいくら俺のことを愛していたとしても死んだも同然の身になって何の意味がある?」
「彼女があなたのことを愛していたのは間違いないです。でも愛の形というものは様々で、彼女の愛し方はわたしには納得できるものではありませんが、彼女にとってはこれこそが究極の愛なのだろうと思います」
「究極の愛?」
「はい。彼女があなたの婚約者となった理由は政略結婚というものだったとしても、彼女はあなたと出会って本気で好きになったのだと思います。もちろんベルティストン家当主夫人になれると思えば幸せな未来を描いてますますのぼせ上がってしまう。でもあなたは彼女に対して恋愛感情はなく、家臣の娘を娶らなければならない
「…否定はしない」
「たぶんミラさんはあなたのそんな気持ちを察し、仮にあなたの正妻になったとしても愛してはもらえず他の女性を愛人に迎えて寵愛するようになってしまったらと考えると恐ろしい。でも人の気持ちなんてそんなものです。誰も未来がどうなるかなんてわからないのに、勝手に悪いことになると想像してしまって無用な恐怖に怯えてしまう。それでも
「打算的な考えとはどういうものだ?」
「これはわたしがランバネインさんから聞いた話や直接戦った時の印象から推測するものですから真実かどうかはわかりません。ですがまったく根拠のないものではなく、わたしが彼女の立場だったとしたら…と考えて立てた
そう前置きをしてからツグミは「ミラの策略(仮説)」を説明し始めた。